はじめに戻る

暦の伝来は、いつか?


Feb.5.2004





つづき
今回は、暦の伝来の謎について、語ろうと思う。

かおる
飽きませんねえ。 そろそろ、ネタ切れでしょう?

つづき
よいから、黙っておれ。
さて、かおる君、「日にち」を最初から数えてくれんか?
かおる
日にちですか? ええと、「ついたち、ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、なのか、
よおか、ここのか、とおか、じゅういちにち、じゅうににち、……

つづき
もうよい。 すでにその中に、外来語がミックスされておるのは、わかるな?

かおる
「じゅういちにち、じゅうににち」は、借用語ですね。

つづき
ヤマトコトバでは、「とをあまりひとつ、とをあまりふたつ」と、言うわけじゃな。
そして、「にち」もまた、「呉音」である。 ということは、「日にち」の概念は、「呉」つまり、
中国南東部からの渡来人が、日本に伝えたと見るべきじゃろうて。

かおる
そういうことに、なりますかね? 中国の三国時代の頃というよりは、そのずっと以前の、
呉の言葉を話していた民族」から、もらった言葉かも知れませんね?
つづき
ちなみに、「元日(がんじつ)」は「呉音+漢音」じゃな。
というわけで、古代の日本に、「日にち」の概念はなかったと思うわけじゃ。
かおる
「じゅういちにち」以降が借用語だからと言って、そうとは、かぎらないんじゃないですか?
十一日は、「とを あまり ひとつ か」と、言っていたと思いますよ? 僕は。
つづき
いやいや、日本にはそれまで十進法は、無かったのじゃよ? こことかここで述べたようにな。
「五日」を表す、「5」という言葉も無かったのじゃ。
狩猟採集民族にとって、日にちはあまり重要ではない。
せいぜい、「昨日(きのふ)、一日(ひとひ)、明日(あす)」という語句で、こと足りていたずじゃ。

かおる
でも、五日は、「いつか」って言いますよ?

つづき
それは、もともと数詞ではない。
」を表す「ここの」が、もともと代名詞だったように、
五日を言い表すための、言葉がなかったために、連続した日にちの概念が伝わった後、
よっかの次の日は、いつか?」という意味で、
「いつ」という不定代名詞から、「5」を表す数詞が出来たのじゃ。

かおる
う〜ん。

つづき
なんじゃ? その目は?

かおる
今日は、レトリックが冴えませんねえ。 疲れてるでしょ?

つづき
ばかもん! 茶化すでない! わしは、大真面目にヤマトコトバの謎に迫ろうとしておるのじゃぞ!

かおる
ええ、そうでしょうとも。 じゃ、残った、十日の「トヲ」の謎も解いてくださいね。
他にも「はつか・はたち・みそか・みそぢ・もも・ち・よろず」と、たくさん言い方があるんですからね。
つづき
それは、じゃから、そのうちと、言っておろう! せかせるでない! それより話の続きじゃ!
では、「ついたち」とは、何のことじゃな? 「一日」は、正しくは「ひとひ」じゃ。
かおる
そんなの、古語辞典にも載ってます。 「つきたち」つまり、月初めですね。
月の数も「ひとつき、ふたつき、みつき……」と、数えたことでしょう。
ちなみに、年数は「ひとつとせ、ふたつとせ、みっつとせ……」と、数えます。 囃子歌みたいですね。

つづき
よろしい。 よくできた、と言いたいが、そこで何か疑問に思うことはないかな?

かおる
何がですか? 何も、疑問なんてありませんよ?

つづき
では、答えてみよ! 月の数は「つき」、年の数は「とせ」と数えるのに、
なぜ、日にちは、「」と数えず、「」と数えるのか? 「ひとひ」とは言うが「ふたひ」とは言わぬぞよ?
かおる
ええ〜〜〜と〜〜〜〜?

つづき
うひょひょひょひょ。 わからぬようじゃな? 年寄りを馬鹿にするからじゃ。

かおる
まあ、考えられることは、「」も外来語だったということかな……?
「呉音」の「にち」以前に伝わった言葉かも。 やっぱり、日にちの概念は日本には無かったのかな。
つづき
うむ。 半分は当りで、半分は誤りじゃな。 日にちの概念は、渡来人からじゃと思うが、
」という言い回しは、日本のものじゃと思う。
かおる
どうして「」が、日本の言葉だと解るのですか?

つづき
渡来人が、日本に来たとき、まず最初に行う事とはなんじゃ?
食事や住まい以外で、原住民の倭人との会話で、何を聞き出そうとするかな?
かおる
おっとぉ〜? 渡来人が、倭人に聞きたい事ですか? なんだろう?

