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数え言葉の謎を解け!


Feb.2.2004





つづき
ここらへんでも考察してみたように、
日本語のなりたちをさぐる上での、ひとつの試みとして、ヤマトコトバを音節ごとに分解し、
基本語彙をさぐる試みは、大昔から多くの学者によって研究されてきたわけじゃが、
今もって、はっきりと解き明かされたとは言いがたい。
いくつもの民族が日本に流入し、日本語を混成させていったからじゃろう。

かおる
現在知られているヤマトコトバは、
大和朝廷を興した勝ち残りの部族の言語が元になっているでしょうね。
つづき
勝ち残った部族は、他の部族の言葉や方言を吸収していったり消し去ったりしていったじゃろう。
古い時代では、部族ごとに方言は入り乱れていて、違う発音でも、同じ意味を持っておったり、
別の意味の言葉なのに、発音が似ていたために、同音異義語として混用されることもあったじゃろう。
さらに、漢字で記録された文献を見ても、昔は8母音だったと言われていたり、
渡来人の訛りではないかと言われたり、借用語や外来語なども入るわけであるし、
日本語を話していたとしても、いったい、どこまでが正しいヤマトコトバなのかどうか。

かおる
現在知られている言葉が、純粋なヤマトコトバと語彙を伝えているとは限らないでしょうね。
本当の意味での古語というのは、もう今となっては知る由もないのかも。
つづき
ヤマトコトバの確かな手掛かりというのは、現在では、もう残されていないのじゃろうか?
ヤマトコトバというのは、すでに消失しかけている言語なのじゃろうか?
かおる
日本語を話しているからと、油断していたけれど、
日本語の起源というものは、本当に忘れさられてしまったみたいですね。
つづき
いやいや、まだ、手掛かりは残されておるぞ。

かおる
手掛かりがあるんですか?

つづき
「ヒトツ、フタツ」などの数詞と、「アレ、ココ」などの代名詞じゃ。
とくに数え言葉は、他の言葉の影響をうけず、先住民族の古語が残されているものなのじゃ。
他民族の流入により、言葉が変化し、方言が生まれることがあっても、
代名詞や数詞は、先祖伝来の共通の言葉が保持されているものなのじゃ。
他の誰かや、他の部族と、取引や貿易をする際、最低限の意思疎通ができなくては困るじゃろう。

買い物でも「アレ ヒトツ」と言えば、容易に意味が通じるわけじゃ。


かおる
ほほぉ?

つづき
代名詞や数詞は、言語を持った人間には、必要不可欠で基本的な言葉であり、
他の語句との混用はさけ、同音異義語をつくらないようにルールが決められたに違いないのじゃ。
かおる
ふむふむ……。

つづき
たとえば、「ココ」という語句を見てみるがよい。
「ココ」という代名詞と、「ココノツ」という数詞と、「ココロ」という名詞しかないのじゃ。
同音異義語が排除され、現代まで残されていることからも、
いずれも、古代から、重要な語句だったことがわかるわけじゃな。
また、「ア」といえば、自分も他人もアレも含めて、とても広い意味の代名詞として使われており、
最も古いタイプのヤマトコトバであろうと考えられるわけじゃな。
おそらく、縄文時代の太古から受け継がれてきた言葉に違いない。
ヤマトコトバの数え方も、そうした古い言葉を伝えていると考えられるのじゃ。

かおる
ヤマトコトバの謎を紐解くカギが、「ココ」に隠されていると?
なんちゃって。
つづき
そのとおり! 数詞と代名詞から、ヤマトコトバの”言葉の基本語彙”が探れるはずじゃ!
ではまず、数え言葉から、ヤマトコトバに秘められた謎を、知力の限りをつくして探求して行こうぞ。
かおる
展開が不安だな〜。





ヤマトコトバの数詞

つづき
日本では古来より、ものを数えるときには、
「ヒトツ、フタツ、ミツ、ヨツ、ムツ、ナナツ、ヤツ、ココノツ、トヲ」と、数えられておった。
かおる
「イチ、ニイ、サン、シイ……」という数え言葉は、
大陸からの渡来人が持ち込んだ言い回しですね。
つづき
「ヒトツ、フタツ、ミツ」など、数え言葉の語尾には、付く「ツ」という助数詞がつくが、
「ツ」には、着く、付く、集められるという意味がありそうじゃ。
集められたモノを数えるという意味で、「ヒトツ、フタツ、ミツ……」と、数えたのかも知れぬ。

かおる
「いっぽん、にそく、さんそう、よつぶ」などと、数えるものによって変化する助数詞が多く存在するのは、
それぞれ部族間の方言だったり、大陸由来の借用語だったりしたものが伝わっているのでしょう。
[数詞+助数詞]という関係は、世界共通のようですね。
この助数詞は、もともと、数えられる対象の固有名詞が使われていたのでしょう。
貨幣を数える時など、"円"の場合は100円、"ドル"なら"100ドル"となるように。

