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古代畿内王権の成り立ち


February.20.2005





かおる
お! 今回はなにげに硬いタイトルですね〜。

つづき
弥生時代が終わりを迎え、畿内に発生した大和朝廷が、どのように日本統一を成し遂げたのか、
その過程を今回は解き明かしてみようと思う。
かおる
大丈夫ですか〜?
師匠の説は、ダジャレオチばっかりじゃないですか〜?(苦笑)
つづき
ダジャレではない! 言霊に秘められた真実を探っておるだけじゃ!
言霊を知ることで、歴史の真実をも垣間見ることが出来るのじゃ!
かおる
なるほど、ダジャレ……いや、ヤマトコトバの文法構造から、古代人の考え方を探ることで、
古代史の秘密までもを探ろうというわけですね?
つづき
まったくその通り。

かおる
とにかく、誰も試みたことの無い手法だとは思います(苦笑)。

つづき
まずは、このへんで明らかになった事実を復習しておこうぞ。
ゆふづくひ・ゆふづくよ」という古語に注目したわけじゃが。

ゆふづく夕つく
ゆふづく夕つく


かおる
つまり、古代日本語では、「ひ=日」であったと同時に、「よ=月」だったと。
つくよ」は、「付く月」という意味だったのが、

つくよ=月夜」という漢字が当てられ為に、
つき=月」になった
というわけですね?


つづき
うむ。 「つくよ」の「」こそが、「」の真の語源じゃったわけじゃ。
古語の解釈には、今一度、疑いを持つ必要があるであろう。

本来、古代では「」のことを「」と呼んでいたはず。 そして、

る=る=昼
る=る=夜

という言葉が生まれたのじゃ。


かおる
う〜ん。 まあ、真偽はともかく……それで、何か今回の話題に関係あるんですかね?

つづき
以上の流れで行けば、次の言葉からも重要な意味を読み取れるはず。






な か つ く に








かおる
なかつくに」? ああ、「葦原の中つ国」のことですね?

つづき
はてさて、日本人の原風景であろう「なかつくに」が、
現在では所在不明になってるというのも不思議じゃの?
かおる
そういえばそうですね?
でも、日本全土のことだったんじゃないですか? 特定のどこかじゃなくて。
つづき
これも、わしらは「なか+つ+くに」と習っていたはずじゃ。
しかし、果たして本当にそうじゃったのか?

ゆふづく夕つく
ゆふづく夕つく
なかつく中つく


かおる
おやおや〜?

つづき
どうじゃね? 比較してみれば一目瞭然。
」の本来の古代語は、「」じゃったのじゃっ!!
かおる
う〜む。 そう言われれば、確かに「」には「」という意味がありますから、
国を意味する土地・領土・領地の古代日本語だったとしても不思議じゃないですねえ。
つづき
そして、後世に「つ(格助詞)+くに(国)」と、言葉の構造が変化していったのじゃろうて。
あま+つ+かみ=天津神」等、「」を単独で使い始めたのは、後の時代の造語じゃろうな。
かおる
古代日本社会に「」の概念が生まれたとき、
つく+に(土)」から、「つ+くに(国)」に語彙が変化しというわけですね?
つづき
どうじゃ? おそれいったか?
これで「」という格助詞が上代に限定的に現れる意味が理解できよう。


時代言葉意味備考
縄文時代なかつく「なか」=仲
仲間関係のこと
「に」=土
竪穴住居集落のこと
「つく」=付く
「つく」は動詞
仲間を結びつける土地
集落・交易の中心地
弥生時代なかくに「なか」=中
外国に対する
自分達の”中”の国
「くに」=国
環濠集落のこと
「つ」=格助詞
「く+に」が合体し、
「国」という意味になる
「つ」は一時的に格助詞になる
(その後廃れる)



