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カミの国・美濃の超古代テクノロジー


May.30.2006





つづき
おっほん。 このコーナーも一年ぶりじゃのう。

かおる
どもども、おかえりなさい! 師匠!
あれから少しは頭を冷やしていただけましたか?
つづき
何がじゃな?

かおる
いや、だから、前回みたない「超古代尾張王国」なんてデンパを、
ぶちかまさないでくださいよ! ということですよ! 恥ずかしいじゃないですか!
つづき
何をいうか。 古代史を調べれば調べるほどに、古代の東海地方の底力に驚嘆しておったくらいじゃ。
古代の東海地方は、いかに栄華を誇っていたか? これからおいおいつまびらかにして行こうと思う。
かおる
またまた〜。 古代の東海地方が栄華を誇っていた事実はありません!
古墳時代に大和政権に組み込まれただけですよ!? 
つづき
前回も指摘したように、天孫降臨の舞台が、美濃から始まり、
西へと向かい、出雲を経て九州にニニギが降臨したという事実を忘れたのかね?


高天原による葦原中国平定の舞台は、
美濃→出雲→九州へと向かっている。

美濃では天若日子の喪屋が作られた。
現在も美濃には喪山がある。



天孫降臨を、渡来人の日本入植を表しているにしては、進行方向が逆なのである。

記紀では、美濃の上空に高天原があったことをハッキリ示唆している。
文献を重視するなら、高天原の位置は、東海地方に求めるのが自然であろう。

美濃には賀茂郡があり、天若日子と間違えられた味耜高彦根を祀る奈良県・高鴨神社との縁を感じる。



かおる
だからといって、東海地方が神々の故郷=高天原だったとは言えませんよ?
まあ、師匠の説に納得してる人はいらっしゃらないでしょうが。

だいたい、「美濃」なんてローカルすぎて、歴史の表舞台にも出てこないでしょう。

つづき
わしはただ、記紀神話や、神社の由緒、神々の系譜をそのまま解釈しておるだけなのじゃがのお?

かおる
古い文献なんて、あてにはなりませんよ?
改竄や捏造は頻繁にあったでしょう。 考古学的な物証による裏づけがあれば別ですが。

古代の様相を知ろうとするなら、まず、考古学的物証から入るべきです。
考古学では、発掘された遺跡や出土品の様子から、その地域が周辺とどのように影響しあっていたか、
確実に推し量ることができます。
周辺よりも出土物が質的量的に優れていれば、その地域が当時隆盛を極めていたことが推測されます。

文献が役立つとしたら、その地域にあった国の名前であるとか、おおよその実年代を知ることくらいでしょう。

たとえば、奈良の纏向遺跡の場合、近畿を中心とした搬入土器の割合が多く、
活発な人の流入があり、そこに市場や、市場を管理して富を蓄積した王権があったと考えられます。
日本書記という文献によって、そこに「ヤマト」という国があったということが確認できるわけです。
箸墓古墳も、同じように、「ヤマトトトヒモモソヒメ」の墓ではないか?ということが推察できます。

そして、箸墓古墳はその後の大和朝廷が採用した墳墓の前方後円墳の完成形であり、
突出した大きさから、ヤマトトトヒモモソヒメは、ただの巫女ではなく、
畿内に君臨した女王だったのではないか? と、考えられもします。

魏志倭人伝にみられる邪馬台国の女王・卑弥呼と同一視されるのも、無理からぬことでしょう。

箸墓古墳は、後円部に、吉備地方の特殊器台型埴輪・特殊壷型埴輪が並べられ、
前方部には、東海地方の二重口縁の加飾壷形土器の系譜の壷型埴輪が並べられていました。
これにより、吉備の主導で祭祀が行なわれ、東海の労働力で古墳が築かれたという説も唱えられています。



つづき
考古学と文献をつきあわせるならば、このような推測も出来るであろう。


纏向遺跡に先行する、唐古・鍵遺跡で君臨していた王は、ニギハヤヒではないかと思うのじゃが?
後に神武天皇(イハレヒコ)に攻められ、権力を奪われたのでは無いか?



かおる
まあ、そういう考え方も無くは無いでしょうね。
ただ、神武と纏向遺跡を結びつけると、記紀神話とは時代が合わなくなります。
纏向遺跡は、崇神天皇の頃としたほうが整合性がとれると思います。

唐古・鍵遺跡が繁栄していた弥生時代中期頃に、神武が乗り込んできたと考えてもよいのでは?

