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隠された神々の系譜


April.15.2005





つづき
わからん、わからん……。

かおる
どうかしましたか? ずいぶんと長考してるご様子ですが?

つづき
なぜじゃ? なぜ、わしが一年もかけて構築してきた、言霊理論が、史実と一致しないのじゃ?
卑弥呼が九州に居たという決定的証拠が、なぜ見つからないのじゃ?
かおる
そりゃ〜、師匠の説は、ただのネタなんですから、事実と合致しないのは当然の話でしょ〜?
それに、邪馬台国九州説も、考古学的には否定されてますし。
つづき
いや! わしの言霊理論に、間違いなどあろうはずはない!

かおる
ならば、この前とか、前回のコラムで結論付けられたように、
素直に、卑弥呼は畿内にいた=邪馬台国畿内説を採用したらいかがでしょう?

そもそも、邪馬台国が九州にあったという前提自体が、考古学的に証明されてないのですから、
言霊理論によって古代史を解き明かそうというスタンスを取られるのでしたら、
邪馬台国九州説に軸足を置いたまま、論証を進めるのもいかがなものかと?


つづき
生意気を言いよって! いかにも、わしの第一の目論見は歴史の真実を探ることじゃ。
たとえ、どのような事実が明らかになっても、受け入れる度量くらいは、わしにあるわい!

邪馬台国が、九州にあったという証拠を求めても、なかなかつまびらかにできぬことではあるが、
だからといって、畿内に卑弥呼がいた=畿内に邪馬台国があったという証拠も無い以上、
ことさら、邪馬台国畿内説を前提に論証するつもりはないということは、表明しておかねばならぬであろう。


かおる
なんだかんだいって、ようするに、邪馬台国九州説に未練があるということですね?

つづき
未練とかいう問題ではない。 今の時点では、畿内説に分があるように見えるが、
さらに研究をすすめることによって、形勢逆転ということもありえるという余地を考慮すべきなのじゃ。
かおる
形勢逆転って……古代史の解明は、「勝負」じゃないんですから……(苦笑)。

つづき
とりあえず、さらなる古代社会の探求を続けようぞ。
まずは、この前のおさらいからじゃ。



言葉にみられる、覇権の歴史

「カ・コ・ク」は、古代の美称として定着したもの。
参考コラム

ホ族
金属器
銅矛
ニ族
稲作
銅鐸
ヒ族
太陽信仰の司祭
モ族
ムラの首長
ス族
敗北した部族

玉(に)
ヌヒ
「ぬひ」=奴婢
「にひ」=新
「のび」=昇・伸
「のい」=仰向け
ヌモ
「ぬみ・ぬま」=要害
「なま」=生
鈍る・訛る
「のむ」=祈む
ヌス
「ぬし」=主

神・代表
讃える物
カホ

「かほ」=顔

九州・四国には
顔が四つあった
カニ

カニ信仰(?)
参考コラム
カヒ

「かひ」=甲斐
(効果・価値)
カモ
「かも」=鴨・賀茂・上
(支配者と民の
上下関係の起源)
参考コラム
「おおきみ(大王)」が
崇拝されて、
「神」の意味になる
「かも居」=鴨居
=かむい=神
=とりい=鳥居
カス
シモ

「かず」=数
(大勢)
「しも」=下
「くし」=櫛・奇し
「かす」=糟
(後世の蔑称)

祭祀
ホコ
「ほこ」=矛

銅矛祭祀
ニコ・ニキ
「にこ」=にき(和)
「にぎしね」=和稲
ナキ
「さなき・ぬで」=鈴・鐸
「なく」=鳴る・鳴く
「なご」=和む

銅鐸祭祀
ヒコ
「ひこ」=日子
「ひめ」=日女
モコ
「もこ」=婿・相手
相手=神か?
スコ
「すが・すげ」=菅
(草製品)
「すがた」=姿
「すご」=凄い
「すこ」=少し
「すく」=好く
「すか」=須賀

国名
クホ
「くぼ」=窪
クニ
「くに」=国
クヒ
「くび」=首
食ひ・悔い
「首を取る」
(後世の蔑称)
大山咋
(おおやまくひ)
クモ
「くも」=雲・蜘蛛
出雲・土蜘蛛
(後世の蔑称)
クス
「くず」=国巣
(先住民)
「くす」=屈す・屑
(後世の蔑称)
首長名ホホデミ

神武の祖
ニニギ
「ねぎ」=禰宜
ハヤヒ
ハヤヒ「や」=矢
「ゆみ」=弓
「はや」=羽羽矢
「はやひ」=速い
「はやる」=流行

ニギハヤヒ
「穣+羽矢+日」
オオナモチ
ムラジ


「むらじ」=連

スサノヲ
スグリ
シキ

「すぐり」=村主
「すくね」=宿禰
「しき」=スクの転
「しきる」=仕切る
磯城彦
兄磯城・弟磯城
八十猛
椎根津彦
スクナヒコナ
サルタヒコ
尊称
残存語
オホ クニ ヒコ カミ ヌシ






かおる
古代には、「ホ・ニ・ヒ・モ・ス」という言葉を尊称として使っていた部族に別れていて、
征服されるたびに、それぞれの言葉が、優勢の語彙となって後世に伝わったと考えているわけですね?
つづき
この表を見れば、古代の神、ヒコホホデミ、ニニギ、ニギハヤヒ、オオナモチ、スサノヲは、
別々の系統の部族の神じゃったということが推察できるであろう?
かおる
でも、神話の世界では、ヒコホホデミとニギハヤヒは、同じニニギの一族だったり、
オオクニヌシは、スサノヲの子孫だったりしてますけどね。

