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「い」の真実


September.5.2004





かおる
は・が」が前置詞だったといい、
畑は、「は・たけ」という構成だったといい、日本語をネタにしていじり過ぎてませんか?
つづき
真理を目指すものは、往々にして理解されぬものじゃよ。 ふぉっふぉっふぉ。

かおる
もう、ここのコラムは、誰もまともに読んでないと思いますが、それでも我が道を行くおつもりですね?

つづき
ほれほれ、「我が道」と言ったとき、その文法構造すら、上手に説明できぬであろう?
現代日本語では「我の、道」と言うべきじゃが、なぜ「我が、道」なのか?
答えは簡単じゃ。 「我、が道=自分の特別な道」と、解釈すれば、
構造的には、「銀座大通商店街」と、同じことになるじゃろう。
は・が」は、後ろの語句を装飾しているにすぎぬのじゃ。



」=特別な
自分にとって特別な道
銀座通商店街銀座にとって特別な商店街


」=普通な
春に見られる普通の朝
銀座通商店街銀座に見られる普通の商店街



かおる
どこまで本気なんだろうかこの人は(苦笑)。

つづき
日本語の文法研究というものは、江戸時代に活発になったものじゃ。
当時の国語学者が犯した重大なミスが、現代まで尾を引いておるのじゃな。
かおる
ミスって何ですか?

つづき
当時の学者達は、大変な手間をかけて、和語の単語を丁寧に拾い集め、語彙を探ったことと思う。
その功績は素晴らしいものじゃ。 が、日本人であったがために、気付かなかったことがあったのじゃな。
かおる
気付かなかったこととはなんでしょう?

つづき
和語を、子音と母音に分けて考えるということじゃ。
この考えは、外国の比較言語学のほうが発達しておるな。 「ク語法」も、外国人の発見じゃった。
かおる
でも、文法上、大きな問題じゃないでしょう?

つづき
語源を探るという点においては、少々まずいことになっておるのじゃよ。

かおる
語源を探る上で、どんな障害が?

つづき
たとえば、「い隠る(いかくる)」という、語句があるのじゃが、
」は、強意の接頭語とされておる。
隠る(かくる)」という、よく知れた語句があったために、「」という接頭語を見つけられたのじゃろう。
しかし、それが限界じゃった。

単純に、「」が接頭語じゃったということが忘れられたために、
本来、同じ意味のはずが、別々の語句のように思われてしまったものがあるのじゃ。



いかくる(隠る)=+かくる(隠る)
いとほし(愛しい)=+とほし(遠い)
いななく(嘶く)=+なく(鳴く)
いはく(曰く)=+はく(吐く)
いのり(祈り)=+のり(詞)




かおる
まあ、それくらいなら、納得しないでもないですけどね〜。
語句を組み合わせて、造語されていったってことでいいじゃないですか。
つづき
まだまだ、接頭語の「」には、もっと深い用法があるのじゃぞ?
接尾語にもなったりするのじゃ。


いへ(家)=+へ=へ+=へい(塀)



かおる
へ〜?
て、おやじぎゃぐですか〜?
つづき
あなどるでないぞ。 まだまだ用例はあるのじゃ。



+か+く+る=かくる(い隠る)
か++く+る=かくぐる(敵から隠れるということ)
か++く=きく(利く)=機転を利かせて、隠れたりすること


接頭語の「」は、接尾語にもなり、
同じような語彙で、違う語句を作ることがある。
母音が前の語句に接続・吸収されることもある。





かおる
な、なんだって〜〜〜〜〜っっ!!!???

つづき
かくれる・かいくぐる・きく」は、別々に生まれた語句のように見えるじゃろうし、関連性もなさそうじゃ。
じゃがしかし、「いかくる」という語句があったことが大きなヒントじゃったな。



かくる=かくれる(隠れる)
くる=かいくぐる
く=きく(利く・機転・工夫する)

これらは、「」=「生きる」という意味で共通し、派生した語句




かおる
ちょっと待ってくださいよ〜〜。 あまりにも、強引すぎやしませんか? その論理展開は?

つづき
きく」には、「聞く・利く」と、二つの意味があるが、同じ語源とは思えなんだのじゃが、
利く」の、超古代語が「かぃく」であれば、すべての謎が解けるのじゃ。
かおる
いや、しかし、そうはいっても……。

つづき
まだ、あるぞ?  「」には、「見・海・身」などの意味があるが、
なぜ、同音異義語がこれだけ生まれたのか?


今=+ま=ま+=み(見る・回る)=現状を見回り、確認する言葉
忌=+む=む+=み(水・海)=みそぎに関係した言葉
妹=+も=も+=み(身・実)=血縁関係の人・近い人


「見・海・身」の超古代語は、「まぃむぃもぃ」だった!




かおる
うひゃ〜。

つづき
同音異義語があるということは、古代では、別々の語句として区別されていた可能性があろう?
見・海・身」は、「まぃ・むぃ・もぃ」と、呼ばれておったに違いない!
かおる
言語学的な根拠は無いでしょう。
見・海・身」は、まるで古代では二重母音だったとでもおっしゃりたいような?
つづき
日本語には二重母音は無いことになっているが、一時期には、二重母音があったのかも知れぬ。

かおる
同音異義語も、偶然か、3種類の言語が混じって借用しあったものかも知れませんよ?
実際、どうだったかなんて、わかりませんよ〜?
つづき
まだ、例はあるぞよ? 「散・地・知・血・千」は、すべて「」と発音するが、
これも超古代では、「たぃ・ちぃ・つぃ・てぃ・とぃ」という様な発音じゃったと考えられよう。


至=+た=た+=ち(散)=場所に向かう言葉
市=+ち=ち+=ち(地)=人の集まる場所
何時=+つ=つ+=ち(知)=時間を知ること=「つい」
痛=+て=て+=ち(血)=ケガをしたときの言葉
糸=+と=と+=ち(千)=数が多いこと


数詞の「千(ち)」は、「糸(いと)」が語源だった!





