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超古代の土着信仰とは?


August.29.2004





かおる
しかし、前回はあれだけ引っ張って、最後は駄洒落で落とすというのは、どうなんでしょうね〜?

つづき
駄洒落とはなんじゃ? 言霊の面妖さじゃと言うておろうが。
動物を飼う場合の古語が、「かふ」じゃ。
往ぬ」が、語尾に付くと、「かひぬ」となる。
すると、なんじゃ?
」を飼っていた古代の人々は、生活の中で「犬をかひぬ」などと、駄洒落を楽しんでいたのかね?

否! むしろ、「かふ(飼う)→かひぬ→飼いぬ→飼犬→飼い犬」と、言い方が変わり、
人に飼われた動物」のことを、「」と、呼ぶようになったと考えたほうが自然じゃろう?


かおる
でも、実際、「いぬ(犬)」の語源なんて、いままで師匠が説いてきた古代語とは関係ないかも知れませよ?
現代まで続く古代語を話していたのは、古代日本社会を征服した民族(おそらく大和朝廷)でしょうが、
それ以前の、少数部族の方言の中に、「いぬ(犬)」という単語があったとしたら、
もう、現代から語源を探るなんて、不可能でしょう?

つづき
それは、その通りであろうな。 個々の単語だけ拾って、これとあれが似ているから、
語源に間違いないじゃろうと決めるつけるのは、本当に語呂合わせの域を出ぬじゃろう。
じゃから、わしは、強く主張しておきたい。


」の語源は「往ぬ」ではなく、「かふ(飼う)の完了形→かひぬ」であると。



かおる
同じことじゃないですか〜。
日本語の中で似た語句は多いんですから、証拠が無ければ、ただの「偶然の一致」なんですってば。
つづき
証拠が無いのが、証拠、ということもありうるぞよ?

かおる
なんですか? 証拠が無いのが、証拠だなんて、意味がわかりません。

つづき
かおる君は、次の言霊に、反応するはずじゃ。









ぷに





かおる
な、な、な、なんですか?! 何をおっしゃりたいのか、さっぱりわかりませんっ!!!!
だいたい、「ぷに」は、古語じゃありません!
つづき
そう、そうなのじゃ。 「ぷに」という語句は、ヤマトコトバには存在せぬ。
ふに」を、古語辞典や現代国語辞典で調べても、「不二・赴任」など、かなり近世の言葉しかありゃせん。

五十音しかない日本語の中で、たった二文字熟語の、
ぷに(ふに)」が存在しないのはなぜか?


かおる
なんですか? 単純に言葉として必要なかっただけでは?

つづき
わからぬのか?
簡単なことじゃ。


禁句として封印された言霊なのじゃ!


二千年もの長きの間、
ヤマトコトバを広めた施政者である、
大和朝廷によってな。




かおる
そんな、大げさな……。
でも、「ぷに」に反応しないと言ったら嘘になるかも?
つづき
ぷに」こそ、日本人の琴線に触れすぎる言葉ゆえに、
古代大和政権の、言霊の呪いを司る神官達によって、封印された語句なのじゃよ。
なぜ、封印せねば、ならなかったか?
答えは明確じゃ。

大和政権によって、支配された側の、神聖なる言葉だったからじゃ。
ミカドは、円滑に日本の支配を進めるために、
土着民族の「ぷに」信仰を葬りさる必要があったのじゃ。

しかし、縄文時代から受け継がれてきた日本人の血が、二千年の時を経た現代でもなお、
ぷに」という語句を聞いた瞬間、胸を騒がせ反応してしまうのわけじゃな。
言霊というのは、真に恐ろしいものよのお。






かおる
そこまでおっしゃるなら、古代の「ぷに」が、どういうものなのか、意味を教えていただけませんか?