つづき
唐古・鍵遺跡で権力を振るっていたニギハヤヒの出身地は、
東海地方ではなかったかと思うのじゃが?

かおる
なんで、天孫の誉れ高きニギハヤヒが東海地方出身なんですよ? 考古学的資料も文献も無いじゃないですか?
なんでも、東海地方=高天原に結びつけるのはやめてください。
つづき
とは言うものの、実際に東海地方には、ニギハヤヒにまつわる神社があるわけじゃが。




真清田神社(ますみだじんじゃ)
愛知県一宮市・尾張国一ノ宮

祭神 天火明命(アメノホアカリ=ニギハヤヒ)
神武天皇33年に、この地を「ヲハリ」と名付けて開拓した
尾張氏の祖?



味鋺神社(あじまじんじゃ)
愛知県名古屋市北区

祭神 宇麻志麻治命(ウマシマヂ=ニギハヤヒの子)
日本武命 天照大神 別雷神 天児屋根命 品陀別命 武甕槌命
近くに味美(あじよし)古墳群がある
物部氏の祖?


ニギハヤヒ一族の拠点は愛知県にあった?





かおる
ニギハヤヒは、神武に攻められ畿内を追われて東海地方に左遷させられたとも考えられますよ?

つづき
すると、やはり、名古屋(ナゴヤ)の語源は、ニギハヤヒであったか……。

かおる
いや、それは、関係ないと思います。(キッパリ)

つづき
なんにせよ、ニギハヤヒ=天孫族なる一族は、どこかから大和に降臨したはずじゃな?
天孫族の故郷である、高天原とはどこであったのか?
かおる
やっぱり、稲作や鉄器や織物など先進の文物を携えてきたと考えれば、渡来系の神であり、
天孫族は、朝鮮半島発祥と考えるのが自然のような気がしますね。 やっぱり文明の流れは西から東ですよ。
つづき
文明の流れは西から東」じゃとな?

かおる
ええ、そうですよ。 先進技術の代表格である鉄器なんかも、九州から山陰や瀬戸内海を通じて東へもたらされたことは常識ですし。

つづき
はたしてそうかな?

かおる
そうにきまってるじゃないですか! 鉄器の伝来は、九州から東へ、です!
考古学的にも、鉄器の出土数の地理的傾斜から明らかです! これは常識です!
つづき
しかし、文献は、そのようには、語っておらぬぞよ?

かおる
はぁ?

つづき
つまらぬ常識は捨てて、出雲の製鉄の神、金屋子神の伝承をよく読むが良い。





金屋子(カナヤコ)神話
「鉄山秘書」

昔、播磨の国岩鍋(岩野辺)で日照りが続いていたとき、
土民が雨乞いをすると、一柱の神が高天原より降臨した。

金山彦(カナヤマヒコ)天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)ともいう金屋子神は、
土民に製鉄と道具作りの技術を教え、さらに西へと飛び立った。

そして、出雲国能義郡西比田の黒田へ降り立ち、猟に来ていた安部正重に、
タタラ製鉄を伝えたという。


現在、西比田には、金屋子神社がある。
(祭神 金山毘古命 金山毘賣命)



なんとびっくり!
高天原からやってきた鉄器の神様、
金山彦は、
東から西へ向かって降臨していた!




高天原は、やっぱり東海地方だったのかっ!!?



かおる
ちょっと待ってください! なんで、そこで東海地方が出てくるんですか?
高天原の神が播磨に降臨したってだけで、東海地方は関係ないでしょう?
つづき
いやいや、ところが、まったくそうではない。



製鉄の神「金山彦」を祀る神社の総本宮は、
美濃国一ノ宮 南宮大社である!!





南宮大社(なんぐうたいしゃ)
岐阜県不破郡垂井町・美濃国一ノ宮

祭神 金山彦命(カナヤマヒコ)
何故か、美濃にありながら製鉄の神の総本宮である。
古くは、「仲山金山彦神社」と称した。

地元では、天照大神よりも兄神として、格上扱いである。




伝承は、東から西への製鉄技術の伝播を伝えていた?!
考古学とも、神武東征神話とも、まったく逆の流れである?!



かおる
ええ〜〜〜?????? そうなんですかぁ?????

