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日本不思議年表
Feb.22.2004


注:整理中です。 記載ミス、モレ、ネタ、嘘、偏見、怪しい部分があります。
年代は、日本と外国の出来事で分けていますので、一部前後しています。


西暦日本中国大陸朝鮮半島備考
前12000年縄文時代前期長江文明チベットでは猿と鬼女が結ばれ、生まれた6匹の小猿がチベット族へ進化

日本湖が日本海になり、大陸と日本の言語が別れる、近海沿岸地との交易は継続
縄文式土器作られる
前8000南アジアで稲作のはじまり
チベット、石器の使用
前6000南方アジア〜九州で丸底の土器文化(畑作・稲作)
中国東北部〜関東〜東日本で平底の土器文化(狩猟採集)
前4000前4300年、鬼界カルデラ爆発・西日本壊滅黄河文明オリエント文明
メソポタミア文明
エジプト文明
エーゲ海文明
青銅器つくられる
オーストロネシア語族人が、アジアから琉球へ移動(藁算伝来か?)
前3000縄文時代中期三皇五帝時代
(天皇、地皇、人皇)
(黄帝、高陽氏、高辛氏、堯、舜)
三内丸山文明、ヒスイ、漆器等の交易
からむし・あかそ・大麻等の植物繊維で布を織る
バヌアツ諸島に縄文土器つたわる
前2700年、ピラミッド竣工
クレタ島文明
インダス文明
ストーンヘッジ
前3000年、シュメール人、太陰暦
前2000夏王朝
(前2100〜前1600)
檀君・古朝鮮王朝
前2339年〜57
地球寒冷化
ヒッタイト文明
青銅器発達
大陸で、犬・豚、羊・牛などを家畜、飼育
秋田で、アスファルト利用が活発(秋田・新潟石油鉱床地帯)
三内丸山文明滅亡
大湯環状列石、巨石文化興る
ラピタ人、遠洋海上貿易のはじまり(ポリネシア系モンゴロイドか?)
エクアドルに縄文土器伝わる(結縄文字伝来か?)
南米インディオ・ATLウイルスに感染
前2000年、バビロニアで太陽大陰暦・天文学興る
前1751〜前1023商(殷)各地へ出向いた商人により物流が活発化
前1450年、サントリーニ島火山噴火、アトランティス文明滅亡
前14c年頃、殷で太陽大陰暦・干支
前1300年頃、エジプトで日時計
前1100年、カルデア人、占星術
前1000縄文時代後期海水から土器を使い塩を作る
八戸に蕎麦・稲作伝わる
中国東北部のアムール川流域とも交易
秋田県、黒又山(クロマンタ・ピラミッド)もや山、造営、
亀ヶ岡で遮光器土偶作られる
東北ナニャドヤラ、イタコ信仰はこの頃か?
この頃、稲作と共に暦も伝わったはず?
前1023〜前771西周チベットでヤルン文明興る
ボン教が広まるのはこの頃か?
西王母国・東王公国興る(山海経)
前776年、中国で日食、月食観測
前763年、バビロニアで月食観測
前721年、バビロニアで日食観測
前771〜前221東周
春秋時代
春秋の五覇(斉・楚・晋・秦・燕)(前770〜前403)
戦国時代
戦国の七雄(斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙)(前403〜前221)
この頃、ペルシアでゾロアスター教興る
前587年、バビロニアがエルサレムを侵略、契約の聖櫃紛失
前463?〜前383?、この頃、インドでゴーダマ・シッダールタ誕生
前4c年頃、中国で星表作られる
前268年、インド、アショーカ王即位

中国で羅針盤発明
万里の長城を築き、匈奴(フン族)に対抗
前300弥生時代青銅器、鉄器、養蚕、布伝わる、ブタの家畜化
弥生式土器作られる
前500〜前300、富士山噴火
前200年、近畿で銅鐸生産
前221〜前210秦・始皇帝前219年、除福(除市?)始皇帝の命で、薬草を探しに蓬莱島へ(渡来?)
前127、初代チベット王ニャティ・ツェンポが、チベット(ウ・ツァン、カム、アムド)を治める
この頃、エラトステネスが地球の大きさ測る
前202〜8前漢前漢・七代皇帝・武帝、朝鮮半島征服司馬遷「史記」編纂、前100年、大乗仏教興る
前46年、ユリウス暦
ローマ帝国
前7〜前2年頃、ベツヘレムで、キリスト誕生
2年、仏教が「大月氏国」より漢に伝来
古代パルティア王朝で、電気メッキが実用化
前100?扶桑
太帝宮・太真東王父
(十洲記)
倭・ピョンヤン近くの楽浪郡へ朝貢
吉野ヶ里文明
8〜255年、東夷王は大海を渡りて国珍を奉ず(後漢書東夷列伝)
25年、建武中、東夷の諸国は皆来りて献見す(後漢書・東夷列伝)
25〜220後漢高句麗・新羅・百済
(三韓時代)
前37年〜668年高句麗(高氏)
前18年〜663年百済(扶餘氏)
前57年〜935年新羅(金氏、昔氏、朴氏)
28年、キリスト、ゴルゴダの丘ではりつけ
36年、光武帝、中国統一
75年、ベスビオ火山噴火、ポンペイ滅ぶ
105年、紙の発明
184年、黄巾の乱
紀元前後倭・倭奴国・奴国
倭百余国時代(漢書地理志)
57年、奴国、後漢の都洛陽で初代皇帝光武帝から金印「親魏委奴国王」授かる(後漢書−東夷伝)
107年、倭国王「帥升」奴隷160人を連れて朝貢
(後漢書東夷伝)
170年前後?、倭国・内乱(後漢書東夷伝)
190年前後?、倭国・卑弥呼が30余国をまとめ邪馬台国とす
(後漢書東夷伝)
220〜280魏・呉・蜀
(三国時代)
六朝時代(3c〜6c)
226年、ササン朝ペルシア
魏の曹氏、「大月氏国」(クシャナ朝)に金印、「親魏大月氏王」贈る
189年〜205年、帯方群が倭・韓を属国に(朝鮮半島限定支配?)
228年、魏の公孫淵、楽浪郡帯方群を管轄
230年、呉、沖縄、種子島制圧、九州南部も視野に?
蜀、雲南・貴州の少数民族討伐(チベットはいかに?)
239〜266倭・邪馬台国連合239年、卑弥呼、魏に朝貢、「親魏倭王」称号、金印紫綬、銅鏡百枚等、賜う(普、陳寿「魏志倭人伝」)
240年、魏に礼状を贈る、南の句奴国と対立解消?
247〜266年?、魏の使者「張政」訪れる
247年、九州地方で2度にわたる日食、卑弥呼、権威を失う?(天の岩戸神話へ?)
147年、狗奴国と和せず、魏の張政らを倭に遣わす
248年、卑弥呼、以って死す、家をたてる(古墳?)男王立てるも乱れる、トヨ(イヨ)を立てる
265魏・滅亡魏の司馬氏、魏帝にかわり、普を興す
邪馬台国・魏帝の後ろ盾失う
266〜倭・邪馬台国・滅亡?266年、トヨ(イヨ)、普に朝貢(普書)
以後、邪馬台国の記録なし
南の句奴国と抗争?
200〜300年、富士山噴火
日本列島に九州、近畿、吉備の三大勢力興る
280〜317280〜289年、陳寿が「三国志」作成(魏志倭人伝含む)
327年、アレキサンダー大王・インドへ
304〜439五胡十六国時代
華北:匈奴・鮮卑・羯・てい・羌(304〜439)

