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アマテラスの真実


March.23.2005





つづき
……はたして、邪馬台国は、畿内王権のことじゃったのか……?
卑弥呼とは、伊勢神宮のアマテラスじゃったのか……?
かおる
前回までの師匠の論理展開でいうと、どうも、そういうことになりそうですね〜?
考古学的にも、邪馬台国は畿内で決まりのようですし。
つづき
いやいや、まだ勝負はこれからじゃ!
いずれ、邪馬台国が九州にあったことを見事に証明してみせるわい!
かおる
てか、誰と勝負してるんですか?(苦笑)

つづき
とりあえず、畿内ではどのように王権が誕生していったか?
それを洗いなおしてみるのはどうじゃ?
かおる
いいですね。
邪馬台国が、どこにあったかはともかく、何か古代史の謎が解けるかも?
つづき
では、古事記と日本書記から、天皇家の家系図を検証してみようぞ。





古事記日本書記
天照大神
(あまてらすおおみかみ)
正哉吾勝勝速日天忍穂耳
(まさかあかつかつはやひあめのおしほみみ)
萬幡豊秋津師比売
(よろづはた
とよあきつしひめ)
天火明
(あまのほあかり)

天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸
(あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎ)



天津彦彦火瓊瓊杵
(あまつひこひこほのににぎ)



木花之佐久夜毘売
(このはなのさくやひめ)
火照命(海幸彦)〜隼人
(ほでり)

火須勢理命
(ほすせり)

火遠理命(山幸彦)・天津日高日子穂穂手見命
(ほをり・あまつひこひこほほでみ)
火闌降命(海幸彦)〜隼人
(ほのすそり)

彦火火出見命(山幸彦)
(ひこほほでみ)

火明命〜尾張連
(ほのあかり)
豊玉毘売
(とよたまひめ)
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
(あまつひだかひこなぎさたけ
うがやふきあへず)
彦波瀲武(盧鳥)(茲鳥)草葺不合命
(ひこなぎさたけ
うがやふきあへず)
玉依毘売
(たまよりひめ)
神倭伊波礼毘古命
(かむやまといはれひこ)
富登多多良伊須須岐比売
(ほとたたらいすすきひめ)
媛蹈鞴五十鈴媛命
(ひめたたらいすずひめ)





つづき
古事記では、ニニギの兄として、天火明命(あまのほあかり)という名が見えるな?

かおる
日本書記では、ニニギには、兄弟はいません。
ヒコホホデミの弟に火明命(ほのあかり)という名がありますが、同一なのでしょうか?
つづき
天皇家の始祖に関わる家系図は、古事記と日本書紀では、若干相違があるようじゃな。
ヒコホホデミの兄弟の名前も定まっておらぬところが、伝承の混乱を見て取れよう。


特に、天火明命=火明命の系図内の取り扱いに、苦慮しておるように見える。


かおる
火明命は、家系図の中では重要な位置にあるのに、
名前だけ残されて、素性は無視されてるようですね? 尾張連の祖とは言われてますが。
つづき
うむ。 どうやら、火明命に、畿内王権誕生の謎が隠されておるとみて間違いあるまい!

かおる
火明命は、元伊勢と呼ばれる籠神社(このじんじゃ)の祭神ですね。
ニギハヤヒと同一とも言われている謎の神です。





籠神社

祭神・彦火明命(ひこほあかり)
天照大神・豊受大神・海神(わたつみ)・天水分神(あめのみくまり)

彦火明命は、丹波国造の祖神
丹波国造・宮司家は、海部直(あまべのあたい)

海部系図では、彦火明命は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳の子。
(天照大神の孫?)

彦火明命は、饒速日命や、彦火火出見命や、
山城・賀茂別雷神、丹波道主王と同一とも言われる。
日本書紀では、尾張氏の祖神とされている。

古代では宮津の籠宮は、豊受大神を祭る神代であり、最高の社格であった。

崇神天皇の御代、大和国笠縫邑に祭られていた天照大神を祭神とし、
與謝宮として祭られる。 しばらくして天照大神は、伊勢神宮に移される。
その後、彦火明命を祭り、元伊勢と呼ばれる。
彦火火出見命が籠舟で龍宮へ行ったという伝承から、籠神社と呼ばれる。

籠神社には、海部氏伝世鏡として、
息津鏡・辺津鏡を所蔵している。
息津鏡=後漢時代(1950年前)
辺津鏡=前漢時代(2100年前)
新羅王子・天日槍(あまのひぼこ)が持ち込んだものらしい。
天日槍は、兵庫県・出石神社に祭られている。

息長足比売(おきながたらしひめ)=神功皇后は、天日槍を祖としている?








