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謎の超古代尾張王国


May.17.2005





かおる
前回では、「穂の国」が、大和朝廷建国を主導したと説いてましたが、
その、「穂の国」とは、いったいどこにあったのでしょうか? 見つかりましたか?
つづき
穂の国」で思い当たるのは、愛知県三河の地にあったとされる「穂の国」ではあるが……。

かおる
いや〜。 愛知県では、九州から畿内を舞台とする古代史とは何の関係もないですね。
大和朝廷建国に携わるどころか、4世紀頃に大和朝廷によって開拓・征服された土地と言われています。
つづき
確かにな。 記紀神話は、神武天皇や、ヤマトタケルのように大和の東征を語っておる。
東の地は、大和朝廷によって征服されていった土地という認識が一般的であろう。
かおる
一般的というか、常識ですね。
地理的にも大和からは辺境ですし。
つづき
うむ。 その通りじゃな。

かおる
そうですよ?
じゃ、愛知県の話は、ここまでということでいいですね?
つづき
まあ、落ち着きたまへ。
かおる君は、なにをそんなに急ぎ念押しして話を終わらそうとしておるのかね?
かおる
だって、師匠は、また何かデンパを飛ばそうとしてるでしょ?

つづき
なんじゃね? 不躾に? ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉ。
わしが何か、おかしなことを言うたかね?
かおる
前回では、まるで、渡来人が日本を侵略・占領したみたいな説を立ててたじゃないですか?
高天原だって、観念的なもので、朝鮮半島の国だったかどうかは決められないでしょう?
つづき
そうじゃのお。 わしもアレからいろいろ調べていくうちに、いろいろ新事実が明らかになったのじゃ。
今回は、高天原の所在についても、具体的に明らかにしていこうと思う。
かおる
具体的にって、本当に、明らかになるんですか〜?

つづき
なるよ?

かおる
なんだか、アヤシイなあ。

つづき
どこがじゃね?

かおる
今回のタイトルが、アヤシクないとでも言うのですか?!
なんですか? この、

謎の超古代尾張王国」というのはっ!!??

つづき
尾張の地には、古代、大和を凌ぐほどの王国が栄えておったのじゃ。

かおる
ほほぅ? (やっぱり、デンパかよ!)
で、その根拠は?
つづき
尾張、つまり名古屋の中心地は「(さかえ)」と呼ばれておる。

かおる
ただの町名じゃないですか〜。

つづき
実は、わしは、名古屋の出身でのお。 栄小学校は、わしの母校でもある。
幼少時代を過ごした大須には三輪神社もあるでよ。
かおる
そんな話は、関係ありませんし。

つづき
名古屋の熱田神宮には、よく初詣に行ったものじゃて。

かおる
自分語りじゃなくて、古代史の謎解きの話をしてくださいよ!

つづき
じゃから、話しておるじゃろう?
熱田神宮には、三種の神器の一つ「草薙剣」があり、伊勢神宮に次ぐ由緒ある神社じゃぞ。

草薙剣は、スサノヲが、ヤマタノオロチの尾から見つけ、天照大神に献上し、
天孫降臨で、ニニギ(火瓊瓊杵尊)が携えてきた剣じゃ。
後に、ヤマトタケルに受け継がれ、東国の蝦夷征伐に活躍した。
ヤマトタケルが倒れると、妃の宮簀媛命が、熱田の地で草薙剣を祀ったのじゃ。


かおる
それは、大和朝廷の東国制圧の前線基地だったからでしょう?
尾張に王国があった証拠にはなりません。
つづき
そうかな? 考古学的にも、朝日遺跡の発掘により、
愛知県の濃尾平野には、弥生時代後期に大集落が栄えていたことが証明されつつあるのじゃ。

弥生時代では、パレス・スタイル(壷形土器)と呼ばれる、
朱色の豪華な彩色土器が伊勢湾沿岸・東海地方中心に広まり、
3世紀には、S字甕(口縁台付土器)が、濃尾平野中心に集中し、周辺のクニへ流通しておった。
弥生時代後期の尾張は、東日本の交易の中心として都が栄えていたことは間違いないであろう。