つづき
簡単じゃ。 このへんの古代語句表を見ればよい。
ぷ=腑=からだ」「に=似」じゃ。



つまり、「ぷに=人形=土偶」のことよ。



縄文時代の「ぷに」(約5000年前)




つづき
それは、大和の八百万神を祭る以前の、土着信仰の「」じゃったかも知れぬ。
縄文〜弥生人が、自分や家族の「分身」として、大事にしていた宝じゃったかも知れぬ。

ああ、じゃが、しかし、大和政権は、そのような古代の習慣を忌み嫌い、
ぷに土偶」を作り、奉り、語り伝えることを禁じたのじゃ。
ぷに土偶」は、偶像信仰にも、相手を呪う道具ともなる。
縄文時代から培われた、土偶を作る技や方法を、言葉と共に封印したのじゃな。

そして、あろうことか、仏教が伝わると「ふに=不二」という当て字を使い、
完全に、人々の記憶から、「ぷに=人形」という意識を消しさろうとしたのじゃ。


かおる
なんつ〜か、証拠のあるなし以前の話というか……。

つづき
いや、いや、かおる君。 ここからが、本題じゃ。

かおる
本題?
では、お聞きしましょうか?
つづき
大和政権は、「ぷに」という言葉を封印した。
しかし、ただ封印しただけでは、支配された側の民衆は収まらぬ。
そこで、ちょっと言葉を変えて、大和政権にとって都合のいい、新しい概念を植えつけたのじゃ。

まさしくそれこそが、ミカドを頂点とする、大和政権の官僚や武人達をかたどった人形。


はに=埴輪」なのじゃ。




古墳時代の「はにわ」(約1600年前)






かおる
うひゃ〜。

つづき
前回の記事のように、「」は、特別なものを、一般化させる語句なのじゃ。

大和政権は、「ぷに」という、それまでの縄文人〜弥生人にとっての、特別な、意味のある人形を、
はに」という言葉で、ただの土人形という意味にすりかえたのじゃ。
そして、権力の象徴である、墳墓の周囲に、輪のように並べて、「ハニワ」と呼んだのである。
ハニワ」自体に、霊的な意味は何もなかったじゃろう。 ただの捧げモノじゃったはずじゃ。
ゆえに、土着信仰の記憶が薄れるごとに「ハニワ」は廃れていき、
神社仏閣に奉納されるような習慣としても、残らなくなったのじゃ。

しかし、縄文時代から続く「ぷに」という土人形に思いを込める習慣は、
大和政権の支配を受けてもなをついえることなく、二千年の間、
日本人の深層意識の中で、眠り続けていたのである。

かおる
というか、前の方の記事で言ってた事と違うじゃないですか?

つづき
人は、進化し続けるもの。 いつまでも、過去の自説にしがみつくような愚か者ではないわい。

かおる
どんどん、しょうもないネタ一途をたどっているような……。

つづき
ぷに」が、ヤマトコトバから消されたという事実、
日本古代史の、すべての謎は、ここに隠されておるのじゃよ。







ぷにわ


再び、「ぷに」が、目を覚ました今、日本はどこへ向かおうとしているのか



ぷに」が、封印からとかれ、街に溢れる現代の「ぷにわ




かおる
ネタは、もういいですってば! 百歩譲って、「ふに」という古代語があったとしましょう。
それが、「はに」という変わったとして、では、「かに」という語句も、あったというのですか?
つづき
かに」? じゃとな?

かおる
そうです、前回の記事をなぞるなら、「」に対して、「」は、特別な語句でしょ?
だから、一般的な言葉の「はに」に対して、「かに」という語句も、作られたはずでしょ?
ということです。 まさか、海辺にいる「」が、古代人にとって特別なモノだったとか?
まあ、今でも、「」は、人気の食材ですからね。 そういうオチでもいいですよ?

つづき
いかん、いかんのお。 かおる君は、話を茶化すだけで、真面目に考えようともせん。
そんな姿勢では、真理にはたどりつけぬぞ? かおる君は、次の御伽噺を知っておるだろうな?