古代語意味
」は、「」のこと。

はに・ハニワ=土
ねる・のばす・ならす・ぬる=土(粘土)を加工する言葉
にる=似る(土偶を人に似せる)
にる=煮る(土器で煮炊きする)
なか=島の中の土地のこと〜島民の仲・人の間柄の意味にもなった
」は、もともと「の」の様な格助詞ではなく「小さい」という意味の古代語
参考コラム

つく=付く
つぶ=粒
つづ=星
ひとつ=一個
あきつ=トンボ
あきつしま=日本列島(「秋の島」ではない)


かおる
ええと、ちょっと待ってくださいよ?
なかつくに」の「なか」は、縄文時代と弥生時代では意味が違っていたんですか!?
つづき
うむ! そうじゃともかおる君!
言霊を真摯に紐解けば、古代社会の姿をも見通すことが出来るということじゃ!


縄文時代では、「なかつくに=仲間を結びつける土地=集落・交易の中心地」という緩やかな意味じゃったのが、
弥生時代、「クニ」という概念が生まれたとき、「なか」という言葉は、
クニの中と外」を区別して意識した強い意味を持ったに違いない。

今、我々が、葦原の中つ国と呼ぶとき、
それは、弥生時代に葦原の中に作られた環濠集落を意味する言霊だったのじゃ!


かおる
いや〜。 びっくりしました。 じゃ、今回はこのへんで……。

つづき
こりゃ! まだ締めるでない! 話はまだ終わっておらぬぞ!!

かおる
え? まだなにか?

つづき
住吉神社の上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命という三柱神を知っておろう?
なか」を基準に「上・中・底」の語源を表にしてみたので良く見てみるがよい。
このへんのように「か・は」を組み合わせると、どうじゃ? 古代ヤマトコトバの構造が見えてこよう。



上(うは)・中(なか)・底(そこ)
という位置関係の言葉は、
う・な・そ」という語句から派生した

う・な・そ」は、「うれ・なれ・それ」の代名詞でもある。
うれ」は、上代には廃れた表現。



「かた」=方
位置関係のこと


「はた」=傍
範囲のこと
ち・つ・と

「ち」=場所
「つ」=結びつけること
「と」=取る・人・接続する
人間関係のこと


「う」=〜の上に座る
「鵜」=水面の上の鳥
〜の上に存在するもの
「うら」=心・占(神聖)
「裏」は「中心」の意味
「うら」=浦
「うれ」=(代名詞)
うか(浮かぶ)

上の方向を意味する
「あが・あき」=上が・安芸
うは(上)

大きさ・広さを意味する
目上
上回る
うはべ
大きさを誇る言葉
うち(内)

「うち」=(上等な)家の内
「うつく・うつろ」=空のこと
「内裏」は天皇の宮殿


「な」=名・評判の良いこと
「に」=土・土地
「の」=野
「ね」=根の国
「ぬま」=沼
「なら」=奈良
「ならす」=均す(開墾)
「なれ」=(代名詞)
なか(仲・中)
にき(和)


「にか→にき」に変化した
「なか」=仲良し
「なこ」=和む
「にき」=賑わう・握る・和
「にこ」=和し・にこやか
「にく」=憎む
「にか」=苦い
「にけ」=逃げる
「ねぎ」=禰宜
「なが」=長門
なは(縄・苗)
には(庭)


「なは→には」に変化した
地表の範囲を意味する
「なは」=苗代
縄は内と外を分ける
注連縄・縄張り
「にひ」=新しい・新治
「にふ」=鈍い
「にへ」=贄
「にほ」=鳰(かいつぶり)
なち(那智)
につ(似つ)


「なち」=那智(熊野那智大社)
「につく」=似る・同胞に付く
「なつく」=懐く・仲間になる


「其処」=指示代名詞
「そら」=空虚なこと・さら
「それ」=(代名詞)
そこ(底)

「そか→そこ」に変化した
「そき・そく」=退き
「そこついはね」=底つ磐根
「そが」=蘇我?
「さが」=下がる・佐賀
そは(傍)

「そは」=ガケ・山の斜面
「そは→そば(傍)」
狭い範囲のこと
「すは」=座る・諏訪
「そば」=蕎麦

そと(外)

内の外
土地の下方・地下・目下
「そつ」=師(大宰府の長官)
「そつす」=率いる
「そつど」=国のはて
「そち」=目下の者への言葉
「そたつ」=目下の者を育てる

内(うち)・外(そと)」という言葉の語源も発見!
縄(なは)・庭(には)」も、位置関係の言葉だった!