江南:東晋(317〜420)
313年、普、楽浪郡・帯方郡・朝鮮半島撤退
346年、馬韓、百済統一
356年、辰韓、新羅の統一
369年、高句麗、百済を攻め、雉壌で敗北
372年、高句麗に仏教伝来
375年、ゲルマン民族移動
416年、百済王、東晋に使者をおくり、使持節都督百済諸軍事鎮東将軍百済王の称号を下付さる(晋書百済伝)

431年、キリスト教ネストリウス派が異端として追放、景教徒達はシルクロード東方へ逃れる
?神代
出雲国譲り
出雲大社建立、出雲のスサノオの娘の夫のオオクニヌシの子タケミナカタ、九州の異母兄弟のコトシロヌシに追われ、諏訪に逃げ、諏訪の豪族の娘のヤサカノトメと結婚、諏訪の大社建設事業が、巨木信仰として残る
?〜479?やまと
大八洲国
葦原の中つ国
葦原の水穂の国

(古事記)
(日本書紀)

13代、成務天皇、タケシウチ宿禰を大臣(おほおみ)をたて、国造(くにのみやつこ)県主(あがたぬし)を定める
(B.C.27? 垂仁2年、伽耶(大加羅国)の王子ツヌガアラシト来日)
(390年 庚寅 応神元年、373年 癸酉 仁徳元年とする)

384年(仁徳12年) 高麗国が鉄の盾と鉄の的を奉った
394年(応神5年)伊豆国に船を造らせた
396年(応神7年)高麗人、百済人、任那人、新羅人らが来朝
397年(応神8年)百済の王子直支が来朝
397年 (百済本記) 倭国と友好を結び太子の腆支(直支)を人質にした  403年(応神14年) 百済王が縫衣工女を奉った
417年(応神28年) 高麗王が遣使朝貢した
426年(応神37年) 阿知使主、都加使主を高麗の案内で呉に派遣、呉の王は縫女の兄媛・弟媛・呉織・穴織の4人を与えた
428年 (百済本記) 倭国から使臣が来た
300?〜479古墳時代

倭の五王統治

讃・珍・済・興・武

讃(履中天皇?)
珍(反正天皇?)
済(允恭天皇?)
興(安康天皇?)
武(雄略天皇?)

雄略天皇=大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)(古事記)

5世紀初め?の15代以降の天皇は実在か?
15代、応神天皇
16代、仁徳天皇
17代、履中天皇
18代、反正天皇
19代、允恭天皇
20代、安康天皇
21代、雄略天皇
22代、清寧天皇
23代、顕宗天皇
24代、仁賢天皇
25代、武烈天皇
26代、継体天皇
(507?〜531?)
伽耶・六伽耶・加羅

任那
369?〜562?
漢字、儒教、暦、伝来
この頃、倭人に文字は無く、木を刻み縄を結ぶだけ(随書倭国伝)
この頃、馬が伝来
4世紀末、百済の王仁博士が渡来し、論語、千字文の書と文字を伝える

330年、除福、富士登山
340年、百済王は太子を倭国に送って人質とする
366年、百済と通交を約する
367年、百済から初めて倭国に遣使が来る
369年、倭、百済と同盟、新羅を討つ(「魏志倭人伝」によると狗邪韓国は倭人の国?)
369年、百済で「七支刀」作られる
371年、倭、百済と同盟、高句麗を攻め平壌を攻略、高句麗故国原王戦死
372年、百済王、「七支刀」を倭王に贈る
391年、倭国、伽耶(加羅)を拠点に百済、新羅をやぶる
391年、百済・倭連合軍が高句麗と戦い敗れる(高句麗好太王碑)
400年、倭、高句麗と戦う
404年、倭、高句麗に敗れる
413年、倭王讃(梁書)、東晋に方物を献ず(晋書)
418年、倭王讃、東晋の安帝(357-418)に方物を献ず
421年、倭王讃、南朝(宋)に使い、「安東将軍」「倭国王の詔」を受ける(宋書倭国伝)
425年、倭王讃 国書と信物を献上
430年、倭国王 遣使朝貢
438年、倭王珍、宋に文物を贈り「安東将軍」の称号
443年、倭王済、宋に朝貢、珍崩御、子「済」立つ(梁書)
451年、倭王済、六国諸軍事「安東将軍」倭国王を望み賜る「倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事安東大將軍倭王」(宋書倭国伝)
451年、倭国済、「安東大将軍」に(宋書文帝紀))

この頃「国造」「県主」制度ができる?

