間違ってるかもしれない作曲講座


March.6.2008






「作曲って何だ?」




え〜、間違ってるかもしれないシリーズも、
間違ってるかもしれない音楽理論
間違ってるかもしれないコード理論
間違ってるかもしれない音楽入門
に、続いて今回で四回目になりました。

当初はこんなに間違ったことを書き続ける予定ではなかったものの、
音楽を知れば知るほどわからないことが増えてきて、わかろうとしても、わからないために、
どんどん間違った認識がつみかさなっていく、というありさまです。

そうした、初心者ならではの、音楽に対する間違った認識を、初心を忘れないためにも、
間違ったままメモしておこうというコーナーです。
ですので、他人が読んで何か参考になることは、一切ございませんのでご注意ください。





それはさておき、
今回は、なんと「作曲」がテーマです。
素人のくせに、無謀ですね(笑)。

では、はじめましょう。





今まで、音楽に関心が無かった私ですが、音楽に関心を持ち始めたところ、
いろいろ、不思議なことに気が付きました。

「どうして、小学校の音楽の授業では、作曲を教えないんだろう?」



音楽の授業で教わることと言えば、まず、五線譜の読み方、歌い方、ハーモニカや笛の吹き方などで、
奏でる音楽は、すべて教科書に載ってる譜面として用意されたものです。

生徒が、各自に、好きなように作曲して笛を吹くというような授業を受けた記憶がありません。
これはいったいどういうことなのでしょうか?


たとえば、図画工作の授業なら、生徒が好きなように絵を描いたり工作したりということはありました。
ところが、音楽の授業では、生徒に好きなように作曲させるということは無いわけです。


絵画と同じ芸術分野でありながら、
音楽教育では、「作曲」という創造的な音楽の楽しみ方は教えずに、
出来合いの譜面を読む勉強をし、演奏をする訓練をする、というのが、
いまの音楽教育の実態なのです。

音楽教育とは、譜面を読んで演奏することを学習するものであり、
作曲を教えるものではない。


私は、つい最近この事実にハタと気が付き、愕然としました。


作曲を禁じている音楽教育って、いったい、何なんだろう?






図画の授業では子供に自由な絵を描かせているが、
音楽の授業では、自由な作曲を教えていない?!

音楽の創造性は育まなくても良いのか?!









「人々は、自由な作曲の楽しさを知る機会を奪われてる?」





イラストというのは、誰でも描けます。
上手い下手はあっても、下手だからといって、趣味で描いてる範囲ならことさら他人からバカにされたりはしません。
プロでも、ヘタウマで人気な人は多くいますし、必ずしも絵の上手い人が人気というわけでもありません。


音楽も同じことで、誰でも作曲をすることが出来、
上手い下手はあっても、下手だからといって、趣味で作曲してる範囲ならことさら他人からバカにされる筋合いは無いしょう。


たとえば絵心のある八百屋の店主が、野菜のイラストを商品に添えたりするように、
野菜のテーマソングを作曲して店内に流して客寄せにする、というようなことは、もっと普通に行われて良いはずです。
一部の大手のスーパーなどでは、食品のテーマソングを流してヒットさせてる例もあります。

もしも八百屋の店主が自分で作曲できたなら、自分で作曲したテーマソングを自分の店で流すのは自由です。
普通の一般人でも、生活の中で、自分の気持ちを自作の歌で表すという楽しみ方が一般的になってもよいでしょう。
自作曲は、むしろ推奨されるべきです。
なにせ、既成の曲を使うとJASRACに目をつけられるわけですから。

ところが現実的には、普通の人が日常生活の中で自分で作曲して音楽を楽しむというケースは稀です。
音楽教育が、「作曲」というものを教えて来ず、作曲は難しいものであって、
五線譜が読めて楽器が弾けてよほど音楽にハマってる人でなければ無理、
という意識を植え付けてきていたのではないでしょうか?

そして、「作曲するには音楽理論を学ぶことが必要だ」という考えが一人歩きしすぎていることも一因ではないかと思うわけです。





素人による作曲はタブーとされてきた?



「素人は作曲に手を出すな」
「音大を出て作曲法を身に着けた者しか作曲する資格が無い」
「一般人は、作曲家が書いた曲をただ演奏したり聞いたりして、そのつど使用料を払えばいい」
「作曲を知りたければ、金を払って教室に通え」
というような構図が、音楽の世界にあったりしないでしょうか?
私の思い過ごしなら、それでいいのですが……。







「作曲は誰にでも出来る?」





小中学校と、音楽の成績は最下位だった私が、
間違ってるかもしれない音楽理論
間違ってるかもしれないコード理論
間違ってるかもしれない音楽入門
……と、メモを書き進めてきて、感じたことは、
やはり、作曲はそれほど難しいものではない、という印象です。

作曲には、上手いか下手か、という個人差しかなく、趣味の範囲であれば、他人から難癖つけられる筋合いは無いものです。


素人の描いたラクガキ絵を見て、
「デッサンも遠近法もなってない! こんなものは絵では無い!」
……という人は、いないはずです。



作曲についても同じことではないでしょうか?


