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王統の系譜


February.26.2005





つづき
前回、わしらは、「かこ」という言葉が、古代の高貴な言葉じゃったことを突き止めたわけじゃが。

かおる
まさか、「かぐや姫」が絡んでくるとは思いませんでした。

つづき
いや、わしもびっくりしておる。 「かぐや姫」は最初から準備したネタではなく、
わしが想定した言霊「かこ」を調べているうちに、思いがけず導かれたものじゃ。



かぐ」・「かご」は、古代に崇められた言葉だった

香具山(かぐやま)・鹿児島(かごしま)
迦具夜比売命(かぐやひめ)・神社(この神社・元伊勢)
アマノカグヤマノミコト(天香山命)は、アメノホアカリノミコト(天火明命)の御子で、天火明命は、籠神社の御祭神
籠神社では、火明命の別名は、ヒコホホデミ(彦火火出見命)と伝えられる
ヒコホホデミは、アマツヒコホノニニギ(天津彦彦火瓊瓊杵尊)の子で、神武の実名も同じヒコホホデミ

ニニギの子、は次の通り(伝承により、一部混乱が見られる)
ホノスソリ・ホスセリ(火蘭降命・火酢芹命・海幸彦)→隼人の祖
ヒコホホデミ(彦火火出見命・山幸彦)→神武天皇
ホアカリ(火明命)→尾張氏の祖・太陽神



かぐや姫・神社(このやしろ)」は、共に垂仁天皇の代に退けらた

垂仁天皇は、国を建てた崇神天皇「ハツクニシラススメラミコト(御肇国天皇)」の次の代。
垂仁天皇の後宮に召された「竹野媛」が、不器用で里に返され自殺する=「たけ・かぐ」の地位が下がった。
伊勢神宮を祀る=「籠神社」が元伊勢になる=「かご」の権威を落とした。
今、「この」と呼ぶ言葉は、相手への蔑称になっている。
参考コラム



かぐ」・「かご」が、尊い言葉だったという記憶は忘れられた

かろうじで「籠・篭る・加護・輝く・赫々」等の言葉だけが残った。
香具山」は、後に、「富士山」と、呼び名を変えられた。
つまり、近畿・東海を中心に「かぐ」を尊称として讃えていた人々が住んでいたということ。



き・く・こ」は、「」の意味。 つつき(筒木)」は「」の意味。

「迦具夜比売命・竹野媛」の父は、「大筒木垂根王」。
籠(こ)」は、「竹(たけ)」で作られたもの。
コ(子・彦)」は、「タケ(高・武)」に通じる言葉。



かぐかごかがかげ」は、同様の意味だった

かが(加賀)」・「かげ(影)」・「かご(影の東国方言)」・「かごしま(鹿児島)」という言葉が残っている。
もともと、有力な国があった地を「か(処)」と、呼んでいた。





かおる
なるほど、それでは、「はば」という地名はあったのでしょうか?

つづき
はば」じゃとな?

かおる
ええ、師匠は今までのコラムでさんざん「は・か」は対応した言葉だと唱えていましたよね?
ですから、「加賀(かが)」という地名があるなら「はば」という地名があるはずですよ?

まあ、「はば」という地名も、調べればあるでしょうが、
あまり有名で聞き覚えのあるものは無いかなあと。


つづき
うむ。 地名が残っておらぬのは無理も無い。 「はば」は、別の言葉に転じたのじゃよ。

かおる
へぇ? なんですか? それは?

つづき
浜(はま)」じゃよ。



はは

「はは」=母
かか

「かか」=母
古代の尊称
単語を並べたもの
あめのははや
天羽羽矢


「はは」は、「かが」と対になる語句
あめのかごゆみ
天鹿児弓


「かご」は「かが」の転と思われる
葦原中つ国平定のために出動した、
アメノワカヒコ(天雅彦)の武器
高皇産霊尊から授かる

「天羽羽矢」は、一書には「天鹿児矢」とも
はば→はま

「はば」は、「はま」に転じる
「うぶ」→「うむ(産む)」
「かぶる」→「かむる(被る)」等
かか→かが

「きき」→「きぎ(木々)」
言葉の変化
同じ音が続くと、濁音になる

「ばびぶべぼ」は、
「まみむめも」に転じる
はま

破魔矢・濱井場(はまいば)
浜・はま(弓矢の的)
囲碁で、相手の陣地
かが・かぐ・かご

加賀・香具山・鹿児島
籠 (古代は、籠で舟が作られた)
輝く・赫々たる・掲げる
変化した言葉
「破魔矢」は「羽羽矢」の転じたもの
「破魔弓」は「はまや+ゆみ」のこと
「浜弓」という


アマノトリフネで中つ国に向かった天津神達は、
ハマ(浜)」に向かって矢を放った
これは、古代の戦争が海岸を舞台にした事を如実に表している。

弥生時代の終わり、瀬戸内海沿岸には、防衛的高地性集落が多く作られた。


古代、「はは」対「かか」の戦いがあり、
かか」が勝利したことを意味する。
はま」が、「」の意味で固定されているからだ。
ハマる」とは、失敗、「負け(け)」を意味する言葉となった。
一方、「」は、そのまま「勝つ(つ)」という意味になった。
」=山彦?
」=海彦?