つづき
播磨と出雲の中間にある美作国にも、鏡作命を祀る「中山神社」がある。
何か、繋がりを感じさせるのお。




中山神社(なかやまじんじゃ)
岡山県津山市・美作国一ノ宮

祭神 鏡作命(カガミツクリ)

備前国から北部六郡が「美作国」として分国された時に、
備中国の吉備中山のふもとに鎮座する、
吉備の総鎮守である吉備津神社より勧請したといわれる。








西日本に鉄をもたらした高天原は、
やっぱり東海地方でしかありえないっ!!

「金屋子神」は、記紀神話には登場しないので、新しく創作された神かもしれない。
すると、美濃で祀られている「金山彦命」のほうが時代が古いということになる。
つまり、山陰地方で製鉄が活発になる以前に、美濃で製鉄が始まっていたということになる?




かおる
論理展開が強引すぎます! そんな、昔の伝承なんていいかげんなものなんだから、
ちょっとおかしな伝承が残ってても不思議はありません! 美濃と製鉄は関係ないでしょう!
つづき
はたして、美濃と製鉄が無関係じゃと言い切ってよいのかな?

かおる
考古学的にも、美濃から神話時代=弥生時代の製鉄に関わる遺跡が出たことはありませんよ?
鉄は九州を経由して朝鮮半島から輸入していたのです! そもそも、日本で製鉄が始まったのは早くて5世紀頃でしょう。


東海地方で大規模な製鉄遺跡が発見されたことはありません!
弥生時代の西日本から比較しても、もっとも鉄器の導入の遅れた辺境でした!



つづき
かおる君は、ひとつ、おおきな勘違いをしておるようじゃな?

かおる
え? と、いうと?

つづき


鉄器が輸入されることと、
製鉄技術が生まれることとは、お互い無関係である。


かおる
ほほぅ?

つづき
確かに、朝鮮半島から鉄は大量に輸入されていたじゃろう。 しかし、同時に、いや、鉄器の輸入よりも前から、
製鉄技術が日本の美濃で生まれていたとしても、何も不思議なことは無いのじゃ。
かおる
え〜? 美濃で、製鉄技術が生まれたんですかぁ?

つづき
その可能性を考えてみるべきではないかな?

かおる
考え難いですよ〜。 だいたい、鉄の製錬は容易ではありません。
鉄の溶融点は1500度以上です。 銅は1100度ですから、銅製品よりもさらに高温の炉がが必要になります。
つづき
さて、そこが問題じゃが……。
古代には、鉄鉱石から鉄を抽出した可鍛鉄による鉄器製造法があったらしい。

製品としての鉄を得るには、自然界に存在する酸化鉄を還元させねばならぬが、
鉄の還元は、銅鐸などを作るために銅を溶融させるよりも低い温度でよいのじゃ。

鉄器を作るには、銅器のように完全に溶解させる必要がない。
弥生式土器を焼成する程度の熱度が得られれば、タタラ炉を築かなくとも野辺で精錬することができたらしい。
紀元前1400年頃に、ヒッタイトで生まれたとされる製鉄法じゃ。
可鍛鉄が得られれば、融解させなくとも、熱して叩けば鍛造できるのである。
こうして縄文時代から、製鉄が行なわれていたという説もあるのじゃ。
古い遺跡から出土する鉄滓は、鉄鉱石が原料だという。


かおる
高温で鉄を溶かす鋳造ではなく、鍛造によって叩いて鉄製品を得ていた可能性があるということですね?

鉄器を作るためには材料となる、磁鉄鉱(砂鉄)・褐鉄鉱・赤鉄鉱のいずれかが必要です。
タタラ製鉄は日本の伝統的な古式鍛造ですが、原料は砂鉄です。

砂鉄と木炭を混ぜて熱すると、炭素含有量によって、鉄の硬さ・脆さなどの性質が変わります。
タタラでは、「ケラ押し法」「ズク押し法」という技法が生み出されました。
それでも歩留まりは悪く、良質な玉鋼はごく少量しか得られません。

砂鉄から可鍛鉄を得るには、鉄鉱石から抽出するように簡単では無かったのではないでしょうか?


つづき
ところが、美濃の金生山では赤鉄鉱が採れるのじゃ!