460年、倭国 遣使朝貢する
461年、百済の昆支君が倭へ、途中、加唐島で武寧王を出産
462年、倭王興、宋より「安東将軍倭国王」の称号を受ける
463年、倭国興、崩御
477年、宋順帝即位を祝い、倭国遣使献物(宋書順帝紀)
倭王「武」自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す(宋書倭国伝)
478年、倭王武、宋に使い、高句麗討伐援助を求め、父祖以来の功績を延べる「・・・東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国・・・」、宋・順帝は詔して「武」を「安東大将軍倭国王」に除す
479年、倭王武、南朝に使い
武の祖先、関東・九州統一と伝える(宋書 夷蛮伝 倭国条)

前方後円墳文化広がる
古墳時代前期から中期にかけて美濃山麓に分布が集中(美濃)
古墳時代中期から後期にかけては、名古屋台地(尾張)を中心

この頃、倭人に文字は無く、木を刻み縄を結ぶだけ(随書倭国伝)
4世紀末、百済の王仁博士が渡来し、論語、千字文の書と文字を伝える
439〜589南北朝時代
北朝・五胡十六国・清国・北方民族(439〜581)
(南朝・六朝・呉・東普・宋・斉・梁・陳・漢民族)(420〜589)
476年、西ローマ帝国滅亡
562年、加羅が新羅に滅ぼされる
570年、アラビア半島で、ムハンマド誕生
581〜6187世紀のチベットで、ソンツェン・ガンポ王が、強大な統一国家を形成する
中国で木版印刷
479〜593蘇我物部抗争
大和朝廷
29代、欽明天皇(539〜571)
天皇の系譜が完成か?
513年、百済の五経博士が渡来
527年、磐井の乱、新羅と通じた筑紫国造磐井が反乱
528年、大連の物部麁鹿火を筑紫に派遣、磐井を鎮圧(物部氏の台頭)
531年(534年?)、継体天皇崩御(日本書紀)
533年、百済の暦博士が渡来

朝廷の陰陽道摂収の活発化
この頃、盤双六伝来

538年、百済の聖明王が仏像、経論を伝える(元興寺縁起)
552年 壬申の年 仏教伝来(日本書紀)
554年、百済の易博士が渡来

この頃、新羅系、百済系豪族の対立、崇仏派、廃仏派(神道派)対立、天孫系国津系対立
この頃、任那地方の金官加羅国が新羅から侵略され、滅亡、王族が日本へ亡命?

500〜600年、富士山噴火
593〜710日本
ひのもと
飛鳥時代
飛鳥京・大津京(667年)・藤原京(694年)
九州・大宰府政庁(7c?〜12c?)
587年、蘇我馬子が物部氏を滅ぼす
物部氏は東北秋田へ?(秋田物部文書)
593年、聖徳太子、摂政となる
594年、聖徳太子、仏教を導入
596年、聖徳太子、法隆寺建立
601年、斑鳩宮造営開始
602年、百済の僧観勒渡来、暦・天文・地理・遁甲方術などの書を献上
604年、憲法十七条制定
605年、聖徳太子、斑鳩宮に移る
607年、遣随使小野妹子派遣
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
隋皇帝煬帝、怒る
小野妹子が人質に
620年、赤気(オーロラ)観測
622年、聖徳太子、斑鳩宮で逝去
630年、第一回遣唐使派遣、対馬国に防人配置
634年、彗星現る
643年、斑鳩宮、蘇我入鹿に攻められ、焼失、山背大兄皇子一族滅亡
後に法隆寺東院立つ
645年、大化の改新、中大兄皇子・中臣鎌足、蘇我氏滅ぼす

この頃、道奥国を置く
655年、北蝦夷(越)と東蝦夷(陸奥)が朝貢
658年、斉明天皇(655〜661)の命で、越の国の国守阿部比羅夫、180艘の大船団を率いて蝦夷遠征
阿部氏、東北に足がかり残す
660年、阿部比羅夫、200艘の大船団を率いて第二次蝦夷遠征

660年、百済が滅亡の危機
新羅の攻撃で、扶餘・扶蘇山城を落とされる
660年、漏刻・水時計作られる
661年、百済復興へ、斉明天皇が軍を率い出兵、中大兄皇子・大海人皇子同行、額田王が出迎え
662年、百済復興へ、阿部比羅夫出兵
663年、百済復興へ、額田王の夫、中大兄皇子、27000人の水軍で救援するも白村江で唐、新羅連合軍に敗れる
大勢の百済人が九州へ亡命
664年、唐の使、郭務棕が2400人を率い対馬来航、国交の回復、威力偵察
大宰府政庁、唐・新羅連合軍が筑紫に来寇する事を怖れ水城の堤の増強
665年、百済の帰化将軍、大野、橡・長門に山城を建築、神籠石造営、百済の男女四百人を近江に送致
唐使劉徳高が筑紫で偵察
666年、高句麗王族若光が来日、相模国大磯の郡長になる
667年、天智天皇、都を飛鳥朝倉の橘の広庭から、近江の大津に遷都、唐・新羅の来冠に備える
668年、唐・新羅の連合軍により、高句麗滅亡、高句麗の亡命者が日本に移住

668年、天智天皇七年の条、越の国から「燃ゆる水」「燃ゆる土」、近江大津宮に献上(日本書記)
石油、アスファルトか?
670年、庚午年籍、戸籍のはじまり
671年、白村江捕虜、筑紫君・薩夜麻を唐が開放
671年、時の記念日
672年、壬申の乱、大海人皇子(新羅系?)、大友皇子(百済系?)滅ぼす、大津京滅びる、大友村主家によって園城寺建立
674年、対馬島で産出した銀を朝廷に献上
675〜678年、天武天皇、陰陽寮設置、占星台を興す(後に陰陽道に発展)
684年、ハレー彗星現る
685年、天武天皇、紫宸殿で諸官を集めて博戯
689年、持統天皇、盤双六の禁止
694年、持統天皇、藤原京に遷都
701年、大宝律令制定、対馬島、金を朝廷に献上
708年、和同開珎、新羅系渡来人が、秩父郡より和銅(純度の高い自然銅)を献上
越後国に出羽郡置く