かおる
なんと、「浜(はま)」は、そんな深い意味があった言葉だったんですか〜〜〜??

つづき
いかがかな? 言霊の持つ、いくつかの法則に気がつけば、
語源を次々に知ることが出来るのじゃよ。
かおる
それでは、前回の話に戻りますが、「あまつひこほのににぎのみこと」は、
古代からの王の尊称を並べたものと言う説でしたけど、「」に関係した王朝は存在したのでしょうか?


古代社会と王の名前のまとめ
むら
村・元・本(もと)
本つ国
さと
里・外(そと)・沢(さは)
外つ国
なか
中・仲→和
中つ国
ふち
淵(ふち)→内(うち)
内つ国
うましくに
美し国(うましくに)
秋津州(あきつしま)
国家形態
むち
睦(むち)・尊(みこと)
婿むこ・御子(みこ)
すく
少(すく) ・庄?・下
皇(すめら)・統べる
にぎ
饒(にぎ)
ひこ
彦(ひこ)
あまつかみ
天(あま)・上(かみ)
現つ神(あきつかみ)
王の尊称
おおなむち(大己貴)
かみむすひ
(神皇産霊尊)
たかみむすび
(高皇産霊尊)
(神代)
しこを(葦原醜男)
すくな(少彦名)(神代)
すくね(宿禰)(上代)
ににぎ(瓊瓊杵)
(神代)
にき(爾支)
なかて(佳革是)
(魏志倭人伝)
ひく(卑狗)
(魏志倭人伝)
くにつかみ(国つ神)
あまつかみ(天つ神)
おおきみ(大王)
(上代)
実例

天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまひこほのににぎみこと)」は、
古代からの王の尊称を並べたものだった!
(「すく」は、「しもべ」として統べられる意味に格下げになったので、除外されている)


上の表から、「中つ国」と、「内つ国(畿内)」の間に、
ほ(火)」を尊称とする王朝が存在したことが伺える。
はたして、「(火の国)」は、存在したのだろうか?



つづき
かおる君も、「(火の国)」に目を付けるとは、カンが鋭くなってきたのお。

かおる
やっぱり、九州のクニのことなんでしょうか? 「肥(ひ)」というクニもありますし……。
でも、人名や地名の「」からだけで、火の国を想定するのは、やっぱり無理があるかな?
つづき
いや、そんなことは無い。 非常に的を射ておるぞ!
実は、人名や地名以外に、「」には、九州方面を意味する重要な言葉があるのじゃ。 
かおる
え? そんな言葉ありましたっけ? 誰が見ても九州に関係すると解る言葉なんですね?

つづき
そうじゃとも。 その言葉とは…………………………。













「銅矛(ほこ)」じゃ!











かおる
うわ〜〜っ!! 確かに! 銅矛文化圏九州でしたね!
畿内は、銅鐸文化圏で、どちらも弥生時代に姿を消し、大和政権が誕生したんですよね?
つづき
当時の銅矛は、磨き上げられ、炎のように、光り輝いておったじゃろう。
そして、「ほこ(矛)」は、「ひこ(彦)」にも通じる言葉じゃ。

古代では男子の持つ武器として「ほこ・ひこ」は同じ意味の言葉だったのではなかろうか?

ほ(炎・穂)=ほこ(炎子)=矛
ひ(火・日)=ひこ(火子)=彦


「あまつのににぎのみこと」という語順から、
(炎・穂)」という尊称が先にあり、「ほこ(矛)」という言葉が生まれ、
ほこ(矛)」を手にした戦士を「ひこ(彦)」と呼んだに違いない!

弥生時代、銅矛文化圏を築いたクニこそ、「火の国」なのじゃ。


かおる
そうすると、「ひこ(彦)」という言葉も、
もともと九州系統の言葉だったということでしょうか?
つづき
そうなるであろう。 言葉は畿内まで広まっておったやも知れぬし、また別の言葉があったかも知れぬ。
あったとしても、畿内の言葉は「銅鐸」と共に失われてしまったのじゃ。
かおる
そうすると、弥生時代の終わりに、銅鐸が消える頃に、
九州の「火の国」が畿内を制圧したと?
つづき
今、我々は、銅鐸の記憶を失い、呼び名も知らぬ。 が、「ほこ(矛)」という言葉は知っておる。
記紀にも、日本列島は、「ほこ(矛)」の滴から生まれたとされておる。