つづき
いかがかな? 「う・な・そ」「か・は・ち」という言葉の組み合わせで、
語彙・語源が綺麗に探れるじゃろう?
かおる
この中で「にか・そか」という古語はありませんが、
にき(和)・そこ(底)」に変化したということですか?
つづき
にか」は、「にぎ(賑)」わい「なか(仲)」の良いことを表す言葉に転じていったのじゃ。
すなわち、「にき(和)」の語源ということなのじゃ。

にきしね(和稲)」は、良質な土地=「」から生まれるわけじゃ。
に、開墾されてない有りのままの荒れ地は、「あらしね(荒稲)」と呼ばれたじゃろう。
後に、「いね(稲)」「にぎみたま(和御魂)・あらみたま(荒御魂)」という語句が生まれたのじゃ。
そもそも、「にき(和)」は、仲間内が住まう良い作物の取れる土地を意味しておったのじゃろう。

これらの言葉が生まれたのは、時代的には、稲作が始まったころじゃろう。
縄文時代の終わり頃じゃろうなあ。

にか→にき(和)」「そか→そこ(底)」という変化は、
一種の母音調和を示しておるようで興味深い。

また、「にが(苦)」という言葉も「にき(和・握る)」と同じ「にか」が語源と思われる。
にが(苦)」は、不愉快なことを表す語彙じゃ。 「にげ(逃げ)」という言葉もある。
古代では、豊穣も良き人間関係も約束されたものでは無く、
にき(和・握る)」は、古代では、苦い思いと表裏一体じゃったのじゃろう。




かおる
そうなのかな〜?

つづき
なは(縄・苗)」もまた、「には(庭)」と語源を同じくしていたのじゃ。
なは(苗)」は、「には(庭)」で作るものじゃ。
縄=ロープではなく、稲の育つ「領地・領土」という意味が先にあったのじゃろう。

後に、土地の境界に張られた目印のロープを「縄(なは)」と呼んだに違いない。
つまり、「注連縄(閉められた土地)・縄張り(土地の見張り)」のほうが、
ロープの名が”縄”になるよりもずっと以前から存在したのじゃ。

沖縄の語源も「浮き領土(うきなは)」という意味じゃったのじゃ。 沖の縄では、意味が通らぬでな。
沖縄方言では、母音は「あ・い・う」しかないわけじゃから、古代では「うきなは」だったはず!



うきなは(浮き領土)

おきなわ(沖縄)




「なは(那覇)」=クニの概念が生じる以前の、領土を意味する古代語
やがて、「なは」から「領土」の意味が失われ「縄」になる。
「うきはな」は、それ以前に付けられた古い言葉。




つづき
なは=領土・領地」という言葉は、「くに(国)」という言葉が生まれる以前の、
縄文時代の言葉であることは明白! わしらはまたひとつ、縄文語を探り当てたのじゃ!


日本語のルーツは、南方に存在した!


かおる
大袈裟ですね〜。


まあ、「上(うは)・中(なか)・底(そこ)」は、語源が探れたとしても、日本語には他にも、
上(かみ)・下(しも)」という言葉もありますよね?
あ、それに、「神(かみ)」という言葉もあるわけですが、
これらは、どのような関係にあるとお考えなのでしょう?
上(かみ)・神(かみ)」は、甲音・乙音違いで、言語学的に語源は別と説明されてますよね?

つづき
うむ。 良い質問じゃ。 わしも以前は、「上(かみ)・神(かみ)」の語源は同一と思っておったが、
言霊をよく調べてみると、微妙に違うようなのじゃ。
かおる
ほほぉ?

