つづき
かおる
つづき| いは (巨岩) | かに (巨木) | みか (巨甕) |
| いはふ(祝う) 神を称えること | かなふ(叶う) 願いが叶うこと | みかく(磨く) 神を崇めること |
| 石器時代 超古代の最も原始的な信仰。 「祝う」という言葉の発祥。 「いはろ」は古代人の住家。 家族単位で生活していた時代。 磐座(いはくら)は御神体。 | 縄文時代 木「かには」を信仰する集団が、 大願成就のために巨木を立てた。 人々が一致団結して「ムラ」が出来た。 古代出雲大社・諏訪大社など。 「柱」は神を数える言葉 「さるかに合戦」は信仰のなごり。 | 弥生時代 酒・食料を貯蔵する土器(瓶・甕)は、 富の象徴であり、古代人の宝。 立派な土器を持つことは権力の証。 神(かみ)の語源は「瓶・醸(かみ・かむ)」。 水を張った瓶をカガミと呼び崇めた。 丹波の「甕襲(みかそ)」という人。 北九州の甕棺を埋める風習。 縄文時代の火炎土器からの流れ。 |
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西暦248年 9月 5日 午前8時 日本で部分日食 夜明け直後、東の空で、日本一帯で日食が見られた。 卑弥呼が死んだ年と一致し、関係が考えられる。 実は、この日に皆既日食が観測されたのは、 魏の首都、洛陽付近である 中国では、後漢の時代に日食の周期が知られていた。 魏の天文学者は、この日の日食を予測していたはずである。 卑弥呼の失脚の理由が日食なら、卑弥呼は大陸の暦を知らなかった。 大陸の暦を知っていれば、卑弥呼を陥れることは簡単である。 ![]() 赤帯は、月の本影。 中心の赤い線の先で皆既日食が見られる。 (講談社ブルーバックス/太陽系大紀行2/太陽系シミュレーターより) |
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つづき| 九州 | 畿内 | 山陰 | 東北 | |
| いは信仰 日本全国で、狩猟採集を祈願する巨石信仰広まる 火の山も「磐座(いわくら)」として信仰の対象 | 石器時代 | |||
|---|---|---|---|---|
| いは信仰 阿蘇山の立岩「タケイワタツ」 | かに信仰 三内丸山遺跡で巨木建築 | 縄文時代 | ||
| みか信仰 農業が広まり 土器を祀る「みか信仰」が全国に広まる | かに信仰 出雲・諏訪などで巨木信仰く | 弥生時代 | ||
| みか信仰 巫女がト占を行う 亀(かめ)=瓶(かめ) 死者を甕(カメ)棺で埋葬 九州日田市に豪族 | みか・銅鐸信仰 畿内に「みか(甕)」が集中 豊穣を願い、銅鐸が作られる 銅鐸を磨(みか)いて祀る ミハ(三輪・美和)=ミカ(甕) カモ(加茂・鴨)=カミ(醸み・神) | かに信仰 銅鐸信仰を 受け入れながら共存 | 弥生末期 | |
| みこ信仰 卑弥呼のト占による、 原始的な鬼道が続く | 太陽信仰 暦・天文学など、大陸の思想が、 極秘ルートで畿内に伝わる。 太陽神「アマテラス」が登場する 暦が重要視され、農業が効率化 銅鐸が廃棄される | かに信仰 大和朝廷の東征により 衰退して消える | 3世紀 | |
| 宗教革命 畿内勢力が日食を利用し、 北九州の宗教的指導者卑弥呼の権威を失墜させる 卑弥呼を共立していた北九州勢力は「壹與」を立てるも、 大陸の後ろ盾を失い、北九州は畿内に屈し、没落する 祈りの対象だった「みか信仰・銅鐸信仰」は完全に失われ、 畿内勢力の新興宗教、「アマテラス」が最高神となる 鏡が祭祀として重要視され、大量生産されるようになる | 248年 | |||
| 神道 畿内を都に「アマテラス」を祀る「大和朝廷」が興る 暦にならって神事を行い、豊作をもたらし人口が増加 クニが繁栄し労働力が充実して古墳を造営 古代の王を神の子孫の系譜とし、天皇を現人神とする | 4世紀以降 | |||
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