そして、ほとんどの神は、アマテラスを含めた、イザナギ・イザナミの子孫の天孫系と、
スサノヲと、ワタツミを含む、地祇系に分類されてますね。
そのほかに、天御中主尊・高皇産霊尊・神皇産霊尊の天神系があります。

神武天皇までの系譜を、うんと省略して書くと、こんな感じでしょうか。


神々の系譜を再検証



備考:神武天皇=神日本磐余彦天皇(カムヤマトイハレヒコノスメラミコト) の諱(ただのみな・実名)は、
彦火々出見(ヒコホホデミ) とされる。
ニニギの子(山幸彦)と同じ名前である。
山幸彦は、海神(ワタツミ)の力を借りて、海幸彦をこらしめている。

籠神社の海部氏系図では、アメノオシホミミの子が彦火明命(ヒコホアカリ)で、
彦火明命は、ニギハヤヒとも、ヒコホホデミの別名ともいわれる。



かおる
ここで、イザナギ・イザナミの国生みの順番を見ると、九州より先に本州が生まれています。
イザナギ・イザナミの日本神話の源流は、畿内で生まれたものと考えるべきでしょう。
つづき
いや、古代の部族すべてが、畿内出身ではなく、他の地域の部族が畿内に流入し、
部族間の征服や婚姻によって、系譜が統合されていったのではないか?

アマテラスとスサノヲの「誓約」などは、系譜の統合を意味するものであろう。
もともと、アマテラスとスサノヲは姉弟関係ではなく、別々の部族の神であり、
部族の融合によって、アマテラスとスサノヲが姉弟関係を持つような神話になったのじゃろう。

ニニギやヒコホホデミの神話は、稲作の伝播した部族とともに九州から畿内へもたらされたものに違いない。
その部族が後の天皇家となり、アマテラスを祖神として創作し、
古代から畿内に伝わっていたスサノヲを祖神とする地祇系と融合させ、
八百万の神々を祀る氏族の頂点に立とうとしたのじゃろう。

そのとき、ワタツミを祖神とする部族の協力があったことを、系譜は匂わせておる。


かおる
大雑把に想像する事は出来ますが、昔の人が都合よく改竄していったわけですし、
どういう部族が居て、どう統合されていったか、具体的に紐解けるような手掛かりは無いでしょう?
つづき
あるキーワードに注目すれば、ある程度は推察できるのではないかな?

かおる
ほほぅ。 キーワードとは?

つづき
「カモ」と「タマヨリヒメ」じゃ。





神武天皇を取り巻く、「カモ」と「タマヨリヒメ


備考:神武天皇は、東征して橿原で即位すると、
神武を手引きしたヤタガラス(カモタケツヌミ)に論功行賞を贈り、
高御産巣日(タカミムスヒ)を祭った。

賀茂氏の祖は、神皇産霊尊(カミムスビ)とされるが、
一説には、高魂命=高皇産霊尊(タカミムスビ)とも。

賀茂別雷の父神は、火雷神(ホノイカヅチ)とされるが、
「秦氏本系帳」では、大山咋(オオヤマクヒ)とされる。

アマテラスとスサノオの「誓約」によって、宗像三神が生まれる。
宗像三神のひとり、田心姫(タゴリヒメ)=多紀理毘賣命(タギリヒメ)と、オオクニヌシが結ばれ、
アヂスキタカヒコネ=賀茂大神(カモノオオカミ)を産む。
アヂスキタカヒコネは、天稚彦(アメノワカヒコ)にそっくりだという。
天稚彦は、国譲りの使いとして地上に降りたが、高天原に復命せずに死んだ

アヂスキタカヒコネは、葛城の高鴨神社の祭神であり、
山城の賀茂御祖神社(下賀茂神社)・賀茂別雷神社(上賀茂神社) よりも歴史が古く、
賀茂氏の本貫という説もある。
全国にカモ系の神社は多いが、葛城鴨と、山城賀茂の系統は区別されている。






かおる
これを見ると、古代のカモ氏が、神武に近い関係にあったことが読み取れますね。

つづき
カモ氏は、もともと大和で勢力を振るった、一つの部族じゃったはず。
それがなぜ、葛城の鴨と、山城の賀茂に別れたのじゃろうか?
かおる
神武東征で、道案内をしたヤタガラスが、カモタケツヌミだとすると、
神武の侵攻をキッカケに、内部分裂したのかも知れませんね?
つづき
神武は、「カムヤマトイハレヒコ」という。
東から迂回して侵攻し、大和の磐余の地を征服したとすれば、大和を南北に分断したことになろう。
かおる
実際に東征があったかはともかく、磐余の部族の勢力拡大が、
古代のカモ氏が南北に分かれる要因になったことはありえるカモ? なんちゃって。
つづき
大和の一地方の磐余を支配した、イワレヒコは、やがて大和全体を征服し、カモを配下にしたことで、
カムヤマトイハレヒコ」と呼ばれたのじゃろう。




「イワレヒコ(神武)」と「カモ(賀茂氏)」の勢力図




大和の地名は、「」の勢力と、「」の勢力が、
土地を奪いあって生まれたようである。
参考コラム


備考:「カモ」について、参考コラム
橿原(かし)と箸墓(はし)は、「か・は」の、対の語句と思われる。参考コラム

鴨・賀茂(かも)・久我(くが・こが)・天香久山(かぐやま・かごやま)は、「」系の言葉。
三輪・美和(みわ)・いわれ(磐余)は、「」系の言葉。
参考コラム

ひは→ひばら(桧原・比婆山)
ひは→びは→みわ(三輪)
ひへ→ひえ(日枝・比叡山)
ひは→びわ(琵琶湖?)

