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ナガスネヒコの真実


March.4.2005





かおる
そういえば、長髄彦(ナガスネヒコ)については、あまり触れてきませんでしたね?
今回は長髄彦の謎に迫るんですか? どんな秘密があるのでしょう?

神話では、畿内の王だったニギハヤヒに仕えていて、
攻めてきた神武に抵抗した、足の長い武将というイメージですね。


つづき
前回までのコラムで、明らかにしてきたように、
名前というものには、それぞれ系統があるものじゃと考えておるわけじゃが。
かおる
ええ、まあ、「ヒコ・ヒメ・ミミ・ニキ」などは、「役職・位」を意味しそうですね?

つづき
てっとり早い話、「」という名前にも、「役職・位」の意味があったのではないかね?




」とは、どういう意味なのか?


」の付く、神様。

味耜高彦根
(あぢすきたかひこね)
死んだ天稚彦と間違われて怒る。
天立櫛根
(あたつくしね)
吾田津奇根・阿田都久志尼とも。
三輪神・鰐彦(わにひこ)・櫛甕玉・大物主の子。
天日方奇日方命の別名。
神武に仕えた。
子孫に大田田根子がいる。
八意思兼
(やごころおもひかね)
知恵の神。
天児屋根
(あめのこやね)
興台産霊の子。
天照大神の天岩戸隠れで、
太祝詞(ふとのりと)を読み上げる。
天御虚空豊秋津根別
(あまつみそらとよあきつねわけ)
五穀豊穣の神。
千五百穂秋之瑞穂国(ちいほあきのみずほのくに)
大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)
妹阿夜訶志古泥
(いもあやかしこね)
惶根(かしこね)
古事記・日本書記の、神代七代。
面足尊(おもたるのみこと)と対。
阿夜訶志古泥(あやかしこね)。
須我禰(すがね)出雲風土記に登場する神。
子は、宇能治比古命(うのちひこ)。
父の舟を転覆させる。

播磨国風土記では、
大己貴命と火明命の関係に似ている。
屋船久久遅命
(やふねくくのち)
屋船豊宇気姫
(やふねとようけひめ)
上棟祭で祀られる家の神。
屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)
屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)
手置帆負命(たおきほおいのみこと)
彦狭知命(ひこさしりのみこと)
産土神(うぶすながみ)


屋船豊宇気姫は、
鹿屋野比売(かやのひめ)と同神?
根拆(ねさく)イザナギが、十握剣で、
カグツチを切った時に生まれる。
子之神社(ねのじんじゃ)大己貴・大国主・素戔嗚尊
・天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日などの国津神系を祀る。

大己貴は、181人の子をもうけた子福の神。
「すべて一百八十一(ももやそはしらあまりひとはしら)の神ます」
建内宿禰
(たけうちのすくね)
成務天皇の大臣として、
国造(くにのみやつこ)・縣主(あがたぬし)を定める。
「たけしうちのすくね」とも。
邇邇藝(ににぎ)
禰宜(ねぎ)
根国(ねのくに)
ニニギ=ネギは同根か?

スサノヲは、根の国に追われた。
箱根・奥利根という地名があるが……。
大田田根子
(おおたたねこ)
大物主の子。
大物主神を祀る。
大日本根子彦太瓊尊
(おおやまとねこ
ひこふとに)
大日本根子彦国牽尊
(おおやまとねこ
ひこくにくる)
稚日本根子彦大日日尊
(わかやまとねこ
ひこおおひひ)
孝霊天皇
孝元天皇
開化天皇
登美能那賀須泥毘古
(とみのなかすねひこ)
長髄彦(ながすねひこ)・登美毘古(とみひこ)

「登美」=奈良市富雄
難波・奈良を挟む生駒山の懐にある。



」の付く神様は、気品があるっぽい。


なのに、どうして、
「ながすひこ」だけは、
スネ(脛)が長いねん
おかしいやんけ!


「那賀須泥毘古(なかすひこ)」は、
「宿禰(すく)・根子(こ)」と、
同じ意味の官僚だったんじゃあないんですか?





かおる
あれあれ〜?

つづき
そもそも、ナガスネヒコは足が長いなどと言い出したのは、どこの誰じゃ?
古事記では、「登美能那賀須泥毘古・登美毘古」であり、「」は、後世のアテ字ではないのか?


それこそ、
「中津根彦(なかつねひこ)」
という解釈も出来るのではないか?




奈良県北葛城郡・中筋出作(なかすじしゅつさく)ってなんだろう?

中津川の、木曾川の下流に「美濃加茂」市がある。
「登美能」に通じる?