つづき
しかし、ものすごいディープな由緒じゃのう。

かおる
由緒だけは、どこにも負けないといった神社のようですね?
古代の神と、ことごとく関係を持つことを許されている、ということは、歴史の古さの証拠でしょう。
つづき
たしか、神武天皇が東征してきた地は、和歌山の方のはずじゃが、
日本海側の籠神社にこのように強烈な伝承が残されておるということは……?
かおる
神武東征を、架空の話と取れば、畿内王権の発祥は、籠神社周辺ということになるでしょうね。

つづき
いやいや、火明命=饒速日は、神武以前に、若狭湾から入植してきた一族と考えた方が面白かろう?
そして丹波国を開拓したのじゃ。
かおる
面白いかはともかく、考古学的にも、丹波と大和は繋がりが深かったようです。
垂仁天皇の御世とか、丹波との繋がりが顕著に現れてますね。

丹波から「迦具夜比売命(かぐやひめ)」という妃をもらってますし。
参考コラム

つづき
海部(あまべ)」のアマは、天皇の称号であるアマ(天)や、アマテラスにも通じよう。
ぶっちゃけ、天皇家というのは、海部(あまべ)から排出したということではなかったか?
かおる
あま(海)」と、「アマ(天)」が似てるからって、海部氏=天皇家とは言えないのでは?

つづき
そこじゃよ。


なぜ、「あま(海)」と、「アマ(天)」は、同じ発音なのか?


かおる
さ〜〜? 昔の人の言葉だから、たまたま似通っただけでしょう?

つづき
いや! さにあらず!


あま」とは、もともと「」を表す言葉であり、
アマ(天)」という語彙は、後世に造られたものではないかな?


かおる
でも、「雨=あめ・あま」と言いますから、「天=あめ・あま」でもおかしくないですよ?
」は「うみ」とも言いますし、「天=あめ・あま」が本来の言葉だったのでは?
つづき
果たして、そう言えるのじゃろうか?


古来より、「天=空(そら)」と呼ばれており、
あま」といえば「海人」を指す言葉だった。

海人」=「あま」=「」と、
混同されるような使われ方は、されなかったはずっ!



かおる
ほほぉ?

つづき
あま」は、「」ではなく、「あま(海人)・うみ(海)」と強く関係する言葉である。
あま」の語源を探ってみれば理解できよう。


海(水)の古代語は「」だった!

「あ(泡)」→「あぶく(泡)」→「あびる・あみ(浴み)」→「あめ(雨)」
ま(浜)」→「あま・うみ(海)」→「み(水)」
た」→「わた(海)」→「わたつみ(海神)」
「あうみ(淡海)」→「あふみ・おうみ(近江=琵琶湖)」


これらの言葉を生んだ古代人は、
あは(阿波・淡路・淡海)」に住んでいた海人(あま)だったはずっ!
対する、陸地のことを「かが(加賀)」と呼んでいたはずっ!






イザナギ・イザナミが最初に産んだ島は「淡路島(あはぢしま)
が、なぜか、失敗とされ、「吾恥(あはぢ)」という言葉が出来た。
阿波(徳島・香川)には、前方後円墳のルーツがあるという説がある。

「くが」=「くにが・くぬが」=「国処」=「陸」のこと。←→「海処(うみが)」
日子坐王に討たれた丹波の「玖賀耳(クガミミ)」は、
「陸耳御笠(クガミミノミカサ)」とも。








かおる
では、なぜ、「アマ」が、「」を意味する言葉として生まれたのでしょうか?

つづき
恐らく、答えはひとつ。


漢字の伝来が、日本人に「」という概念を与えた。


日本人にとって、「」は、あくまで「そら」であり、神聖な意味は持っていなかった。
そこに、漢字伝来により、「」とは別に、神聖な意味を持つ「」という概念がもたらされた。

日本語の「あま」に、漢字の「」を当てはめたのではなく、
漢字の「」という文字を「アマ」と読ませたことで、
アマ=天」という語彙が生まれたのではなかったか?
そこには、何者かの作為があったはず。



かおる
ということは、「アマテラス(天照大神)」も、後世の創作ということになるのでしょうか?