赤鉄鉱を粉末にするとベンガラと呼ばれ、土器を朱色に彩色する顔料にもなる。
パレル・スタイルと呼ばれる朱色に彩られた東海土器は、このベンガラが用いられている。

美濃には良い刀鍛冶がおり、壬申の乱の折に、大海人皇子(天武天皇)が三野(美濃)に鉄剣の援助を要請したほどである。
戦国時代には美濃鍛冶と呼ばれ、全国に広がり活躍したのじゃ。
古来より、よい原料に恵まれ、鉄の鍛錬技術を培ってきた成果であろう。

大海人皇子や、徳川家康を勝利に導いたのは、美濃鍛冶による優れた鉄剣・刀の供給があってのことじゃろう。
美濃が日本の歴史を動かしてきたといっても過言ではない。
その裏では、もののふとして、武器の管理を任されていた物部氏の存在も忘れてはならぬであろうな。




石灰岩中の鉄鉱床を露天掘りしている金生山 (岐阜県大垣市赤坂町)



かおる
ニギハヤヒの子のウマシマヂを祖とするという物部氏が、美濃で活躍していたということですか?

つづき
物部氏は、どういうわけか「」とも呼ばれたおった。

かおる
鉄の話をしてるのに、「」とかって脱線させないでくださいよ。

つづき
」も「物部氏」も、どちらも、製鉄に関係することじゃ。
美濃は、「」つながりで、播磨・吉備とも関係してくるのじゃ。
かおる
美濃と吉備が、「」で繋がるというと? どう繋がるので?

つづき
気がつかぬか?


桃太郎の鬼退治伝説じゃ!

桃太郎のモデルは、岡山では、製鉄に関わっていた「温羅」を吉備津彦が征伐したことに由来するという。
製鉄に関わる姿が、「」と思われたのではないじゃろうか?
山奥で穴を掘り、金棒を持ち、筋骨隆々の体にベンガラを塗れば、まさに赤鬼そのものじゃろうて。

そして美濃にも桃太郎伝説が色濃く残っている。
これは、伝承を語り合う人の往来が、古代の美濃と吉備の間で盛んだった証拠ではあるまいか?
美濃には桃太郎のお供を連想させる「犬山」がある。
さらには「桃山」があり、桃太郎神社までもがある。


かおる
美濃の桃太郎伝説なんて、ただの村おこしのこじつけじゃないんですか? つくりものクサイですよ?
岡山の桃太郎とは全然関係無いと思われますが?
つづき
いやいや、わしも最初はそう思っておった。
じゃが、桃太郎はなぜ「」太郎なのじゃろうな? 「吉備太郎」でもよさそうなものじゃが?
かおる
それは、神仙思想の影響で「」が珍重されたからでしょう?

つづき
では、「もも」という語彙はどこから生まれたものじゃろうな?

かおる
はぁ? 「もも」は「もも」では?

つづき
誰かが、桃を見て「もも」と呼ばなければ、桃は「もも」とは呼ばれなかったはずじゃろう?
古代より「もも」は、神聖な言霊であったからこそ、仙果とされる桃は「もも」と呼ばれたのじゃ。
かおる
う〜ん?
もも」という神聖な言葉が「」よりも昔からあったということですか?
つづき
もも」が神聖な言霊であるならば、美濃にある「桃山」もまた聖なる山。 古代では、純粋に「モモヤマ」と呼ばれていたじゃろう。
そして、その土地は「栗栖」と呼ばれておる。 「桃山」の麓には、「栗栖神社」がある。

桃山」の麓にある、栗栖神社の祭神は、「宇麻志麻知命(ウマシマヂ)」じゃ。
栗栖」という地名が何か、いわくありげではないかね?





犬山にある「桃山」は、古代人が崇めていた三輪山のような円錐形をしている。


栗栖神社の鳥居の奥に、桃山遊歩道の入り口がある。
古代では聖域への登山道だったに違いない。


栗栖」は、「栗の木が生えている所」という意味。
縄文系の地名か?




愛知県犬山市栗栖「桃山」の麓の神社


栗栖神社(くるすじんじゃ)
愛知県犬山市栗栖

祭神 宇麻志麻知命(ウマシマヂ)

桃太郎伝説の残る桃山の麓にある。
ウマシマヂは、ニギハヤヒの子。
栗栖連は、物部氏の一族。

「栗栖」という地名は珍しく、
愛知県犬山市、滋賀県犬上郡、
京都府、兵庫県、広島県廿日市、
和歌山県などにわずかにみられる。


大阪府八尾市にも、
同じ宇麻志麻知命を祀る栗栖神社(八尾神社)があるが、
古代からの地名とは考え難い。
弥生時代は海岸だったと思われる。
栗栖連の本家は「愛知県犬山市栗栖」だったかもしれない。






桃太郎神社(ももたろうじんじゃ)
愛知県犬山市栗栖

祭神 大神実命(オオカムツミ)

神社自体は新しいものだが、
犬山には桃太郎伝説にまつわる地名が多い。
古代の地名である「栗栖」に、
桃太郎伝説が生まれたのは偶然ではないだろう。


「桃太郎」のモデルは、
物部氏の祖の「ウマシマヂ」だったのか?