弥生時代を通して考えれば、必ずしも大和が永続的に日本の中心地であったとは言えぬじゃろう。


かおる
う〜ん。 まあ、そりゃあ、稲作に適した平野があれば、大集落は生まれるでしょうが、
百歩譲って尾張に王国があったとしても、所詮、4世紀頃に大和朝廷に征服されたわけだし。 
つづき
はたして、そう簡単に、尾張は大和に征服された土地という捉え方だけで良いのじゃろうか?

かおる
たしかに、大和の前方後円墳に対して、尾張では前方後方墳が造営されてましたが、
じゃ、なんですか? 実は尾張の方が権力が大きくて、大和を征服したとでも?
つづき
うむ! その可能性も視野に入れて古代史を紐解く時期にきているのではないかね?

かおる
可能性でいえば、限りなくゼロでしょう。
尾張王国なんて、聞いたこともない珍説ですよ。
つづき
いやいや、「言霊」が、古代に起きた出来事を雄弁に語っておるのじゃぞ!




言葉にみられる、覇権の歴史

「カ・コ・ク」は、古代の美称として定着したもの。
参考コラム

ホ族
金属器
銅矛
ニ族
稲作
銅鐸
ヒ族
太陽信仰の司祭
モ族
ムラの首長
ス族
敗北した部族

玉(に)
ヌヒ
「ぬひ」=奴婢
「にひ」=新
「のび」=昇・伸
「のい」=仰向け
ヌモ
「ぬみ・ぬま」=要害
「なま」=生
鈍る・訛る
「のむ」=祈む
ヌス
「ぬし」=主

神・代表
讃える物
カホ

「かほ」=顔

九州・四国には
顔が四つあった
カニ

カニ信仰(?)
参考コラム
カヒ

「かひ」=甲斐
(効果・価値)
カモ
「かも」=鴨・賀茂・上
(支配者と民の
上下関係の起源)
参考コラム
「おおきみ(大王)」が
崇拝されて、
「神」の意味になる
「かも居」=鴨居
=かむい=神
=とりい=鳥居
カス
シモ

「かず」=数
(大勢)
「しも」=下
「くし」=櫛・奇し
「かす」=糟
(後世の蔑称)

祭祀
ホコ
「ほこ」=矛

銅矛祭祀
ニコ・ニキ
「にこ」=にき(和)
「にぎしね」=和稲
ナキ
「さなき・ぬで」=鈴・鐸
「なく」=鳴る・鳴く
「なご」=和む

銅鐸祭祀
ヒコ
「ひこ」=日子
「ひめ」=日女
モコ
「もこ」=婿・相手
相手=神か?
スコ
「すが・すげ」=菅
(草製品)
「すがた」=姿
「すご」=凄い
「すこ」=少し
「すく」=好く
「すか」=須賀

国名
クホ
「くぼ」=窪
クニ
「くに」=国
クヒ
「くび」=首
食ひ・悔い
「首を取る」
(後世の蔑称)
大山咋
(おおやまくひ)
クモ
「くも」=雲・蜘蛛
出雲・土蜘蛛
(後世の蔑称)
クス
「くず」=国巣
(先住民)
「くす」=屈す・屑
(後世の蔑称)
首長名ホホデミ

神武の祖
ニニギ
「ねぎ」=禰宜
ハヤヒ
ハヤヒ「や」=矢
「ゆみ」=弓
「はや」=羽羽矢
「はやひ」=速い
「はやる」=流行

ニギハヤヒ
「穣+羽矢+日」
オオナモチ
ムラジ


「むらじ」=連

スサノヲ
スグリ
シキ

「すぐり」=村主
「すくね」=宿禰
「しき」=スクの転
「しきる」=仕切る
磯城彦
兄磯城・弟磯城
八十猛
椎根津彦
スクナヒコナ
サルタヒコ
尊称
残存語
オホ クニ ヒコ カミ ヌシ


言霊表から、古代王国名が浮かび上がった!