かおる
う〜〜〜む。 なるほどぉ。 「中津根彦(なかつねひこ)」はともかくとして、
足が長いという意味ではなく、「ね(根)」系統の役職の人だったことはありえますねえ??
つづき
まだ、謎はある。
前回ちょこっと語ったように、名前は一族の系統を示すものじゃ。

」系統の、ニギハヤヒは、
本当に、「」系統の、物部氏の祖だったのか?
ニギハヤヒが、物部氏の祖という説は、間違いなのではないのか?



かおる
いや〜〜。 そこまで言うのは、デンパが、混じってますよ〜〜?
ニギハヤヒが、物部氏の祖であることは、日本書紀に、ちゃんと明記されてることですからね!
つづき
どんな風にじゃな?

かおる
長髄彦は、畿内の王だったニギハヤヒに仕えていた武将です。
神武が、西から畿内に攻めてきたとき、追い返しました。

その後、ニギハヤヒが、神武を天孫だと認めて、国の統治権を譲ろうとするのですが、
長髄彦は、抵抗します。 説得しても応じなかったようです。
ニギハヤヒは、ついにナガスネヒコを殺して、神武に国を明け渡します。
こうして、ニギハヤヒは、物部氏の祖になったということです。

つづき
ちょっとマタンキ

かおる
マタンキ」なんて、昭和のギャグをこかないでください!
わかるひとが何人いるんですかっ?
つづき
ニギハヤヒが、物部氏の祖じゃと、どこに書いてあるのじゃ?

かおる
書いてあるじゃないですか?

つづき
書いてない!

かおる
書いてありますって!

つづき
いいや、書いてない!

かおる
書いてありますっ!!

つづき
書いて無いよ?

かおる
か・い・て・あ・る・の・!

つづき
か〜いて〜な〜い〜〜〜。

かおる
書いてる!

つづき
書いてない!

かおる
……たく、しょうがない人ですね?
何かネタを考えてるのかも知れませんが、ニギハヤヒ=物部氏の祖というのは、常識なんですよ?
つづき
ネタではないよ?

かおる
ネタじゃないですか!

つづき
どこが?

かおる
物部氏の祖は、ニギハヤヒじゃない」なんて言ってるじゃないですかっ!!

つづき
だって、そうなんだもん。

かおる
物部氏の祖は、ニギハヤヒです!
古代史をかじった人なら、誰でも知ってますよ?
つづき
そうかな?

かおる
そうですよ! 恥ずかしいから、変なデンパとばしたり、意地を張らないで、
常識は常識として、常識の上に立脚してください!
つづき
その常識も、疑わしいということじゃ。

かおる
常識の隙間を突いて妄想を膨らませるのを、疑似科学とかデンパと言うのです!
何が楽しいのか知れませんが、逆立ちしたって、ニギハヤヒ=物部氏の祖という常識は覆せませんよ?
つづき
なにゆえ、そのような常識が生まれたのか……。 まあ、わからないでもないがなあ。

かおる
ぶつぶついってないで、根拠を聞かせてくださいよ?
ニギハヤヒのどこが、物部氏の祖じゃないと言い切れるわけですか?
つづき
逆に問いたいが、ニギハヤヒが、物部氏の祖となぜ言える?

かおる
質問してるのは、こっちですよっ!
何度も言うように、日本書記には、ハッキリと、ニギハヤヒが物部氏の祖だと書いてあるんです!
つづき
いや、それはウソ。

かおる
なにが、ウソなもんですか! あ〜もうじれったいなあ。 この人は!
じゃ、めんどくさいけど、ちょっと転載しますよ? 原文は漢文なんで、翻訳したのでいいでしょう。



饒速日と、長髄彦と、神武天皇と、

日本書記
(講談社学術文庫 宇治谷孟版 現代語訳)



〜長髄彦は、天皇(神武)に使いを出して、言上した。〜


 〜一体天神の子は二人おられるのですか。どうしてまた天神の子と名乗って、人の土地を奪おうとするのですか。手前が思うのにそれは偽者でしょう」と。

 天皇が言われる。

 「天神の子は多くいる。 お前が君とする人が、本当に天神の子ならば、必ず表(しるしの物)があるだろう。 それを示しなさい」と。
 長髄彦は、饒速日命の天の羽羽矢(ははや・蛇の呪力を負った矢)と歩靫(かちゆき・徒歩で弓を射る時に使うヤナグイ)を天皇に示した。  天皇はご覧になって、「いつわりではない」といわれ、帰って所持の天の羽羽矢一本と、歩靫を長髄彦に示された。

 長髄彦はその天神の表(しるし)を見て、ますます恐れ、畏まった。
 けれども兵器の用意はすっかり構えられ、中途で止めることは難しい。
 そして間違った考えを捨てず、改心の気持がない。
 饒速日命は、もとより天神が深く心配されるのは、 天孫のことだけであることを知っていた。 またかの長髄彦は、性質がねじけたところがあり、 天神と人とは全く異なるのだということを教えても、分りそうもないことを見てこれを殺害された。

 そしてその部下達を率いて帰順された。天皇は饒速日命が天から降ったということは分り、 いま忠誠のこころを尽くしたので、これをほめて、寵愛された。 これが物部氏の先祖である。




饒速日は、神武の武器の”しるし”を見て、
神武を天神の子と認めた。
天神が心配されてるのは、神武のことだけだと悟った。

しかし、長髄彦は応じなかったため、長髄彦は、殺害された。
そして、饒速日は、部下達を率いて神武に帰順した。
これが物部氏の先祖である。




かおる
ね? ちゃんと、ニギハヤヒが、物部氏の祖だと書いてあるじゃないですか?