この頃、壬生吉志氏(渡来人)が埼玉に移住
畿内、男衾郡(おぶすまぐんのぼり)で、窯を使った「須恵器」、紙が大量生産される
ブタの飼育、猪甘部(いかべ)が終わる
618〜907統一新羅
668〜935年
渤海(高句麗系)
698〜926年
629〜645年、玄奘三蔵、インドへ
650年頃、密教成立
チベットは、ネパールと唐の皇女を妃に迎える
チベットのティソン・デツェン王(在位755〜797)は唐を侵攻、領土を得る
668年、新羅が北上して高句麗を討ち、朝鮮半島を統一、唐と敵対
714年、イスラム帝国、イベリア半島支配
763年、唐の都・長安(現・西安)をチベットが攻略、唐はチベットへ朝貢する
783年、チベットと唐は、国境線を定める条約を結ぶ(建中の会盟)
ポタラ宮の裾に石碑の碑文を置く
821年、チベットと唐、平和条約(長慶の会盟)
9世紀半ば、チベットは地方国家へ分裂
ロシア興る
スコットランド興る
710〜794奈良時代
奈良に平城京建設
後・三国時代─新羅・後百済・高麗709年、蝦夷を征伐
710年、元明天皇、平城京へ遷都
712、古事記編纂、稗田阿礼・太安万侶
出羽国が置かれる
713年、風土記編纂を諸国に指示
716年、若光、武蔵国に高麗郡大領(長官)として赴任
駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の7カ国に居住していた高句麗人あわせて1799人を移住
朝廷から従五位下という位階や称号(姓・かばね)「王(こきし、こにきし)」を与えられ高麗王(こまのこきし)若光となる
718年、大宝令、漏刻博士、大宰府で漏刻を管理
720年、日本書紀編纂、舎人親王
724年、聖武天皇即位(724〜749年)
陸奥国に多賀城築かれる
727年、渤海の使者くる
この頃、聖武天皇、盤双六にはまる
730年、新羅と国交悪化
733年、出雲風土記編纂
736年、遣新羅使船、対馬の浅茅浦、竹敷滴に泊
737年、百済渡来系豪族を母君として桓武天皇生まれる(後に、京都に平安京建設)
741年、聖武天皇、全国に国分寺置く
この頃、中央貴族の約三分の一を渡来人の子孫が占める(新撰姓氏録)
ペストが流行る、行基が活躍、行基菩薩と呼ばれる
749年、陸奥国から黄金献上
750年、富士山噴火
753年、鑑真和上、阿児奈波島へ。
754年、鑑真和上来日
779年、新羅使来日、以後、新羅と国交断絶
781年、富士山噴火
788年、平安京の鬼門比叡山に、最澄、天台宗の総本山、一乗院建立、後に延暦寺に改名
794〜1185平安時代
京都に平安京建設
794年、桓武天皇(781〜806)、平安京遷都

この頃、鯉が伝来する
この頃、神社に狛犬が登場する
焚書などして三韓との歴史を封殺(桓武焚書・神皇正統記)
(713年から作らせた風土記も消失か?)

800年、桓武天皇富士登山、富士山噴火
801年、坂上田村麻呂、蝦夷の平定進める
802年、蝦夷の悪路王、河内の植山で斬首
富士山噴火
805年、天台宗、最澄、密教
806年、真言宗、空海、加持祈祷、密教、五十音図、仮名
807年、空海、富士登山
826年、富士山噴火
858年、摂関政治はじまる
864年、長尾山噴火、青木ヶ原樹海できる
866年、藤原良房、摂政、園城寺を延暦寺別院となす
870年、富士山噴火
887年、藤原基経 関白
894年、遣唐使の廃止
894年、新羅の賊船大小100隻、約2500人来襲
901年、菅原道真、大宰府へ左遷
935年、平将門の乱
937年、富士山噴火
938年、平将門、関東で新皇即位
940年、平将門死す
952年、富士山噴火
959年、安東氏、関東下野国の乱平定のため関東へ赴く、村上天皇より安東の姓を賜う
967年、しし座流星群
993年、富士山噴火
999年、富士山噴火
1002年、しし座流星群
1006年、おおかみ座超新星爆発、天文博士安倍吉昌が記録

この頃、仮名文字文学が流行る
この頃、安倍晴明、芦屋道満が活躍

1005年、1040年、火災で、三種の神器の鏡溶ける
1016年、藤原道長、太政大臣、摂政
1017年、富士山噴火
1027年、藤原道長、死す
藤原氏衰え、源氏が台頭
1033年、富士山噴火
1035年、しし座流星群
1037年、しし座流星群

1051〜1062年、前九年の役
朝廷(源氏)と俘囚(安倍氏)の戦
奥六郡を支配していた安倍氏、源頼義に攻められる
1054年、おうし座超新星爆発
1060年、安東氏、津軽地方地頭職
1062年、源頼義に、出羽の清原水軍1万が加勢、安倍氏一族は厨川柵で滅亡
1063年、清原武則、従五位下鎮守府将軍に
出羽の俘囚の長清原氏、奥六郡を支配
奥羽と、出羽の旧領に安倍氏の遺領奥六郡を併せ支配

1082年、津軽、藤崎城築城

1083年、富士山噴火

1083年、後三年の役
清原氏一族、内部抗争、源義家介入、清原清衡が勝つ
1088年、清原氏、藤原氏を名乗る、功績を称えられ、鎮守府将軍陸奥守として奥六郡支配(俘囚の長)
津軽地方の豪族安東氏は、藤崎から十三湊に進出
十三湊に、巨大城郭福島城たつ
津軽船で中国(元)と独自貿易し、津軽にキリスト教伝来か?

1124年、奥州藤原氏、中尊寺金色堂建立
坂上田村麻呂に滅ぼされた蝦夷の元首領悪路王の根拠地あと

1159年、平治の乱、源氏が挙兵するが、平清盛に敗れる
1167年、平清盛、太政大臣に
1173年、平清盛、宋と貿易発展
1180年、源頼朝挙兵、鎌倉を根拠地に、富士川で平氏やぶる
1181年、カシオペヤ座超新星爆発

1183年、一の谷の合戦
1185年、源平屋島の合戦、那須与一、扇の的を射落とす
壇ノ浦の戦い、平氏滅亡
関門海峡に、安徳天皇とともに、三種の神器の剣が沈む
源頼朝、諸国に守護・地頭をおく
907〜960五大十国918年〜
高麗(王氏)
〜1392年
朝鮮、高麗青磁発達
朝鮮、仏教が腐敗
960〜1127宋(北宋)900〜1200年頃、中国で黒色火薬発明
1010年、大越国興る
1066年、ノルマン人がイングランド征服
1077年、カノッサの屈辱
1096年、十字軍遠征
1127〜1279宋(南宋)1147年、第2次十字軍遠征
1171年、サラディン王、エジプト支配
1177年、朱子学
1115〜12341203年、インド仏教滅ぶ
1206年、チンギス・ハン即位
1207年、チベット北部タングート、モンゴル軍の襲来によって崩壊
1219年、モンゴル軍が西征
1234年、モンゴル軍、金滅ぼす
1271〜13681200年頃〜、朝鮮、モンゴルからの侵略、支配うける
1271年、モンゴル帝国は元朝の成立を宣言、チベットを領有
1240年、チンギス・ハーンの孫、ゴダン・ハーンは、チベットに遠征隊を派遣し、チベットの指導的高僧サキャ・パンディタ・クンガ・ギェルツェン(1182〜1251)を招き仏教を受け入れる
1254年、仏教を国教としたフビライ・ハーンは、サキャ・パンディタの甥ヂョゴン・チョゲ・パスパに、チベットの治政権を与える
1339年、英仏百年戦争
1348年、ペスト流行
1350年、チベット王チャンチュプ・ギェルツェン(在位1350〜1364)が、サキャ・ラマ(パスパ)をチベット最高統治者としてチベットに召還、「15ヶ条の法典」を制定、チベット独自の政治を進める
1350年以降、チベットはパクモドゥ派[カギュー派の一分派]一族が支配する
1185〜1333鎌倉時代
相模国・鎌倉武家政権
封建制度かたまる、稲と麦の二毛作始まる