穂(ほ)饒(にぎ)
和(にぎ・なご)
中(なか)
国(くに)
丹(に)=赤色
日(ひ)賀茂・上(かも)
神(かみ)
前・隅(くま)
出雲(いづも)
蜘蛛(くも)
本(もと)
餅(もち)・持つ(もつ)
睦(むつ)
穂国(のく)

穂饒(ぎ)
日前(のく)

日本(と)
穂国→(?)日前神宮→和歌山・秋月
稲作神太陽神

「日前(ひのくま)」が、「日本(ひのもと)」と関係するなら、
「穂国(ほのくに)」が、「穂饒(ほのにぎ)」と関係するはず?

ほのくに(穂国)」の手掛かりは、
ほのにぎ(穂饒)」にある?






つづき
どうじゃ? このようにしてみると、日前(ひのくま)が、古代の太陽信仰の中心地であり、
穂国(ほのくに)が、稲作文化の中心地であったことが伺えるじゃろう?
かおる
それは良いとして、「ほのにぎ」って何なんですか?
また適当な造語なんか作って……。
つづき
ほのにぎ」こそが、穂国(ほのくに)に結びつく重要な言霊なのじゃ。



」は、「ニニ」の語源である!


ニニギ=火瓊瓊杵(ヒコホノニニギ)
=天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギ)

古事記では、天照大神・高皇産霊が、正勝吾勝勝速日天忍穗耳を、葦原の中つ国の平定に指名するが、
天忍穗耳は、子供のニニギに譲り、ニニギを日向の高千穂に天降らせ、豊葦原水穂国を治める。
ニニギの母は、高皇産霊の娘、萬幡豊秋津師比売(ヨロヅハタトヨアキツヒメ)で、
兄は、天火明(アメノホアカリ)である。
天火明は、海部氏・尾張氏の祖で、饒速日(ニギハヤヒ)と同一神と言われる。




ニニギ・アカリ・ギハヤヒ」の語幹は、「ギ」


かおる
ほほぉ〜?

つづき
古代で使われていた、「ほ・にぎ」という尊称に、
」という助詞が重ねられていき、「ほのににぎ」という神の名が作られたのであろう。

ほにぎ→ほのにぎ→ほののにぎ→ほのににぎ


」は、豊穣を表し、
稲作文化の、神に捧げた神聖な言葉だったはず。






かおる
また、そんないい加減な事を……古代に「ほにぎ」なんて言葉があったとか言われても、
そんなに神聖な言葉なら、後世まで伝ってないとおかしくないですか?
つづき
いやいや、「ほにぎ」は、ちゃんと現代まで伝わっておる言葉なのじゃぞ!








」は、「ぎり」になったのだっ!!!





古代史の謎を解く鍵は、
コンビニで売られていたっ!!




かおる
お……おにぎり? 「おにぎり」なんて、古代史とは全然関係ないでしょう〜??

つづき
ところが、さにあらず。 「おにぎり」は、別名「おむすび」とも呼ぶじゃろう。
この二つの言霊には、驚くべき日本古代史の真実が隠されておったのじゃよ!




おにぎりおむすび」は、
古代に、神に捧げられた供物の名前である。



高皇産霊尊(タカミムスビ)=結び付ける=おむすび
火瓊瓊杵尊(ホノニニギ)=穂(米)を握る=おにぎり



かおる
ええ〜?? そうなんですか〜〜????