つづき
上(かみ)」は、古代では「かも」と呼んでいたクサイのじゃ。

かおる
え〜〜〜? カモ〜〜〜〜???

つづき
この前の表を、少し修正して見るとよくわかるぞよ。



「上(かみ)」は、「下(しも)」に対応して、
「かも」と言っていたはず

かま(釜)
食事を煮炊きする瓶
みか(甕)
神に捧げる瓶
かみ(神)
超自然な存在
みき(神酒)
飲むと神がかる
かむ(醸む)
酒をつくること
みく(御厨)
神に捧げる神饌を作ること
かめ(瓶)
貯蔵するもの
みけ(御食)
神に捧げる神饌
かも(上)
上に立つ神聖な天皇
みこ(皇子)
上に立つ神聖な者

「かも」と対応する言葉は「みこ(皇子)」

「御上(おかみ)」は、大王(おおきみ)を指す言葉なので、
「上」と「皇子」は対応する
よって、「上」の古代語は、「かも」

「かも」=「天皇」=「上」に立つ人のこと
「しも」=「臣民」=「下」の人民のこと


「上下」は、国の支配階級を表す言葉だった!






かおる
ちょっと待ってくださいよ〜。 これだけだとダジャレの範疇であって説得力無いでしょう?
かも」が「みこ」と対応した「」の意味だったなんて信じられないですよ〜。
つづき
かも」は、高鴨神社として、その名を留めておる高貴な言葉なのじゃ。


大和朝廷は、奈良盆地を北へ北へと遷都を繰り返していた。
高鴨神社は、奈良盆地の南にあり、初期の畿内王権の宮殿があったとしても何もおかしく無い!
つまり古代の「天皇=御上(おかも)」が住んでいた場所が、
今の高鴨神社の周辺じゃったということが推察できるわけじゃ!


かおる
え〜〜〜〜??
まあ確かに、伝説では神武天皇が東征で立ち寄った地ではありますが……。
つづき
古代、そのあたりを支配していた豪族が、初めて「かも」と名乗ったのじゃろうな。
神(かみ)」とは直接の語源関係ではないが、「皇子(みこ)」と対応した高貴な名称じゃったはず。

かも」は水鳥のにも通じるじゃろう。
ここまで見ても、う(鵜)・にほ(鳰)・かも(鴨)と、水鳥の名が登場しておる。
古代日本人が水辺の民で、鳥を愛でておったたことが伺えよう。
ヤマトタケルも死後、白鳥になったと伝えられておる。

かおる
で、その「かも」を名乗った豪族が、後の大和朝廷に繋がっていくのですか?

つづき
それはまだわからぬ。 王統の交代など、紆余曲折はあったじゃろうな。
日本書紀で言えば、崇神天皇よりずっと以前のことじゃろう。

古代より、畿内には強大な王権が栄えていたのは確かじゃ。
畿内が、次のように呼ばれておったのがその証拠。






う ち つ く に



うち」は、天皇・内裏を意味する高貴な言葉。
「家=高床式の家屋の内」を意味する。
なかつくに」とは別の、弥生時代の新しいクニを表す言葉

うちつくに(内つ国)」に対して「とつくに(外つ国)」という言葉があり、
クニ同士の軋轢があった事をうかがわせる
には(庭)」は、古代の領地・戦場の呼び方でもある。
とつくに(外つ国)」は、略した呼び方で「そとつくに(外つ国)」が正しい。









かおる
うちつくに」が、畿内を指す言葉だとして、それが何か?

つづき
わからぬか?


古語に「うち」という語彙が生まれた早い段階で畿内が繁栄し、
日本人すべてが、畿内を日本の中の「うち(内)」と認識し、
西日本全体に、その名を広めたという証であろう。
そうでなければ、日本中の国が「うちつくに」と名乗っておったはず。


かおる
そ、それって、結構すごい結論じゃぁ無いですか??