「はれ・ふれ」は、村の意味とも。
「はれ」=広い場所
「ふれ」=おふれ・広く知らせること
はら・はる(原・春)に通じる?




磐余(いはれ)=「ヒハレ」なら、
「カムヤマトイワレヒコ(神武)」は、
」の勢力だったことなる?

」系の言葉は、海系なので、(参考コラム)
神武は海系部族だったことになってしまう?



かおる
いや〜。 神武の祖父のヒコホホデミは、「山幸彦」だったわけですから、
ここでも師匠の言霊理論は崩壊したわけですね? 残念!
つづき
まちたまへ。 そう断ずるのは、早計というものじゃ。
神武東征以前に、大和を支配していた国つ神の名前を見てみるが良い。



国つ神の名前は、言霊表に合致する

ホ族ニ族ヒ族モ族ス族

平地
住居
ホラ
「ほる」=掘る
開墾・原?
ニラ・ナラ
「にらぐ」=鉄を鍛え
伸ばして平らにする
「なら」=均す・奈良
ヒラ
「ひら」=平
滋賀県・比良
「ひはれ」=磐余?
モラ
「むれ」=群れ・村
「むろ」=室
スラ・シラ
シロ

「さら」=更・皿
平らなもの
「しら」=白
まっさらなもの
「しろ」=白・城・代

「千」=多い
「地・血」=
結びつける
ホムタ
ホムチ→ホムタ
応神天皇
ナムチ
ニムチ→ナムチ
オオナムチ
ヒムチ
オオヒルメムチ
モチ
モチ(持・餅)→ムチ(睦)
サチ
スチ→サチ(幸)
尊称
中心で
支えるもの
カホ・クホ
ホコ

顔・久保
「ほほ」=頬
「ほこ」=矛・誇
カニ・クニ
国・カニ信仰(?)
参考コラム
カヒ・クヒ
甲斐・首・大山咋
(おおやまくひ)
カモ・クモ
モノ

上・神・雲・蜘蛛・物
蜘蛛=巣の中心
ヌシ・クシ
カシ・ハシ

主・櫛・橿原・箸墓
「かしら」=頭
「はしら」=柱
首長名ヤチホコ
ヒコホホデミ
オオクニヌシ
ニニギ・ネギ(神官)
オオヤマクヒ
ニギハヤヒ
オオモノヌシ
久米(くめ)
コトシロヌシ
オオヌシ・スサノヲ

古代に大和を支配していた首長名が浮き彫りに!

地祇系の代表格、「ヤチホコ・オオクニヌシ・オオヤマクヒ・オオモノヌシ・コトシロヌシ」は、
「ホ・ニ・ヒ・モ・ス」族を代表した神だったっ!!


磐余(いはれ)=「ヒハレ」なら、
「カムヤマトイワレヒコ(神武)」は、
ニギハヤヒ・オオヤマクヒと同じく、「ヒ系の王」となる。


ホホデミ(ホ系)・ニニギ(ニ系)・ヒハレヒコ(ヒ系)と、
系統が混じり合っている天孫族の系譜は、
古代の三部族が合流して天皇家の祖となったことを意味する?





かおる
すると、神武=「カムヤマトイハレヒコ」の実名が「ヒコホホデミ」と称されるのは、
古代の別々の部族の英傑の物語が、混ざり合って伝承されたため、ということでしょうか?
つづき
その可能性はあろうな。 記紀が書かれる何百年も前の伝承じゃからのお。
山幸彦=神武の祖のヒコホホデミと、カムヤマトイハレヒコは別人だったのじゃ。
かおる
そうなると、いったい、どの伝承を信じて、取捨選択して検証したらいいのやら?
こじつけも自由に出来ますから、ますます古代の様相を探るのが、難しくなりそうですね〜。
つづき
そこで、手掛かりといえば、やはり「言葉」の由来や語源を探ることではなかろうか?
いかに伝承があやふやな物になろうと、登場人物の「名前」には、真理が秘められているはずじゃ。
かおる
由来や語源といっても 師匠の話は語呂合わせのネタばっかりじゃないですか。(苦笑)

つづき
まあ、最後まで話を聞くがよい。
神武の周囲には、カモ氏の他に、3人のタマヨリヒメがおるわけじゃが……。
かおる
ええ、それがなにか?

つづき
タマ」という名前は多いが、「タマヨリヒメ」を名乗る人物は、この三人しかおらぬ。

かおる
いない、とは断言できないでしょうが、有名なタマヨリヒメは、三人しかいないみたいですね?
それが、何か?
つづき
この三人の「タマヨリヒメ」には、ある共通点がある。

かおる
まあ、名前は似てますけど?

つづき
いやいや、似ているのは、名前だけではないのじゃぞ?






