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共同体社会から中央集権国家へ


February.24.2005





つづき
前回、わしらは、神功皇后が邪馬台国を滅ぼした事実を日本書紀から汲み取ったわけじゃが。

かおる
いままでさんざん謎と言われた邪馬台国についての記述が、
日本書紀にちゃんと書かれてたと言うことが「本当なら」拍子抜けですよね〜。
つづき
日本書紀に書かれた山門県土蜘蛛・田油津媛は、滅び行く邪馬台国の末裔ということじゃろう。
かつての繁栄は陰り、山中の縄文時代風竪穴住居に隠れて暮らすようになったのかも知れぬ。
魏志倭人伝で華々しく国際デビューした卑弥呼の末裔が、日本書記で土蜘蛛呼ばわりでは、
あまりにも、イメージにギャップがあるため、この説は世間に受け入れられなかったのであろう。
もっとも、土蜘蛛といっても、支配した側の感想じゃから、実際はどのような生活だったかは伺えぬがな。

かおる
考古学者の間では、箸墓古墳の造営時期が、魏志倭人伝の年代と一致しそうなので、
倭迹々日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)が卑弥呼という説が有力みたいですよ?
つづき
それは、畿内に邪馬台国があったという前提の話じゃな。
卑弥呼の後を継いだ「台与」を思わせる女王の記載が記紀に無い以上、同一人物ではない。
かおる
邪馬台国九州説でも、アマテラスが卑弥呼のイメージの投影だたとも言われますね。
天の岩屋から出てきた後が、台与の投影であると。
そうすると、九州の女王の伝説が、どうして畿内の神話に受け継がれたのか? ということになり、
邪馬台国東遷説に展開していくわけですが……。

つづき
アマテラスの神話は、もっとずっと古代の伝承を語り継いだものじゃと思う。
卑弥呼のような神がかり的な巫女は、古代のどこのムラにもおったじゃろうて。
邪馬台国が、3世紀末頃に東遷したとは思えぬが、
ある九州の一族によって、九州の神話を、畿内に持ち込んだことはあったであろう。
それが神武東征神話となったのであろうな。

かおる
一族というより、九州からの断続的な人の流入が、九州の神話を伝えたのでしょう。
倭国大乱と言われた時期がピークだったのではないでしょうか?
つづき
ただちに、つまびらかに出来ることではないが、古代日本のある時期に、
共同体社会から中央集権国家に移り変わったことは確かじゃ。 手掛かりは銅鐸じゃ。

畿内土着文化の銅鐸が滅んだとき、
九州発祥の神道が畿内を支配した。

まだ九州が、共同体社会じゃったころ、より良い土地を求めて畿内に向かった者達がいた。
熊野の那智にたどり着いた彼らは、うちつくに(奈良)を制するべく力をつけていった。
いよいよ金剛山のふもと、カモの地(高鴨神社)に、カモ王朝・葛城王朝を築いた。
巫女(みこ)よりも大王(かも)が力をつけ、神官(かみ)となり、
周囲の小国を抱き込み、中央集権国家・大和朝廷へと発展していったのじゃ。
銅鐸」を廃棄させ「」を祀る、「神道」が整えられたのもこの時期じゃ。
前回のように、言霊もその歴史を語っておる。

かおる
たしかに、神道の儀式のルーツは九州にあるようですね。
祝詞には「筑紫・日向・高天原」といった九州の地名ばかりが登場します。

ですが、古代から有力だったと思われる神社そのものは、
九州には宗像大社・宇佐神宮くらいしかありません。
次に、出雲大社・諏訪大社が、国津神系として存在し、
後は、熊野三社・大神神社・日吉神社・伊勢神宮と、畿内周辺に集中していますね。
国譲り後の神道が発展していったのは、畿内ということのようです。

でも、「神道」が出来たのが畿内の「カモ」だとすると、
九州には「」はいなかったのですか?

つづき
魏志倭人伝にも「かみ」という人物は出てこない。
卑弥呼の祀る「鬼道」は、祖先の魂を祀るものである。 「鬼=魂(タマ)」じゃ。
神の名前も「かみ」の付く名前はほとんど無いことに気づくじゃろう。
神皇産霊尊 (かみむすひのみこと)くらいではないか?