つづき
おにぎり・おむすび」は、その言葉自体が、神の名前でもあったのじゃ。
ご飯を前に、手を合わせて感謝の祈りを捧げるのは、その名残である。


ムスビ(結び)」は、縄文時代からの尊い言葉。

むすび」から「タカミムスビ」へ。

言霊的には、「タカミムスヒ」は、縄文時代以前の神の名前。
参考コラム

高皇産霊尊は別名、「高木神」とも呼ばれ、
縄文時代からの巨木信仰を感じさせる。
ムスビ」もまた、縄文時代からの言葉だったはず。



ニギ」から「にぎり」へ。

ホ・ニギ」は、「穂・饒」を意味する弥生時代の言葉。
後に、「」が、「」に変化して、「おにぎり」になった。
同時に、「ムスビ」も、「おむすび」になった。


ほ(穂・火)」と、「おお(大)」は、どちらも美称の意味を持つ。
おお(大)」は、「おほ(意富)」から変化した言葉。

」→「




かおる
」が、「」になった……?

つづき
うむ。 この事実は、明快に論証できるぞよ。




ホノニニギ、ヒコホホデミ等、
古代の神の名で、「ほ(穂・火)」の付く神は、
同時に「おほ(大)」という美称を持たない。
「大穂命・大火命」などという名の神はいないのである。

(穂・火)」という美称が「オホ(大)」へと、変化した証である。


つまり、「(穂・火)」の付く神は、「オホ(大)」の付く神よりも、
はるか古代の神の名前なのである。

このことから、神が生まれた順序が解る。


ノニニギ・アカリ
(「」の美称を持つ神)

ホホデミ
(「」の美称を二つ持つ神)

オホ
(「ホホ」から「オホ(大)」という美称が生まれた)


穂(ほ)饒(にぎ)
和(にぎ・なご)
中(なか)
国(くに)
丹(に)=赤色
日(ひ)賀茂・上(かも)
神(かみ)
前・隅(くま)
出雲(いづも)
蜘蛛(くも)
本(もと)
餅(もち)・持つ(もつ)
睦(むつ)
穂国(のく)

穂饒(ぎ)
日前(のく)神宮

日本(と)
ニニ
稲作神
ルメ
太陽神
ヌシ
(オオクニヌシ)
中つ国の神
タカミ
高天原の神
ホホデミ
天孫神
ギハヤ
天孫神
」→「」に変化
」が美称として使われる
ヌシ→オホヌシ
三輪の神
コ・
大王・巫女
→カ→カ
ぎり
すび
弥生系縄文系


おにぎり・おむすび」の呼び方の違いは、
その土地で、「ホノニニギ・タカミムスビ」を祀っていた名残かも知れない?

つまり、

タカミムスビ=高天原の神(縄文系)
ホノニニギ=地上に天降りした神(弥生系)

ならば、

おむすび」を食べていた地方が、
高天原」だったことになる!

一説には、西日本では「おにぎり」と呼び、
東日本では、「おむすび」と呼ぶのだという。



おむすび圏=タカミムスビ(高天原神)の中心地は、
濃尾平野」であるっ!!


高天原の神、高皇産霊尊の孫は、天火明命であり、
海部氏・尾張氏の祖神である。
天火明命は、ニギハヤヒとも言われており、
その勢力範囲は、「おむすび圏」と一致するっ!


おむすび圏」こそが「高天原」であり、
縄文人(倭人)の故郷であった。

高天原」が、弥生人(渡来人)の故郷だという説は、大間違いだった!




かおる
うひゃ〜。 ようするに古代の東海地方が、高天原だったということですか〜〜????

つづき
まったくその通り。

かおる
師匠のおっしゃることは、完全に常識から逸脱してますよ!?

つづき
いやいや、今までの常識で考えるから、おかしなことになるのじゃ。
もっと、言霊に耳を傾けてみよ。 古代史の真実が見えてくるはずじゃ。
かおる
で、でも、神話とは全然一致しないでしょ〜〜?