「タマヨリヒメ」の素性の共通性



タマヨリヒメ

タマヨリヒメはワタツミの娘で、姉のトヨタマヒメは、
ニニギの子のヒコホホデミと結婚する。
トヨタマヒメが、出産する時に、
八尋和邇(ヤヒロワニ)に化身した姿を見られて、
海に帰ってしまったので、代わりに、
トヨタマヒメが、子供を育てることになる。
その、子供(ウガヤフキアエズ)と結婚して、
後の神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)を産む。



タケタマヨリヒメ

賀茂建角身命(かもたけつぬみ)の娘の、
タケタマヨリヒメは、石河の瀬見の小川で、
丹塗矢(にぬりや)を拾い、床辺に置いたところ、
丹塗矢は、神の化身だったために身ごもり、
賀茂別雷(かもわけいかづち)を産む。
父神は誰かわからないが、火雷神(ほのいかづち)とされる。
「秦氏本系帳」では、大山咋(おおやまくひ/松尾大社)とされる。
大山咋は、山末大主神(やますえのおおぬしのかみ)とも。



イクタマヨリヒメ

古事記によると、イクタマヨリヒメは、容姿端麗な娘だった。
毎夜、若者が通ってきて、結婚して身ごもる。
両親が、正体を探ろうとしたところ、
蛇に化身した三輪山の大物主神だとわかる。

また、古事記では、大物主神は丹塗矢に化身して、
セヤダタラヒメを娶っている。
娘のホトタタライススキヒメ(ヒメタタライスケヨリヒメ)は、
神武天皇の妃になる。

日本書記では、大国主の子のコトシロヌシが、
ミシマミゾクイミミと結婚して生まれた、ヒメタタライスズヒメが、
神武天皇の妃になったとされる。




タマヨリヒメは、自らがワニの化身であり、
カムヤマトイワレヒコの父神」を産んでいる。
タケタマヨリヒメと、イクタマヨリヒメは、共に、
丹塗矢に化身できる神」によって妊娠している。
それぞれ、「カモワケイカヅチ」と、
カムヤマトイワレヒコの妃」を産んでいる。

タマヨリヒメは、
王の出産には、神の化身が関わる
という信仰の存在した、同時代に生きた姫。

カムヤマトイワレヒコと、カモワケイカヅチも、
出生伝承が非常に良く似ているので、同時代の王であろう。

さらに、カモワケイカヅチは、籠神社の由緒によれば、
海部氏の祖・彦火明命=ニギハヤヒと異名同神とされている!




かおる
ええと??? ちょ、ちょっとまってくださいよ〜。
頭が混乱して、ワケワカメ!
つづき
こう考えるとよい。



古代で「」に就くためには、
神がかった巫女の「タマヨリヒメの子供」であらねばならなかった。

王位を望むものは、タマヨリヒメに婿入りすることで、
子孫を王位に就かせることが出来た。

つまり、タマヨリヒメ=巫女=女王が支配する母系社会の王統だったのである。
女王を影で支配していたのは、「海神(ワタツミ)」である。




古代大和の主権は、女王が握っていた!

代々、「タマヨリヒメ」と婚姻していたのは、「国つ神系」。
そこに、「ホ系」の、「ヒコホホデミ」が割り込んで来たことがわかる。

しかも、「ヒコホホデミ」は、「タマヨリヒメ」を、
直接、妃にすることを拒まれているようにも見える。

国つ神社会の抵抗だろうか?



その後も、入り婿制度で生まれたと思われる天皇↓

崇神天皇=みまきいりひこいにえ
垂仁天皇=いくめいりひこいさち

アマテラスを祀り始めた天皇でもある。
参考コラム

男王の権威が高まり、巫女と婚姻する必要がなくなると、
入り婿制度は徐々に廃れたのであろう。
失史八代と言われる天皇達は、母系の系図を改竄されたのかも知れない。


カムヤマトイワレヒコが、タマヨリヒメから生まれたという系譜は、
カモワケイカヅチからの借用かもしれない?






かおる
なるほど〜。 まあ、入り婿説は珍しくないですが、でも、代々、巫女に婿入りしていた王がいたとしたら、
タマヨリヒメの人数が少なすぎませんか? もっとたくさんいてもいいはずですが。
つづき
タマヨリヒメは、個人の名ではなく、巫女としての役職名じゃろう。


例えば、タケタマヨリヒメの婿は、オオヤマクヒ・ホノイカヅチと、二通りの伝承があるが、なぜか?
その子供の、カモワケイカズチ彦火明命(海部氏の祖・籠神社)が、異名同神とされているのは、なぜか?
同じタマヨリヒメという名前の巫女と婚姻したという伝聞が、混同されて伝承されたものではないか?




カモワケイカヅチは、
複数の神の名前の伝聞が、組み合わされたもの?

カモ系・国つ神外つ神
タケタマヨリヒメ
巫女
オオヤマクヒ
大山咋
日吉大社
タケタマヨリヒメ
巫女
ホノイカヅチ
火雷大神
葛城坐火雷神社
カモワケ?
カモ系の神
ホアカリ
彦火明命=海部氏の祖
ニギハヤヒと同一とも
カモワケイカヅチ
賀茂別雷命
賀茂別雷神社(上賀茂神社)


オオヤマクヒ・ホノイカヅチの神が、同じような名前の巫女と婚姻したために、
系譜が混乱し、カモワケイカヅチと、ホアカリが、異名同神とされた?


オオヤマクヒ・ホノイカヅチの子は、それぞれ、「カモワケ・ホアカリ」という様な名前であり、
両者の伝承が交じり合い、「カモワケイカヅチ」という神の名前が生まれ、
カモワケイカヅチ=ホアカリという言い伝えが、籠神社に残されたのではないか?




かおる
ふむふむ。 「ホノイカヅチ」の子が、実は「ホアカリ」だったというわけですか?

つづき
名前も似てるし、考えられなくは無いじゃろうて?

