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「倭国」は、どこにあったのか?


Feb.22.2004





つづき
それにしても、「」とは、不思議な音じゃのう。

かおる
」は、母音が「」以外は、ほとんど使われていませんね。
今の五十音表では、「ゐ・ゑ・を」が、わ行に入ってますが。
つづき
ゐ・ゑ・を」は、「い・え・お」に吸収されていったようじゃな。
」だけが、はっきりと、言葉として残ったようじゃが。
かおる
」だけが、発音しやすかった、ということでは、ないでしょうか?
古代では、もっと「わ・ゐ・ゑ・を」を、区別して発音できていたのでは?
つづき
それを検証すべく、次のような表を作ってみたぞよ。
k・t・f・m 子音」は、ヤマトコトバの語句としてよく使われておる子音じゃった。
w 子音」と、「k・t・f・m 子音」は、どのような関係をしておるのか?
まずは、基本的な「a 母音」のみで、見てみようぞ。


「k・t・f・m・w」子音の組合わせ語表1


縦は、一音節目の音・横は二音節目の音
「a」母音のみ
f(h)
あああかあたあふぁあまあわ
かあかかかたかふぁかまかわ
たあたかたたたふぁたまたわ
f(h)ふぁあふぁかふぁたふぁふぁふぁまふぁわ
まあまかまたまふぁまままわ
わあわかわたわふぁわまわわ


かおる
これだけだと、ちょっと、よくわかりません。

つづき
うむ。 では、ニ音節目に、「e 母音」を足してみようぞ。



「k・t・f・m・w」子音の組合わせ語表2


縦は、一音節目の音・横は二音節目の音
二音節目の母音に「e」を含めた
a・ek(a・e)t(a・e)f(h)(a・e)m(a・e)w(a・e)
ああ(問いかけ・返事)
あえ→あへ
あか(赤)
あけ(明け)
あた(仇・危険な)
あて(高貴な)
あは(泡)
あへ(宴・御馳走)
あま(海)
あめ(天・雨)
あわ(淡い)
あゑ(※無し)
かあを(青)
かえ(萱)
かか(掲げる)
かけ(鶏)
かた(人の方・肩)
かて(雑穀・食料)
かは(川)
かへ(壁)
かま(釜)
かめ(瓶)
かわ(乾く)
かゑ(※無し)
たあ(※無し)
たえ(絶える)
たか(高い・鷹)
たけ(丈・竹・猛し)
たた(叩く)
たて(盾)
たばかる(騙す)
たへ(神々しい)
たま(玉・霊・魂)
ため(目当て・試す)
たわむ(湾曲したもの)
たゑ(※無し)
f(h)はあ(※無し)
はえ(生え・映え)
はかどる(仕事が進む)
はげむ(励む)
はた(端)
はて(果て)
はは(母)
はべる(傍に仕える)
はま(浜)
はめ(食め?)
はわ(※無し)
はゑ(壊れること)
まあ(※無し)
まえ(※無し)
まか(任す)
まけ(負ける)
また(再び)
まで(終わる)
まはす(回る)
まへ(前)
まま(素直)
まめ(誠実)
まわ(※無し)
まゑ(※無し)
わあ(※無し)
わえ(※無し)
わか(若い)
わけ(分ける)
わた(海・渡す)
わて(※無し)
わは(※無し)
わびしい(侘しい)
わま(※無し)
わめく(喚く)
わわく(衣服がほつれる)
わゑ(※無し)


かおる
なるほど、「k・t・f・m 子音」の語句の、ニ音節目に「a・e母音」を持ってくると、
互いの語句が関連してくるように見えますね。
つづき
しかし、「w子音」は、「k・t・f・m 子音」ほどの関連性は無いようじゃな。
これは、いったいどういうことじゃ?
かおる
w子音」のコトバは、「k・t・f・m 子音」ほど、重要な意味が無かった、ということでしょう。
」のみが、単独で意味のあるコトバとして、認識されていたのでは?
つづき
たしかに、「」が、語頭にくる、「わかい、わける、わたす、わびし、わめく」等を見ると、
」自体に「自分」という意味があり、「わ(我)」の、状態を表す語尾がついたように見えるじゃろう。
しかし、「」が、語尾にくる語句はどうじゃ?
あわい、かわく、たわむ」等は、とても、「わ(我)」という意味には結びつきそうもないじゃろ?
むしろ、「かは(川)」の語彙から派生したような気がせぬか?
語尾の「」は、「は(ふぁ)」の音韻が変わっただけのように見えぬか?