つづき
はたして、そうかな?
もう一度、高天原の中つ国平定のくだりを吟味してみようぞ。





葦原中国平定

天照大神の子、天忍穂耳尊は、高皇産霊尊の娘を娶られて、
天火明命と、瓊瓊杵命が生まれた。

高皇産霊尊は、葦原中国を平定しようと、
天穂日を遣わした。 しかし、三年たっても復命しなかった。

次に、天若日子を遣わした。
この神も、大国主命の娘、下照比売を娶り、八年間、復命しなかった。
天若日子の放った矢が、高皇産霊尊に返されて、天若日子は死んだ。

天若日子の妻、下照比売は悲しみ、喪屋を作った。
阿遅志貴高日子根が、弔いにやって来ると、
下照比売は、天若日子が死なずに現れたとすがりついた。
阿遅志貴高日子根は、死人と間違えられたことに怒り、喪屋を切り倒した。
これが、美濃国の藍見の河の河上にある喪山である。

次に遣わす神を誰にするか、思金神が言った。
「天の安河の河上の天の石屋に坐す、伊都之尾羽張神を遣わすべし。
または、この神の子、建御雷之男神を遣わすべし。」
伊都之尾羽張神は、子の建御雷之男神を遣わすことにした。

建御雷之男神は、天鳥船神を連れて、出雲の国の伊耶佐の小浜に降りた。
大国主の子、八重言代主神は、畏まり、天つ神に奉り服従した。

次に、建御名方神が現れ、力比べで戦い、建御雷之男神が勝利した。
建御名方神は、諏訪へ逃れ、
大国主は、国譲りに同意し、出雲に隠匿した。

建御雷之男神は、葦原中国平定を高天原に報告し復命した。


こののち、ニニギが、日向の高千穂に天降ることになる。




葦原中国平定の舞台は、
美濃から出雲に移っている?



高天原は、やっぱり東海地方だった?

しかも、高天原にある天安河の神は、
伊都之尾羽張神」であり、
尾張に通じる名前であるっ!!

静岡県には「伊豆」があり、愛知県・美濃三河高原の北には「伊豆ケ平」がある。
伊都(イツ)」は、「熱田(アツタ)・愛知(アチ)」にも通じる。
中つ国平定に活躍した建御雷之男神(武甕槌命)の父神は、尾張の神だった?

イザナミがカグツチを生んだ時、ホトを焼かれて死んだのを悲しんだイザナギは、
十握剣で、カグツチを切り殺した。
その剣は、「天尾羽張」とも。
イザナミが、苦しんで嘔吐した時に生まれた神は、金山彦
名古屋の熱田神宮の近くにも「金山」の地名がある。

愛宕神社が祀る神は、カグツチ・ホムスビ(火産霊命)など火の神
愛宕(アタゴ)は、熱子(アツゴ)が語源という説がある。

伊都(イツ)之尾羽張神火の神愛宕神社・熱子(アツゴ)熱田(アツ)愛知・愛智(アチ・エチ)



かおる
で、でもでも、ニニギは、九州の高千穂に天降りしてるじゃないですか?
神武天皇は、九州から東征しているわけですし……。
つづき
東征」という固定観念から開放されれば、その謎は簡単に解けるのではないかね?
あくまでも、「東征」は神武以降の世界観なのじゃ。


高天原による、葦原中国平定は、
美濃から出雲へ向かい、最後に日向へ天降るという流れである。



天孫降臨は、東から西へと侵攻した歴史を物語っていた!


やはり、高天原は、
東海地方でしかありえない!


かおる
ええと、そうはいっても、東海地方が、どうして西日本を平定するだけの力を持ちえるのですか?
稲作の伝播は、絶対に西からなわけですから、東は遅れた地域であるはずですよ?
つづき
最近の考古学の成果では、弥生時代の始まり、すなわち稲作の伝来は、
紀元前10世紀まで遡りそうなのである。

西日本に鉄器が伝来するのは、紀元前5世紀頃じゃから、
稲作が普及し、鉄器が伝わるまでは、500年という年月があることになる。
それだけのスパンがあれば、東海地方が、列島内で十分な力を付けることは可能であろう。

古代では、奈良盆地は盆地湖であり、人が住むには適していなかった。
そのかわり、濃尾平野は、肥沃で広大な土地だったのである。





古代では、奈良盆地より、濃尾平野の方が住みやすかった。


弥生時代、稲作を営み、人々が集い暮らしたであろう濃尾平野。
その地こそ、神話の故里「高天原」なのだ!


