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超古代の世界観とは?


August.31.2004





かおる
超古代の世界観とか、ご大層な題目を掲げてますが、大丈夫ですか?

つづき
前回までで、説明した通り、
古代の言葉では、「か・は・ま」は、関連し合い、重要な音じゃったと知ったじゃろう?
かおる
まあ、なんとなく。 「か・は」は、それぞれ関係ありそうな感じにはなってきましたね。
かた(方)・はた(端)」「かむ(噛む)・はむ(食む)」と、確かに関連しあってますし。
つづき
そこに立ち入れば、後は簡単じゃ。
現代では忘れられた古代語句であっても、見つける手掛かりを得られたということじゃ。
かおる
ほほぅ?

つづき
たとえば、次のようにじゃな。



なた=彼方(かの手・かの方向)/特別に遠いところ

なた」という語句があるなら、
なた」という語句が古代にあっても不思議ではない

なた=はなた(仮想語句)/普通に遠いところ? (離れた所)

はなつ(放つ)・はなる(離る)」に転じたに違いない




かおる
ん〜。 「はなた」ですか。 確かに、「はなれた」と言うし、ただの語呂合わせよりは信憑性あるかも?
かる」も、「離る」で、離れるという意味がありますからね。
つづき
かる(離る)」に対して、「はる」は、「はるか(遥か)」という意味じゃな。
どちらも、遠い所を意味する、指示代名詞なのじゃ。
かおる
すると、「」も、関係して、「まなた」という語句もあったのでしょうか? 
」には、「真実」というか、現実的な意味がありましたね?
つづき
古語辞典には、「まな=(禁止・制止)」の意味があるとある。
遠くの場所」、という意味とは反して、「ここに留まる」と、捉えれば、関連性はあるじゃろう?


かる(離る)=遠ざかる
はる(放る)=放り上げる
まる(丸)=留まるの意味=巻く・しまる(縛る・叱る)


まる(丸)」を地面に描くと、
書きはじめの位置に戻り、中にモノを閉じ込める。
止まる・留まる・出られなくする」という呪いの言霊
舟に「」をつけるのは、無事に帰って来るようにとのまじないか?







まなた=留まる場所

みなた=水の留まる場所

みなと=人(舟)が利用する水辺・港

まなた」は、「みなと」に意味が転じたに違いない

そして

みなみ」=とても水の多い水辺(海・南側)


かおる
なるほどね〜。

つづき
そこで、次のような語句を集めてみたのじゃ。
か・は・ま」と、語尾に「」母音をつけた完了形の「き・ひ・み」と、
他の語句を組み合わせて動詞や熟語にしてみたところ、
驚くことなかれ、古代の人々の世界観が、ここに凝縮されておるということを発見したのじゃ!




「か・は・ま」と、「き・ひ・み」と、
その他の語句を組み合わせた表


あ〜あかあきあはあひあまあみ
〜しかしきしはしひしましみし
〜たかたきたはたひたまたみた
〜つかつきつはつひつまつみつ
〜なかなきなはなひなまなみな
〜ゆかゆきゆはゆひゆまゆみゆ
〜るかるきるはるひるまるみる

なんとびっくり!
これらの語句の中に、
古代人の世界観が凝縮されていた!





かおる
つ〜か、さっぱり、わかりませんけど?

つづき
仕方ないのお。 では、もっと解り易いよう、表を組み直してみるとしよう。
うりゃ!





「か・は・ま」と、「き・ひ・み」と、
その他の語句を組み合わせた表



太平洋方面
南を向いて、左側

かなた=果てがない
東の彼方
キ=岸(陸)・北・月
あき(秋)?
き(やってくる・向こうにある・過去)
きし(岸)
きた(北)?
きつ(来着)・ふきつ(不吉)
きなた?≒きない(畿内)
きゆ(消える)
きる(防寒着)
きのふ(昨日)
大陸方面
南を向いて、右側