つづき
違う!

かおる
強情な人ですね〜? 違うって、どこが違うんですかっ??

つづき
よく文脈を読むがよい!



物部氏の先祖は、
長髄彦の部下達である。
ニギハヤヒは、神武に帰順させただけだったっ!



かおる
あれあれ〜????

つづき
物部氏の祖は、長髄彦の部下達なのじゃ。 彼らが「もののふ」として朝廷に仕えていたのじゃ。
ニギハヤヒは、長髄彦の死によって、長髄彦の部下達のリーダーになったというだけの話。
かおる
う、う〜〜〜〜〜〜んん???

つづき
もっとも、ニギハヤヒが、物部氏の祖というのも、間違いではない。

かおる
え? そ、そうでしょ?

つづき
長髄彦が、物部氏の祖なら、長髄彦一族と婚姻したニギハヤヒの子孫は、物部氏ということになる。



饒速日と、長髄彦と、三炊屋媛と、

日本書記
(講談社学術文庫 宇治谷孟版 現代語訳)



〜長髄彦は、天皇(神武)に使いを出して、言上した。〜


 さて長髄彦は使いを送って、天皇に言上し、「昔、天神の御子が、天磐船に乗って天降られました。櫛玉饒速日命といいます。この人が我が妹の三炊屋媛を娶とって子ができました。名を可美真手命といいます。それで、手前は、饒速日命を君として仕えています。〜




長髄彦は、妹の
三炊屋媛・御炊屋媛(みかしぎやひめ)を、
ニギハヤヒと婚姻させ、ニギハヤヒに仕えていた。

ニギハヤヒにとって、長髄彦は、兄なのである。
長髄彦の子孫は、ニギハヤヒの子孫でもある。

ニギハヤヒと、三炊屋媛の子、
可美真手(うましまで)こそ、
物部氏の祖であり、
ニギハヤヒの神宝・天璽瑞宝十種(あまつしるしのみずたからとくさ)と、
長髄彦の軍事力を受け継いだのだ。




かおる
ほほ〜〜〜??

つづき
わかったかな? ニギハヤヒ個人が、物部氏の祖ではなく、
ニギハヤヒと長髄彦一族が婚姻を結び、同族となった時点から、物部氏の祖となったのじゃ。


しかし、ニギハヤヒはあくまでひとりの王である。
軍事・祭祀などの実務を行なっていたのは、長髄彦一族だったであろう。
物部氏の実態の比重は、長髄彦一族に重きがあったはずじゃ。


物部氏の真の祖先は、
長髄彦一族なのだ。


長髄彦(なかすひこ)は、天皇クラスの「(根)」の称号を持った、
軍事・祭祀を所轄していた敏腕宰相であろう。
古事記では、登美能那賀須泥毘古(とみのなかすねひこ)・登美毘古(とみひこ)。

「スネが長い」という表現は、当て字による勘違い。
「性質がねじけたところがあり」という表現は、
明らかに後世の捏造である。

実際は、侵略者に国を明け渡すことを許さぬよう、
ニギハヤヒ王に進言し、補佐し続けたに違いない。
長髄彦が殺害(暗殺?)され、ニギハヤヒは折れたのである。



長髄彦は内つ国と運命を共にし、
非業の死を遂げた乱世の英雄だった!



つづき
どう思うかね? かおる君。

かおる
いや、どうって言われても僕はべつに。










ちなみに、奈良県北葛城郡・中筋出作(なかすじしゅつさく)という地名があるが、
ナガスネヒコの「那賀須泥」は、「なかすぢ」と読める。=長い筋・足?=長い血統・家柄?
「中筋(なかすじ)」という地名は、西日本に点在している。 「長筋・ながすじ・ナガスネ」という地名は無い。

ナガスネヒコは、「ナカスヂヒコ」だったのかも知れない。
中の筋の彦=中つ国の戦士



参考地図(カシミール3Dより)





全国の「中筋(なかすじ)」分布図 ……弥生の高地性集落分布とよく似ている?






那賀須泥毘古の謎は深まる……?

貴方は、神武に抵抗した畿内の戦士の名を、
ナガスヒコ」と読みますか?
それとも、「ナカスヒコ」と読みますか?








付録・年表




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