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倭国はどこへ消えたのか?


Feb.21.2004





つづき
ぶつぶつぶつ……。

かおる
をや?

つづき
ぶつぶつ……ぶつぶつ……。

かおる
また、なにやら、古代史の謎にぶつかって、妄想を膨らませてる様子ですね〜。
今日は、そっとしておきましょうか〜。






つづき
……ぶつぶつ……わからん……わからん……。
昔、日本は、倭国と呼ばれておった……。

そうじゃとも、「わ、やまと、ひのもと」と、日本国の号は変わっていったのじゃ……。

ひのもと」とは、すなわち「日本」じゃ。 これは疑い様が無いことじゃ。
日出ずる国、という意味で、間違い無いじゃろう……。
では、「やまと」とは、なんじゃ? 「大和」という字は、いかにも当て字じゃ。
漢字が伝来する前に、日本は「やまと」と呼ばれておったのじゃ。
やまと」とは、どういう意味じゃ?

……やま……と?

やま」は、「」じゃろう。 「」は、「」という意味ではないじゃろうか?
そ、そうじゃ! そうじゃとも、「やまと」は、「山人」という意味としか、解釈出来ぬではないか!
むむ……まてよ? 山の人? おお! そうじゃよそうじゃよ!
海彦・山彦」の神話がヒントじゃ!
あの、「海彦」を打ち破った、「山彦」と符号が一致するではないか!
な、なるほどなるほど……ようやっと、糸がほぐれてきたようじゃぞ……。

山彦こそが、大和朝廷の暗喩じゃったのじゃ!

では、「山彦」に負けた「海彦」とは、何物じゃ?
近畿に栄えた、「銅鐸文明王朝」ではなかったか?
彼らは、船を使い、東北まで交易し、銅鐸文化を広めていったことじゃろう。
うむむ……そうじゃ、そうじゃ!

海彦の末裔こそが、エミシであったに違いない!

し、しかし、これではまだ証拠が足りぬ。 もうあと、ひとつふたつ傍証が無ければ、
コラムに書いても、かおる君は、納得せぬじゃろう。 まったく石頭で困ったやつじゃ。

……それより、「」とは、なんじゃ?
」とは、外国人が倭人を指して呼んだ言葉じゃろうか?
いやいや、日本人も、自分を指して「」と呼ぶではないか。
」とは、とは、我々の国という意味で間違い無いじゃろうな。

…………いや、それは、おかしいぞよ?

古代の倭国は、百余りのクニにわかれておった。
外国に対して、自分たちのことを、他の部族もひとまとめに「倭国」と言うじゃろうか?
ヤマト」とか、「クマソ」とか、自分たちのクニの名前で呼ぶほうが自然ではないか?
外国に対して、この島を統括するという宗主を示すという意味でも、自分のクニの名を、
島国(日本国)の名前として付けたはずじゃ。 「ヤマト」がそうであったように。
古代に、「」というクニがあったのならまだしも……。

……は! そ、そうじゃとも! そうじゃとも!

古代の日本には、実際に、「」という大きなクニがあり、
その下に、百余りのクニが連合していたのではないじゃろうか?

」が、大いに乱れ、戦乱が起こったとしても、このクニの人々は、
もともと、自分たちが「」の一族であったことを、忘れようとはせなんだのじゃ。
自分たちのクニの名ではなく、「倭国」と呼んだのは、
かつて一つであった、「わのくに」の、正統な後継者であることを、内外に示さんとしたためじゃろう。
弥生時代の終わりに、最終的に、「ヤマト」が勝利したときも、
かつての「倭国」の国号を継ぐという意味で、ヤマトの指導者は民に向かってこう言ったのじゃ。


「倭をもって尊し」と。



ヤマト」は、いわば、滅びかけた「わのくに」を、再び、一つにまとめた立役者なのじゃ。
ヤマト」に、「大和」と、当て字をつけたのは、その思いがこめられていたからじゃろう。
実際、「わのくに」は、滅んだわけじゃが、「わ(和)」の心は、
大切に日本人の精神に引き継がれていったのじゃろう。

そう、その滅ぼされた「わのくに」とは、神話に語られた「海彦」であり、
B.C.200?〜A.D.300?頃に、近畿で栄えた、「銅鐸文明王朝」であり、
その末裔は、「出雲」に身をやつし、平安時代までも「ヤマト」に、屈しなかった勢力こそが、
まつろわぬ民と恐れられた「エミシ」であったに違いない!

うむむ……失われた古代史の謎が、ようやっと一本の糸に結ばれてきそうじゃぞ……。




つづき
あとは、どうやって、かおる君を言いくるめるか、知恵をしぼるとしよう……。

かおる
言いくるめるとか、そういう問題じゃないと思いますけど〜。

つづき
あら? いたの?







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