はてる(果てる)=大陸に着ける
西の果て
カ=かなた・東
あか(赤・明るい)
か(処・遠称代名詞)
かしこ(遠称指示代名詞)
かた(方・潟・入り江)
かつ→がつ(月)?
かつて(過去・離れてしまって〜)
かづく(水に潜る)・ちかづく(近く)
かなり・かなふ・かなし
かなた(彼方)
かゆ(離ゆ)
かる(離る)
狩り・かて(糧)を探すこと
日出づる河岸→ひがし(東)?
(日が差すか?)
ヒ=日・聖
あひ(合・中間)
ひ(今日の日)
ひし・ひしり(聖・日知り・優れた人)
ひた・ひだまり(日溜まり)
ひつ(水に浸る)
ひつき(日月)
ひなた
ひゆ(冷える)→ふゆ(冬)?
ひる(昼)
ひうが(日向)
ひたか(日高)
ひたむき(日に向かう)
ひく(引く)・ひぐれ(日暮れ)
ひくらし(日暮らし・暮らし・暗い)
ハ=果て・西
あは(淡い)
は(端・遠称代名詞)
はし(地の端)
はた(波多)
はた→ワタ(海)・渡る
はつ(果つ)・果て
はつ(泊つ・舟が泊まる)
はつか・わづか・はつひ(初日)
はなた(放た)→はな(花)?
はなつ(放つ)→なつ(夏)?
はなれる(離れる)
はゆ(映える)
はる(広がり・はるか)→はる(春)?
日が端に沈む→にし(西)?

海を見て水平線に日が出り
ひでり(左)
ミ=海(水)・南
あみ(浴み)
み(水)
みしぶ(水垢)
みた(満た)
みつ(満)・みづ(水)
みなた→みなと(港)→みなみ(南)?
みゆ=見る
みる=海を見る?
みなぐ(なごむ)=なぎ(凪)≒なみ(波)
みなぎる(水が満ちる)
みなかみ(水神)
みのも・みなも(水面・水平線)

海を見て水平線に日が見切る
みきり(右)

マ=現実・呪い
あま(海・天?)
ま(真実・現実)
まし(非現実)・混じる・ましら(猿)
まじこる(呪いに引き込まれる)
まじもの・まじない
また(又/選択肢?)
待つ・まつる(従う)
まな(制止)・まなた→みなた(港)
まよふ(迷う)・まやかし
まる(丸・完全・舟の接尾語・止まる・留まる)
まみれる
まとふ(纏う・惑う)



「東西南北・春夏秋冬・右左・地・海・現実・神秘」の語源が、現れた!
これが、超古代の世界観だ!








かおる
こりゃまた、大胆な仮説ですね〜?
東西南北を、「カ・ハ・ミ・キ」で表すなんて、突拍子すぎて、誰も想像できないでしょう?
つづき
カ・ハ」が、対となる遠称代名詞であり、古代では何がしかの方角を意味していたと洞察できねば、
ここまでの結論には至れまい。
かおる
でも、「西」の語源なんて、かなり無理がありませんか?

つづき
西」は、近世語なんじゃろう。 これらの限られた語句のグループの中に、
世界観が凝縮されているということが、重要なのではないじゃろうか?

言葉をひとつひとつ見てゆけば、
大海に浮かぶ島国の海洋民族らしい世界観が伺えよう。


これらの語句の共通のキーワードは、「」じゃ。

海洋国家にふさわしいと共に、
古代人にとって、「」は、まさに厳しい現実そのものじゃった。
ときに恵みをもたらし、ときに人を飲み込んだのじゃ。

毎日、海(う)を見ていたに違いない。 身(海)の安全や漁の行方を左右するからのお。
海の様子を見ることが、「海る=みる=見る」なのじゃ。
目(め)が見えることは、「めえる」と言っていたであろうな。
海を見て、「みなも(水平線)」に、太陽が昇り、沈みゆく様を、「日出り・見切り(海切り)」と、言い、
自分から見た方向を、「左・右」と呼ぶようになったのじゃ。

そのような、海(み)方角(カタ)を眺めることを、「みかた」というのじゃ。



自分達が存在する現実の場所が、「(間・今・真)」なのじゃ。
この語句は、無論、「シマ・ヤマ・ヤマト・ヤマタイ・クマソ」などと繋がるじゃろう。
ちなみに、人間は、「ワ(倭・我)」と、呼ばれておったな。




かおる
ふむふむ……。

つづき
周囲の方角(東西南北)は、「カタ・ハタ・ミタ・キタ」と、それぞれ呼んでいたのじゃろう。

何処かの「かなた」に対して「ひなた」とは、
そう、ひたひたと、直射日光のあたる、此処の場所そのものじゃ。
ヒタ」=現在の直接の立ち位置のことじゃ。 狭い場所を猫の「額(ひたひ)」と言うじゃろう。
では、「」を接尾して、「ひたか」としたら、どうなるか?