かおる
そうですね〜。 「」が、語尾についた言葉には、
語頭に「」がついた語句より、「自分」という意味がないような気がしないでもないような。
つづき
はたして、古代の日本人は、「」というコトバをちゃんと使っていたのじゃろうか?



」が、自分を表す重要なコトバなら、
もっと、「」を使って造語された語句が多いはずではないか?
古代人は、本当に自分のことを「」と、言っていたのか?
」は、新しい時代に生まれたコトバではないのか?



かおる
と、いうと?
日本人は、自分を「われ」と、言いますよ? 自分を示す言葉がなければ困るでしょう?
つづき
ところが、日本語というのは、主語が無くても成り立つ構造なのじゃな。
あえて、自分を指すコトバを言わずとも、意思を伝えられる言語なのじゃ。
かおる
じゃあ、「」というコトバは、古代の日本語には、無かった……と?

つづき
そうなのじゃ。 ズバリ、「」とは、中国語の「王(ワン)」からの、借用語ではないじゃろうか?
日本に伝えられた「ワン(王)」という音は、「わ(我)」という意味として、使われ出したのではなかったか?
かおる
前回、日本人の「わ(和)」の精神の話しをしたばかりなんですから、
いまさら、夢の無い話しをしないでくださいよ〜。
つづき
海の神」を差して、「わたつみ」というのは、なぜじゃ?
海を差すコトバは、「うみ・あま・わた」と、いくつもあるのじゃが、
その中でも、「わた」だけが、不思議なコトバじゃ。
現代では、「わた」と聞いて、「」は連想されまいて。

かおる
では、「わた」とは?

つづき
わた」とは、「王(ワン)のいる所」という意味ではなかったのじゃろうか?
わたる」とは、「王のいる所へ行く」という意味ではないのか?
わたつみ」とは、「王のいる所へ続く海」という意味であったかも知れぬ。
古代の日本人は、海を渡って、いずこかの王の御許へ、朝貢していたのでは、ないじゃろうか?

かおる
では、その「わたつみ」の先とは……、「ワン(王)」の居る、中国のことでしょうか?

つづき
いやいや、「海彦・山彦」の神話に登場する「わたつみの王」は、海の中に住んでおったのじゃ。
どこかの、島であったということじゃな。 それは、本州から見た九州ということも有り得るやも知れぬ。
かおる
九州でも、大きすぎて、海の中という感じはしませんけどね。

つづき
う〜む。 そうじゃなあ。
と、すればじゃ、日本近海に、王朝の栄えた小さな島があったということじゃろうか?
かおる
海彦・山彦」の神話を、そのまま解釈するなら、そうかも知れませんけどね。 
王国を訪れた山彦に、潮の干満の知恵を授けたように、
航海術や、潮の干満に詳しい、海の民族だった可能性は、あるでしょう。
そして、山彦は、ワダツミの娘、トヨタマヒメと結ばれ、子供を産み、現在の天皇家の祖先となるわけですが……。
いくぶん誇張された話としても、海の向こうに王の宮があったという伝説が生まれたのは、
それなりの理由があってのことかも。

つづき
きっと、その島の王は、中国の影響を受けて、自分のことを「ワン(王)」と、言っておったであろうな。
そのコトバが、本土に伝わり、「わ(我)」という、自称代名詞が生まれたのじゃろう。
かおる
さりげなく、本土とかって言ってますけど、その島は、日本だったとは限らないでしょう?
どこの島かも知れないのに。
つづき
どこの島かは、さて、わからぬなあ。 神話にも、島の名は出てこぬしのお。
あ、ところで、今、「なは(名は)」を変換しようとしたら、「那覇」などと変換されよったぞ?
かおる
関係ない話をしないでくださいよ〜。

つづき
おおう。 すまんかった。 では、話を整理するとしよう。




かおる
日本には、「」は、「王(ワン)」よりも、「我(わ)」という意味で伝わったわけですが、
その理由が、島を経由した為とすると、島は、中国と日本の間にあったと考えられますね?
つづき
そして、そう簡単に行き来できる近海ではなく、陸からほどよく、沖にあった島ということじゃろうな。
おき(沖)」もまた、「おか(陸)」に対応する語句であろうな。
かおる
島の名前は、わかりませんが、ようするに、「わだつみ(海の神)」は、
沖の王」とも言えそうですね。
つづき
沖の王」とは、ロマンをかきたてるコトバじゃな。 すなわち、「おきのワン」じゃ。

かおる
おきのワン」かあ。 そんな王朝の栄えた島が本当にあったとしたら、ロマンですね〜。

つづき
おきのワン」こそが、真の「ワの国」じゃったのかも知れぬなあ。
おきのワン」が、語源となって、現代に別の名前が伝わっておるかも知れぬがなあ。
かおる
で、その島って、やっぱり……。





















沖縄のことですか?