1189年、源義経、藤原泰衡に討たれる
藤原泰衡、源頼朝に攻められ、奥州藤原氏滅ぶ
この頃、新羅郷が宮城県あたりにできる?

1192年、鎌倉幕府、源頼朝、征夷大将軍に
1203年、北条時政、執権政治
1205年、津軽の安東氏、蝦夷の代官に
1219年、将軍実朝暗殺、源氏滅ぶ
幕府は、北条氏ら、御家人の手に
1221年、承久の乱、後鳥羽上皇、幕府追討令、いざ鎌倉、幕府追討失敗、朝廷の力衰える

1238年、しし座流星群
1274年、文永の役、元、高麗軍4万人が小茂田浜に 来襲
十三湊、(十三氏?/前九年の役の主役?)北条幕府から蝦夷管領に任命され、日本の名港三津七湊に
1228年、親鸞上人、富士登山
1253年、日蓮、法華宗(日蓮宗)
1269年、日蓮上人、富士登山
1274年、文永の役、元、高麗軍が来襲
1281年、弘安の役、元、高麗軍が来襲
1331年、富士山地震
1331年、元弘の乱、楠木正成、倒幕失敗
1332年、後醍醐天皇、隠岐へ流される
1333年、足利尊氏、後醍醐天皇につき倒幕、鎌倉幕府滅ぶ

琵琶法師、平家物語
1333〜1392南北朝時代
足利尊氏、京都を占領、光明天皇を即位、北朝を創設
後醍醐天皇、吉野で南朝を開く
1334年、後醍醐天皇(1318〜1336)、建武の新政
1336年、建武の乱、足利尊氏が後醍醐政権から離反、後醍醐天皇、吉野へ、南北朝の動乱
1338年、室町幕府、足利尊氏、征夷大将軍に

1340年、十三湊、津波で崩壊(津軽外三郡誌)

1350年、倭寇が、対馬を根拠地として高麗を侵す
1366年、高麗国王、和平と倭寇の取り締まリ要講、以後、高麗国と通交
1372年、琉球が明の支配をうける
1392年、後醍醐天皇崩御、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に神器(剣は?)を譲り、南北朝の統一
1393〜1568室町時代
京都・室町武家政権
〜戦国(1491〜)
1404年、足利義満、勘合貿易
1408年、倭冠を鎮め、李氏朝鮮と通交
1432年、津軽十三湊の安東氏に、東隣の強豪、南部氏が攻めいる
1442年、安東氏は北海道茂別へ追われる
蝦夷の繁栄をしのび、ねぶた祭り興る

1441年、島津氏、琉球を与えられる
1443年、李氏朝鮮国と通交条約、歳遣船の定数50隻
1467年、応仁の乱、将軍後継者争い、11年戦争、京都壊滅

1468年、雪舟「山水長巻」
1482年、足利義政、東山に山荘(東山文化)

1491年、伊勢新九朗(北条早雲)、伊豆を占領、下克上
1495年、北条早雲、小田原城に入る

1510年、朝鮮で三備の乱、国交断絶
1511年、富士山噴火?
1512年、朝鮮との間に永正条的を締結、国交回復、歳遺船定数25隻
1514年、蠣崎氏(のち松前)安東氏より蝦夷島を預かる
1533年、しし座流星群
1538年、第一次国府台合戦
1543年、ポルトガル船、種子島へ鉄砲伝来
1544年、八板金兵衛清定、鉄砲を国産化
1549年、フランシスコ・ザビエル、キリスト教伝道
1551年、ザビエル、機械式時計を献上
1555年、厳島の戦い
毛利元就、村上水軍の来援を得て、陶晴賢を厳島で討つ
三本の矢を子に伝える
1560年、桶狭間の戦い
織田信長、今川義元やぶる
「人間50年、下天のうちをくらぶれば夢まぼろしのごとくなり……」

1560年、富士山噴火
1561年、川中島合戦
武田信玄、上杉謙信、ドロー
1563年、大村純忠、キリシタン大名
1564年、第ニ次国府台合戦
1564年、歳遣船の貿易制限を30隻に拡大す

この頃、南蛮貿易で、境、平戸などの港町が栄える
1568〜1600安土桃山時代
三英傑
織田信長(1534〜1582)
豊臣秀吉(1536?〜1598)
徳川家康(1542〜1616)
1568年、織田信長、京にのぼる、足利義昭が将軍となる
1571年、織田信長、比叡山を焼き討ち、仏教教権制を破壊
1573年、足利義昭、京都を追放される、室町幕府滅亡
1575年、長篠の戦い
小田信長、鉄砲隊で、武田勝頼やぶる
1578年、宗易(千利休)、織田信長につかえ茶道役に
1580年、イギリス商船平戸に来航
1582年、キリシタン大名、少年使節をローマへ、1590年帰国
1582年、宗易(千利休)、豊臣秀吉につかえ茶頭に
この頃、ポルトガルの日本人奴隷貿易活発化
1582年、本能寺の変、織田信長死す、明智光秀三日天下、服部半蔵、徳川家康を逃がす
1585年、大阪城できる
豊臣秀吉、関白になる
豊臣秀吉、三畳敷きの黄金の茶室で天皇に献茶
千利休、後見役に
1587年、豊臣秀吉、島津義久征伐九州制覇、バテレン追放令
1588年、刀狩令、朝鮮へ通信使を要請
1590年、豊臣秀吉、伊達政宗に命じて北条氏討つ、天下統一、朝鮮通信使、黄允吉、日本へ
1591年、茶道千家の始祖、茶聖千利休、秀吉から死を賜る
1592年、豊臣秀吉、朱印船制度設ける
1592年、文禄の役、伊達政宗、朝鮮に5000人出兵
加藤清正配下の武将沙也可が3000の兵士(雑賀衆?)とともに反旗(裏切り)朝鮮側へ鉄砲の技術を伝え、後に、金忠善将軍となる、1642年、望郷の七言絶句を残し死ぬ
1597年、慶長の役、朝鮮に1000人出兵