つづき
その通り。 ほかに「アマ」の付く神も、もともと「アマ」という美称が付いていなかったか、
後世に、創作された神であろうて。 なにより、海部氏系図には、アマテラスは記載されておらぬ。




9世紀の日本最古の系図「海部氏系図(国宝)」には、
皇祖神・天照大神は記載されていない?


籠明神祝部海部氏系図




正哉吾勝勝速日天忍穂耳

始祖・彦火明命
父は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳で、第三子
母は、高皇産霊神の娘、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ)
先代旧事本紀では、
豊秋津師姫栲幡千千姫命(とよあきつしひめたくはたちぢひめ)

彦火明命の別名は、天照国照天彦火明命・天明火明命・天照御魂命
天照国照天彦火明櫛玉饒速日命
胆杵磯丹杵穂命(いきしにきほ)←「ニキ」系の「にきしにきほ」か?

天香語山命
父は火明命、母は大己貴神の娘、天道日女命
天道日女命の別名は、屋乎止女命(やをとめ)・高光日女命
天香語山命は、武位起命(たけいたて)・高倉下命(たかくらじ)と同神か?
高倉下命は、神武に剣を差し上げた。

天村雲命
父は天香語山命、母は穂屋姫命

倭宿禰命
父は天村雲命、母は伊加里姫(いかりひめ)←「ひかりひめ・あかりひめ」か?

健振熊宿禰

海部直都比




「海部氏本系図」は、彦火明命の祖を
正哉吾勝勝速日天忍穂耳としている。
871〜877年頃に書かれた古い系図。
天照大神の名前はみられない。
親戚であるはずの、神武も絡んでこない。
系図的には、彦火明命が、ニニギと同一であり、
ヒコホホデミであるかのようにも見える。

「海部氏勘注系図」には、
天御中主尊・伊弉諾尊・天照皇大神の名が記されているが、
後付けの架空の神であろう。
江戸時代初期に写された新しいもの。






「海部氏本系図」には、天照大神は存在しない。
海部氏の始祖・彦火明命は、
正哉吾勝勝速日天忍穂耳と、高皇産霊神の娘の子である。
「正哉吾勝勝速日天忍穂耳」こそが、
古代海部氏の皇祖神・太陽神ではなかったか?



勝勝速日(かかはやひ?)は、
はは」と「かか」の戦いで勝利した、
ハヤヒ一族の神に違いない!
参考コラム

勝勝速日が、畿内の海人一族を束ね、海部氏を名乗った。
アマテラスが登場する以前の時代である。





かおる
をを〜〜。 「勝勝速日」が、古代丹波の太陽神だったというわけですか〜?
すると、「オオヒツメムチ(大日靈貴)」とかは、太陽神では無かったのでしょうか?
つづき
ヒ(日)」の付く神様は、おおかれすくなかれ、
太陽信仰系の部族が祭っていた神ではなかったじゃろうか?

古代では、部族ごとに、自分達の太陽神を祭っていたはずじゃ。
オオヒツメムチ(大日靈貴)」も、そのひとつじゃったろう。

他にも、「照・明」という名を持つ、
火照命(ほでり)・火明命(ほのあかり)」も、あるいは、太陽信仰系じゃったのかも知れぬ。
武日照命(たけひなてる)」という神は、「日照」という、
名前からして古代の太陽神であったことを伺わせるではないか?


かおる
そう言われてみれば、そうかも知れませんが……武日照命は、たしか、出雲の神でしたっけ?

つづき
さよう。 武日照命を祀っていた出雲振根(いづもふるね)は、
崇神天皇の御世に、吉備津彦(きびつひこ)・武淳河別(たけぬなかわけ)に討たれて殺されるのじゃ。
かおる
出雲の太陽神、つまり、土着の王族の皇祖神を抹殺して、
新しく、天皇家の太陽神・皇祖神=アマテラスを祀ったということでしょうか?
つづき
そのように考えて間違いあるまい。
元伊勢となった籠神社で、火明命が沈黙しておるのも、権力が海部氏から天皇家に移ったからじゃろう。


古代では、群雄割拠していた部族達が、それぞれの太陽神を祭っていた。
部族同士が統合されるにしたがい、負けた側の太陽神は消され、
勝者の太陽神が崇められることとなった。

アマテラスの一柱だけが、
古代の太陽神だと考えるのは大間違いである。

国々が連合し、神々が統合される中で、
最終的に皇祖神として生き残ったにすぎない。




かおる
でも、「」の字を「あま」と読み、
アマテラスという最上の神が造られるほど、「あま」が美称だったとすると、


なぜ、海部(あま)氏が、
天皇になれなかったのでしょうか?