つづき
言霊を探れば、次のような古代史の流れが見えてこようぞ。
神武東征神話とも、大いに関係してくるのじゃ。



古代語から、日本国成立の過程を探る

これらは、王による領地・支配関係を表す言葉

代名詞(位置関係)(範囲)(土地・人間関係)(動詞)
うか(浮かぶ)うは(上)うち(内)うら(心・占・裏)
なか(仲・中)
にき(和・握る)
なは(縄・縄張り)
には(庭・領地)
なち(那智)
につ(似つ=同胞)
なら(奈良)
そこ(底)
しき(磯城)
そば(傍)
すは(諏訪)
そち(目下への言葉)
そと(外)
そら(空・虚)



「なかつくに」から、「うちつくに」へ

テリトリーを表す古語関係のある場所備考
なか

「仲・自分達」を意味する
なかつくに

なか=仲
つく=付く
に=土地
「仲を取り持つ土地」を意味する竪穴住居集落
交易の中心地
縄文時代の古い言葉
なは

「領土」を意味する
沖縄・那覇「クニ」の概念が生まれる以前の、
縄文時代の古い言葉
沖縄の離島に古語が残った
くに

「国・共同体」を意味する

「なか」は「中・領地」に、
意味を変化させた
中つ国

なか=中
つ=付
くに=国
「仲を結びつける土地」から
弥生時代に意味が変化し、
外と中を分けた「国」の概念を持つ
環濠集落のこと
にき

作物の取れる良い土地
「に」=土地
「にぎる」=土地を握ること
土切る=開墾する
新木・新城
宮崎・奈良に
「新木・新城(にき)」がある
稲作が盛んに行なわれた土地

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、天照大神の孫で、
神武天皇の曾祖父
神武は筑紫日向国高千穂から東征するが
すでに、饒速日 (にぎはやひ)が、畿内を治めていた
には

「庭」=領地
難波
(なにわ)
名声のある王の領地

神武天皇が上陸を試みるも
長髄彦(ながすねひこ)の抵抗で失敗

浪速(なみはや)という語源は、
神武以前の王統を隠すための
後世の改竄かも知れない
なち

「なち」=名声のある土地
「懐く」=同胞になる
熊野那智大社神武が迂回して上陸した場所
この後、八咫烏(やたがらす)の案内で畿内へ向かう

なち族が神武に服従し、
「懐く」という言葉が出来たか?
しき

「しき」=「そこ」の転
中心から見て周辺国
磯城邑葛城邑と共に、神武と対峙する倭国の邑
磯城彦・兄磯城・弟磯城・八十梟師が防衛している
かも

「上(かみ)=王(きみ)」の土地
高鴨神社神武が熊野からたどり着いた

鴨族首長の娘と婚姻し、葛城王朝を立てる
葛城襲津彦(葛城の外ヒコ)は天皇家外戚

「神・御上」と関係する言葉なので、
神道発祥の地かも知れない
なら

「奈良(なら)」=均された土地
領地にするという意味
奈良神武が初代天皇に即位した橿原の地
神武以前の饒速日の国
子孫は物部氏として仕える
すは

「すは」=「そは」の転
「底」の土地
「すは」=座る
諏訪国譲りをさせられた国津神が、居座った土地。
うち

「内・中心」の土地
うちつくに

うち=内
つ=付(く)
くに=国
畿内の国のこと
畿内の内と外を明確に区別した言葉

神武東征中でも「内つ国」と日本書記にあるので
神武以前からの呼称であろう
畿内を中心として見た言葉である


古代語は、神武東征の実態を語っていた!

”領地を意味する言葉”で呼ばれていた地は、
言葉が生まれた頃の、最も古い時代のクニである。
神武は、それらを束ね、連合国家を築いた古代の英傑である。




かおる
神武東征は、事実を伝えていたということでしょうか?

