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超古代の甕信仰


November.8.2004





つづき
というわけで、前回では、ミカソという縄文系部族の謎に迫ったわけじゃが。

かおる
丹波の「甕襲(みかそ)」という人が、三種の神器の一つ、
八尺瓊の勾玉を、垂仁天皇に献上したとか、
オオクニヌシの別名が櫛甕魂(クシミカタマ)だったり、
ニギハヤヒの別名が同じ櫛甕玉(クシミカタマ)だったり、
関係がありそうな感じはしますが、彼らが縄文系部族だとひとくくりに決め付けていいんでしょうかね〜?

それに、「帝(みかど)」や、「神(かみ)」にも通じるから、
みか」が、古代において神聖な言葉なんて言われても、
やっぱりダジャレのような気がしますよ?

ここからの流れを読むと、
みかづき(三日月)」の「みか」も、「甕襲(みかそ)」と同じ意味の「みか」ってことですよね?
なんだか、突拍子も無い説だと思われても仕方ないでしょう。

つづき
三日・甕」は、どちらも「みか」に対する漢字の当て字なのじゃ。


京都府・加茂町瓶原は、「みかのはら」と呼ばれ、
その昔は「甕の原・三香の原・三日の原」と、
漢字が当てられておったのじゃ。


みか」という音に、
三日・甕」という漢字を当てるのは、
不思議ではない。



万葉集・1051番

三日原 布當乃野邊 清見社
大宮處 (一云 此跡標刺) 定異等霜


三香の原 布当の野辺を 清みこそ
大宮所 (ここと標刺し) 定めけらしも



備考:「三日原」=「三香の原」=「甕の原」
=「みかのはら」(京都府・加茂町瓶原)



三日・三香・甕」は、同じ「みか」の音を表す。


みかのはら(甕の原)」は、
聖武天皇が遷都して恭仁京(くにのみやこ)おいた場所である。
遷都の理由は定かではない。
みかのはら」は、「クニ」の象徴だったのか?




かおる
な、なるほど……そういう風に言われると、
やっぱり「みか」という語句が古代にあったのかもという気になりますね?

い、いやしかし、だからといって「みか」が、実際、どういう意味だったのかどうか……。

勾玉が日本独自の縄文系グッズというのは事実ですから、
それを献上した甕襲(みかそ)が、縄文系の流れをくむ本州土着勢力と考えても悪くはないと思いますが、
名前が「みか」だからといって、「神(かみ)」に結びつけるのは、言葉遊びにすぎないでしょう?

みか」が、「神(かみ)」に通じるような、
もっと具体的な例でもあればいいんですが。

つづき
それならば、関係は大有りじゃと言っておろうが。
みか(甕)」と言えば、「かめ(瓶)」のこと。

かめ(瓶)」は、それ自体、「神(かみ)」に通じる音の言葉ではないかな?

縄文時代、当時は土器で作られた瓶は、水や食料を蓄えるための、無くてはならぬ道具じゃった。
大きくて丈夫な瓶は、作ることも難しい半面、たくさんの食料を備蓄でき、権力者でしか持てぬものじゃ。
たくさん瓶を所有しているということは、すなわち富を表していたじゃろう。
そのような瓶が神聖視され崇められぬはずはない。

縄文の古代人は、「瓶(かめ)」を信仰してと考えて間違いない。
そこから、「神(かみ)」という言葉が生まれたのじゃ。

かおる
じゃあ、古代人は、「瓶(かめ)」を「神(かみ)」と崇めていたってことですか?
そのへんがなんだか、ダジャレくさいというか、ネタくさいなあ〜。
つづき
いやいや、昔の人は、実際に瓶を祀っていたのじゃよ。



神社


三瓶神社
(茨城県笠間市飯田)


神社の奥に三つの瓶が埋められ祀られているという。
蛇と甕(かめ)の民話が伝わる地方である。

御祭神は、
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)、
奥津島比売命(タキリヒメノミコト)、
多岐津比売命(タキツヒメノミコト)。

宗像(ムナカタ)三女神。
天照大神(アマテラス)と素盞鳴尊(スサノヲ)の誓約(ウケヒ)により生まれる。
福岡県・宗像神社、広島県・厳島神社、宮城県・石神神社などに祀られる。




笠間市には、伏見稲荷(京都)・祐徳稲荷(佐賀)に並ぶ三大稲荷のひとつ、「笠間稲荷神社」がある。
創建は孝徳天皇の治世(651年)で、大和朝廷の東征の足跡であり、古代では蝦夷の領域であった。
(三大稲荷は、愛知の豊川稲荷も候補とされる)

東方の30kmほどの日立市には、天津甕星を祀った「大甕倭文神社」がある。






かおる
茨城県の神社というと、由緒はそれほど古くはなさそうですが?
宗像三女神も、起源は福岡のほうですし。
つづき
その福岡では、弥生時代に甕(カメ)棺を埋葬しておった。
縄文の古代から、日本各地に、瓶を埋めて祀る風習があったのではないじゃろうか?


播磨国風土記が伝えるところには、
外敵が入ってこぬように、結界とするべく、
丹波と播磨の国境に大きな「甕」を埋め、甕坂と呼ばれたという。

奈良県吉野郡川上村にある縄文時代の宮の平遺跡では、
環状列石がみつかり、列石の外側には立石があり、
内側には「甕」が埋められていたという。

弥生時代の北九州では、死者を「甕棺」に入れて埋葬していた。

大切な宝をカメに入れて埋めるのも、普通の習慣じゃ。





かおる
なるほど〜。 昔の人が、何か神がかり的な意識で「」を見ていたということはあったのかも?