ひた+か=「ひたか(日高)」=中央の土地
ひう+か=「ひうが(日向)」=日が始まる土地(ひう=「日」の動詞=昼)




「ひたか(日高)」「ひうか(日向)」は、どこに?
他の地名も探してみよう!
古代人の住んでた場所がわかるかも?!





かおる
えええ〜〜?? 昔の人の方位の言葉が、今も地名として残ってるんですか?

つづき
日が落ち、冷えてきたらば、「ひゆ(冷ゆ)=ひうゆ=ふゆ(冬)」と、呼んだことじゃろう。
西の「ハ」の方へ太陽が高く放たれ(はなつ)ば、「はる(春)」となり、「なつ(夏)の季節が巡ってくるのじゃ。


はる(放る・はなれる)=はる(春)
はなつ(放つ)=なつ(夏)

どちらも、太陽が空へ放たれる季節のこと


はな=花・華(栄華)=輝く状態=「"はな"が有る」
はる=春・栄ゆ・張る=栄えある季節=「"張り"がある」
はら=原=浜・ひろい土地=豊か=「母の"はら(腹)"から産まれる」
はれ=晴れ=栄誉=「"晴れ"着」
はて=果て=(苦難の)終わり・海の果ての大陸に着く・恵みが多い
はた=恵みのある方向

「日が"昇る"」は、太陽が上がること?
のぼる=延びる=日が延びる=日が長くなる=時間的ということ。



春の訪れを知らせる「はな(花)」とは、古代では「うめ(梅)」であった。
語感が、「うみ(海)」と似ているではないか?
なぜか後に「さくら(桜)」に変わったわけじゃがのお。



日月」を、「ひつき」を読むようじゃが、この場合の「」は、接続助詞ではなかったか?
月は、もともと「」に対する「」じゃったのでは、ないじゃろうか?
と、すれば、

キ・ヒ・ミ」=「月・日・海

と、大変都合よく日本的な世界観が出来上がるのじゃが? さすがにコレは出来すぎじゃろうか?
う〜む。 気になるところじゃ。 「ヒミコ」とも音が近いしのお。




舟に乗り、「」へ向かえば、必ず「きし(岸)」につく。 その方向(た・手)が「きた(北)」じゃ。
古代人から見て、北方の大地の中のことを、「きない(機内)」と呼んだのではないじゃろうか?
あき(秋)」は、北から、やってくるものじゃ。
気温が下がれば、野山の獣は冬眠し、果実が消え、衣服を「きる(着る)」ということじゃ。



陸から「」の方角には、「みなと(港)」があったのじゃ。 舟が海に出る場所じゃ。
海洋民族にとって、海の様子は常に見ていなければならぬもの。 つまり「みた=見た」じゃな。
海が「みつる(満つ)」ことから、「みづ(水)」という言葉が生まれたのである。
みなぐ」とは、「なごむ」という意味じゃ。
穏やかな波の日を「なぐ=なぎ(凪)」と言ったことじゃろう。



」の方角「かた=潟(入り江)」を出れば太平洋じゃ。
海のかなた(彼方)に、なにがあるじゃろうと、思いをはせていたであろうな。
海を渡るには、何月もかかったかも知れぬ。
海に出た者は、家族に「カタミ」を残したことじゃろう。



」の方角のことを「はた」と言ったはずじゃ。
ハの方角=西」は、「大洋のかなた=東」とは違い、
海を舟で渡れば、すぐに大陸じゃ。 必ず「はつ=(果て・終わり)」があるのじゃ。
大陸が迫れば、遠くに淡く見えたことじゃろう。

大陸まで舟で果て付く日数は、およそ「水行二十日(はつか)」だったに違いない!
二十日で、船旅は果てる(終わる)のじゃ!

これで、二十日を「はつか」と言う謎が解けたであろう!