「物部」は、本当は「モ・の・ノベ」だったのではないか?



[物部]←[モ・の・ノベ]←[]→[モモ・タロウ]→[桃太郎]

[美作]←[ミマ・サカ]←[]→[ミ・ノ]→[美濃]
↓                   ↓
[中山神社]           [仲山金山彦神社]
(美作国一ノ宮)                     (美濃国一ノ宮)






「も」は、「喪屋(もや)」というように、霊的な言葉。
「もも」は仙果(桃)に名付けられたように、神聖な言葉。
「もみ」は紅葉と言うように紅色(桃色)を表す言葉で、古代では赤は神聖な色。

「のべ(野辺)」は、埋葬地・火葬場を意味する。
「さか」は坂・山の意味。 「作」は漢音の当て字。

「みま・さか」=「もも・やま」
(吉備・美作)=(美濃・桃山)

金屋子神の降臨した岩鍋も、「岩野辺」であり、鍛冶場を意味しそうである。
霊魂と武器の祭祀を司る物部氏と無関係だっただろうか?

上記を踏まえると、「モ・の・ノベ」とは、「霊的な斎場」という意味になる。
「モ・の・ノベ」から「もの(物)」という意味が生まれ、
後に「物部」という漢字に置き換えられ「もののべ」と呼ばれた?

「ウマシマヂ」は、「うまし(美味)・もち(餅・持ち)」という意味であり、
「オオナモチ」と同じ「モ」系の国津神の名前である。
「オオカムツミ」という名前は「ワタツミ」に対応する古い神の名前のようである。
日本神話初期に登場する「イザナギ」から名前をもらった桃の神が「オオカムツミ」だとされる。

「も」は、「オオモノヌシ」にも通じる。
オオモノヌシ=オオクニヌシ=ニギハヤヒ〜ウマシマヂ〜尾張氏・物部氏


つまり、桃太郎伝説のモチーフは物部氏だった!

「桃から生まれた桃太郎」

「美濃から生まれた物部氏」


岡山の吉備津彦や、美濃のウマシマヂの活躍が、
鍛冶や祭祀で交流のあった物部氏によって伝承され、後に「桃太郎」の名前が生まれた?


美濃と吉備は、製鉄・桃太郎伝説で通じ合う。
両者を結びつけるのは、祭祀と軍事を司る、鬼とも称された物部氏。




かおる
うひゃ〜。 古代の物部氏の活躍が、桃太郎伝説を生んだということですか〜?
すると、美濃では金山彦(鬼)を、物部氏(桃太郎)が退治したと?
つづき
いやいや、そうではないじゃろう。


美濃で製鉄に関わっていた金山彦は、高天原の神であるので退治される側ではない。

吉備の「温羅」と対抗しうる鉄の武器を鍛造できたのは、美濃の刀鍛冶ではなかったか?
吉備津彦に武器を供給したのは、大和朝廷の武器庫であった石上神宮を司る物部氏であったろう。

武器を統括する物部氏は、刀鍛冶とも関係していたに違いない。
出雲など製鉄の地に物部氏の伝承が多いのはそのためであろう。



かおる
でも、やっぱり製鉄は技術が必要ですから、古代人には難しかったんじゃないですかねえ?
渡来人に製鉄法を教えてもらわないと、独自に鉄を生産するなんて出来なかったと思われますが。

それに、吉備津彦の時代は、崇神天皇よりも前の弥生時代の終わり頃と思われますから、
美濃はおろか吉備でさえも製鉄は行なわれていなかったというのが定説です。
そもそも「温羅」伝説は、製鉄とは関係なかったかも知れませんよ?


つづき
まてまて。
さらに古代では、もっと鉄は身近な存在だった可能性がある。
かおる
鉄が最初から身の回りに転がってたんですか?