かおる
師匠の言うところの、「ホ系」の神というわけですね?

つづき
」という尊称が付いておるが、もとは、「ヒ系」であったと思われる。


ホノイカヅチ・ホアカリ」は、もともと、「イカヅチ・アカリ」であり、
ホ系」に系譜が飲まれて、「ホノイカヅチ・ホアカリ」になったのであろう。


ヒ系ヒカリ→イカリ→アカリ
イカヅチ
ハヤヒ
ヒハレ→イワレヒコ
ニ系ニニギ
ニ系+ヒ系ニギハヤヒ
ホ系ホホデミ
ヒ系+ホ系ヒコホホデミ
ホ系+ヒ系ホアカリ
ホノイカヅチ

ヒコホホデミ」は、「ホホデミ(ホ族)」が、「ヒコ(ヒ族)」と融合した言葉のようである。
ヒ系」の一族に、入り婿になったことを表している?



かおる
他のカモ系の神の、カモタケツヌミは、タマヨリヒメと婚姻した伝承は無いみたいですが?
娘として、タケタマヨリヒメが居ることになってますね?
つづき
いやいや、当時の慣習を鑑みれば、巫女を妃にしていなければ、王にはなれなかったはず。
なにかしらの理由で系譜が混乱したか、捨てられたかしたのじゃろう。
かおる
系譜が残されてなければ、古代史の謎を探るのは、やっぱり無理みたいですね〜。

つづき
カモワケイカヅチの例を参考に、
ある程度は推察できるのではないかな?


カモタケツヌミ・カモワケイカヅチは、
複数の神の名前の伝聞が、組み合わされたもの?

カモ系・国つ神外つ神
タゴリヒメ
田心姫(宗像三神)
オオクニヌシ
国つ神

巫女
ツヌ?
外来の神?
カモノオオカミ
迦毛之大御神
高鴨神社
アカリ?
ヒカリ→イカリ→アカリ→イカヅチ
「ヒ系」の神?
カモタケツヌミ
賀茂建角身命
賀茂御祖神社(下賀茂神社)
タケタマヨリヒメ
巫女
オオヤマクヒ
大山咋
日吉大社
タケタマヨリヒメ
巫女
ホノイカヅチ
火雷大神
葛城坐火雷神社
カモワケ?
カモ系の神
ホアカリ
彦火明命=海部氏の祖
ニギハヤヒと同一とも
カモワケイカヅチ
賀茂別雷命
賀茂別雷神社(上賀茂神社)


高鴨神社の、阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこね)は、
迦毛之大御神よりも、後の時代に新しく祀られた神か?




かおる
あ〜〜〜。 ちょっとまってください。
ツヌ?」とか「アカリ?」なんて神がいたんですか?
つづき
仮想的に、そのような神の存在を想定すれば、枠内の神の名前が出来上がるということじゃよ。
神の名前には、皆が崇めやすいような由来が必ずあるはずじゃ。
かおる
なんだかな〜〜。
そんな、思いつきみたいな仮想の話で、こんな長いコラムを締めくくらないでくださいよ?
つづき
いや、仮想というわけでは、ないのじゃがね……。

かおる
仮想でしょ? ということは、根拠の無い思いつきでしょ?

つづき
根拠が無いということは無い……ぞよ。

かおる
じゃ、「ツヌ?」とか「アカリ?」なんて神の名前に、何か根拠があるんですか?

つづき
いや、だからその、無くは無いのじゃが……。

かおる
根拠があるなら、教えてくださいよ?

つづき
いや、しかしじゃね……。

かおる
いつもの師匠らしくないですね〜。
どうせ、デンパ説だってことは、わかってるんですから、こう思い切ってバシっと発表したほうがいいですよ?
つづき
デンパ説とな?

かおる
ええ、師匠の説は、全部デンパですよ? デ・ン・パ!

つづき
そこまで言われると、照れくさいのお。 ふぉっふぉっふぉ。

かおる
褒めてるわけじゃ、ないんですけどね(苦笑)。

つづき
わかった……どうしても聞きたいというのじゃね?

かおる
ええ、聞きたいですね。

つづき
後悔しても知らぬぞよ?

かおる
何が、後悔すると言うのですか?

つづき
日本古代史を知るということは、思わぬパンドラの箱を開けてしまうことにもなりかねないのじゃよ?
どのような真実を目の当たりにしようとも、事実を知ったら、後には戻れぬじゃ。
かおる
そんな、大げさな……どうせネタなんだから、もったいぶらないで、ちゃちゃっと書いちゃえばいいのに。

つづき
本当に、良いのじゃな? 覚悟は良いな?

かおる
良いですから、早く教えてください。 どうぞ。

つづき
うむ……。 では、話すとしよう。
ツヌ」「アカリ」という名を持つ神は、確かにいる。 その名は……。
















ツヌガアラシト

アカルヒメ



ツヌガアラシト
(都怒我阿羅斯等)

別名、アメノヒホコ(天之日矛・天日槍)とも言われる、新羅皇子。

古事記・応神記では、
新羅の阿具奴摩(あぐぬま)で、昼寝をしていた女が、
日光を浴びたことで、妊娠し、「赤玉」を生む。

アメノヒホコは、牛と引き換えにその「赤玉」を手に入れる。

手に入れた「赤玉」を床に置くと、玉は美しい娘に変わった。
アメノヒホコは、娘を娶ったが、
その後、娘は、アメノヒホコの暴力にあい、
親の国(日本)へと、小舟にのって帰ってしまう。
アメノヒホコは妻を追うが、難波を通れず、但馬国にたどりつく。