つづき
瓶といっても、最初はただの道具でしかない。
瓶そのものは、何も人に恵みをもたらさぬ。

瓶に貯蔵していたものが、神がかり的なものであったために、
瓶が神聖視されるようになったのじゃろうな。


かおる
瓶に貯蔵されていた、神がかり的なものとは?

つづき
答えは簡単じゃな。


酒じゃよ。


かめ(瓶)とかみ(神)の関係表

めか
めかす=美しく飾ること
かめ(瓶)
貯蔵するもの
みか(甕)
神に捧げる瓶
かみ(神)
かむ(醸む)=酒をつくる
みき(神酒)
神に捧げる酒
きみ(君)
天皇のこと
みく(御厨)
神に捧げる神饌を作ること
くみ(酌む)
酒を器に酌む
みけ(御食)
神に捧げる神饌
けみ(検見)
味見して調べること
みこ(巫女)
神に捧げる娘
こみ(込む)
酒を仕込む
みかど(帝)
神として崇めるもの
かまど(竈)
食事を煮炊きする所
かど(門)
神域への入り口
まど(窓)
通風口


かめ・かみ・みかどは、
酒をキーワードに、綺麗に対応する言葉

(かみ)=醸む=酒をつくること
(かめ)=酒を造るもの



かおる
うひゃ〜。 「みかど(帝)」と、「かまど(竈)」が、対応する語句だってことですか〜?

つづき
まったくその通り。
酒を飲むことが、古代では神に近づき、神の声を聞くことじゃったのじゃ。

古代の巫女(みこ)は、酒の仕込み(こみ)係りじゃったわけじゃ。 古代の酒は「口かみ酒」じゃ。
めかした瓶(かめ)を甕(みか)と呼び、神酒(みき)を口で醸み(かみ)、し込み(こみ)をして、
天皇に給仕するときは、御食(みけ)を、検見(けみ)ながら御厨(みく)して、君(きみ)に酌み(くみ)、
酔って神(かみ)がかった様子から、帝(みかど)と呼ばれたということじゃ。

かおる
ぼ、僕は信じません! 単なる偶然の言葉遊びです! レベルの低いアナグラムです!

つづき
そうかの? これほど単純かつ綺麗にヤマトコトバの語源が探れておるのに、信じぬというのかね?

かおる
師匠が、勝手にそう思っていればいいでしょう〜。

つづき
さて、古代の酒の醸(か)み方を、ちょいと思い浮かべて見るとよい。
口の広い大きな瓶(かめ)の前に屈み(かがみ)ながら、という姿勢じゃったろうな。
かおる
え〜? 「屈む(かがむ)」が、そんな語源なんですか〜?

つづき
藍染の言葉で、「甕覗(かめのぞき)」という色があるのじゃ。
水がめを覗いたときの、薄い水色じゃと言われておる。

水瓶を屈んで覗くという行為は、古代人のごく自然な行動じゃったじゃろう。

やまかがみ(夜末加加美)」という古語があるが、これは「かがみいも・ががいも・かがみ(羅摩)」のことじゃ。
かがいもの莢は、熟して裂けると舟形をしており、
少彦名命(スクナヒコナ)が舟として乗ってきたと神話で伝えられており、
古来より由緒ある植物なのじゃ。

では、なぜ、「かがみ」と呼ばれたのか?
酒をキーワードに考えれば、次のような語源が探れじゃろう。


か(原料)+かみ(噛み・醸む)=酒造り=かがみ
酒造りの動作=屈み(かがみ)

おそらく、古代では酒の原料となった芋全般も、「かがみ」と言っていたに違いない。


そうして、酒を造るために、水を入れた「瓶(かめ)」の前に「屈み(かがみ)」、
か(原料)」を「かみ(噛み)」ながら、
水面に自分の姿を映し見ることを「かがみ」と呼んだのじゃろう。

かおる
え〜? 「鏡(かがみ)」が、そんな語源なんですか〜?

つづき
まったくその通り。


銅鏡といったカネで出来た鏡が日本に伝来したときに、突然「カガミ」という語句が出来たわけではあるまい。
それ以前は、水鏡のことを指して「カガミ」と言っていたに違いないのじゃ。


かがみ=自分の姿を映す、水を張った瓶のこと


かおる
ほほぅ?

つづき
すなわち、現在、神棚に飾られる三種の神器の一つ「」は、
縄文時代の古代においては、酒を入れた「」であったであろうことは、
容易に推察することが出来るのである。

ということは、「瓶(かめ)=甕(みか)=酒(みき)」こそが、古代の神棚で祀られる御神体であり、
かめ(瓶)」で、酒を造る「かむ(醸む)」ことから「かみ(神)」という言葉が生まれてきたということじゃ。
これは、アイヌ語の神が「カムイ」であることからも明らかであろう。


瓶を醸む(かめをかむ)

神拝む(かみをがむ)



(かめ)=(かみ)







つづき
これで、「をがむ(拝む)」の「」が、なぜ「」なのか明快に理解できたじゃろう。
現代文法で言う、格助詞が動詞に接頭語として取り込まれた形だったのじゃ!
かおる
うひゃ〜。












付録・年表




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