朝鮮から渡来した陶工集団により、有田焼・伊万里焼・萩焼・薩摩焼などの陶磁器が発達
捕虜はポルトガルの奴隷商人に売却

1598年、豊臣秀吉、死す
1599年、徳川家康、朝鮮との国交回復を義智に命じる
1600年、関が原の戦い
家康(東軍)三成(西軍)小早川(裏切り)
1368〜16441392年〜
朝鮮(李氏)
〜1897年
朝鮮、仏教が衰退、儒教が発達、白磁が生産

1368年、モンゴルから漢族が政権をとる
明朝は、チベットの統治権も、元王朝から継承したと主張する
1406年、パクモドゥ派の王タクパ・ギェルツェンは、明の皇帝による招待を辞退
1429年、百年戦争でジャンヌ・ダルク活躍
1434年、メディチ家興る
1438年、グーテンベルクの活版印刷
1446年、朝鮮、ハングル考案
1453年、東ローマ帝国滅亡、百年戦争終わる
1455年、バラ戦争
1479年、スペイン王国
1481年、チベットの実権がリンプン一族の手に移る
1488年、バーソロミュー・ディアス、喜望峰発見
1492年、コロンブス、新大陸発見
1498年、バスコ・ダ・ガマのアフリカ大陸周航、インド航路開拓
1506年、ポルトガル、インドを侵略
1513年、ピレルイス、南極地図入手
1517年、ルター、宗教改革
1520年、マゼラン海峡発見
1543年、コペルニクス、地動説
1558年、エリザベス一世即位
1565〜1642年、ツァン地方の王がチベットを治める
1569年、シモン・スティーブン風力自動車
1570年、スペイン、フィリピン征服
1581年、オランダ独立
1582年、グレゴリオ暦
1584年、英、アメリカ殖民
1588年、スペイン無敵艦隊、英に敗北
1596年、ケプラー、宇宙の神秘
1600年、英、東インド会社
1602年、蘭、東インド会社
1608年、オランダ、望遠鏡
1609年、ケプラー、新天文学
1610年、ガリレオ天動説
1618年、ドイツ、三十年戦争
1619年、ケプラー、世界の調和
1624年、蘭、台湾占領
1627〜1636年、清、朝鮮を侵略
1633年、ガリレオ70歳、宗教裁判で敗訴
1639年、ダライ・ラマ5世は、ムクデン(現・瀋陽)に招待され、代理を派遣したところ、ホンタイジ皇帝から丁重なもてなしを受ける
1642年、ダライ・ラマ5世に政治権力が移り、モンゴルの首長グシリ・ハーンの協力で、分裂していたチベットをまとめる
チベット人はダライ・ラマ5世を「ゴンサ・チェンポ(最高の統治者)」と称える
1600〜1867江戸時代
江戸武家政権
1601年、徳川家康、外国に朱印船貿易を通告
1603年、江戸幕府開府、徳川家康、征夷大将軍に、
1604年、朱印船貿易開始

アジアに日本町ラッシュ

1607年、第1回朝鮮通信使来る
1609年、オランダに通商許可
薩摩藩・島津氏が琉球を領地に
1613年、キリシタン禁令
1614年、大阪冬の陣、大阪城の外堀埋まる
1613年、ウィリアム・アダムス来日、平戸イギリス商館、キリスト教禁止令、望遠鏡伝来
1615年、大阪夏の陣、秀頼、淀殿、豊臣氏滅ぶ
1616年、ヨーロッパ船の来航を平戸・長崎に限定
1617年、日光東照宮社殿竣工、吉原遊郭、開設許可
1624年、スペイン船の来航禁止
1633年、奉書船以外の海外渡航を禁止、在外5年以上の日本人の帰国を禁止
1630年、山田長政、シャムで暗殺
1635年、日本人の海外渡航と帰国を禁止
1635年、三代将軍家光、参勤交代
1637年、島原の乱、天草四郎時貞を総大将に蜂起37000人
1638年、12万人の幕府正規軍により鎮圧
徳川幕府、仏教を国教としキリシタン弾圧を続ける
1639年、三代将軍徳川家光、ポルトガル船の来航を禁止、鎖国体制完成
1641年、平戸のオランダ商館を長崎の出島にうつす
長崎貿易港に、オランダと清のみ寄港を許す
生糸・綿織物・絹織物などを輸入、銀・陶磁器・海産物を輸出
1649年、慶安の御触書、身分制度強化
1657年、徳川光圀、大日本史編纂開始