弥生時代、東日本まで稲作が伝わった頃、
濃尾平野を中心に高天原王国が栄える。
高皇産霊尊(おむすび)・太陽神・尾羽張神を信仰する。

ニ(丹・瓊)・ニキ(饒・和)・ナカ(中・仲)」という尊称が生まれ、
畿内は、「ナカツクニ(中つ国)」と呼ばれた。

高天原(濃尾平野)で人口が増えると、人々は西へと向かった。

高天原王国は、美濃〜出雲を平定し、畿内を中心に繁栄する。
後に、北九州に銅器・鉄器が伝来したとき、
東西でそれぞれ、銅矛・銅鐸を祀るようになった。
この時の王が、ニニギ(弟)・ニギハヤヒ(兄)として伝承された。

高天原の直接の子孫が、実は、オオクニヌシ・ニギハヤヒ等の国つ神であった。

弥生時代後期の勢力図




神武東征神話は、この後の物語である。

鉄器が伝来すると、東西の力関係が逆転した。
鉄器を手にし、畿内に逆に侵攻した神武が、
かつての高天原(尾張)を傘下にして大和朝廷を興したのだ。


古代、高天原のあった尾張は、
濃尾平野に豊かな稲を実らせた瑞穂の国だった。
九州に天降りした「ホニギ(ホノニニギ)」の故里でもあった。
今でも、愛知県では、「豊田」など、その名を地名に残している。
現在、市内に「瑞穂区」という地名を持つのは名古屋だけである。

三河の「穂の国」も、その一つである。



かおる
名古屋市瑞穂区や、三河の穂の国が、そんなに古代からの地名なんですか〜?
じゃ、「ニギ」は? 愛知県にそんな地名ありましたか?
つづき
あるもなにも、そのものズバリ。



ニギ」は、
那古野(ナゴヤ)」になったのだっ!!

ニギハヤヒ→にぎやか→なごやか→ナゴヤ




かおる
うひゃ〜〜〜!
名古屋(ナゴヤ)の語源は、ニギハヤヒだったんですかっっ!!!???
つづき
尾張の「張(はり)」という言葉じゃが、これはもちろん「」という意味であり、
播磨の「播(はり)」も同じ、田畑にふさわしい土地を表す言葉じゃ。

はり」は、縄文時代からの言葉じゃろう。
そして、「はり」は、九州では「はる」となり、
再び畿内に戻って「原(はら)」となったわけじゃ。
尾張(おはり)」は、「穂原」の訛った言葉なのであろう。

このように古代の様相を眺めれば、九州出身の神武の携帯食は「おにぎり」であり、
東方に向かったヤマトタケルは、「おむすび」を携帯していたであろうという事までも、
容易に推察できるわけじゃな。



かおる
古代の尾張が、そんなに有力な王国だったとは思えませんけどね〜。

つづき
まだ、信じられぬかね?


古代では、今よりも語彙が限られておった。
言葉の類似は、関係が深かった証となろう。


東海に遣わされた四道将軍の名→タケヌナカハワケ(武淳川別)
神武の二代目の綏靖天皇の名→カムヌナカハミミ(神淳名川耳)

どちらも、共通の「ヌナカハ」という言葉を持つ。
ヌナカハ」とは、尾張に関係した名前に違いない。

綏靖天皇は、尾張から大和朝廷に参画した王ではないのか?
尾張が、大和建国に重要な役目を果たしたのである。


かおる
ふむふむ……「ヌナカハ」ですか〜。
万葉集にも、「沼名河」という地名が出てきますが、尾張と関係するのかどうかわかりませんよ?