日本書記・垂仁記では、
ツヌガアラシトは、日本の聖王に会いにくるが、
穴門(長門)で追い返され、出雲国を経て、越の国の笥飯(けひ)の浦についた。
そこを、角鹿(敦賀)と呼んだという。

一説には、ツヌガアラシトは、「白玉」の化身の娘を追ってきた。
娘は、難波に至って、「比売語曽社(ひめごそのやしろ)」の神となった。
また、豊国の国前群にいって、「比売語曽社」の神となった。
そして二ヶ所で祀られている。

また、但馬国に住んだアメノヒホコは、
出石の人、太耳の娘、麻多烏(またお)を娶った。
子孫の田道間守(たじまもり)は、垂仁天皇の勅命で、
不老不死の果実「非時香菓」(ときじくのかぐのみ)を探し求めて、
常世の国へ旅立ったが、本土に戻ったとき天皇はすでに崩御されていた。
田道間守は、三宅連の祖であるという。
非時香菓は、橘(みかん)らしい?




アカルヒメ
(阿加流比賣)

アカルヒメは、アメノヒホコの妻だったとされる。
以下の神社で祀られている。
「比売語曽神社(大分県)」
「赤留比売命神社(大阪府)」
「姫社神社(岡山県)」
鉄の道にあるとも言われる。

また、「媛社神社(福岡県)」では、
饒速日命・織女神を祀っている。
別名、「七夕神社・棚機神社」とも呼ばれ、機織の神である。
織姫、牽牛の七夕伝説の地であるという。

アメノヒホコが、牛と引き換えに、
赤玉の娘を手に入れた伝説と符号する。

アマテラスの側近の機織の神、稚日女(ワカヒルメ)が、
スサノヲの暴力によって死んだ神話とも符号するという。
スサノヲは渡来系の神という説もある。







かおる
ええ〜? ちょっと待ってください! それこそ、ただの語呂合わせでしょ〜?
だいたい、応神記・垂仁記では、神武天皇の時代と合わないじゃないですか?
つづき
そうじゃのう。 怪訝に思うのも無理は無い。
じゃが……。


大阪市東成区の「比売許曽神社」で祀られている主祭神は、
「下照比賣命(シタテルヒメ)」である。
配祀は、「味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネ)」である。
アヂスキタカヒコネは、高鴨神社の主祭神でもある。


なぜ、渡来人のヒメを祀る「比売許曽神社」に、
「高鴨神社」が関わってくるのか?




かおる
そんなの、昔の人のことですから、適当に系譜を混ぜ合わせただけでしょ?
渡来系の製鉄や機織技術の利権に、地祇を祀る豪族が絡んできたということは?
つづき
う〜む。 そうかのお? これは、どうじゃ?



シタテルヒメは、天稚彦と結婚した。
天稚彦は、高天原から、中つ国平定を命じられていた。
アヂスキタカヒコネは、天稚彦命と、容姿が似ていたという。


シタテルヒメ
比売許曽神社
←婚姻→天稚彦
高鴨神社
←似ている→アヂスキタカヒコネ
高鴨神社
アカルヒメ
比売語曽神社
←婚姻→天日槍
出石神社
←同一人物?→ツヌガアラシト


シタテルヒメ=アカルヒメなら、
アヂスキタカヒコネ=ツヌガアラシト=新羅皇子となる?

なぜ、「高鴨神社」は、渡来系の侵略者の神を祀っているのか?


かおる
だから、それはですね、昔の人の伝聞による勘違いから、
当時の有名人がごっちゃになっただけなんですよ! カモ氏は渡来人とは関係ないでしょ!
つづき
う〜む。 そうじゃのぉ。 じゃがなぁ……。




日本書記にある「比売語曽」は、「ヒメゴソ」の音写と思われるが、
「賀茂御祖神社」は、「カモゴソ」と発音出来てしまう。

「賀茂御祖神社」は、今は「かもみおや」と読まれている。
「村社(むらこそ)」という名前があるように、「社=こそ」という意味があるらしい。
孝元天皇〜大彦(四道将軍)〜武渟川別〜豊韓別〜雷別〜阿倍阿加古の五代後に、
許曽部臣という名前が見える。 阿倍氏系氏族である。
「コソ」は、朝鮮語由来という説もあるが……?



賀茂御祖神社= カモコソ」は、
渡来系の神社だったのかっ?



かおる
だから、こじつけですってば! たまたま語呂合わせで、似通った読み方が出来たとしても、
何か史実を反映してるとは言えませんよ?
つづき
語呂合わせと言われれば、そうかも知れぬが……。 じゃがなぁ……。




アメノヒホコが但馬で娶った娘、麻多烏(またお)は、
マタカラス」とも読める。

アメノヒホコの別名は、ツヌガアラシト。
「賀茂御祖神社」の主祭神は、カモタケツヌミ(賀茂建角身命)であり、
神武天皇を道案内した「ヤタカラス(八咫烏)」だったという。


ヤタカラス+マタカラス=ヤマタ


そもそも、神武は、熊野からヤタカラスに先導されて大和に侵攻したとされるが、
ヤタカラスと同一とされるカモタケツヌミを祀る賀茂御祖神社は、大和の北側に位置している。
むしろ、丹波方面への入り口にある。





神武天皇は、渡来人の手引きで、
丹波から大和を征服したのかっ??