つづき
いやいや、海部氏は、古代の王権に大きく関わっていたと考えられよう。




丹波国造・海部氏は、丹波で「あま(海)」を名乗る大王だったはず。

丹波は、天日槍などの渡来人の知恵や技術の恩恵を受けて、
土地を開拓し、田庭=たには=丹波王国として大いに栄えていた。
海部氏は、丹波の地に豊穣をもたらす、豊受大神を祭っていた。
稲作が伝わった、弥生時代のことであろう。


一方、神武を祖とする部族が畿内に進入し、
大和を制覇し王権を樹立した。

大和の大王は、丹波と連合しながら、海部氏との繋がりを深め、大和を発展させてった。
すると、大和の大王は、ある事実に気がついた。

丹波の海部氏の方が、大和の大王家(神武)よりも、
系譜が古く、権威が高かった。

それを面白く思わなかった大和の大王は、
丹波の海部氏の系譜の乗っ取りを画策したであろう。

丹波の王族の始祖・火明命=ニギハヤヒと、大和の王族の始祖・神武を、同じ天孫族とした。
ニギハヤヒが神武に統治権を譲ったとする神話を捏造し、
大和の王族の優位性を内外に知らしめようとしたのである。
ニギハヤヒと神武を、同じ天孫族として位置付けるために、天にまします共通の皇祖神が必要となった。


大和の王族の皇祖神として、アマテラスを祭り上げた。


当時、外国から輸入した「」という漢字の概念に、
海部氏の神聖な言葉「あま(海)」の言葉をかぶせ、「天(アマ)」という日本語を作った。
支配を意味する「足らす」をつけて、「天足らす(あまたらす)」という言葉を造語した。


かおる
え〜? 「天足らす(あまたらす)」って、何ですか〜?

つづき
天足らす(あまたらす)」は、ちゃんと古語辞典にも載っておる言葉じゃ。
アマテラス(天照)」の語源と見て、間違いあるまい。


そもそも、アマテラスとは、
「天(あま)」を「照(てらす)」という意味なのか?

アマテラス(天照大神)天足らす(あまたらす)

天足らす(あまたらす)=豊かに満ち足りていること=満ち足りる

あまたらす=あま(海)足らす=みつ(水)足りる=満ち足りる

海足らす(あまたらす)=海の幸に恵まれる=満ち足りる

天足らす(あまたらす)海足らす(あまたらす)


あまたらす」は、海洋部族系の言葉ではなかったか?


太陽神であれば、「日照」でなければならないはず。
例:武日照命(たけひなてる)



かおる
え〜〜?? アマテラスは、「海の恵みの神」という意味だったんですか?

つづき
もともと、海部氏など海洋部族の海神が、海足(あまたらし)だったのかも知れぬ。


海足(あまたらし)よりも、格上の神として、「」の字を当て、
天照(アマテラス)に、意味をすり替えて創作したのは大和の王族だったに違いない。

御肇国天皇(ハツクニシラススメラミコト)と知られる、崇神天皇であったろう。


かおる
でも、どうして、「アマテラス(天照大神)」が、崇神天皇の創作だと特定出来るのでしょう?

つづき
歴代天皇の名前をよく思い出してみるがよい。
ある時期に、統治者としての称号として「足らす」が使われ始めておるじゃろう?




たらし=テラス」という言葉は、
崇神天皇の後に流行った言葉。

神武天皇(かむやまといわれひこ)
綏靖天皇(かむぬなかわみみ)
安寧天皇(しきつひこたまてみ)
懿徳天皇(おおやまとひこすきとも)
孝昭天皇(みまつひこかえしね)
孝安天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
孝霊天皇(おおやまとねこひこふとに)
孝元天皇(おおやまとねこひこくにくる)
開化天皇(わかやまとねこひこおおひひ)
崇神天皇(みまきいりひこいにえ))←天照大神を祭る・大物主を祭る・箸墓古墳造営の記述(3世紀?)
仁天皇(いくめいりひこいさち)
景行天皇(おおたらしひこおしろわけ)
成務天皇(わかたらしひこ)
仲哀天皇(たらしなかつひこ)
神功皇后(おきながたらしひめ)
応神天皇(ほむた)
仁徳天皇(おおさざき)


↑「たらし」という言葉が、垂仁天皇の御世から流行したことがわかる。
この時代に、アマテラスが、誕生したことを示唆している。



かおる
う〜む。 たしかに、「たらし<(足・垂)」は、当時の統治者の流行語だったようですが、
てらす(照)」は、また違う意味の様な気もしますが?
つづき
たらし(足らし)・たり(垂)」という名前は多いが、
てらす(照)」という神は、天照大神・火照命くらいではないか?

