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封印された大ナマズ


November.13.2004





つづき
というわけで、超古代の人々は、「巨石」を祀る巨石信仰に始まり、「巨木」を祀る巨木信仰と続き、
瓶(かめ)・甕(みか)」を祀る「巨甕(みか)信仰」に行きついたということが見えてきたじゃろう?
かおる
巨石や巨木はともかく、
いきなり、「巨甕(みか)」って言われてもピンときませんね〜。
つづき
とにかく、このような古代信仰が、新興の天津神によって征服されてきたのが日本の歴史じゃ。
神々の古代の戦いの様相が、国津神・天津神の神話にも現れてきておるのじゃ。
かおる
あ〜、国譲りの神話ですね? でも、出雲とか、限られた地方のクニ同士の争いでしょう〜。
国津神もおとなしく天津神の神話の系譜に組み込まれてしまいましたね。
つづき
しかし国津神と呼ばれる古代の神は、現代でもなお、人間界に災いを及ぼし、
天津神は祟りを畏れて封じておるのじゃぞ?

すなわち、スサノヲ対タケミカヅチ!


かおる
???? スサノヲと、タケミカヅチってことはないでしょう?
国譲り神話で、タケミカヅチが対峙したのは、オオクニヌシでは?
つづき
スサノヲは、国津神のルーツじゃ。 そして、ここでも解説したように、
もともとは、火の山、地震の神であったであろう。
かおる
仮にそうだとしても、タケミカヅチと、どういう関係が?

つづき
まだわからぬか? 地震が起きぬよう、タケミカヅチが祀られておる神社があろうぞ。



地震の要、鹿島大明神


鹿島神宮
(茨城県鹿嶋市)


御祭神は、
武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)

武甕槌大神は、火の神カグツチから生まれた。
社殿前には、地中から少しだけ頭を出している巨岩「要石」があり、
地震鯰の頭を抑えつけていると伝承される。




創建は、神武天皇即位の年までさかのぼるとされる。
平安時代の延喜式では、伊勢、香取に並び、神宮の号を持っていた古社である。
北方の30kmほどの日立市には、天津甕星を祀った「大甕倭文神社」がある。
蝦夷と大和朝廷が対峙した、東方開拓の最前線でもある。

武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)は、オオクニヌシに国譲りを迫った。
オオクニヌシは、スサノヲから6代目の国津神の子孫である。

鹿島神宮は、古代の国津神と、天津神の因縁を引きずっている。







つづき
鹿島神宮は、地震をおこす鯰(なまず)を封印しておるのじゃ。
スサノヲもまた、地震を象徴する荒らぶる神ではなかったのか?


地震は、天津神であろうが、大和朝廷であろうが、どうにも防げぬ災害じゃ。
スサノヲのような古代の国津神系の神が、根の国で荒らぶり、地震が起こると思われたに違いない。
それゆえ、国津神と因縁深いタケミカヅチを祀り、封印しようとしたのじゃろう。
古代の神は、蝦夷達の神でもあるわけじゃから、蝦夷の領域の目の前に、
鹿島神宮を鎮座させたというわけじゃろうて。


蝦夷=国津神(スサノヲ)=大鯰




かおる
ほほぅ? でも、蝦夷が先住民で、スサノヲが地震の神だったとしても、
どうして「」が関係してくるのでしょう?
つづき
かおる君は、「鯰が騒ぐと地震が起こる」という伝承について知っておるかね?

かおる
う〜ん。 鯰と地震の関係は、古くから言われているようですが、
起源については、よくわかってないみたいですね〜。
つづき
日本人が、鯰と地震を結びつけた起源は、はるか古代のことであろうな。
鯰と神は、神代にまで遡る深い関係があるのじゃぞ。
かおる
鯰と関係のある神様なんていましたか?

つづき
古い神社には、御祭神のほかに、縁起のある「つかはしめ(神の使い)」を崇めているものじゃ。
たとえば、このようにな。



つかはしめのいろいろ

熊野神社(八咫烏)
厳島神社
鹿厳島神社
鹿島神宮
春日大社
日吉神社
日枝神社
出雲大社
三輪神社
大神神社
諏訪神社
伊勢神宮
石清水八幡宮
稲荷神社
北野天満宮
天神様(菅原道真)
気比神宮
松尾神社
三島神社
愛宕神社
三峰神社(犬神)
大豊神社
調神社
羊神社
狛犬氏神
日峰神社
阿蘇神社
宗像神社(京都)



地震の原因、大鯰は、阿蘇神社の神の使いだった!



阿蘇神社の御祭神、健磐龍命(タケイワタツノミコト)は神武天皇の孫。
高千穂に天下った神武天皇により、阿蘇の開拓を命じられた健磐龍命が、
阿蘇のカルデラ湖の水を排水しようとしたとき、
途中で水をせき止めていたのが、大鯰とされる。


天孫族の地上の開拓を最初に邪魔した者が、なのだった!


地震の多い阿蘇の神社で鯰が祀られているのは、偶然ではない!
健磐龍命は、神武天皇の孫とされており、
地震と鯰の関係は、神代からの伝承であろう。




阿蘇の鯰は天孫族の敵

鯰が暴れると地震が起こる

地震を起こしているのは、根の国を支配しているスサノヲ

タケミカヅチで封印すべし

蝦夷も一緒に封印しよう

茨城に鹿島神宮が建てられる



これが、
鹿島神宮がタケミカヅチを祀り、
要石で地震鯰を押さえ、
蝦夷との国境に創建された理由だ!






かおる
おっと〜! 地震と鯰の関係の起源が、阿蘇にあったというわけですか〜?
あ、でも、鹿島神宮の要石も、江戸時代では「」を押さえてつけていたとされていますよ?
つづき
竜じゃとな? それはおかしい。 竜は、大陸から持ち込まれた獣であろう。
江戸時代に、たまたま竜が流行しただけではないか?

鯰と地震の関係が伝承されているということの方が重要じゃ。

日本は、地震国である。
鯰が暴れると地震が起こると言う先人の知恵は、
古代より、日本人の頭にインプットされていたはずじゃ。
その起源は、多くの火山を抱え、弥生人の故郷である、
九州にあると考えて間違いない!



つづき
余談じゃが、神の使いに「」がおらぬのが、面白い。 馬は、日本の固有種ではなかったのじゃろう。
は、神の使いではなく、神への献上品「えま(絵馬)」として伝えられておる。
かおる
いやしかし、またぞろ、阿蘇神社のネタにループしてくるとは、思いませんでした。

つづき
このように、日本の古代史を紐解けば、
思わぬ点と点に、深い結びつきがあるということじゃよ。
かおる
そういえば、このまえ紹介した「三瓶神社」は笠間市にありましたが、
笠間(かさま)鹿島(かしま)って、音が似てますね?
つづき
な、なに?! ほ、本当じゃ! かおる君、これは大発見の予感じゃぞ!

かおる
あ、余計なこと言っちゃったかな?

つづき
きっと、古代の茨城のこのあたり一帯を、「かしま」と言っていたに違いない!
そうじゃ! 「かしま」=「処のシマ」=「遠くの領地」という意味じゃったのじゃ!
かおる
本当は、鹿(しか・かのしし・かのこ)の「」なので、お間違いなく〜。












付録・年表




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