さるかに合戦




かおる
え? ええ、知ってますよ?
大体、次のようなお話です。




さるかに合戦

昔々、蟹が、おにぎりを拾って食べようとしていると、猿がやってきました。
猿は、柿の種を、蟹に見せて、言いました。

「おにぎりは、食べたら終わりだけど、
柿の種を育てれば、おいしい柿がたくさん食べられるよ」

蟹は、おにぎりを猿と交換して、柿の種を手に入れました。
猿は蟹から奪ったおにぎりを、おいしそうに食べました。

蟹は、種を土に埋めて、立派な柿の木を育てました。
やがて、柿の実がたくさん実りました。

そこへ、猿がやってきて、柿の実を横取りしてしまいました。

蟹が困っていると、臼、蜂、栗がやってきて、
みんなで一緒に協力して、猿を懲らしめてやりました。






かおる
猿に酷い目にあわされた蟹は、臼やら蜂やら栗やらの助けを借りて、猿に仕返しをします。
地方によって脚色はいろいろされますが、大筋はこんな感じですね。
つづき
ふむ。 かおる君は、「カニ」を、海辺にいる「」じゃと思っておるのじゃな?

かおる
ええ、常識でしょう? 昔から、絵本の挿絵でも、「」と、「」の姿が描かれてますよ?
山に住む猿と、海辺の蟹が対決するなんて、昔の人らしい、おおらかな想像力ですよね。
つづき
さて、では、この寓話を検証してみようぞ。





「さるかに合戦」のモチーフ

1、カニは、おにぎりを手に入れた
(おにぎりは、人間が作った)

2、猿がやってきて、カニから、おにぎりを奪った
(人間が、カニに与えた食べ物を、猿が奪った)

3、カニは、猿の残した、柿の種を育てた
(柿の成長を願ったのは人間/手伝ったのはカニ)

4、カニは、柿の木を育て、やがて実をつけた
(柿が実をつけるのを期待したのは、本当は人間)

5、また、猿がやって来て、柿の実を奪った
(猿が、カニから柿の実を奪った)

6、カニは、ウス、ハチ、クリで、猿を懲らしめた
(猿を懲らしめたいと思ったのは人間)





かおる
んんん〜?

つづき
普通に、洞察力を働かせれば、「カニ」の正体に気づくであろう?




カニ=神」





真の「さるかに合戦」のモチーフ

1、カニは、おにぎりを手に入れた
(おにぎりは、人間が作った)
人間が、神に供物を捧げた。

2、猿がやってきて、カニから、おにぎりを奪った
(人間が、カニに与えた食べ物を、猿が奪った)
神に捧げた供物を、猿が奪った

3、カニは、猿の残した、柿の種を育てた
(柿の成長を願ったのは人間/手伝ったのはカニ)
人間は、神に祈りながら柿の木を栽培した

4、カニは、柿の木を育て、やがて実をつけた
(柿が実をつけるのを期待したのは人間)
柿の木が、実をつけたことを、人間は神に感謝した

5、また、猿がやって来て、柿の実を奪った
(猿が、カニから柿の実を奪った)
猿が、人間から柿の実を奪った

6、カニは、ウス、ハチ、クリで、猿を懲らしめた
(猿を懲らしめたいと思ったのは人間)
人間が、道具を使って猿を追い払った








つづき
「さるかに合戦」とは、古代から続く、
自然(神)への畏敬、栽培、猿(自然現象・搾取される敵)との対決が、
物語の基盤になっているのである。
海辺の「」が登場せねばならぬ必然性はどこにもないのじゃ。
御伽噺というものは、古代人が、生活に役立つ知恵を、後世に伝えたものであるはずじゃ。
この場合、「カニ」は、「木の精霊」といったほうが近いやも知れぬな。




やがて、「カニ(精霊)」の意味は失われ、
カニを称え、柿栽培をする生活の知恵」を親から代々聞かされた後世の子供達は、
カニ=蟹?」などと勘違いをして、
おもしろおかしい「さるかに合戦」という御伽噺が生まれたというわけじゃな。