丹波の籠神社の海部氏の祖神・彦火明は、
大和を支配していたはずのニギハヤヒ・カモワケイカヅチと、
異名同神とされている。
籠神社は、ヒコホホデミが籠舟に乗って漂着した地でもあるという。
天孫が降臨した地は丹波だったのか?



かおる
こじつけです! すべて、こじつけです!
師匠が自分勝手に都合よく脳内妄想を膨らませてるだけですっ!
つづき
いや、わしも、すべて偶然の一致でありたいとは思っておるのじゃがのお?
現実から目をそむけるのは、学問的とは言えぬであろうが?






なぜ、比売許曽神社・比売語曽神社と、高鴨神社の神が、
関係を持っているのか?
シタテルヒメ」=「アカルヒメ」なのか?

高鴨神社の祭神=カモノオオカミ・アジスキタカヒコネ・シタテルヒメ・アメワカヒコ
比売許曽神社の祭神=シタテルヒメ・スサノヲ・アジスキタカヒコネ
比売語曽神社の祭神=アカルヒメ

シタテルヒメ」の母神は、海運を司る、宗像三神の田心姫(多紀理比賣)。


なぜ、高天原から、中つ国平定を命じられた、天稚彦と、
高鴨神社の祭神・アヂスキタカヒコネが、
容姿が似ていたという神話が生まれたのか?

シタテルヒメ」=「アカルヒメ」ならば、
「天日槍=天稚彦=アヂスキタカヒコネ」となり、
高鴨神社は、渡来系の侵略者の神を祀っていることになる?


比売語曽社と、賀茂御祖神社は、本当に無関係なのか?

どちらも「コソ」という語源を持つ?


ツヌガアラシト(天日槍)・マタカラス(麻多烏)」夫妻と、
「カモタケツヌミ・ヤタカラス(八咫烏)」の関係は偶然の一致なのか?

神武東征で、大和へ導いたヤタガラスは、渡来人だったのか?


なぜ、天孫系のヒコホホデミ・ニギハヤヒの伝承が、
日本海側の丹波(現在は丹後)にある籠神社に伝承されているのか?

ヤタガラスとされるカモワケツヌミは、
大和の北側にある賀茂御祖神社の祭神である。
熊野から神武が侵攻したという記紀神話とは矛盾する。
あえて、史実とは逆の神話を捏造したのか?




はたして、大和の国造りは、
渡来系の神々によって行なわれていたのか?




敦賀の笥飯(けひ)の浦に着いたアメノヒホコの子孫は、
田道間守〜葛城高額媛〜息長足比売(神功皇后)〜応神天皇へと続く。
応神天皇は、敦賀を訪れたときに、気比大神と名前を交換したという。
伊奢沙和気(いざさわけ)←→誉田別(ほむたわけ)




かおる
やれやれ、前回に続いて、また最後に、応神天皇が出てきましたね?

つづき
これら氏族の奇妙な繋がりは、応神天皇の登場によって、ひとくくりに出来るという所がミソじゃな。
恐らく、その当時に、系譜の改竄が横行し、捏造や隠蔽が行なわれたのじゃろう。




丹波の籠神社の祭神・彦火明命は、
賀茂別雷神社の祭神・カモワケイカヅチと異名同神とされる。
さらに、ニギハヤヒとも同一とされている。

もともと、ニギハヤヒは、丹波を支配していたのだろう。

ニギハヤヒは、「アカルヒメ」から名前をとって、
「彦火明(ヒコホアカリ)」を名乗ったのか?

カモ系・国つ神外つ神
タゴリヒメ
田心姫(宗像三神)
オオクニヌシ
国つ神
白玉を生んだ女
日光で白玉を生んだ
ツヌガアラシト
新羅皇子
カモノオオカミ
迦毛之大御神
高鴨神社
アカルヒメ
ヒカリ→イカリ→アカリ→イカヅチ
「ヒ系」の神?
カモタケツヌミ
賀茂建角身命
賀茂御祖神社(下賀茂神社)
タケタマヨリヒメ
巫女
オオヤマクヒ
大山咋
日吉大社
タケタマヨリヒメ
巫女
ホノイカヅチ
火雷大神
葛城坐火雷神社
カモワケ?
カモ系の神
ホアカリ
彦火明命=海部氏の祖
ニギハヤヒと同一とも
カモワケイカヅチ
賀茂別雷命
賀茂別雷神社(上賀茂神社)


ニギハヤヒは、丹波から大和へ乗り込み、
難波のアカルヒメに入り婿し(?)、「アカリ」の名を受け継ぎ、
大和の支配権を得たのだろうか?

そして、国つ神だった「カモノオオカミ」は、
外つ神と関係を持ちながら、
カモタケツヌミ・カモワケイカヅチ」の神へと、
分かれていったのだ。




かおる
うひゃ〜。 アカルヒメと、ニギハヤヒが共同で大和を治めていたということですか?

つづき
ニギハヤヒが、「ホアカリ」と呼ばれたのは、それなりの理由があったはずじゃ。
アカリ」という名で、影響力を持ち得た人物は、「アカルヒメ」しかおらぬであろう?