古代より、人々がを「かみ」と呼んでいたなら、
なにかと高貴な「かみ」の名が付くがいっぱい登場するはずである。
神を「かみ」と言う称号で呼ぶのは比較的新しい呼び方なのじゃ。
神道が出来て、神の体系が創られてからのことじゃろうな。

かおる
え〜〜? 「かみ」が新しい言葉だとすると、古代の九州の人とかは、
を祀るときに、どういう言葉で呼んでいたんですか? まあ、わかりっこ無いですが……。
つづき
神を意味する言葉は、必ず高貴な名前として残されておるはず。
言霊を調べれば、簡単なことじゃ。


瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、中つ国に降臨。神武天皇の曾祖父。
饒速日 (にぎはやひ)は、神武以前の畿内の王。
爾支(にき)は、魏志倭人伝に登場する伊都国の官。
禰宜(ねぎ)は、神官(かみ)に次ぐ神職。


にきは、神が登場する以前の、高貴な名前だった!


古代の「」≒「にき」?



かおる
うわ〜。 なるほど、「にき」は、尊称だった可能性はありますね!
でも、「」よりも、「豊穣」を意味する一般名詞だったのでは?
つづき
弥生人にとっては、豊穣をもたらす者こそが、神に等しかったのではないか?


前回明らかにしたように、「にき」は、「和・仲・中」に通じ、
和やかな人間関係を取り持つ役職。
つまり、絶対権力を持つ王ではなく、共同体によって共立された者の名前。
卑弥呼もまた、そのような「にき」に準じた女王であった。

かおる
ただの思いつきでしょ〜?
にき」自体に特別な意味があった証拠はないでしょう〜?
つづき
では、いつものように、関係した語句を集めて表にしてみようぞ。
にき」が、いかに中心的役割を担った言葉であるか、理解できるじゃろう。




にき」は、
古代共同体社会の共立代表者を表す言葉

注意:古代に「さ・な・か」という区分が存在し、
最終的に勝利した「さと+なか」側に対して「かげ」側が敗れたために、
次のような語彙に言葉が定着した。



同盟国行政国周辺国備考


「さ」=それ(人称代名詞)
「ざ」=座・集会


「な」=なれ(人称代名詞)


「か」=かれ(人称代名詞)
人を表す言葉

「さながら」=全て
さと・さか

「さと」=里・諭す・悟る
「さち」=幸
「さづく」=授く
「さた」=命令・知らせ
「さだめ」=話し合い・掟
「さか」=栄える・盛る
「さか〜」=堺・相模
「さき」=境界
「さきもり」=防人
下がる←→上る
「さが」=佐賀・嵯峨
「さつま」=薩摩
「さな」=九州の方言
なか

「なか」=仲・仲・間に立つ
「なかつくに」=中つ国
「なご」=那古の海・名護
「なた」=ひなた(日向)
かげ・かが

「かく」=隠れる
「かが」=多くの周辺国(加賀)
「かげ」=影
ひなた(日向)では無い所
クニを表す言葉

「か」=処
した?

「した」=下の者・従う
「しづ」=静か
「しつけ」=躾
にき?

「にき」=爾支(伊都国の官)
「にぎ」=瓊瓊杵尊・饒速日
「ねぎ」=禰宜
かこ?

「かご」=影(東国方言)
「かこつ」=不満がある
「かく」=各(身分)
共同体の代表者?
しづやか

騒がないこと
にぎやか

繁栄していること
かごやか

ひっそりしてる
やか」=やか(宅)
「やから」=輩・一族
人々の様子
しづむ

「しつむ」=取りまとめる
「鎮む」=神が鎮座する
にきぶ

「和ぶ」=心が和らぐ
かこむ

「囲む」=敵を包囲する
共同体の状況
しつる

成し遂げる
「しつらふ」=整える
にぎる

「握る」=同盟の中心
かこる

「かげる?」=衰退する
「限り?」=境界・終わり
共同体の同盟関係
したふ

「慕う」=寄りかかる
にがむ

「苦む」=不愉快なこと
「にく」=憎む
かかふ

「抱ふ」=配下にする
首長の立場
してう

自由を失う
にげる

逃亡する
「にごる」=濁る・穢れる
かける

飛ぶ
襲いかかる
反逆行為



かおる
なるほど〜、古代の同盟国・行政国・周辺国の呼び名が、古語に残っているというわけですね?


