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「古代てにをは」談話室


Feb.4.2004





つづき
今日は、古代の「てにをは」について語ろうと思うちょるのじゃが。

かおる
ちなみに、「てにをは」というのは、平安時代初期に漢文を訓読するときに、
漢字の四隅などにつけられた「乎古止点」という印しのうちの、
左下から右回りに読むと「てにをは」を意味する「博士家点」の印しの付け方を指します。
「博士家点」は、ひとつの流派で、「乎古止点」は、それ以外にも、何種類もあったようです。
平安時代の人は、漢文を読むのに工夫を凝らしていたのでしょう。
「博士家点」方式では、「テ・カ・ニ・ム・ヲ・コト・ト・ハ・ス・ノ」という10種類の印が打たれ、
活用語尾・助動詞・助詞・補読を表しています。



現在では、格助詞「が・の・を・に・へ・と・から・より・で・や」
接続助詞「ば・と・ても(でも)・けれど(けれども)・が・のに・ので・から・し・て(で)・ながら・たり(だり)」
副助詞「は・も・こそ・さえ・でも・しか・まで・だけ・ばかり・なり・きり(ぎり)・ほど・くらい・など・やら・か」
終助詞「か・な・なあ・ぞ・よ・とも・さ・ね・ねえ・の・わ」などがあります。
文法の基礎を意味しています。

つづき
漢文を読み書きするというのは、面倒じゃったと思うが、
日本人というのは、昔から、外来語を取り入れるのが、ことのほか好きじゃったようじゃな。
かおる
今で言うカタカナ語のようなものですね。
おかげで、日本語の中には、外来語がすさまじく交じり合ってるみたいです。
朝鮮語の漢字の読みとの共通も見られることから、日本語と朝鮮語は同祖という説もありますが、
訓読みには、似た語が少ないことから、漢字が入ってきた頃に交じり合ったものでしょう。

つづき
日本語と朝鮮語は、文法も似ておるというが?

かおる
文法は似ていても、語彙が似ていないことから、同じ系統の言語とは見なされていません。
日韓の言語学者の間では、一般的な認知のようです。
大きな意味では、ウラル・アルタイ語族に含まれると言われていますが、まだよくわかっていません。

つづき
そこで、ヤマトコトバの古代の文法を解き明かせば、またひとつ、
日本語の起源の謎に迫れると思うわけじゃ。 その鍵が、「てにをは」にあると思うわけじゃ。
かおる
しかし、漢文が伝わってきて、漢字を読み下すために、「てにをは」が発達したと考えるならば、
漢文が伝わる以前から、今のような「てにをは」が、存在していたかどうか?
存在していても、どのようなものだったかは、わからないかも?

つづき
前回までに検証したように、「の」は、指定する意味で、確かに存在しておったじゃろう。

かおる
「博士家点」でも、「ノ」は漢字の中央につけられる点ですね。
ほかに、四隅につけられた点が重要な助詞だったとすれば、
「の、て、に、を、は」の、これらの語句は、古くから使われていたと考えてもいいかも。

つづき
うむ。前回までに検証した、数詞と代名詞の基語とも重複しないようじゃ。

かおる
それは、関係あるかどうだか。

つづき
まあよい。 では、古代の文法を、「てにをは」を使って、作文して考えてみようぞ。
「の」を含めて、「の、て、に、を、は」で考えるのが肝要じゃ。





かおる
これ、用法は、あってますかあ?

つづき
た、たぶん……。
違ってたら笑ってゆるしてちょ。
かおる
(誰が許すか!) で、何か、発見でも?

つづき
うむ。 まず言えることは、古代の会話においては、「主語は自分」であったじゃろう。
自分が何をしたいか、相手に何をして欲しいか、その要求から文法は生まれたことじゃろう。
「の、て、に、を、は」は、最も古くから存在した、古代の会話文法だったのではないか?
意思疎通のための、必要最低限の助詞であることがわかる。
簡単に整理すると、このような意味じゃな。



つづき
我が・我も・我と・我や・我へ」などという言い方は、相手との協力関係を意識した言い回しじゃから、
他人との人間関係がある程度成熟された社会環境から、生まれてきた言葉ではなかろうか?
かおる
ふむふむ、それで?

つづき
ここで、注目すべきことは、「」と「」の用法の区別じゃな。
どちらも、「」「」と、言っただけで、意味が示されている言葉なのじゃ。
」は、単純な関係、所有する側が明確になっておる。
リンゴは、私の」といえば、自動的に、リンゴは私のものじゃ。
私の、リンゴを、あげる」ことも出来るのじゃ。 「たべる」も、「すてる」も、自分しだいじゃ。
一方、「」では、どうか?
もしも、「リンゴは、私に」と、言った場合、自動的に、「私に、よこせ」と、いう意味になるじゃろう。
」の後ろには、要求を意味する動詞しか、言えないわけじゃ。
」と言えば、すでに相手に要求しているという語句であり、相手を身構えさせる言葉でもある。




かおる
リンゴは、私のだ!」と、自動的に所有を示しながら、断定的に強く言うことは出来ても、
断定口調で「リンゴは、私にだ!」と言われたら、なんだか強奪されそうで困ってしまいますね。
つづき
人間関係が希薄だった古代においては、自分の物であることを強く示す「のだ」と、
自分の物でも無いのに、相手に強く要求を示す「にだ」という用法が、あったのかもしれぬな。
かおる
自分の物でも無いのに、相手に強く要求するなんて、失礼ですよね。
ものすごく、社会環境の未熟だった頃の、遥か古代の言い回しだったんでしょう。
つづき
その通りじゃ。 幸い、日本では「にだ」というような身勝手な言葉遣いは廃れたようじゃな。

かおる
当然ですよ。 文法的にも変ですもの。

つづき
しかし、遥か古代に、日本語と同じ言語を共有していた民族が他にいたとして、
にだ」という不躾な言い回しを、後世まで残している民族がいたとしたら、困ったものじゃな。
かおる
古代に、日本語と同じ言語を共有していた民族なんていましたっけ?

つづき
わしゃ知らん。

かおる
でも、偶然、「ニダ」という言い回しを持ってる外国の言語も、存在するかも知れませんね?

つづき
そういう言語があったとしても、偶然そうなったんじゃろうて。
日本語とは関係ないと思うぞよ。
かおる
ええ、そうですね。

つづき
そうじゃとも。

かおる
今日は、この辺にしておきますか?

つづき
うむ。 では、これにて。







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