これが、「さるかに合戦」の真実なのじゃ。



ちなみに、「浦島太郎」も、助けたのは「亀(カメ)」ではなく、「海神(カミ)」なのは、自明のこと。
浦島太郎は、に”乗って”竜宮へ行ったのではない、に、”連れられて”竜宮城へ行ったのじゃ。
よく、思い返して見るとよい。 後世の挿絵マジックじゃな。




かおる
ちょ、ちょっと待ってください!
そんなネタを真に受けて本気にする人がいたらどうするんですか??
つづき
それでは、一度、「かに」という語句で、古語辞典を引いてみるとよい。
次の語句を見つけるはずじゃ。



カニハ=桜皮」(→「カバ=樺」→「カハ=皮」)



つづき
高貴な植物を「カニ」と呼んでいたのは事実のようじゃな?
カキ」もまた、それに準じた言葉じゃろう。 巨木信仰とも繋がるじゃろう。




カニ」=古代巨木信仰




では、なぜ、「カニ」という語句が綺麗に失われたのか?
なぜ、「カミ」という言葉に置き換わってしまったのか?
そこには、作為的なものを感じざるをえないじゃろう。



古来、日本人は、「カニ(巨木信仰)」を崇めていたのじゃ。
そこに、大和政権が、アマテラス(太陽神)を持ち込み、日本土着民族を制圧した。
大和政権の力に屈した、古代(弥生)人は、ミカドを恐れたじゃろう。

カニ(巨木信仰)」は、大和政権によって封印され、「カド」を頂点とする、
」という言葉に置き換えられたのじゃ。
カニハ」は、「コノハ」と、もっと無難な言い方に改められ、「木の葉」の意味になったのじゃ。

しかし、支配された側の人々は、屈することなく「さるかに合戦」という形で、
真の「カニ(神)」への感謝と、古代からの生活の知恵を後世に伝えようとしたのじゃろう。






かおる
そんな……「カニ」なんて、そんな古語があったなんて、ネタにしても、全く信じられませんよ?

つづき
では、傍証を試みてみよう。 次のような例もある。
ヤマトコトバにおいて、「K子音・M子音」は、対になる語句でもある。
では、「マニ」という語句は無かったのか? と調べれば、
これも、ちゃんと存在するのじゃ。



マニ=摩尼(珠玉)」



かおる
あ〜!! 待って、待ってください!
それは、全然違いますよ! マニは、梵語で、仏教用語の外来語です! サンスクリット語ですよ!!!
マニ」は、ヤマトコトバではありません!!
師匠も、チベット特集で言ってたじゃないですかっ!!

つづき
そうじゃとしても、数多い梵語の中から、「マニ」が選択的に生き残った、という事実に注目せねばならぬ。
ヤマトコトバの語感にマッチしたからこそ、受け入れられたのでは、なかったのかのお?
おそらく、古い和語にも「マニ」という語句があり、語彙が入れ替わっているに違いない。
マ+n子音」の語句は、「真似・招く・免れる」があるが、
和語として存在した「マニ」という語句が、それぞれ変化したと考えられなくも無いのではなかろうか?

また、古代から「カミ」という語句があったのなら、
マミ」という語句もあったはずじゃろう?
しかし、「魔魅」とか「まみれる(汚れる)」などと、あまり良い意味の言葉が無い。
これは、何を意味するのか?

カミ」は、人に恵みをもたらすような、感謝を捧げるような意味の語句ではなく、
恐怖を感じる対象としての意味合いの方が強かった証ではないか?

」母音を語尾につけると、「カメ」となるが、
これは、「骨壷」を意味するものであり、浦島太郎が、最後に年老いたこととも関係するじゃろう。

ハミ(食み)」も、食われる側にとっては、「」を意味する言葉じゃ。
よく考えると「カミ・マミ・ハミ」には、実は、あまり良い意味がないことがわかるじゃろう。

古代人が、心底から自然の恵みに感謝を捧げたもの、それは「カミ(神)」ではなく「カニ」なのじゃ。






これらの語句の関連性は、偶然の一致なのだろうか?