つづき
多少は脚色・変更され、正確ではないじゃろうが、古代に起きたおおよその事実を、
伝承しておるのではなかろうか?
かおる
神武という一人の英雄は、架空の話でしょうね。
でも、古代には、九州から畿内に乗り込んだ一族がいたのかも?
つづき
うちつくに」という言葉が、なによりの証人じゃな。
神武が畿内に到着する前から、日本書紀では、畿内を「内つ国」と呼んでおるのじゃ。


畿内を中心とした言葉が、神武以前の古代から存在した
そこから見えてくる歴史の真実とは?






かおる
いや〜。 このあたりの歴史は、推理小説みたいで面白いですね〜。
九州王朝という説もあってロマンですね。
つづき
日本の古代史で一番の問題は、九州が畿内王権に取り込まれたのが何時の時期かと言うことじゃな。
いわゆる邪馬台国論争は、そこがキモじゃ。

九州が畿内王権に取り込まれたのが、
3世紀末なら、邪馬台国は九州に存在しえたじゃろう。
3世紀初頭なら、邪馬台国は畿内にあったということじゃ。

かおる
考古学的には、九州と畿内が、激しく対立していたような証拠は無いようですが?
土器の移動などもあり、交易もなされていたでしょう。
つづき
貿易摩擦のような散発的な対立じゃったかも知れぬ。
なにせ、九州は、鉄器を豊富に保有しておったからのお。
かおる
師匠は、前回、九州が畿内に吸収されたとおっしゃってましたが、
それは、何時、どのように行なわれたのか、見えてきたのでしょうか?
つづき
やはり、山門県の土蜘蛛「田油津媛」がアヤシイと思うのお。
山門(やまと)」という地名が九州にもあり、女王がいたという事実は無視できぬことじゃ。




九州・山門=邪馬台国

田油津媛=卑弥呼の末裔


2世紀まで、九州と畿内は力関係で拮抗していたが、
3世紀中頃に、ついに、仲哀天皇・神功皇后に攻められ滅ぼされた。





かおる
ほほぉ?

つづき
神功皇后は、邪馬台国を滅ぼした勢いに乗って、新羅までもを攻めたのじゃろうな。
魏が滅び、朝鮮半島も乱れた頃のことじゃった。

後に、大和朝廷が日本書紀を編纂する際、
九州に、魏に朝貢していた王権があったと認めることを嫌いつつも、
魏志倭人伝と整合性をとるために、申し訳程度にに引用したのじゃろう。



かおる
わりあい、オーソドックスな説に落ち着きましたね?
でもやっぱり考古学者の間では、邪馬台国は畿内の大和政権だとする説が有力のようですが。
つづき
やまと」と言えば、畿内の「大和」のことと言われるが、
日本書紀に、九州の「山門」という地名が明記されておるのは偶然とは思えぬのお。

それに「田油津媛」じゃが、一般には、「たぶらつひめ」と読まれておるが、
そのまま「たゆつひめ」と読めば、
卑弥呼の跡継ぎの「台与(とよ)」に通じるではないか?
日本書紀は元はすべて漢文であり、読み方は後世の学者が適当に付けた物じゃからな。



かおる
そうですね〜。 それが本当なら、今までの邪馬台国論争は何だったのかと〜。
なぜか、あまりそこに目を向ける人はいないみたいですが……。
つづき
これも、当たり前のように「田油津媛」は、「たぶらつひめ」と読むものと、
人々が盲信していたからではないじゃろうか?

有名な「ハツクニシラス」という二人の天皇の名も、
元の日本書紀の漢文は、まったく違う文字である。

読み方は、後世の学者が、適当に考えて付けたものじゃ。



始馭天下之天皇(ハツクニシラス?−スメラミコト)←神武天皇

御肇国天皇(ハツクニシラス?−スメラミコト)←崇神天皇



どちらも、ハツクニシラスとは読めないんですが
田油津媛(たぶらつひめ)も、
読み間違いなんじゃないんですか?



邪馬台国の女王=台与(とよ?)

山門の姫=田油(とよ?)

田油津媛(とよつひめ?)



かおる
う〜む。 果たして真相はいかに??













付録・年表




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