つづき
ば、ばかを言うでない! わしゃ、そんなことは、言うておらんぞ!
第一、語呂合わせはいかんぞよ! 語呂合わせは!
かおる
そうでしょうね〜。 鑑真の生涯を記録した唐大和上東征伝によると、
753年に、来日する途中に遭難して漂着した島として「阿児奈波」という記述があり、
現在の沖縄県の琉球諸島のいずれかの島であろうとされています。 「奈波」は、「なは」でしょう?
琉球」という名は、7世紀の中国・隋書にも記述がありますが、現在の沖縄のことかは判然としないようです。
ちなみに沖縄が琉球と呼ばれるようなったのは、1372年に中国・明の支配を受けるようになってからのことです。
その後、1609年に、薩摩の支配も受けるようになりました。

つづき
阿児奈波」は、「オキナワ」と発音したりせなんだか?

かおる
やっぱり、語呂合わせをしたいんですね?

つづき
ば、ばかを言うでない! わしゃ、そんな事は、これっぽっちも思っておらぬと、言うておろうが!

かおる
そうでしょうね〜。 古代の発音は、解りづらいものなのですから。
さらに言えば、大和朝廷が興ったであろう、古墳時代頃に、
沖縄が、本土と大きく影響しあったという証拠はありません。
その頃に、沖縄に王朝があったとか、大和朝廷が沖縄の妃を迎えたと言う推測も成り立ちようがありません。

つづき
……お、沖縄の王朝じゃなくても、ちょっとした海洋民族のクニが、琉球諸島のはじっこあたりに、
存在してたりしてなかったじゃろうか?
かおる
さあ? どこかの島に、小さなクニなら、あったかも知れないし、なかったかも知れません。

つづき
その島こそ、真の「おきのワン」じゃったのじゃろうな。
沖縄とは別に、く大陸の影響を受け、進んだ文明と航海術を身につけた民がいたわけじゃな。
かおる
おきのワン」という名前の島は、聞いたことがないですね〜。

つづき
ワン(王)」は、別名「コウ(公)」とも言っておったであろうな。
犬のことを、「ワンコウ」と言うじゃろう。
かおる
犬の「ワンコウ」って、そういう語源だったんですか?
「コウ」は、呉音では、「ク」だそうですが。
つづき
そ〜いうことじゃろう〜なあ。 うん、そうじゃ。
中国南東部の、呉の言葉を話していた民族から、琉球諸島を伝ってきた語句じゃろう。
かおる
で、「ワンコウ」が、どうしました?

つづき
ワンコウ」と呼ばれた犬は、「ワンコロ」とも、呼ばれておった。
コロ」は、「ココロ」に通じる、親愛を表す言霊じゃ。
かおる
まあ、犬のことを「ワンコロ」とは、言いますね。

つづき
つまりじゃ。 「おきのワン」は、別名「おきのコロ」とも、呼ばれておったに違いない。

かおる
おきのコロ」?

つづき
それは、A.D.200年頃じゃったろうか。 琉球諸島のはずれの小さな島に、
大陸系のコトバの影響を受け、航海術を発達させておった海洋民族のクニがあったのじゃ。
本土では、クニ同士の戦いがはげしくなり、日本の覇権を競い合っておった。
そのなかでも、「ヤマト」と呼ばれた山に暮らす民は、浜辺のクニと抗争しておった。
ヤマト」のオサは、はるか沖合い「わたつみ」の、「おきのコロ島」の海洋民族に助けをもとめたのじゃ。
そして、ついに、浜辺のクニは、敗れ去り、「ヤマト」のもとに屈服したのじゃ。
ヤマト」は、「おきのコロ島」の妃を迎え入れ、ともに日本を治めるべく、連合したのじゃ。
まずは、高千穂に拠点をおき、東征を始めたに違いない。
A.D.300年になり、ついに大和朝廷は、近畿王朝を破り、西日本を制覇したのじゃ。
この勝利は、大陸と交易があり、進んだ文明の技術を取り入れていた、海洋民族である、
おきのコロ島」の民を味方につけたからこそ、なしえたものじゃった。
だからこそ、日本神話の最初に登場する島に、彼らの島の名を贈ったのであろう。

かおる
その島って、まさか……。


























オノコロ島ですか?





つづき
ば、ばかを言うでない! わしゃ、そんなことは、言うておらんぞ!
第一、語呂合わせはいかんぞよ! 語呂合わせは!






付録・年表




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