つづき
たとえば、もし、"貝"を数えるとき、古代に「カヒ」という助数詞が存在した場合は、
「ヒトカヒ、フタカヒ、ミカヒ……ココノカヒ、トヲカヒ」となるのじゃろうな。
かおる
助数詞が無ければ、「ヒト、フタ、ミィ、ヨォ……」となりますね。
なぜ、「ヒト」「フタ」は二音節で、ト、タが付いているのかな?
つづき
ト、タは、ただの接尾語かもしれないし、特別な意味があったかもしれぬ。
とりあえず、ヤマトコトバの根本的な数え方を吟味すべく、「タ・ツ・ト」をとって考えてみようぞ。

「ヒィ、フゥ、ミィ、ヨォ、イィ、ムゥ、ナナ、ヤァ、ココノ、トヲ」

かおる
この中で、「ナナ」「ココノ」は、まだ何か特別な音韻の数詞ですね?

つづき
その謎は、いずれ明らかになるに違いない。





「ヒト」の謎

つづき
では、人を数えるときは、どう数えるかな?

かおる
「ヒトリ、フタリ、サンニン、ヨニン……」ですが……。

つづき
「フタリ」までがヤマトコトバで、「サンニン」以上が、借用語となっているわけじゃな。
昔は「タリ」と助数詞がつけられて、「ヒトリ、フタリ、ミタリ、ヨタリ……」と数えられていたらしい。
「タリ」とは、「人が居る」という意味の「ト+アリ」が変化したものじゃろうか?
「ヒトリ」から「ヒト」という"人"の言葉が生まれたのじゃろうか?
物の数え方の「ヒトツ・フタツ」の「ヒト・フタ」は、人の数え方のなごりじゃろうか?

かおる
なんとも、語呂合わせっぽいですけどね。
それなら、「ヒ」は、なんでしょう?
つづき
「ヒ」は、やはり、太陽のことで、"一つ"しかないものという意味があったと思うのじゃが。

かおる
「フ」は「ふたつあるもの」「対のもの」という意味でしょうか? 「ふうふ」と言うみたいに。
もし、太陽系に、ふたつの太陽があったとしたら、第二の太陽は「フ」と呼ばれていたのでしょうかね?
つづき
くだらんことを言うでない。

かおる
じゃ、フタツの「フ」には、特に意味はなかったのかな?

つづき
古語辞典をみてみるとじゃな、「フ」には、「時が経つ」という意味があるそうじゃ。
「夜がフける」と言うことからも、太陽と対の意味になりそうじゃな。
かおる
なるほど、「日が経つ」「夜が更ける」という、連続した自然現象を、
古代の人は、数え言葉に使ったと考えられるわけか。
数詞は、ただの適当な語句の並びじゃなくて、ヤマトコトバの基本語彙が隠されていそうですね?


1・ヒィ・日(ひ)
2・フゥ・経る(ふる)


つづき
その通りじゃ。 縄文人の言葉が蘇ってきそうじゃぞ。






倍数の謎

かおる
次は、「ミィ、ヨォ」の検証ですね?

つづき
いやいや、その前に、もっと重要な謎を解かねばならんぞ。

かおる
重要な謎とは?

つづき
数詞の倍数問題じゃ。
「ヒィ、フゥ」「ミィ、ムゥ」「ヨォ、ヤァ」は、[1,2][3,6][4,8]と、
倍数に対応しておるのじゃ。

かおる
あ〜。 聞いたことあります。
子音[h,m,y]は同じで、母音が[i-u][o-a]と入れ替わっていると。
「ヒトリ」「フタリ」のヒ、フ、ト、タも、[i-u][o-a]と2重に入れ替わっていますね。
昔は、そういう関連した語句の音韻変化の法則があったのかも。

つづき
それにしても、なぜ、音韻が対になっている数字を表す言葉が、
[1,2][3,6][4,8]と、倍数の関係になっておるのか? この法則性は何を意味するか?
かおる
ただの偶然とも考えられますが。 検証してみる価値はありそうですね。
この法則性の意味を無視しては、数詞の謎も、言葉の意味も解けたとはいえないでしょう。
つづき
なぜ、倍数なのか? その理由は、ひとまず後まわしとして、
倍数関係にある言葉の意味から考えてみようではないか。

「ヒィ、フゥ」「ミィ、ムゥ」「ヨォ、ヤァ」

さて、この言葉から、何が見えてくるかな?

かおる
ヒィ、フゥ」は、「日が経る」という意味だとしても、
他の言葉は想像つきませんねえ。 これだけでは。
つづき
甘いのお。 もっと古代人の気持ちになって考えねばならぬぞ。
古代人が、日が経るのを望んでいたとしたら、それは何故かと思うかね?
かおる
日が経つのを望んでいた?
さあ? 何か望んでいたんですか?
つづき
古代人が、日が経ることを望むとすれば、食料のための「実が結ばれる」ことではないかね?
ミィ、ムゥ」とは、すなわち、「実、結ぶ」という意味に違いない!
かおる
ほほぉ?
それでは、「ヨォ、ヤァ」は、何なんですか?
つづき
かおるくんは、日本に古くから伝わる、この格言を知っておるかな?
果報は寝て待て

かおる
それが、何か? しかも、それって、仏教用語かなにかじゃないんですか?