でも、「した(下)」はともかく、周辺国の「かこ」という代表者名は、どうなんでしょうねえ?
そんな人名を表す古語は、聞いたことありませんが。
水夫」をかこと呼ぶようですけど、代表者という感じじゃないしなあ。



つづき
言葉の類似を表にして探れば、古代にそのような呼び名が存在したと想定されるということじゃ。
敗者となったために、使われなくなったと考えればよかろう。



共同体社会から、中央集権国家へ


家族
人身=「む」
集落
同盟国=「さ」
共同体社会
行政国=「な」
古代連合国家
「は」=中央
形態
むら

「むら」=村
「むれ」=群れ
さら

「さら」=更に新しいこと
「さは」=沢
なら

「なら」=奈良
「には」=庭
はら

「はら」=原・墾る・開墾
行政区

「ら」=周辺
むち・もと

「もと」は、「むち」の転
「もと」=元
「まと」=まとめる
「みつ」=水・満つ
「もち」=望月・満月
(元に戻った月)
「もち」=餅・持つ
「ひのもと」=日本
「もとつくに」=本つ国
さち・さと

「さち」=幸
「さと」=里
「さく」=仲を裂く
「さく」=朔月・新月
(裂かれた月)
「さつま」=薩摩
「そと」=外
「とつくに」=外つ国
(そとつくに)
なち・なか

「なち」=那智
「なか」=中・仲
「なかつくに」=中つ国
はち・うち

「はち」=鉢・兜の頭
「うち」は、「はち・ふち」の転
「ふち」=淵・深い内側
「うち」=家・内
「うちうら」=内裏・天皇
「うちつくに」=畿内
場所

「ち」=地
むた

「むた」=共
「むす」=結ぶ
「むつまし」=睦まし
「むつかし」=難し
「むなし」=虚し
した

「し」は、「さ」の転
「した」=下=さがる
「した」=下の者
「しも」=さらに下の者
「さた」=命令
なた

「なつ」=懐く
「なた」=灘
はた

「はた」=旗
「はつ」=泊つ
「はたす」=果たす
集まる

「た」=手
むげ

「むげに」=強引に
「むげ」=劣る
「むごい」=惨い
「むく」=報い
さぐ

「さがる」=ぶら下がる
「すがる」=縋る
「さき」=先・崎・堺
集落の境界
「さがす」=探す
「さが」=嵯峨・佐賀
なぐ

「なぐ」=薙ぐ
「なぐさむ」=慰む
「にぎる」=握る
「なご」=那古・名護
はぐ

「はぐ」=剥ぎ取る
「はかる」=計画する
「はぐくむ」=世話をする
連合する

「ぐ」=具
む・むこ

「む」=身(み)
「ぶ」=人夫
「むか」=向かう
「むこ」=婿
「まこ」=愛称
みこ」=御子
(む=み=身)
をさ・さこ

「をさ」=村の首長
「をさむ」=治む
「さこ」=雑魚
「さか」=栄える
「さかしら」=賢しら
(さ頭?)
「さき」=先・境界
「さきもり」=防人
「すき」=主基・次
「そが」=蘇我
なこ

「なか」=仲
「にき」=にぎやか
「なこ」=なごやか
「にこ」=にこやか
「にこ」=濁る
(混じること)
「にか」=苦い
「なこ」=那古・名護
はこ

「はこ」=箱・運ぶ
「はく」=魄
(地上の、天上人の魂)
「はかた」=博多
派生語

「こ」=子
(職業)
むま

「むま」=今
「むろ」=室
「むばら」=恐ろし
「いま」=居ます
「いまし」=汝
「いましめる」=戒める
「いむ」=忌・慎・斎
すま・すは

「す」は、「さ」の転
「さま」=様・様子
「すみ」=隅
中央では無い所
「すむ」=住む
「すまひ」=相撲
生き残りを争うこと
「しむ」=占める・占領
「しめ」=注連縄
「すは」=座る・諏訪
「いさかひ」=喧嘩
なま・なは

「なま」=生・生活
「なびく」=従う
「なへ」=苗
「なは」=縄・縄張り
「なは」=那覇
「なはり」=名張
「いな」=いなす・稲
はま
あま・うま


「はま」=浜
「はむく」=機嫌を取る
「あま」は、「はま」の転
「あま」=海
あま」=天
「天(あま)」は「あめ」の転か?
「うましくに」=美し国
「うは」=上・うはべ
「いほ・いへ」=家
生活の場