すなわち、「ほこ(矛)」を携えた者達が、
畿内を制し、銅鐸を廃棄させたということ


時代基本アイテム国家形態(九州・畿内)
縄文時代 竪穴住居 ムラ・サト オオナムチ・ハヤヒ
天孫降臨時代
縄文社会は、「大な睦」=「オオナムチ」が支配していた

やがて、弥生人が南方より九州に流入
稲作が伝わり、ムラが賑わう
中つ国(環濠集落)発生

「ニニギ」が稲作弥生文化の王となる

九州から稲作文化を伝授された畿内の王「ハヤヒ」は、
「ニギ」の称号を賜り、「ニギハヤヒ」となる

弥生時代前期 環濠集落 中つ国・外つ国 ニニギ・オオナムチ・ニギハヤヒ
国譲り時代
九州・畿内にそれぞれ、銅矛・銅鐸文化生まれる

銅矛文化圏の王は「」の称号を賜る
筑紫の日向に、火の国を興す
王は「ホホデミ」

「ニニギ」は、「ノニニギ」と改名

「ホコ(矛)」を持つ戦士を「ヒコ」と呼ぶ
「スクナ」は、「スクナヒコ」と呼ばれる=少彦名
ホホデミ」一族の戦士は、後に「ヒコホホデミ」と呼ばれる

「スクナヒコ」は、海を渡り、
出雲の八千矛の神「オオナムチ」に仕える
後に、九州の「ニニギ」の一族が、
「オオナムチ」から国を奪う


弥生時代後期 銅矛・銅鐸 火の国・内つ国 ホホデミ・ニギハヤヒ
神武東征時代
九州の「ホホデミ」の一族が畿内へ流入
「ニギハヤヒ」と結託する

初代王は、「統べる・御子」の意味の、
「スメラミコト」の称号を使う=神武天皇=「ヒコホホデミ」

銅矛・銅鐸文化を終わらせ、
纒向に都を作り中央集権化へ向かう

「ヒコ」の称号の王が即位する

初代纒向王は、「ミマキイリヒコ」=崇神天皇
始祖の「スメラミコト」を「ヒコスメラミコト」と改名=神武天皇
ほか、主要な王の名にヒコの称号を付ける

九州では邪馬台国、畿内では大和朝廷が興る
大和は、四道将軍を率いて勢力を拡大する
九州・畿内の貿易摩擦の争いから高地性集落が生まれる

「ヒミコ」の本来の名は、の国の末裔「ヒミ」だったかもしれない?

魏志倭人伝時代 邪馬台国・美し国 ヒミコ・ミマキイリヒコ
熊襲・蝦夷征伐
畿内で力を蓄えた大和朝廷が、九州を攻め滅ぼす
西日本が統一される

」=畿内・山彦側=「勝つ」=「ヒコホホデミ」→神武
」=九州・海彦側=「果つ・負け」=「スセリ」→隼人


「アマ」を天皇の称号として名前に付け加える

「アメクニオシハラキヒロニワスメラミコト」=欽明天皇

古墳時代 前方後円墳 大和 アマ
大化の改新
過去の時代の豪族との軋轢関係を解消
中央集権国家を強固なものにする
天皇家一極支配を断行

天皇を、現つ神(あきつかみ)として、神格化する

神武天皇を讃えて
「カミ」の称号を名前に付け加える
「カムヤマトイワレヒコノスメラミコト」と改名

律令時代 飛鳥京・藤原京・平城京
恭仁京・長岡京・平安京
日本 カミ


神や、天皇の名前を分解すれば、
治世の時代背景を推し量ることができる。





神武天皇=「ヒコホホデミ」は、
火の国の戦士だった!
(名前は嘘をつけない)



神武天皇=「ヒコホホデミ」は、「火の国」の末裔であることを捨てて、
畿内の王「ヒコスメラミコト」を名乗ったのだった。








かおる
うわ〜。 「火の国」の存在と、年代と、同時代の神まで特定できちゃうわけですか〜?

つづき
名前というのは、尊称を重ねて長くなるもの。 それを逆に辿ればよいだけじゃ。

かおる
じゃあ、他の神の名前の意味や、天皇の名前の意味なんかもわかっちゃうんですか?

つづき
まったく、その通り。

かおる
ずっと前から、気になってる名前があったんですけど、
意味がよくわかんなくて謎な人がいるんです。 師匠にわかるかな〜?
つづき
臆せずともよい。 わしに解けぬ言霊はないぞよ。

かおる
さすが、師匠! 自信満々ですね〜〜。
じゃ、「ヤマトトトヒモモソヒメ(倭迹迹日百襲姫)」の意味を教えてください! さっ!
つづき
……う! そっ、それはっ!!

かおる
どうしました?

つづき
…………ぴゅ〜〜〜。

かおる
あ、逃げたな!!









付録・年表




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