火照命(ホデリ)は、穂垂命(ホタリ)という意味だったとも思える。
天照(アマテラス)という言葉が、非常に特異で新しい時代の造語であることが伺えるじゃろう。
恐らく、鏡が輸入され、「光を照らす」という行為が生まれてからの言葉じゃ。


たる(垂る)」は、垂れ下がる様子を表す言葉。
てる(照る)」は、光が垂れ下がる→輝く様子を表す言葉。

動詞の「る(自然の状態)・す(人為的所為)」を重ねる

たれる(垂れる)」は、「ほ(穂)」が垂れる様子から生まれた、豊穣を意味するめでたい言葉。
たらし(足らし)」は、恵みをもたらすという、統治者にふさわしい美称。
てらす(照らす)」は、光を照らす、めでたい道具=鏡が伝来したことで生まれた言葉。




かおる
というか、いつもの語呂合わせでは、説得力に欠けるような……。

つづき
何を言うか。 崇神天皇の御世に、天照大神を祭ったことは、
日本書記にきちんと書かれておることじゃ。



アマテラスを祭ったのは、
崇神天皇の皇女豊鍬入姫命である。



崇神紀


 六年、百姓の流離するもの、或いは反逆するものあり、 その勢いは徳を以て治めようとしても難しかった。  それで朝夕天神地祇にお祈りをした。

 これより先、天照大神・倭大国魂の二神を、天皇の御殿の内にお祀りした。

 ところがその神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった。  そこで、天照大神を豊鋤入姫命(とよすきいりびめ)に託し、 大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀った。  よって堅固な石の神籬(ひもろぎ)を造った。  また日本大国魂神は、渟名城入姫命に預けて祀られた。  ところが渟名城入姫命は、髪が落ち体が痩せてお祀りすることができなかった。


(翌年、国の災いは大物主の祟りであると、
倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)が、神憑りして言われた。)




崇神天皇は、民の流離や、反逆を治めるために、
アマテラスを祭ったのである。






かおる
なるほど、崇神天皇は、天照大神・倭大国魂を祭ることで、
民を従わせようと目論んだわけですか。
つづき
天照大神と共に祭られた倭大国魂も、いわくありげじゃが、
名前からして、大国主命のことじゃったのではなかろうか?
かおる
土着の「国つ神」を祭ることで、マツリゴトを円滑に進めようとしたんですね?


それにしても、神の相手をした巫女は、皆、酷い目にあってますね?
大物主に嫁いだ倭迹迹日百襲姫は、ホトを突いて死んでしまうし、
倭大国魂を預かった渟名城入姫は、痩せて髪が抜けるなんて、放射線障害者みたいな有様ですし。
天照大神を祭った豊鋤入姫は、「倭姫命世紀」によると、大和の笠縫邑から、
吉佐宮に天照大神を遷座してますね。
丹波の海部氏の本拠地に出向させられたとも言えますが。


大和の笠縫邑で祭られた天照大神は、
丹波の吉佐宮に遷座した。



つづき
天照大神を、海部氏よりも、格上の神と認識させようとしたのじゃろうて。


ニギハヤヒの名に「天照」をかぶせて、「天照国照天彦火明櫛玉饒速日命」としたのは、
この時期に、ニギハヤヒの系譜が、天照大神に乗っ取られたことを意味しておるのではないか?