「ま」=真
むべ

「むべ(うべ)」=納得
「むべる?」=もめる?
すべ

「すべる」=統べる
すめら」=皇
「しもべ」=下を管理
なべ

なべて」=並べる
国を平定すること
「かがなべて」
参考コラム
はべ

「はべる」=従える
「はびこる」=勢いを増す
管理する

「べ」=部
むち・みこ

むち」=大己貴
「むらじ」=連
「みこ」=御子
みこと」=尊・命
すく・しこ

「すぐり」=村主
「すぐる」=勝る
「すくね」=宿禰宿奈
すくな」=少彦名
「しこを」=葦原醜男
にき

ににぎ」=瓊瓊杵尊
「にぎ」=饒速日
「にき」=爾支・官名
「なかて」=佳革是
ひこ

ひこ」=彦
「ひく」=卑狗
階級の称号

天皇

かみ
「かみ」=上
「かも」の転
参考コラム
もとつくに
本つ国
とつくに
外つ国=(そとつくに)
なかつくに
中つ国
うちつくに
内つ国=畿内
国名

「に」=土
つくむ

「つくむ」=手を強く握る
「つくま」=滋賀・筑摩
つくし

「つくし」=筑紫・九州
限りを尽くして国造り
つくに

「つくに」=中つ国
つくば

「つくば」=筑波・東国
はいつくばらせて屈服させて
占領地

「つく」=付く
中央集権国家

くに


「くに」=国(「つくに」の転)参考コラム

」=周辺国
なべて」=国を平定して
かがなべて」は、「国々を平定して」という意味だった!
(参考コラム)

大和の上つ世は、群雄割拠していた地方のつはもの達を、
ヤマトタケル(大和武尊)が、かがなべていった歴史だった!








かおる
かがなべて〜」というのは、この前東征したヤマトタケルと火焚きの老人の歌ですね?

つづき
うむ。 今回あらためて、その真の意味を突き止めることができたぞよ!
かがなべて」とは、「国々を平定して」という意味じゃ。 もう間違いない!
かおる
というか、「つくし・つくば」とか、明らかな語呂合わせやダジャレを絡めては、説得力ないですよ〜。

つづき
ん〜? ただの言葉遊びじゃと断言できるのかね〜君は〜?


上の表からは、様々な事実が見えてこう?

もとつくに(本つ国)」は、「大己貴(おおなむち)」の国であり、
みこと(尊)」と呼ばれていたのは彼のことじゃ。
それが、太陽を意味する「」によって、国名が変えられ「ひのもと=日本」となったわけじゃ。

さらに、「御子(みこ)・少彦名(すくな)・瓊瓊杵(ににぎ)・彦(ひこ)」は、古代の階級を表しており、
かみ・くに」の登場によって、それらが下位に従う様になったというわけじゃ。

国つ神の代表、大国主命の別名は、
大己貴(おおなむち)」であるが、「葦原醜男(しこを)」とも言う。
読んで字のごとく、国譲り後に、「しもべ」として下位に貶められた蔑称じゃったのじゃ。
すめら(皇)」という称号は、「みこと(尊)」を統率した者に与えられたものであった。

むち」は、「もと・もち・むら・まとめる」に通じる言葉じゃ。
おそらく「大己貴(おおなむち)」こそが、民をまとめた古代豪族の尊称であったじゃろう。
すくな」は、その配下の豪族じゃったろう。


そして、弥生時代の終わりに、「ににぎ」の一派が国を奪ったのじゃな。
むら」は格下げの言葉となり、「なか・うち」が優位性を持った言葉となったのじゃ。
新しい王は、「すめらみこと(天皇)」という称号を自らに与え、
一方、落ちぶれた国つ神が、い座った場所が「諏訪(すは)」と呼ばれたのじゃ。


かおる
そうなんですか?

