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東西南北の語源とは?


Feb.9.2004





つづき
人が、北に背を向けたとき、左は東右は西となる。
つまり、「ひだり・ひがし」「みぎ・にし」はそれぞれ、どちらかが語源となっていると思えるのじゃが。
かおる
「ひがし」というより、「ひだし(日出し)・ひでり(日出り・日照り)」といった方が、
日が昇る感じはしますね。
「みぎ」は、「みぎり」とも言い、境界線を意味しています。
昼と夜の境が(見切り=太陽が隠れる)、「西」ですね。

つづき
つまり、まだ東西南北の「方位」の概念の無い頃、
東・西」を、「ひでり・みぎり」と呼んでいたということじゃな。
それが、自分から見た「左・右」という意味に変わり、
後に方位を示す語として「ひがし・にし」という語が別に生まれたのじゃ。

かおる
はじめから、別々に生まれた語句かも知れませんけどね。
「東」は「日、向かし(=ひむかし)」、「西」は「日、沈む(=ひし)」でしょう。
つづき
では、「きた・みなみ」の語源は、いかなるものであろうな?

かおる
さあ、なんでしょう?

つづき
東西が、太陽の運行に関係するなら、
南北もまた、古代人が自然現象を感じて、言葉を生んだと思えるわけじゃが。
かおる
古代人が感じた自然現象ですかあ? 南北に特徴的な自然現象なんてあったかなあ?

つづき
あるいは、地形かもしれぬぞよ。

かおる
地形?

つづき
たとえば、日本海側に住んでおれば、には「」、には「」がそびえていたであろう。

かおる
うみ」は、「みなみ」と、語感的には繋がりそうですね? 「みなも(水面)」「みなと(湊)」と、言いますから。
でも、「きた」は、「やま」とは全然関係なさそうな?
つづき
日本の地形を考えるとき、海に対面するものは、山、あるいは森・杜しかないじゃろう。
「北」が地形を意味した言葉なら「きた」の「た(ち・て)」は、「地・方向」を意味するに違いない。
かおる
可能性は、ありますね。 では、「」とは?
山に関係するものでしょうか?
つづき
それが、問題じゃ。
こじつければ、「気・木・忌・鬼・来……」と、いくらでもネタは出るわけじゃが……。
かおる
ここの最後でも言ってたように、同じ「き」でも、「きた」の言葉がつくられた時代に、
「き」にどういう意味があったか特定できなければ、意味がありませんよね?
「き」は、時代を通して、同じ意味を持っていたわけではないでしょうから。
しかも、上代特殊仮名遣いで、甲乙二類の発音上の区別があった可能性も考えなければ。
それに、古代では「きた」が、「かた・けた」とか、違う音韻だったかも知れませんし。
そうなると、ますます、こじつけようと思えばいくらでもこじつけられますね。
ただの、語呂合わせ、言葉遊びでは、しゃれにもなりません。

つづき
そこをいかに、信憑性のある説に仕上げるかが、腕の見せ所なわけじゃな。

かおる
いや、腕とか、そういう問題じゃなくて。

つづき
逆に考えれば、「」には、「気・木・忌・鬼・来……」と、
気配」に関係した語彙しか、思い当たらないのじゃが。
かおる
消去法でいくと、「」、つまり「何か気配のする方向」が「」ということかもしれませんが、
まだ、怪しさたっぷりだと思いますね。
つづき
……後は、宿題ということにしようかの?

かおる
そうしましょう。
わかんないものは、わかんないと認めて、関知しないのが、ただしい研究姿勢です。






つづき
……。

かおる
……どうかされましたか?

つづき
……そういえば、なぜ「関知」は、「しない」ものなのじゃろうか?
する」方は、「感知」じゃな?
かおる
そんなの、知りませんよ。

つづき
それはつまり、「関知」しないということじゃな?
「関知」とは、知識(ロゴス)で計り知れること、「感知」とは、第六感(パトス)で感じとることではないか?
かおる
ふむふむ。
「関知」は左脳、「感知」は右脳で処理される情報とも言えますね。
つづき
日本語において、「関知」という語句が、打消しの語を伴って用いる場合が多いのは、
日本人は、左脳で関知することに慣れていない、ということではなかろうか?

日本人の本質は、右脳民族なのじゃ。


かおる
ほほぉ?

つづき
方角についても、古代日本人は、右脳で感知していたに違いない。
その、するどい方向感覚は、北の方角に、なんらかの気配を感じてもおかしくはないであろう。
背中がぞくぞくする」というように、日本人は、古来より、背中に「」を感じていた。
方位を計るときに、基準と為るのは太陽であり、まず自分が太陽に向くじゃろう。
目の前には、海原が広がり、「南(みなみ)」と呼ばれた。
日の出でる「ひでり(左)」が「東(ひがし)」、地平に沈む「みぎり(右)」が「西(にし)」と呼ばれた。
すると、海に対し、背中側は、山のそびえる神々の杜であり、その「気(き)」を感じる方向が、
必然的に「北(きた)」となるわけじゃ。

かおる
その論理展開は、すごくおかしいです。

つづき
日本人なら、右脳で感じるのじゃ!










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