かおる
うひゃ〜。 一気に、世界観はおろか、数詞の語源まで説明しちゃいましたか!
でも、「はつ=果つ」が、「はつか(二十日)」の語源というのは、無理を感じなくもないですが……。
つづき
また、語呂合わせじゃと思っておるのかね?
ならば、なぜ、二十歳を別名「はたち」と言うのじゃろうの? もともと年齢とは関係ないぞよ?


はつか」=「ハツ(果つ)、カ(処)」=「海を渡りきった場所」
はたち」=「ハタ(果た)、チ(地)」=「海を渡り終えた場所」

↑実は、どちらも同じ意味!



無事に海を渡りきる=「ハタス(果たす)」=一人前=成人




かおる
あ〜、でも、「はたす(果たす)」自体の語句は、特に「」を意味するものでは無いでしょう?

つづき
いやいや、「ハタ」は、次のような当て字も使われるのじゃぞ?
はた=海の向こう」という意味以外に、うまい説明があるなら聞いてみたいものじゃよ。




ハタ」=「波多」=波が多い=海しかありえない



はた」へ行くことから、「はたる=わたる(渡る)」という動詞がうまれたのであろう。
そして、海の別名も「わた(海)」じゃ。 海神の名も、「わたつみ」じゃ。

大陸へ渡る側の西の海のことを、「ワタ」と、言ったに違いない。


ちなみに、当時、海を渡った「ハの方角の地」とは、朝鮮半島も含まれていたと想像に難くない。
つまり、「百済(ペクチェ)」と、交易していた頃の言葉ということになろうな。
その、交易拠点となった土地こそ、


は+かた=「はかた(博多)」なのじゃ!




かおる
うひゃひゃ〜。 今回のネタは、いつになく、畳み掛けて来ますね〜???

つづき
ネタとはなんじゃ!
これほど、理路整然と、方位・季節・右左・世界観・地名までも統一的に説明できるということは、


真理以外のなにものでもないということではないのじゃろうかね? かおる君。


かおる
つ〜か、平仮名が多くて読み難いです。(苦笑)

つづき
話は、まだまだ、これからじゃぞ?
さて、ここまで来たからには、「倭人」が、なぜ「」と、呼ばれておったか、察しがつくであろう?


「倭人」=「ワ」=ワタ(海)を渡る人=「海人(ワト)」なのじゃっ!




かおる
ワト? 聞いたこともないです。 そんな人。

つづき
志賀島で発見された金印、「漢倭奴国王印」の「倭奴」は、実際どういう発音だったのか?
」は、漢音で「」とも読むようじゃが? (→奴隷・どれい)
かおる
あ、じゃあ、やっぱりこの記事とか、この記事ネタだったんだぁ〜!

つづき
じゃから、人というのは、進歩するものじゃと、言うておろうが!
研究の積み重ねにより至った最新の結論じゃよ。
かおる
師匠の場合は、あまりにも、思いつきクサイですから。

つづき
何をいうか! 思い付きとは、けしからん!
そうまで言うなら、とことん、思いついてやろうぞ!






今日の思いつき劇場「大和建国の謎を解く!」



はるか昔、日本海沿岸に、「ワト(海人)」という海洋民族集団がおった。
彼らは、外洋航海術を持ち、大陸とも交易をしておった。
大陸の人々は、彼らを「」と、卑しい当て字で呼んでおった。
一方で、「ワト(海人)」は、山地に住む「ヤマト(山人)」と、抗争しておった。

その頃、「ハタの方角の地(朝鮮半島・百済)」より、使者が訪れるようになり、
密かに「ヤマト(山人)」と通じるようになった。
彼ら渡来人もまた、「ハタ」と、呼ばれた。

ハタ」の使者は、カイコやワタ(綿)を持ち込み、「ハタ」の技術を「ヤマト(山人)」に伝えた。
それは、カイコの繭や綿の繊維から糸を紡ぎ、反物へと仕上げる道具で「ハタ(機)」と呼ばれるようになった。
ヤマト(山人)」の国は、たちまち、絹・棉織物の生産地として大陸と交易し、力をつけ、
ワト(海人)」を圧倒していったのじゃ。

ヤマト(山人)」は、大陸との交易のみかえりに、「カガミ(鏡)」を貰った。
このアイテムは、まるで太陽のごとく光を放ち、民衆を惑わすためにうってつけじゃった。
そうして、「ヤマト(山人)」の神官は、太陽を神とする「アマテラス神」を祭ったのじゃ。
民を導き、オオヤシマの征服に乗り出した。