つづき
高師小僧」というのを知っておるかな?
その正体は「」等の植物の根元に付着した水酸化鉄であり、愛知県の天然記念物の褐鉄鉱じゃ。



高師小僧
(褐鉄鉱)

鉄分の多い湿地で「葦」の生えた土地からは、葦の根元から褐鉄鉱(スズ・サナギ)が採れる。
「高師小僧」とも呼ばれ、東海地方の古代製鉄の原料とも言われている。
「豊葦原瑞穂の国」は、褐鉄鉱の産地であったかも知れない。
高師小僧(褐鉄鉱)は、葦原で暮らす古代人にとっては、ごく自然に手に入った「鉄」であっただろう。
質は劣るものの、野辺で焼き、叩き鍛えれば、それなりの鉄器を作ることができたのではないか?
もちろん九州に朝鮮半島から輸入されていた鉄は上質のものだったろうが、
東海地方では、美濃の金生山の赤鉄鉱や、尾張の葦原の褐鉄鉱が、和鉄原料として手に入った。
また、鉄分の多い土石原料を含鉄土石と呼び、「鬼板」(褐鉄鉱)として知られる。
壷状になったものは、「壷石」と呼ばれ、美濃の壷石は天然記念物
近畿・東海でも、僅かながら鉄の生産がなされていた可能性は考えられうるのである。

奈良県内の古墳出土の刀剣等を分析すると、原料は褐鉄鉱・赤鉄鉱であるという。
東海地方の古墳出土の鉄製品には、美濃・金生山の赤鉄鉱を原料としたものが含まれるという。
唐子・鍵遺跡からは、ヒスイの勾玉2点を収めた天然の褐鉄鉱を容器とした遺物が出土している。

一方、タタラ製鉄で用いられるものは磁鉄鉱(砂鉄)である。
播磨では砂鉄原料・磁鉄鉱が採れるが、良質な磁鉄鉱を原料とした、本格的なタタラ製鉄の始まりは、もっと後の時代かもしれない。


山陰地方などでタタラ製鉄が活発になるより以前、
古代の東海地方では、独自技術で製鉄を始めていたのか?




かおる
ほほ〜〜。 なるほど〜〜。

つづき
この構図から見えてくるものは、吉備の軍事力と、美濃の技術力が、大和建国に貢献したであろうということじゃな。


大和建国を支えたのは、吉備と東海である。

それを証明するかのように、箸墓古墳には、吉備と東海の土器が献納されている。

纏向を、斎場として取り仕切っていたのは、物部氏であったはずじゃ。



箸墓古墳とモモソヒメ、桃太郎のモデルとされた吉備津彦、これらは崇神天皇の前後の時代で結びつく。
美作(みまさか)の「ミマ」が吉備の美称なら、崇神天皇(ミマキイリヒコイニエ)は、吉備系の王と考えられる。
崇神天皇の皇后は、大彦の女・御間城姫だが、妃として尾張大海媛、紀伊国・遠津年魚眼眼妙媛を迎えている。
(「眼眼」は「もも」に通じる美称かもしれない。)


尾張・美濃を含む東海地方は、吉備地方と関係を持っていたに違いない。
尾張も播磨も、同じ「ハリ」を持つ土地柄である。
ハリ(墾)」は、作物を採れるよう土地を開墾するという言葉じゃ。
鉄器は、農具としても重宝した。
収穫された食べ物は「ケツ(饌)」と呼ばれた。
ケツは、「ケツネ=きつね(狐)」の語源とされ、稲荷信仰の起源とされる。
そして、金屋子神の姿は、白狐じゃったということじゃ。
金屋子神は、比田(ヒタ)に降りたが、美濃の隣にも飛騨(ヒダ)がある。
美濃の喪山桃山桃太郎も、大和のモモソヒメも、物部氏も、全部「」系の名前であるのは偶然だろうか? 否!

言霊と古代の東海地方をあなどると、歴史の真実は見えてこないぞよ!




かおる
おっと〜。 今回は以前にもましてデンパ……いや、力説しまくってますね〜?

つづき
無論、吉備と美濃では、美濃が上位であったであろうことも、指摘しておこう。
美濃は、カミの国としても有名じゃった。
かおる
どうして、美濃が神の国なんですか?

つづき
現存する日本最古の「カミ」は、「美濃紙(ミノカミ)」であるっ!!


[美濃紙]
奈良・正倉院に、最古の戸籍12通が保存されている。
「半布里戸籍」大宝2年(702年)に書かれた12通のうち、7通が美濃で作られた紙に記されていた。


美濃の「カミ」は、奈良で崇められていたのである。




かおる
………………どうしても、ダジャレを言わないと気がすまないのだろうか………………。









付録・年表




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