神がかりで妊娠し、王族を生み出し、
日本の王統の系譜に深く入り込んでいた、タマヨリヒメ
そして、アカルヒメも、日光の神がかりで生まれた娘であり、
タマヨリヒメと、同じ性格の巫女だったに違いない。
アカルヒメが、国内で力を持っていなかったはずはない。
ニギハヤヒとも、関係を持っていたはずである。




ニギハヤヒが支配していた大和に、
」という言葉を尊称として持つ「ホ族」が流入し、
アカルヒメと結託していたニギハヤヒは、
ホアカリ」と呼ばれるようになった。

イカヅチ→ホノイカヅチ
アカリ→ホアカリ






アカルヒメと、ホアカリは、名前の共通性から関係があるならば、
アカルヒメを娶ろうとした天日槍の伝承とも類似する。

ツヌガアラヒト(敦賀)・天日槍(出石神社)と、ホアカリ・彦火明命(籠神社)は、
同一の伝承から派生したのかも知れない?



籠神社彦火明命
ニギハヤヒ
ヒコホホデミ
カモワケイカヅチ(?)
天孫系が訪れた土地
浦島伝説が伝わる(玉手箱を持ち帰った)
丹後国風土記では、筒川の嶼子(つつかわのしまこ)という
魏志倭人伝の伊都国・奴国の官の名に「シマコ」が見られる
出石神社天日槍
ツヌガアラシト(?)
新羅皇子が開拓した土地
神功皇后・応神天皇は、天日槍の子孫
気比神宮イザサワケ
ケヒノオオカミ
仲哀天皇
神功皇后
敦賀は、ツヌガアラシトの訪問地
応神天皇が、気比大神と名前を交換
「いざ」=イザナギ・イザナミ・伊勢(いせ)の語源か?
奈具神社豊宇加能売命
豊受大神
比治山は、天女が現れたという羽衣伝説の地
豊受大神は、稚産霊の子(天稚彦か?)
籠神社・伊勢神宮で、天照大神と共に祀られる
「なぐむ・なごむ・にぎしく」=「ニニギ」に通じる
「なぎ」=凪・草薙=平らげる・平定する
比売語曽社
比売語曽神社(大分県)
比売許曽神社(大阪府)
赤留比売命神社(大阪府)」
アカルヒメ
シタテルヒメ
日光で妊娠した女から生まれた白玉(赤玉)の姫
ヒカリ→イカリ→アカリ
「ヒ」系の神の元祖か?
桧原神社天照大御神
伊弉諾尊
伊弉册尊
豊鍬入姫命
三輪山の北、大神神社の摂社
最初にアマテラスを祀った倭笠縫邑の神社とされる
「檜原神社」と書くが、
「天日槍」は、古語拾遺 では「海檜槍」とも書く
「檜(ひのき)」=日の木
「檜原」=「日原」
「天」=「海」を意味していた?


天孫族は、新羅の一族だったのか?
高天原は、朝鮮半島にあったのか?






その後、「ホホデミ」が登場し、
ニギハヤヒ=ホアカリに国譲りを迫った。


実際に、国譲りで天下を取り、神武東征神話を生んだのは、イワレヒコではなく、
ホ族」の「ホホデミ」であっただろう。
以前から磐余を支配していた「ヒ系」の、イワレヒコ一族に入り婿し、
ヒコホホデミ」と改名したのではないか?
そして、勢力を増したことで、ニギハヤヒから大和一帯の支配権を奪ったのである。
ヤタガラス(渡来人?)の助力もあったであろう。


渡来人(?)の力を借り、
ニギハヤヒから大和を奪った、
ホ族」とは、一体何者なのかっ?



かおる
ホ族」というと、師匠は、銅矛文化圏の九州の一族だと、考えていましたよね?
このへんのコラムとかで。
つづき
ホコ(矛)」を携えた、天日槍(アメノヒホコ)という人物が、
直接絡んできておるところを見ると、はたして九州の勢力じゃったのかどうか……?
かおる
すると「ホ族」は、天日槍を首領とする渡来人集団だったと……?

つづき
いやいや、「」は、「」を意味する、稲作伝来時期の言葉じゃ。 「」以前の古い時代の言葉であろう。
神武東征の頃の渡来人が、直接大和を支配したとまでは考えられぬな。
かおる
ホ族」の実態は、穂族=稲作を始めた頃の、古い弥生人の部族の末裔だったというわけですね?
では、「ホ族」は、どこから侵攻してきたのでしょう? やはり九州でしょうか?
つづき
それは、まだつまびらかにできぬがな……。



たとえ、大和が渡来系の神々に支配されていたとしても、
最終的に、ホ族が、大和に流入し、
大和朝廷の祖となり、国造りを主導したことは間違いあるまい。
ホ族の本拠地、「穂の国」は、
日本のどこかに必ず存在するはずじゃ!


かおる
邪馬台国も見つかってないのに、また難題が増えましたね〜。

つづき
しかし、古代の巫女の役割が判明したことは、進展と言えようぞ?
卑弥呼」もまた巫女である。





古代の巫女は、絶大な権力を持っていたに違いない。
巫女を男王よりも崇めていた地があるなら、
そこが邪馬台国であっただろう。


たとえば、比売語曽神社のある大分県には、宇佐神宮がある。
宇佐神宮では、応神天皇、神功皇后と共に、比売大神を祀っている。
比売大神は、祖先のツヌガアラシトの妃の、
アカルヒメだったのかも知れない。










かおる
えっと〜〜。 それだと、邪馬台国九州宇佐説をとった場合、
卑弥呼=アカルヒメ=朝鮮生まれの巫女とゆ〜ことになっちゃいますが?
つづき
ばかもん! アカルヒメ=タマヨリヒメは、王と結婚するが、卑弥呼は独身じゃ!
そもそもわしは、邪馬台国九州宇佐説など、唱えておらん!
かおる
あ、そうでしたっけ?
















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