一般的には、糸魚川のある新潟県に、奴奈川神社があり、奴奈川比売を祀っていることから、
ヒスイなどの宝玉のとれる玉(瓊)の川というような説があるようです。
神武のような天孫・弥生系というよりは、縄文系の雰囲気はありますが……。

つづき
ヌナカハ」とは、クニの中心を流れる川という意味ではないかな?

かおる
それはまた、どうしてですか?

つづき
中心とは、つまり、「ナカ」のことじゃ。
ナカ」は、「仲(なか)」でもあり、「和(なか・なご)」であり、「「ニギ」に通じる。


ニキ → ナカ(中・仲)アハ(淡・水)

ナカ(中) + アハ(水) = ナカハ(中川)


ナカハ → ナカバ → ナカマ(仲間)
ニ(瓊) + ニギ → ニニギヌ(瓊) + ナカハ → ヌナカハ

ヌナカハ(中の川)

ナカツガワ(中津川)

ヌナカハ(瓊のように神聖な中心の川)=ナカツガワ(クニの中心を流れる川)
「ぬ・に」は、格助詞の「の」になった。


中津川(ナカツガワ)」は、
名古屋の中心を流れる木曽川の上流にある川である。



かおる
うひゃ〜〜〜!!!
ヌナカハとは、中津川のことだったんですかっっ!!!!!???????
つづき
納得したかね?

かおる
納得するわけないでしょ〜。 尾張が「高天原」だとおっしゃられても、
どうして「高天原」なんて呼ばれたんですか? 由来が全然無いでしょう?
つづき
高天原」は、尾張の地に、ちゃんと理由があって付けられた名前なのじゃ。


東海の四道将軍「タケヌナカハ」は、「タケ」という美称を持っておるが、
尾張国造の祖は、葛城では高尾張と呼ばれ、同じ「タケ・タカ」という美称を使っておった。
古代の最高神、「高皇産霊尊」も、同じ美称を持っておる。

そして、尾張氏は、海部氏と共に天火明命(ホアカリ・ニギハヤヒ)を祖にしておる。
熊野で、神武の大和入りを助けた高倉下命の別名は、天香語山命であり、天火明命の子じゃ。
その高倉下命に、フツノミタマの剣を授けたのは、天尾羽張神の子の武甕槌命である。

尾張氏系のミヤヅヒメは、ヤマトタケルと結婚している。
古代では、「タケ・タカ」という美称が一般に流行っていたということじゃな。

さらに、濃尾平野の南には、海部郡がある。


「タカ・タケ」は、古代の美称愛知県海部郡濃尾平野
タカミムスビ
高尾張・高倉下
タケヌナカハ・ヤマトタケル
尾張氏と海部氏は親戚で、
同じ天火明命を祖にしている
「あま」は「天」に通じる言葉
東海地方最大の平野
タカアマハラ
高天原


やっぱり、尾張は、
高天原だったっ!



高天原は、ココだがねっ!


葦原中国平定と、大和朝廷創世紀の歴史は、
すべて畿内・濃尾平野中心のエリアが舞台となっている。
神武東征だけが、後付の物語のように見える。

広大な濃尾平野に比べて、奈良盆地はとても小さい辺境である。
奈良盆地から濃尾平野へ行くには、関ケ原を抜けるか、鈴鹿山脈を越えなければならない。
まさしく、高い山の彼方にある「高天原」である。

また、近江は、関ケ原を介して、濃尾平野と直結した土地でもある。
若狭湾とも近く、日本海貿易の拠点・中継地として、
濃尾平野の繁栄と共に、栄えたであろう。
大和朝廷は、丹波との繋がりも深い。

前方後方墳のルーツも、愛知県尾西市・西上免遺跡や、
滋賀県新旭町・熊野本古墳群が、3世紀初頭〜前半と、最古級とも見られている。






かおる
えええええ〜〜〜〜〜〜うそだ、うそだ〜〜〜〜っ!!