つづき
これは、こじつけではなく、


言霊の対応表を通して、自動的に導かれたもの。
言霊とは、まことに恐ろしいものよのお。


古代社会と王の名前のまとめ
むら
村・元・本(もと)
本つ国
さと
里・外(そと)・沢(さは)
外つ国
なか
中・仲→和
中つ国
ふち
淵(ふち)→内(うち)
内つ国
うましくに
美し国(うましくに)
秋津州(あきつしま)
国家形態
むち
睦(むち)・尊(みこと)
婿むこ・御子(みこ)
すく
少(すく) ・庄?・下
皇(すめら)・統べる
にぎ
饒(にぎ)
ひこ
彦(ひこ)
あまつかみ
天(あま)・上(かみ)
現つ神(あきつかみ)
王の尊称
おおなむち(大己貴)
かみむすひ
(神皇産霊尊)
たかみむすび
(高皇産霊尊)
(神代)
しこを(葦原醜男)
すくな(少彦名)(神代)
すくね(宿禰)(上代)
ににぎ(瓊瓊杵)
(神代)
にき(爾支)
なかて(佳革是)
(魏志倭人伝)
ひく(卑狗)
(魏志倭人伝)
くにつかみ(国つ神)
あまつかみ(天つ神)
おおきみ(大王)
(上代)
実例

天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまひこほのににぎみこと)」は、
古代からの王の尊称を並べたものだった!
(「すく」は、「しもべ」として統べられる意味に格下げになったので、除外されている)



かおる
う〜む。 そう、言われれば……。

つづき
興味深いことに、「むら」が、格下げになった事件がもう一つある。


上代には、「むらじ(連)」というかばね(姓)があったのじゃが、
天武天皇の代に、中央集権国家成立のために、行政を改め、姓(かばね)の体系を変えたことで、
むらじ(連)」は、ますます格下げになってしもうたのじゃ。

逆に考えれば、それまで「むらじ(連)」は朝廷に近い立場で参与しておったのじゃな。
むらじ(連)」が、地方のムラの国つ神系の豪族の末裔じゃったとすると、
それまで、朝廷は国の運営のために、国つ神系豪族と共同で協力しながら携わっていたところを、
律令体制の強化により、一気に国つ神系の排斥・切捨てにかかったのではなかろうか?

かおる
より良い国造りのために、人事を刷新したというわけですね。

つづき
天武天皇以前、663年に白村江の戦いが起こった。
日本は百済を救うために、唐・新羅の連合軍と戦い、そして敗れたのじゃ。

白村江の戦で、大量の百済難民や貴族が、日本に流入しているわけじゃが、
その10年後に、壬申の乱が起こり、天武天皇が即位し、急速な中央集権化が起きたのじゃ。

かおる
天武天皇は、686年に亡くなってますが、
712年に「古事記」、720年に「日本書紀」が編纂されるという流れですね。
つづき
なにか……うさんくさくないか?

かおる
べつに?

つづき
そうか……まあ、よい。

かおる
それより、さっきの表で「うましくに」が、入ってますが、
はま・あま」は関連しているとして、「うま」は、関係あるのでしょうか?
つづき
では、「うましくに」をキーワードに、H・K・M子音で、言葉が変化する様子を見てみようぞ。
以前から語っておるように、H・K・M子音は、関係した言葉を作るものじゃ。


うま・あま」の言葉の関係
(H・K・M子音別)

うは

「うは」=上
うか

「うか」=浮かぶ
うま

「うましくに」=美し国
上等
あは

「あはうみ」=淡海(あふみ・淡水)
「あふ」=あふれる・あぶれる
「あぶ」=浴びる
「あふ」=合う・まぜる
「あふぐ」=扇ぐ・風を起こす
「あぶら」=油・水に溶けないもの
「あは」=合わす・間柄・仲間
「あはれ」=感慨・懐かし
「あばれ」=暴れ
「はは」=母
あか

「あか」=明るい・わかる
「あかつ」=分ける
「あがふ」=贖う
「あが・あぎ」=吾が
「はかな」=はかなし
「はかばかし」=しっかりしてる
「はかる」=別る・墓・計る
(古墳のことか?)
「あか」=垢(穢れ)
「あき」=秋・秋津(蜻蛉)
「あきなふ」=商売
「あきつかみ」=現つ神
「あきつしま」=秋津州
あま

「あま」=海人・海(潮海)
「あまる」=あふれること
「あむ」=浴む
「あまし」=甘し・うまみ・塩味?
「はま」=浜
「あまなふ」=仲良くする
「あみ」=網
「あも」=母
「あま」=尼・女
とりまく物
人間の間柄
あへ