かおる
ええ〜〜? 数詞の「」は、糸の数が語源だったんですか?

つづき
そういうことじゃろうな。 繊維を千本紡いで、「」としたということであろう。
糸にまつわる言葉は、まだあるのじゃ。


いと(糸)=多くが結びつくこと=と+い=ち(千)
いとふ(厭う)=数が多くて嫌になる=とふ(問ふ)
いどむ(挑む)=糸を紡ぐこと=とむ(富む)=つむ(紡ぐ)
いとなむ(営む)=紡績工場=となむ(整む・ととのう)
いとま(暇)=糸を紡ぐ間=とまどう(戸惑う)
いとこ(従兄弟)=親戚の結びつき=と+い+こ=ちご(稚児・乳子)


」=結びつきの元=「とと(父)
ち(千)」=多くの結びつき=「ちち(父)


かおる
なるほど〜。 こんな風に、数詞の「ち(千)」の語源が明らかになるとは。
でも、文字の組み換え(アナグラム)で別の言葉を作るってのはどうも嘘くさいような……。
つづき
関連した語句が多い、というところが肝要じゃよ。
」は、格助詞でもあり、結びつきを意味する語句に間違いあるまい。
」が、語尾に付くと、完了形の「」じゃ。 「ち(地)」は人が結びつく場所じゃ。
」とは、古来より、特別な語句じゃったのじゃろう。

このように母音の位置を組みかえられる例は、「あ・う・え・お」よりも、格段に多いのじゃよ。
偶然の語呂合わせなら、他の母音でも文字の組み換えは可能なはずじゃろう。



あまねく=+まねく=まねく(招く)=ま+い+ね=みね(峰)
峰=おほみねいり(大峰入り)=修行
往ぬ=+ぬ=ぬ+=に(土・玉)
土=死んで土になる/玉=魂になる/に=(格助詞・強い関係)
疑う=+たがふ(違う)=た++か+ふ=つかふ(つかみ)
つかみ=欲が深い・賄賂を取ること
えも=+も=も+=もえ(萌え・芽)=生き生きとしている
えも=よくもまあ/えもいはず=なんとも言いようが無い
お=(大・御)
「お」の付く語句は、母音の組み替えがなかった?


このように文字を組み替えられる例は、「」が格段に多い。



かおる
たしかに、「」の付く語句以外は、
母音を組み替えても意味の有る語句になるのは多くありませんね。
つづき
素直に考えれば、いままで不明じゃった語源も、簡単に探ることができよう。
例えば、こんなふうにじゃ。


つくし(美し・慈し・厳し)=+つく=つく+=つき=「


「月」の語源は、「美しく、慈しく、厳しく」という意味だった



かおる
なるほど〜。 単純に、「付いて来る」というような語源説は味気なかったですからね〜。
これは信じたいかも?
つづき
そうじゃろ? そうじゃろ? うぉっほっほっほっほっ。
では、これは、どうじゃ?


のち(命)=+の+ち=の++ち=にち=「西


「西」の語源は、「命・魂」の去っていく方角という意味だった

「に」=土=死んで土になる/玉=魂になる
「に(魂)」+「ち(地)」=「にち(西)」
「日(にち)」と言う発音は、呉音と言われていたが、和語としてあったのかもしれない
「い+にし(西)」=「いにしへ(古・過去)」



かおる
にち」が、転じて「にし(西)」になったということでしょうか?
し・ち」では、ずいぶん音が違うような?
つづき
いやいや、そうでもないのじゃ。
幼児語では、「さしすせそ」が、「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」になってしまうのじゃな。
かおる
うむむ。 子供はそんな風に喋りますね。
たしかに、「サ行」が、古代では「チャ行」だったという説はあるようですし。
つづき
そうじゃろ? そうじゃろ? うぉっほっほっほっほっ。
今回は、かなり的を射ておるのではないじゃろうか? では、これは、どうじゃ?


は(岩・祝い)=+は=は+=はい=「
ひ(飯)=+ひ=ひ+=ひ=「


「拝」の語源は、「いは(岩)」を祝う意味の「はい」だった
「火」の語源は、「いひ(飯)」を炊く意味の「ひぃ」だった

「はい(灰)」=は+い=い+ひ=「いひ(飯)」=「ひ(火)」≠「日」(灰・飯と関係するので「日」ではない)
「こはいひ(強飯)」=蒸篭で蒸したもの
「ひめいひ(姫飯)」=水で炊いたもの



かおる
ほほう。

つづき
いは」は、「岩・祝う」両方の意味があるのじゃ。
これは間違いなく、石器時代の巨石文化の言葉に違いない!

しかも、「」を「拝む」というわけじゃから、
古代日本では、拝火教が支配していたという、
動かぬ証拠がヤマトコトバに刻まれておったというわけじゃ!

わしの論理展開も、ここに極まり! 完璧な超古代透視リーディングじゃ!!
ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉっふぉっふぉっふぉっふぉ!



かおる
最後に、そういうネタを振らなければいいものを……。















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