つづき
なんじゃ? 尾張が高天原では不満かね?
朝鮮半島のほうが良かったのかね?
かおる
いや、それも、なんだか……。
……ええ、じゃぁもう、尾張ってことでいいです! 高天原は、尾張でしょう!
つづき
そんなに、やさぐれるでない。
ついでと言っては何じゃが、「ホホデミ」という人物の正体にも触れておこう。
かおる
ホホデミ」というと、ニニギの子の山幸彦だったり、神武天皇の本名とも言われる、
ようするに、古代の大王の名前ですよね?
つづき
うむ。 「ホホ」は、「オホ(大)」という意味になった古代の言葉ということは説明したな?
では、「デミ」は、なんじゃと思うかね?
かおる
そんなの、知るわけないでしょう〜。 漢字の当て字では、「火火出見」と書くようですが……。

つづき
先ほど、「ニギ」と、「ナカ」は、通じる音じゃと説明したな?
その音韻変化の法則を当てれば、答えは一つじゃ。


ニギ (nigi) → ネギ(禰宜) (negi) → ナカ (naka)
デミ (demi) → ダマ (dama)


ダマ=タマ(玉)


ホホデミは、オホタマ(大玉)の意味だったっ!!

火火出見命 = 大玉命


大玉」という神は、普通の系図では現れないようだが、
岐阜県の美濃市の北にある高賀神社では、
天之御中主尊・神世七代神・日向三代神・素戔嗚尊・金山彦尊・日本武尊など、
そうそうたる面々と並べられて、「大玉尊」として祀られている。
当時では非常に高貴な神として認識されていたようだ。

にも関わらず、以降に忘れられたということは、
大玉」の古名が、「ホホデミ」だったからではないか?
太玉命(フトダマ)と同一か?


高賀神社は、藤原高光が、朝廷の勅命で、妖魔を退治するために建立したのだという。
妖魔を封じるために、神々の威光を結集させたのであろう。
名古屋の熱田神宮の大宮司も、尾張氏から藤原季範が継いでいる。

ちなみに、三代目の安寧天皇の名は、「シキツヒコタマテミ」という。
現代語に訳せば、「磯城津彦玉玉」となる。




かおる
……日本創世紀の古代の大王が、大玉命って、……。

つづき
別に、おかしな名前ではないぞよ。 実に神聖で偉大で、初代の王の名にふさわしいではないか?

かおる
お願いしますから、このネタは、ここだけにしてくださいね! 恥ずかしいですからっ!
他人に聞かれたら、バカにされるだけですよっ!
つづき
う〜む。 わしは、ただ、真実を探求しておるだけなのじゃがのう……。

かおる
もうすこし、世間体というものも気にしながらネタを考えたほうがいいですよっ! もう。

つづき
ネタではないぞよ! 真実である!

かおる
ほほ〜。 そうだったんですか〜。 いやぁ、びっくり!

つづき
ちゃんと聞いておるかね?

かおる
なんにせよ、弥生時代に、尾張が中心的王国だったなんて考えてるの師匠だけだと思いますよ〜?
考古学的成果を上げてるのは、北九州か、やっぱり奈良・橿原ですよ?
つづき
それは、九州や奈良の考古学者達が、お国自慢・地元贔屓の考えに引きずられておるからであろう。
地元への愛情が、邪馬台国の所在論争にも影響しておるのではないか?

お国自慢に走ることなく、もっと公平な視点で眺めなければ、
古代史の謎は解けぬということじゃ。
そうすれば、尾張に古代王国があったという事実を、
何の疑問もなく受け入れられるはず。

そして、尾張の中心地、名古屋こそが、古代からの悠久の歴史を湛え、
繁栄し続けてきた古都「中つ国」なのである。



かおる
たしかに、お国自慢に走っちゃ、古代史の謎には迫れないでしょうね〜。

つづき
まったくじゃな。

かおる
……ところで、師匠のご出身はどこでしたっけ?

つづき
名古屋じゃが?














付録・年表




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