その後さらに、天照大神は、アマテラスの名を近隣の国々の王に知らしめるがごとく、
豊鍬入姫命を御杖代(みつえしろ)とし、諸国を行脚しておる。
豊鍬入姫命が、老齢になると、倭姫命が後を継いだという。
天照大神は、最終的に伊勢に落ち着いたが、
火明命・海部氏を同祖とする尾張氏に睨みを効かせたのじゃろう。
名目上では、天照大神の安息地を探す巡幸とされておるがのお。


天照大神巡幸図

阿波・海部氏・尾張氏などの、
海人一族の拠点を巡っているようにみえる。





大和はアマテラスを諸国で祭らせることで、
西日本統一を進めていった。

クニを「足らす」ために、光を「照らす鏡」が、重要アイテムとなり、
アマテラスを祭る祭器として、諸国に配布したことじゃろう。
そのため、アマテラスの御杖代(みつえしろ)である、豊鍬入姫命・倭姫命は、
布教用のための大量の鏡が必要となったはずじゃ。


そうして、「たらしひこ」王朝が栄え、西日本を支配した。

アマテラスと、スサノヲの誓約の神話は、この時代の投影か?

参考コラム




しかし、ひこ王朝は、応神天皇の登場で終わり、
仁徳天皇へと続く河内王朝が生まれる。
仁徳天皇の血筋が絶えると、越前の継体一族が、大和に乗り込む。

越前の継体天皇は、応神天皇の子孫であるらしい。
応神天皇が敦賀を訪れたときに、
そこに祀られていた気比大神と、名前を交換した(?)という伝承と関係があるのかも知れない。
ちなみに、応神天皇が祭られている宇佐神宮を創建したのは、欽明天皇の御世らしい。
敦賀は、「ツノガアラシト=天日槍?」が訪れ、開拓した土地でもある。

継体天皇の出身は、越前とは言うが、若狭湾をはさんで、籠神社の海部氏とは隣同士である。
継体天皇の皇子、欽明天皇が、「アマ」を名乗り始めた事をみると、
海部」の王統の復権を思わせる。
丹波=たには=田庭の「には(庭)」という字を併せ持っていることから、
丹波の海部氏の血縁であったことを伺わせる。

欽明天皇(あめくにおしひらきひろにはのすめらみこと)

参考コラム





今回のまとめ

古代、海人一族が阿波・近江・尾張を闊歩していた。

勝勝速日が、海人一族を支配した。

弥生時代、稲作が伝わり、田庭(丹波)を中心に海部氏が栄えた。

その後、ニキ族と融合し、ニギハヤヒ王朝が生まれる。
ニキ族のクニは、「なかつくに」と呼ばれ、
畿内は「うちつくに」と呼ばれる。 「国」の始まり。
ニギハヤヒ王朝は、神武一族に滅ぼされる。
参考コラム

大和に、神武一族が王権を築く。
神武系ヒコ王朝の始まり。

大和は、アマテラス信仰の布教によって、海人一族を統治していった。

海部氏の力は衰えたが、敦賀と関係を持った応神が力を付けた。

河内王朝が生まれる。
神武系ヒコ王朝の終焉?

河内王朝が衰えると、越前から継体が大和に乗り込む。

継体の皇子、欽明が「あめ」を名乗る。

大陸の「皇帝」に対する、「日本(ヒノモト)」の「天皇」の誕生。
聖徳太子?は、隋に対して「日出ずる処の天子」を宣言。
隋書には「阿毎多利思比孤(アマタリシヒコ)」という王の名が?

速日・海部氏の復権か?


日本の歴史は、
海部王朝が、侵略者の神武に滅ぼされ、
後に、応神が政権を奪還し、
海部氏の復興を物語る歴史だった!?

「壬申の乱」で、大海人皇子(おおあまのおうじ)が、尾張氏の加勢により勝利し、天武天皇となる。
天武天皇が「現つ神(あきつかみ)」を名乗る。
「竹取物語」が書かれる。参考コラム

漢字の「」を、「アマ」と訓付けしたのは、
継体天皇や、大海人皇子を擁立した、
海部氏(あま)系一族だったのか?



かおる
う〜〜ん。

つづき
いかがかな? 今回のわしの推論は? おもわず応神天皇周辺まで話が及んだが、
まずは、アマテラスの誕生が、畿内王権発祥のキモといった所であろう。


古代、民の流離や、反逆によって、乱れた国を治めるために、
豊鍬入姫命・倭姫命が、で光を照らしながら、
アマテラスを祭り、戸惑う民をものともせず、
国々を連合させていった様が、目に浮かぶようではないかね?


かおる
う〜〜ん。

つづき
なんじゃね? かおる君。 また何か言いたいことでもあるのかね?

かおる
というか、そういう仮説を立てると、まるで豊鍬入姫命・倭姫命=卑弥呼・台与みたいで、
ますます邪馬台国が九州から離れていきますよ?
つづき
あれ?















付録・年表




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