問題は、「何を表現するか?」であり、「表現する手段として、技術が伴っているか?」というだけの話です。
クラシック音楽を作りたいなら、クラシックを表現する手段として音楽理論を学ぶことは重要ですし、
ポップスを作りたいなら、ポップスにふさわしい方法論があるはずです。
私のような素人が、気の向くままにラクガキのような音楽を楽しみたいのであれば、難しい理論は必要ないわけです。

ラクガキに最低限求められる知識といえば、鉛筆を使うか、クレヨンを使うか、絵の具を使うか、であり、
紙は、キャンバスか、画用紙か、あるいは、ノートの切れ端か、何でも自由に使うことが出来ます。
パソコンを使えば、より楽チンです。



というわけで、FL StudioとMIDIキーボードを使って、即興曲を弾いてみました。

適当に、白鍵盤だけを弾き(Cメジャースケール)、クォンタイズをかけ、メロディを微調整しただけのものです。
ラクガキ曲」というようなものですね。



適当に白鍵盤だけを弾いたラクガキ即興曲」を聞いてみる?





ラクガキ曲とはいえ、「音階の音だけを弾くという、最低限の音楽理論」は、守っています。

音階(Cメジャースケール)の音だけを鳴らせば、
デタラメに弾いても、なんとなく音楽になるっぽいわけです。



DTMの場合は、即興曲を記録して自由に修正することが出来るのでとても便利です。
多くのシーケンスソフトには、スケールのガイドが濃淡でついてるので、音階もわかりやすくなっています。
当然、「五線譜」は使用しておりません。
五線譜を読み書き出来なければならない理由はどこにもありません。

DTMとピアノロールが、作曲の自由を庶民にもたらしたと言えるでしょう。



「和声法も対位法もなってない! こんなものは作曲では無い!」
……と、いぶかる人は、いるかも知れませんね。




まあ、所詮、素人のラクガキなので。










「作曲に必要なルールとは?」






しかし、あまり下手なラクガキ曲ばかりでも、自分でも飽きてくるので、もっとマシな曲を作ってみたくもなるでしょう。
そうした場合に、次に必要になるのが、コード、和音の知識ということになります。

コードといっても、音楽理論書は難しく書いてありますがルールは簡単です。
間違ってるかもしれない音楽入門」でも触れたように、

音楽は「音階」から出来ています。
基本的に、音階から外れた音を置いてはいけません。
メロディもコードも、音階の上に音を置くこと。



ルールらしきルールは、これだけです。

それを踏まえて、コードをつける際の「作法」は、次の3点くらいを念頭におけばいいでしょう。


1.基本的に、音階(スケール)の上に、1〜4個の音を置けばいい。

2.メロディから1オクターブ下あたりに置くといい。

3.メロディを構成する音が含まれているようなコードを置くといい。




間違ってるかもしれないコード理論」でも触れたように、基本となるコードのカタチは、2種だけです。

これを、音階に合わせて並べればいいだけです。







この程度の作曲法なら、小学生にも簡単に教えられるでしょう。
「作曲のしかた」が、小学校の音楽の教科書に載ってないのは何故なのでしょう?
不思議です。




そして、コードのカタチは、いろいろ変更することができます。


代理和音とか、転回形とか、裏コードとか、いろいろな呼び名があり、憶えるのは大変です。
では、1オクターブの中で、配置できるコードのカタチは何パターンあるでしょうか?
おおよそ、下の組み合わせが考えられますが、和音として使えそうなカタチは、さらに限られてくるでしょう。




複雑なコードの一覧表をすべて憶えるまでもありません。
↓のような単純なパターンを念頭に置いておけばいいだけです。





たとえば、半音で1つ、半音で6つ離れた和音は、周波数的に不協和音を起こして相性が悪いので、その組み合わせを除外したとします。
半分くらいパターンが減ってしまいました。
この中のパターンから、合いそうなものを試して配置すればよいと考えれば、たいして難しい話ではないように思えます。
試し聴きして、響きがよければ、それでいいわけです。





上で除外した和音は使ったらダメということではありません。
不協和音も、一瞬だけなら、味付けとして鳴らすのはアリです。

ジャズのような、音階から微妙にずれた音を出したりとか、
不協和音の解決といったコード進行とか、
さらに、凝った作曲がしたくなったときは、難しい理論書を読み進めるのも良いでしょう。

私は、いまだに理論書の内容がちっとも理解できませんが、
先に作曲に慣れて、音楽の理解も深まれば、
いつか、難しい理論書を開いても、内容がすらすら読める日が来るんじゃあないかなあとか、思ったりしています。


……あれ? ということは、難しい音楽理論書を理解するには、先に作曲できるようにならないといけないの?
……………………う〜む。 音楽は、わからないことだらけだ……。