1662年、亀ケ岡石器時代遺跡発見、出土品が「亀ヶ岡もの」として珍重される

1671年、日本近海航海術発達
1687年、生類憐みの令
1689年、松尾芭蕉、奥の細道
1691年、湯島に聖堂建てる、儒学、朱子学を官学とする
1698年、しし座流星群
1700年、富士山噴火
1702年、赤穂浪士討ち入り
1707年、富士山噴火
1716年、享保の改革、倹約嗜好
1717年、大岡越前、江戸町奉行に任命
1720年、江戸町火消しいろは四十七組
1744年、出雲大社建て替え
1774年、杉田玄白、解体新書
1776年、平賀源内、エレキテル修復
1782年、大黒屋光太夫、露へ漂流(〜1792年)
1783年、浅間山噴火、天明の大飢饉
1768年、老中田沼意次失脚
1787年、松平定信、寛政の改革
1792年、ロシア、ラックスマン根室へ通商求める
大黒屋光太夫帰国
1793年、白河の清きに魚の住みかねてもとの濁りの田沼こひしき(狂歌)
1800〜1816年、伊能忠敬、日本を測量、択捉探検
1804年、ロシア、レザノフ、長崎へ通商求める
1808年、フェートン号事件
1809年、間宮林蔵、カラフト探検
1825年、異国船打払令
1837年、大塩平八郎の乱
1840年、遠山左衛門尉景元、江戸北町奉行に任命
1841年、天保の改革
1841〜1851年、ジョン=万次郎、米を漫遊
1846年、琉球、仏と交易
1853年、浦賀へ黒船来航
1854年、ペリー再来、日米和親条約締結
1857年、箱館五稜郭建設開始
1858年、ハリス来日、日米修好通商条約調印、安政の大獄
1859年、神奈川、長崎、箱館の三港を開港(米、英、仏、蘭、露)
安政の大獄
1860年、咸臨丸遺米使節団、桜田門外の変
1862年、尊皇攘夷運動、寺田屋事件、生麦事件
1863年、新撰組京都守護職お預かり、下関事件、薩英戦争
1864年、馬関戦争、英米仏蘭4国連合艦隊下関砲撃、池田屋襲撃、遣欧視察団(エジプト経由でパリ)帰国
1866年、樺太国境調停で露へ、孝明天皇死去
1867年、徳川幕府、仏軍事顧問を雇う
1867年、しし座流星群
1644〜19111897年〜
大韓帝国
〜1910年
1649年、英、清教徒革命、共和制へ
1655年、ホイヘンス、土星の輪発見
1660年、英、王政復古
1683年、清、台湾占領
1687年、ニュートン、万有引力
1707年、英、スコットランド併合、大英連合王国成立
1720年、皇帝・康熙帝が、チベットに侵入したモンゴルのジュンガル軍を追い出し、新生ダライ・ラマ7世をラサに送り届ける
1726年、ガリバー旅行記
1728年、1751年、清はチベットの要請で、内戦後の秩序を回復した
この頃、チベットと諸帝の関係は正式にチュ・ユン(寺・檀家)の関係を保った
1743年、E・ホイル、バックギャモンの遊戯方整理
1752年、フランクリン、凧あげ
1765年、ワット、蒸気機関改良
1776年、アメリカ十三州、独立宣言
1781年、天王星発見
1783年、モンゴルフィエ兄弟の熱気球
1769年、キュニョー、蒸気自動車
1789年、フランス革命、人権宣言
1792年、清はチベットの要請で、ネパール・ゴルカ軍の侵入を阻止した
1800年、清、アヘン輸入禁止
1801年、小惑星ケレス発見
1804年、仏、ナポレオン皇帝即位、蒸気機関車
1806年、神聖ローマ帝国滅亡
1823年、米、モンロー主義
1837年、モールス、電信機を発明
1838年、ベッセル、年周視差の発見
1839年、飛行船設計
1841〜1842年、チベットへカシミールが侵攻
1840〜42年、アヘン戦争、南京条約
1848年、マルクス共産党宣言
1851年、フィゾー、光速度測定
1853年、クリミア戦争
1855〜1856年、チベットへネパールが侵攻
1858年、英、インド併合
1859年、ダーウィン、種の起源
1861年、イタリア王国
1861〜1835年アメリカ南北戦争
1862年、ビスマルク、プロシア首相に
1863年、リンカーン、奴隷解放
1864年、ジュネーブ条約、国際赤十字同盟
1865年、メンデル、遺伝の法則
1866年、ノーベル、ダイナマイト発明
1867年、米、アラスカ購入、マルクス資本論刊行
1869年、スエズ運河開通
1870年、普仏戦争、プロシアが仏をやぶる
1874年、万国郵便連合条約
1876年、ベル、電話機発明
1877年、エジソン、蓄音機発明
火星の衛星が発見される
1879年、エジソン、電灯発明
1882年、水力発電がニューヨークで始まる
1886年、ベンツ、内燃自動車
1890年、1893年、英清、チベットに関する条約とりきめ、チベットは拒否
1894(1891?)年、リリエンタール、グライダー飛行、ヘリウム発見
1894〜1895年、日清戦争
1895年、レントゲン、X線発見
1896年、アテネ、第一回オリンピック
1903年、ライト兄弟、初飛行
1903〜1904年、英軍、チベット・ラサ占領
1905年、ロシア、血の日曜日
1906年、英清、北京条約
1907年、英露、チベットにおける通商協定
1907年、ポール・コルニュのヘリコプター
英、チベットでの活動を保障され、清のチベット「宗主権」を承認(?)
1908年、チベットにおける英清協定
1908〜1909年、清朝、チベットに大規模な進駐
1909年、ランスで初の飛行競技大会
1910年、清がダライ・ラマの廃位を図る
ダライ・ラマ13世、インドへ亡命、清とのチュ・ユン関係の終結を宣言
1911年、人類、南極点へ、アムンゼン隊(生還)、スコット隊(全滅)
1868〜1912明治時代
大日本帝国
1867年、大政奉還、坂本竜馬死す
1868年、五箇条の御誓文、王政復古の大号令、鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)
会津白虎隊の戦い、東京遷都、版籍奉還
榎本武揚、蝦夷共和国独立宣言(首都:箱館)
1869年、箱館五稜郭の戦い
新選組副長、土方歳三戦死