つづき
日本人のメンタリティに、ぴたっと合ったからこそ、名言として伝わったのじゃ。
「果報は、寝て待て」とは、実が結ぶまで、家でゆっくり休んでいなさいという意味じゃ。
つまり!「ヨォ、ヤァ」とは、
「夜は休め」という意味なんじゃ!

かおる
…………………………………………………………………………。

つづき
まとめると、こうなるわけじゃな。


1・ヒィ・日(ひ)
2・フゥ・経る(ふる)
3・ミィ・実(み)
6・ムゥ・結ぶ(むすぶ)
4・ヨォ・夜(よ)
8・ヤァ・休む(やすむ)


かおる
僕は信じません。(キッパリ)

つづき
そうかの? 古代人の自然に対する素朴な哲学が、
この数え言葉の中に如実に表現されていると思えるが。


日、経りて、野山に実が結ぶ。
夜は休んで待つのじゃよ。





数え言葉の起源

かおる
1、2、3、6、4、8、じゃ、順番がバラバラで数え言葉にならないじゃないですか!
というか、「イィ、ナナ、ココノ、トヲ」の意味が抜け落ちてますよ?
つづき
ふっふっふっふ。
かおるくん、君は今、重大な過ちをおかそうとしておるぞ?
かおる
過ち? 僕、なんか、間違ったこと言いましたか?

つづき
古代の数え方が、十進法だったとは限らぬぞ。
数字が、順番に並ぶべきと考えるのは、現代人の固定観念である。

かおる
たしかに……それは言えるかも知れませんが……。

つづき
十進法ならぬ、「倍進法」ともいうべき数え方が古代にあったに違いない。
古代社会において、数字の概念がなぜ生まれたか?
「多い」とか、「少ない」では、都合が悪く、なおかつ他人と数の概念を共有する必要があったからじゃ。
数字を、他人に伝えあう必要があった一番の理由は、何か想像できるかな?

かおる
そんなの、知りませんよ。 物々交換で、穀物や獲物の数でも数えたんじゃないですか?

つづき
穀物を、一粒づつ数えたとは思われん。 それに、昔は「重さや大きさの単位」で交換したことじゃろうて。
もっと、正確に、大人数で、数を確かめる必要があった事で、数え言葉は生まれたはすじゃ。
それは何か? いったい何が理由で、数を表す言葉が生まれたのか?
しかも、倍数と関係あるものとは?

かおる
さあ? ご存知でしたら、もったいぶらないで教えください。

つづき
……数え言葉、それは……。

かおる
それは? (わくわく、どうせまた、つまらないこと言うんだよこのジジィは)

つづき
……それは…………………………










御柱の、数え言葉じゃ。










かおる
ほほぉ?

つづき
柱を立て、やぐらを組んだり、家を建てたりという時には、共同作業であるために、
他人と、数の概念を、正確に「言葉」で伝え合う必要があった。
それが最も初期の重要な、「数え言葉」が生まれた理由だったはずじゃ。
柱の数は、偶数が基本である。 ヤマトコトバの数詞が、偶数と対応関係にあるのはそのためなのじゃ。
5本とか、7本などという柱の数は、ありえないわけじゃから、そのような「イィ、ナナ、ココノ、トヲ」という言葉は、
もう少し後の時代に、数の概念が成熟してから作られた言葉であろう。
「ナナ」という言葉が無くとも、「ミィ、と、ヨォ」で、数字の「7」を表現することは可能じゃろう。
家は、昔から重要な生活の拠点であり、夜に休むためのものなのである。
冬の間も、野山に実が結ばれる春になるまで、家のなかで飢えに耐えしのんでいたことじゃろうて。
神の数を「ハシラ」と数えるのも、家を支える柱が重要だった所以だからじゃ。
その柱の数は、古代では8本もあれば多い方じゃったろう。 そして「八」は「多い」という意味になったわけじゃな。

かおる
でも、5、7、10はともかく、出雲大社は、3本×3本で、9本柱みたいでしたよ?
9は、なぜ「ココノ」なんでしょう?
つづき
9本目は、「ココノハシラ」。 それは、中央の心柱、つまり「ココロの柱」じゃな。
「ココ」は「自分の内にある場所」、という意味じゃったに違いない!
ようするに、「ココノ」は、9を表す数詞では無かったのじゃ!
やはり、古代人にとっては、「八」が最大の数の概念じゃったことが、判明したわけじゃ!






かおる
う〜む! さすがです!
数え言葉の意味と、偶数関係の謎、住宅の柱、古代の生活環境、代名詞、すべてが帰結しましたね!
つづき
うおっほん。 少しは見直したかね? これほど完璧な数詞の謎解きを見たことはあるまい?

かおる
でも、僕は信じませんけど。









付録・年表




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