ヤマト(山人)」は、朝鮮半島の楽浪郡に使者を送り、
ハタ(朝鮮半島・百済)」の渡来系海軍を味方につけて、連合国家を結成したのじゃ。

その名も「ヤマタ」。

これが、魏志倭人伝で有名な「邪馬台」の正しい読み方であることは、言うまでも無い。
ヤマタ(邪馬台)」は、オオヤシマの少数部族を次々と制圧し、
ついに「ワト(海人)」も、「ヤマタ(邪馬台)」に屈したのじゃった。 「海彦山彦伝説」の通りじゃ。

ワト(海人)」のよりどころであった「あま(海)」は、
ヤマタ(邪馬台)」によって、太陽神の住処である「あま(天)」と言い換えられた。
記紀神話の神では、「あま(天)」と呼ばれることが多いのに、
天地といえば「アメツチ」なのは、昔の呼び名の名残である。
古代での本当のの呼び方は、「アメ」が正しいのじゃ。



オオヤシマを制覇した「ヤマタ(邪馬台)」じゃったが、
ヤマト(山人)」は、「ハタ(渡来系軍隊)」との連合を打ち切った。



ヤマタ(邪馬台)」の軍事力はすさまじく、鉄器も自在に操れたため、
渡来勢力に、逆にオオヤシマを奪われる危険に、ハタと気づいたためじゃった。

しかし、「ヤマト」が、抜けた後も、「ヤマタ(邪馬台)」は、小国家連合を築き、勢いは止むことがなかった。
連合国「ヤマタ(邪馬台)」を葬るために、「ヤマト」は、出雲の国と連合し、援軍を要請した。
その、出雲の大将がスサノオであり、「ヤマタノオロチ説話」のモチーフじゃ。

ヤマト」は、出雲の国の加勢により、見事「ヤマタ(邪馬台)」を打ち破り、勝利を収めることができた。
ヤマト」は、渡来人を支配下に置き、タタラ製法など、鉄器の技術を受け継いだ。
しかし、出雲の人々は、後に、「ヤマト」に出雲の国を譲らされ、配下となった屈辱感があったに違いない。
出雲の人々にとって、「ヤマタ(邪馬台)」との戦いは、結果として価値のあるものではなかったのじゃろう。


ヤマタノオロチ説話が、記紀神話に記載され、
出雲風土記に記載されてないのは、そのためじゃ。

そうして「ヤマト(山人)」は、再び独立し、「ヤマト」を正式な国号とした。
連合国「ヤマタ(邪馬台)」は、ヤマタノオロチという怪物として、歴史から葬られることとなった。




ヤマト」は、対外政治で、自らを、「ワト(海人)」よりも偉大な「大倭」と名乗ることにした。
しかし、発音は「ヤマト」のままじゃったので、
後世、どうして「大倭(大和)」を「ヤマト」と読むのか、謎のままになってしもうた。
一方、「ヤマト」に加勢し協力的だった「ハタ」の渡来人は、「ヤハタ(八幡)神社」の官僚となった。
そしていよいよ、「ヤマト」は、近畿へと東征を開始するのであった。

ナラ(奈良)に遷都した「ヤマト」は、土着の近隣諸国を打ち破り、一大「大和政権」を確立したのじゃ。
時に西暦300年頃の出来事であったという。

もちろん、春を告げる花を、から山桜に変えたのも、大和民族である。
自分のことを「わ(我)」と言うのは、「ワト(海人)」の民族の名残であり、
自分や他人を「よ(余)・やぁ」と言うのは、「ヤマト(山人)」の民族の誇りを込めた言い方なのじゃ。
ワル(悪)者にされた「ワト(海人)」とは、そののち和解し、「和をもって尊し」などとうそぶいたりしたものじゃ。

ハタ」の渡来人一族は、その後も「秦氏」と呼ばれ、
大和朝廷を影で支え続けてきたのである。



つづき
謎じゃった日本古代史の点と線がこれで見事につながったか……。
これから、わしのことは、平成のエドガー・ケイシーと呼んでもらおうかの?
かおる
う〜む。 ネタだ……。
あまりにも、巧妙なネタだと信じたい……。









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