「あへ」=もてなす
「あべ」=阿倍・阿倍野
あけ

「あけ」=夜明け・赤
「あくがる」=憧れ
「あが」=上がる・崇める
あめ

「あめ」=天・雨
「あめく・わめく」=叫く
畏まること
おほ=大おこ=驕りおも=重い大きいこと
くふ=食う・くべる(燃やす)くく=くくむ(包む)くむ=汲む調理する
さふ=障るさく=下ぐ・低く降ろすさむ=寒い・醒める不愉快
しば=芝・草しか=志賀しま=島場所
しほ=潮・塩・絞るしこ=醜いしも=下美味くないこと
そぼろ=みすぼらしいそも=そもそも(要因)そこ=底根本的状態
なは=苗・縄なか=中なま=生自然な状態
なひ=萎ひなき=無き・泣きなみ=涙・なみす・並(普通)力が無い様子
なび=なびく(風に服従する)なぎ=凪なみ=波(起伏)海の様子
なふ=綯ふなむ=舐む・嘗む・滑めるなく=薙ぐ加工する
のふ=伸ぶ(くつろぐこと)のく=退く(自由になること)のむ=祈む・飲む精神的開放
ひぼ=ひぼろきひこ=引こひも=ひもろき紐のこと
あはた

「あはたぐち」=粟田口(京都)
「あはぢ」=淡路島
あがた

「あがた」=県
あまた

「あまた」=すべて
領地

「はた」=傍
「かた」=固める
「また」=まとめる
やはた

「やはた」=八幡
「やはら」=和ら→大和
「は→わ」=
やかた

「やか・やかた」=家・屋形船
「やから」=一族
「おやかたさま」=長
やまた

「やまた」=邪馬台国(九州)
「やまと」=大和(畿内)
「やまたのおろち」
国の名前

「やしろ」=社
「しろ」=代

うま・あま・あめ・やまた」は、関連し合う言葉
「あま−やま」「あへなし−やむなし」「あまびこ−やまびこ」

あはれ」とは、終わりを遂げた「わ(倭)」の時代を懐かしむ言葉だった!




つづき
いかがかな? 上の表は、ダジャレの集まりではい。
これらは、紛れも無く古代で使われた言葉であるぞよ。
かおる
あれあれ? 「倭・やはた(八幡)・やかた(家)・やまた」が、同じ語源グループで、
邪馬台・大和」も、同じ語源ということですか? 「やま(山)」の意味じゃなくて?
つづき
まったくその通り。
しかも、「領地」とも関係した言葉じゃ。 つまり……。

やまた」とは、
あまたの領地をまとめる連合国」という意味に他ならぬ!


かおる
うひゃ〜。

つづき
古代では「やまた」は、連合国を意味する一般名詞じゃった。
つまり、九州と畿内に、同じ「やまた」と呼ばれた国があったとしても不思議では無いのじゃ。

おそらく、九州では「やまた」であり、畿内では「やまと」と音が転じたのじゃろう。
やまたのおろち」は、邪馬台国側じゃったかも知れぬ。
おろち」は、「あるぢ(主)」の転じたものとすれば、
やまたのおろち」こそ、邪馬台国の主=卑弥呼の呼び名ということになろうな。
後に、「八つの股の蛇」と伝承され、神話に描かれるような姿になったのじゃろう。

邪馬台」が、「やまた」の音を写したものなら、「台与」も、「たよ」となり、
山門県の土蜘蛛の田油津媛を「たゆつひめ」と読めば、ますます両者の音が似てくるであろう。
山門」も、古代では「やまた」という地名じゃったに違いない。



かおる
ふむふむ……。

つづき
畿内を制した新しい王は、目の前に現れた「明(あき)らか」になった偉大な神として、
現つ御神(あきつみかみ)・現つ神(あきつかみ)」と呼ばれたのじゃ。

そして神の国は、「秋津州(あきつしま)」と呼ばれるようになったのじゃな。
蜻蛉(トンボ)を「あきつ」と呼ぶのは、「赤い」からであろう。 「あか→あき」じゃ。
赤トンボの季節を、「秋(あき)」と呼んだわけじゃ。
赤トンボの語源は、「秋津ん坊(あきつんぼ)→あかとんぼ」だったりしたのでは無かろうか?


かおる
語呂合わせで、古代史を紐解いた人は、師匠が初めてでしょうね〜。












付録・年表




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