つづき
渡来人が、関心があるのは、この、島国の様子にきまっておろう!

かおる
ほほぉ? それで?

つづき
渡来人は尋ねた。「ここから、となりの村まで、どれくらいか?」と。

かおる
なるほど、たしかに、まず、原住民の生活行動を、知りたかったはずですよね。

つづき
倭人は答えた。「かのちへは、歩いてひとひ(一日)で、ございます。」と。

かおる
遠くの「かのち」を偵察したかったことはわかります。

つづき
かのちへは、歩いて、一日かかる、というところから、
一日で歩ける距離を意味する、「ひとかのち」という単位が生まれたことじゃろう。
日にちの概念を持たなかった、古代の倭人は、「日数(時間)と距離」の区別もあいまいじゃった。
ひとひ」は、あくまでも、一日という時間の概念でしかないことに注目じゃ。



歩く速度が同じなら、
日数(時間)と距離は、同じ意味を持つ。



×
 
S:距離 V:速度 T:時間

等速運動をする物体から観測すれば、
距離と時間は正比例する。






つづき
目的地まで、どれくらいか?」という問いに、
一日の時間と、歩ける距離と組み合わせ、
遠いという意味の「かのち」で表現し、時間と距離を同時に表す助数詞として使うようになったわけじゃな。
二日で歩ける距離は「ふたかのち」。
三日で歩ける距離は「みつかのち」と、言われたことじゃろう。



ひとかのち歩く早さ×ひとひ
 
ひとかのち:約40km 歩く早さ:約4km/h 一日で歩ける時間:約10時間






かおる
ちょっとまってください。 そこから、「」が生まれたなら、「」になりませんか?
みつかのち」は「三彼地」という漢字があてられるはずですよね?
つづき
それは違う!



みつかのち」は「三日後」という意味になったんじゃ!



かおる
うひゃ〜。

つづき
考えてもみたまえ。 「三日後」は古代ではなんと言う? 「みつかご」ではないぞ。
」は、漢音である「コウ」の訛りじゃからな。
古代の倭人は「みつかのち」と、言っておったということに、注目せねばならぬのじゃ。
そもそも、「三日後」という言葉は、「目的地まで、歩いて、三日かかりますよ」ということを、
相手に伝える言葉なのである。 古代において、一日単位で決められる事柄というのは、他には、あまりないぞよ?
後に、その「かのち」には、「日後」という漢字が当てられ、距離の意味は忘れられてしまったのじゃ。


一日歩いて到達した場所を「一日で着いた地」つまり「ついたち」と言う。


かおる
でも〜、古代人は、日数と距離の区別があいまいだったんですよね?
どうして「」が「」の意味で定まったんでしょう? 距離でもよかったはずでしょ?
つづき
それは、馬の伝来と関係するのじゃ。

かおる
……………………………馬? ……ですか?

つづき
馬が伝来し、歩く速度と馬の速度が異なったために、「距離」の意味が失われ、
かのち」に、「日数」という時間の意味だけが残されたのじゃ。
」を「」の意味で考えるようになったのは、馬の痕跡が発掘されるようになる、古墳時代であるとするなら、
一般に、日にちの概念が、正確に定まったのは、西暦300年頃であろう。

かおる
確かに、魏志倭人伝にも、馬の記述はありません。
ですが、日本にも馬くらいは居て、乗りこなしていたんじゃないでしょうか?
つづき
うま」という言葉も、奈良時代までは定まっていなかったのじゃ。
むま」とも言っておった。 これは、大和朝廷内部でも発音が統一されておらず、混乱していたためじゃ。
訛りがひどいということは、それだけ、古代では、一般的に知られていない動物じゃったということじゃな。

かおる
そういうことでも、いいですけど、
で、結局、渡来人が、初めて暦を伝えた時期は、いつ頃と考えているんですか?
つづき
その前に、大陸に暦が誕生したのが、いつかというと、
3400年前頃、商の国に、太陽大陰暦が採用されたのが始まりという。
日本への稲作の伝来は、遅くとも3000年前で間違いない。
稲作を伝えた渡来人は、太陽大陰暦を知っていたはずであり、稲作に重要な「暦」を日本に伝えぬはずはない。
日本米」の原産地も、「呉の言葉を話していたであろう民族」も、同じ、中国南東部と、一致する。 つまり、

暦の伝来は、3400年前〜3000年前

ということになるのじゃ。 大湯のストーンサークルが4000年前じゃから、少し後といったところじゃな。
どうじゃ、まいったか!

かおる
まいりました! これからは師匠と呼ばせてください!

つづき
わかれば、よろしい。

かおる
でも、ネタなんでしょ?







付録・年表




はじめに戻る