1870年、新貨条例
1871年、明治通宝
1871年、明治政府、陸軍創設
廃藩置県、岩倉具視、大久保利通、欧米視察、この頃、野球が伝わる
1872年、新橋品川横浜間鉄道開通、文明開化
明治5〜6年、太陽暦採用
1873年、徴兵制、ウィーン万国博参加
1873年、西郷隆盛、板垣退助、参議を辞職
復仇の禁止
1874年、板垣退助、民選議員設立建白書、佐賀の乱
1875年、人身質入の禁止
1876年、帯刀の禁止、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、朝鮮と修好条約
1877年、西南戦争、西郷隆盛自決
1878年、電信中央局開局、虎ノ門工部大学校「アーク灯」ともる
1881年、日本鉄道会社設立(私鉄)
日本銀行設立
1882年、銀座に「アーク灯」ともる
1883年、鹿鳴館できる
1884年、国際子午線並びに計時法会議
1885年、陸軍大学校にプロシアから教官招く
1886年、東京電灯会社設立
1887年、名古屋電灯、神戸電灯、京都電灯、大阪電灯設立、日本初の火力発電所できる
1888年、1月1日、グリニッジ標準時刻採用
1889年、大日本帝国憲法発布、決闘の禁止、大阪電灯が交流式配電開始
1890年、教育勅語、第一回帝国会議開催、トルコ、エルトゥールル号難破、東京横浜で電話局開設
1891年、二宮忠八、烏型模型飛行器作成
1894年、日清戦争、下関条約、三国干渉
1895年、京都電気鉄道(日本初市電)、東京電灯・浅草発電所操業(ドイツAGE製50ヘルツ発電機)
1897年、大阪電灯増設(アメリカGE製60ヘルツ発電機)
1901年、足尾鉱毒公害
1902年、日英同盟
1904〜1905年、日露戦争
1904年、陸軍気球隊創設、国産蒸気自動車
1905年、ポーツマス条約
1907年、国産内燃自動車
1908年、グルタミン酸発見
1910年、日韓併合、朝鮮総督府を設置、山田式第1号飛行船初飛行、ハレー彗星
1912〜中華民国1911年、辛亥革命、清朝滅亡
1912年、清、チベットとの停戦と清軍の完全撤退
1912年、中華民国建国、孫文、臨時大総統辞任、タイタニック就航・沈没
第一次バルカン戦争
1913年2月14日、ダライ・ラマ13世、チベットの独立を宣言
1914年、パナマ運河開通
1914〜1918年、第一次世界大戦
1917年、ロシア革命、ソビエト興る
1917年、中華民国軍、東チベット侵略
1918年、チベット・中華民国休戦協定
1918年、独、十一月革命
1919年、独、ワイマール憲法、飛行機で大西洋無着陸横断
1920年、ベルサイユ条約、国際連盟発足
1921年、中国共産党成立大会
1927年、孫文の中国国民党員、蒋介石による国民政府樹立、リンドバーグのニューヨーク・パリ間無着陸横断
1929年、世界恐慌、フレミング、ペニシリン発見
1933年、ダライ・ラマ13世死去
1934年、独、ヒトラー総統
1936〜1937年、ヒンデルブルグ号就航
1937〜1945年、日中戦争
1939年、独、ポーランド侵略、第二次世界大戦、
シコルスキーのヘリコプター
ドイツ、ハインケルHe-178ジェット飛行
1939年、ダライ・ラマ14世即位(1935〜)
1941年、独ソ、開戦
1942年、ドイツV2ロケット
1943年、伊、無条件降伏
1945年、ヤルタ会談、独、無条件降伏、国際連合発足
1947年、インド独立、ベルX-1音速突破
1949年、NATO結成
1949年8月10日、中国国民党政府、パンチェン・ラマ6世の転生者をテスト抜きで認定、後に共産党の手に落ちる
1949年、チベット政府、中華民国代表部を退去命令
この後、国共内戦に破れた蒋介石は台湾へ遷都
1953年、ヒラリー、エベレスト初登頂
1912〜1926大正時代1912年、白瀬中尉、南極点目指すも撤退
1914〜1918年、第一次世界大戦参戦
1915年、陸軍航空大隊創設
1920年、国際連盟に加盟
1923年、関東大震災
1925年、ラジオ放送開始

「電気」流行る(電気ブラン、電気飴……)
1932〜1945満州国1931年、満州事変
1932年、満州国建国、傅儀
1939年、ノモンハン事件、日本陸軍九七式中戦車(チハ車)投入、ソ連BT戦車にやぶれる
1940年、戦車第11連隊、ソ連と交戦
1945年、消滅
1926〜1989昭和時代
日本国
1927年、金融恐慌
1929年、ドイツ、ツェッペリン伯号が初世界一周、日本訪問
1932年、上海で肉弾三勇士作戦
軍神として軍国美談となる
5.15事件
1933年、日本、国際連盟脱退
1936年、2.26事件
1937年、日独伊三国防共協定
1939年、第2次世界大戦
1941〜1945年、太平洋戦争
1942年、日本軍ビルマ侵攻
英中は、インド・チベット・重慶ルートを計画するもチベットは中立姿勢で拒否
1945年、ポツダム宣言受諾、武装解除、マッカーサー来日、大日本帝国軍政崩壊
1946年、天皇人間宣言、日本国憲法公布
1950年、警察予備隊公布
1951年、サンフランシスコ平和条約
1952年、日本国独立
1953年、奄美諸島復帰、テレビ放送開始
1954年、帝都高速度交通営団開業
1956年、日本、国際連合加盟、日露国交正常化
1958年、インスタントラーメン発明
1960年、日米安保条約
1964年、東海道新幹線開業、東京オリンピック
1965年、日韓基本条約
1968年、小笠原諸島復帰
1970年、大阪万博、よど号ハイジャック
1971年、カップヌードル発明
1972年、浅間山荘事件、沖縄復帰、日中国交正常化
1972年、横井さん帰国
1973年、第一次オイルショック
1974年、小野田さん帰国
1976年、ロッキード事件BR>1979年、第ニ次オイルショック
1985年、日航機123便墜落
1949〜中華人民共和国1948年〜
大韓民国
朝鮮民主主義人民共和国
1949年、中華人民共和国樹立
1950年、朝鮮戦争
1951年、マッカーサー解任
1951年、中共、チベット・ラサへ進駐
ダライ・ラマ14世は、17条協定にやむなく調印
1953年、朝鮮戦争休戦協定
1957年、ソ、人工衛星スプートニク
1959年、キューバ革命
1959年、ラサで一斉蜂起するも弾圧
ダライ・ラマ法王14世はインドへと逃れ、ダラムサラに亡命政府樹立
1961年、ソ連、ガガーリン初宇宙飛行
1962年、キューバ危機
1963年、米、ケネディ暗殺
1965年、ベトナム戦争
1966年、文化大革命、以後も、チベットへの解放軍の弾圧が繰り返される
中共がチベットに進駐しているのは、モンゴル政権の元が、チベットを編入していたことを根拠としているらしい
1969年、米、アポロ11号月旅行、英仏超音速機コンコルド就航
1975年、米、ベトナム戦争敗退
1979年、ソ連超音速機ツボレフTu-144就航
1980〜1988年、イラン・イラク戦争
1981年、スペースシャトル・コロンビア就航
1985年、ローマ・カトリック教会、ガリレオの名誉回復
1986年、にがよもぎ事件
1989年、天安門事件
1990年、ドイツ統一、湾岸戦争
1991年、ソビエト連邦解体
1993年、ドイツ、ツェッペリン飛行船復活
1989〜平成〜現代1989年、ダライ・ラマ法王14世、ノーベル平和賞を授与
1999年、スコットランド議会復活
2000年、コンコルド墜落
2003年、スペースシャトル・コロンビア事故
ダライ・ラマ法王14世来日







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