カミ=神(噛み)恐れの対象
マミ=魔魅(まみれる)血/嘘/現実にまみれる
ハミ=食み(食べ物)殺されるもの
ふみ=踏み(文)他人の言葉をなぞる(踏むこと)
カニ=カニハ(桜皮)恵みのある植物
マニ=摩尼(珠玉)梵語だが、同じ和語があったはず(招く?)
ハニ=ハニワ(埴輪)飾るもの
ぷに=人形(土偶)人の似姿/古代土着信仰




語尾に「e」母音をつけてみると?

カミカメ(骨壷)煮炊き/死体の入れ物
マミマメ(真実・真面目)背けたいこと
ハミハメ(嵌める)食い込む/人を騙す/一杯食わせる
ふみフメ(踏め)踏まえる/地位につく/値段を見積もる
カニカネ(銅・金)恵みのある金属
マニマネ(真似・学ぶ)梵語を学ぶ
ハニハネ(羽)飾るもの
ぷにフネ(棺桶)フネには、宗教上の意味もある





語句を組み合わせると?

+あふ(合う)=かなふ(叶う)=願いが成就
+あふ(合う)=かまふ(構う)=敵と構う(戦う)

+あし(悪し)=かなし(悲しい)
+あし(悪し)=かまし(煩い)

+あふ(合う)=まにあう(間に合う)=(締め切りに間に合う)
+あふ(合う)=まま(現実にまかせる)=(原稿が落ちる)

+あし(悪し)=まなし(絶え間が無い・実子)≠まなこ?
+あし(悪し)=ままし(継子・腹違いの子)≠ままこ

+あふ(合う)=はなふ(華・花?)≠はなは=小高い丘
+あふ(合う)=はまふ(浜?)≠はまわ=海岸線

+あし(悪し)=はなし(放す?)≠はなしね(花稲)放し稲?
+あし(悪し)=はまし(浜州?)≠流れを止めるもの?

+あ=ふな(舟)=体に似て浮かぶ物
+あ=ふま(踏ま)=地に体(足)をつくこと
+あふ(合う)=はふ(延ふ)=心を寄せる/思いあう/這う(夜這い)
+あし(悪し)=はし(端)=外側の方/離れている/柱/橋





」=特別なもの
」=現実・真実(よくない意味が多い)
「は」=一般的なもの
」=からだ(腑)
」=捧げるもの(身を捧げる・実を与える・御)
」=欲しいもの(似て欲しい・煮て欲しい・荷を欲しい・粘土・玉)


」=現実に欲しいもの(宝珠と同義)
(後に、「真似・招く・免れる」などの言葉に転じていった)






つづき
なんと! 梵語の「マニ(摩尼・珠玉)」と、和語の「マニ(現実に欲しいもの)」が、
意味的に一致したではないか!
これが、本当の「偶然の一致」というものである。
けして、語呂合わせや、どちらかが語源だとかという説ではないぞ。
語彙を検証し、論理的に導かれた事実じゃ。
というわけで、「カニ・カミ」の語彙も次のような意味になるのじゃ。




」=特別に捧げるもの
(現実の無病息災を願って、カミにお願いすること)
」=特別に欲しいもの
(ぶっちゃけ、本音を言えば、カネとかバリ欲しいんですけど)



古代人が愛し感謝を捧げた言霊は、
かみ」ではなく「かに」だった!





そして



」=人に似ていて欲しいもの
(言霊は、嘘をつかない)





つづき
」は、助詞にもなっており、 ここでも述べたように、古代においては、
貰う」という意味が強い語句なのじゃ。 一方、「み(身)」は、神に「捧げる」ものなのじゃなあ。
かおる
明らかに「ぷに」は、余計です!

つづき
どんなに、抵抗しようと、「ぷに」は、「捧げるもの」ではなく、「欲しくなるもの」ということは、
否定できぬのでは無いかね?
かおる
う……。 はい……おっしゃる通りで……。

つづき
ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉ。
















付録・年表




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