「というわけで、ためしに作曲してみる?」





では、本当に作曲は簡単なのか、ためしに一曲作ってみましょう。
まず、ミクに歌ってもらいました。

歌には「作詞」という作業が必要ですが、作詞も難しいものではなく、
今の気持ちを素直に言葉にするだけでOKです。




おんがくりろんのうた

おんがくりろん て なんだろう
おんがくりろん て むつかしい
おんがくりろん て なんだろう
りろんが わからなきゃ うたえない
ああ いつのひにか わたしにも
りろんを わからせて
おんがくりろん て なんだろう
りろんが わかると うれしいな



メロディは、ピアノロールの白鍵盤だけを使えば簡単です。
「ドレミファソラシド」のCメジャースケール(ハ長調)となります。
最後は、「ド」の音で終われば、曲が終わった感じがします。



ミクの歌の調子を変えるため、
Cメジャースケールで作った後、Fメジャースケール(ヘ長調)にキーを移調しています。
範囲指定して、上下に移動させるだけです。
「何調」にするか、ルールはありません。 響きを聞いてみて好みの調にすればよいのです。




使う音階(スケール)を、Fメジャースケール(ヘ長調)と決めたので、
↓の鍵盤の音を使うことになります。




このメロディに伴奏をつけないといけないわけですが、
いきなりコードをつけるのも大変なので、まず、ベースになる音を探して見ましょう。
といっても、1オクターブに音階は7つしかなく、7つの中から好みで選ぶだけなので、そんなに迷うことはないかと思います。

どこに音を置くにせよ、
最初に決めた音階(スケール)を外さないことが大事です。(途中で転調する場合以外)



ベースをつけてみた






ベースが決まったら、基本的なカタチのコードを、音階に合わせて置いてみます。



マイナーコードかメジャーコードかは、音階に置いた時点で自動的に決まるので考える必要はありません。
「何コード」か「コード進行」についても、ほとんど考える必要がありません。 音階の中の7種類から選べばいいだけなので。
コードの中にメロディと同じ音があれば、無難なコードと言えるでしょう。
ということは、先にコードを決めてからメロディを作ることも出来るという意味になります。
もっと違った響きを探したいときは、コードのカタチを自由に変えてもかまいません。

コードをつけてみた






コードの音を散らすことで、簡単に伴奏の旋律を作ることができます。
「ドミソ」という和音をつけた部分を、「ド〜ミ〜ド〜ソ〜」といった旋律に変更することができます。
どのような旋律に変更するかは、基本的に自由です。
好みによってコード以外の音を使うことも出来ます。

コードから伴奏の旋律を作ってみた






最後に、ベースとコードと伴奏の旋律を別々の楽器で鳴らして重ねてみましょう。

ベースとコードと伴奏の旋律を別々の楽器で鳴らしてみた






あとは、前奏とかサビとかを工夫する根気があれば、おいおいなんとかなるんじゃないかな〜とゆ〜感じですかね〜。




とりあえず、この程度の知識だと、こんな感じに出来上がります。

おんがくりろんのうた(伴奏つき)



童謡っぽい曲なら、こんなに簡単にできるわけですね。
小学生でも簡単に作曲できるでしょう。
童謡っぽい曲にしかならないと言えばそうですが、
だからこそ「小学生向け作曲カリキュラム」としては、教えるのに十分なのではないでしょうか?

子供に作曲を教えようとしない音楽教育は、本当に理解し難い不思議な世界です。









「音楽理論を無視した作曲法を教えてはならない?」





どうして、小学校の音楽の授業で作曲を教えないのか?

理由は明白で、大人が、音楽を難しく考えすぎてるからでしょう。
上のほうの解説で「好み」「自由」「考えなくていい」とした部分に、音楽理論は「厳格な規則」を作り、
厳格な規則に忠実であるほど、正統な音楽」と謳っています。

それはつまり、「厳格な規則を無視した音楽の教え方は、邪道だ!」と、なるわけですね。
結果、「作曲に取り組む前に、厳格な規則を全て暗記しろ!」と、なるわけです。

西洋音楽の伝統的な和声学・対位法・楽式論のすべてにおいて、論理的に作られた曲以外は、
音楽とは認めない、作曲とは認めない、という観念が、教育者の側にあるのではないでしょうか?



音楽理論は、音楽を知る上での便利な参考書であるはずですが、
規則の多さが”曖昧さ”を許さず、”自由度”を奪い、音楽入門の敷居を高くしています。
本来、芸術に雑多な規則が必要であるはずがありません。
絵を描く場合であれば、「鉛筆」で線を引き、「クレヨン」で色を塗る、その程度の約束ごとで「絵」になります。
音楽であれば、たった7つの「音階」を使うだけで、「音楽」になります。

絵では、「丸・三角・四角」の描き方を覚えれば、何でも描くことが出来ます。
音楽では、音階に合わせて「和音のカタチ」を並べるだけで、伴奏も簡単につくれます。






音楽理論は、必要とは言っても、いくらでもスリム化できるはずです。 小学生でも自由に作曲できる程度に。

一般人が、自由に作曲して楽しむ機会を、音楽理論は奪っている。

音楽理論に”弊害”があるとすれば、まさにこの一点に尽きるでしょう。



まさか、音楽を牛耳る秘密結社が、下級市民に作曲法の伝授を禁じてる……なんてことはありますまい。

















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