<2>

「ゴメン! 遅くなった!」
計画の段階では簡単そうに思えたのだが、いざ実行してみると、いろいろな邪魔が入ってしまった。
舎監の目を盗んで、寄宿舎を抜け出せたのが、午前零時十分前。後はオバケ工場まで、ひたすらダッシュ!
両膝を手で押さえ、「ゼェハァ、ゼェハァ」と息をしている俺を、斗貴子さんは、些か強張った表情で見据えている。オバケ工場を、ぐるりと囲うフェンス。敷地内への唯一の入り口で、どれぐらい俺を待っていたのだろう?
「気にするな。私も、ついさっき準備を終えたところだ」
口調が、硬い……。
「ごめん……。怒らせちゃったみたいだね。随分、待ったんでしょ?」
「え?」
重ねて詫びる俺の台詞が、斗貴子さんには意外だったようだ。瞬きを、一回してみせる。
「怒っているように見えるのか?」
「あの、違うの?」
「違う。怒ってるんじゃない。これから行う"儀式"のことを考えると……。否、そんなことより!」
彼女は、徐に俺の左手を取ると、工場内に向かって歩き出した。引かれるまま、ついて行く俺。
「人目につきたくない。早く、建物の中に入ろう」
「ああ……」
歩きながら夢見心地で頷く俺が意識していたのは、しっかりと握ってくる斗貴子さんの、右手の温もり……。
案内されたのは、二人が初めて会った場所だった。
建物一階、廃工場ならではの、ガランとした空間。斗貴子さんを庇うつもりで巳田のヤツに心臓貫かれたのがその辺り。近くの壁の染みは、ひょっとして俺の血か? 全ては俺の勘違いだったとしても、妙に感慨深い。
今晩ここには、なるほど準備がしてあった。
床には、四畳半ほどの広さで、赤地の絨毯(?)が敷かれていた。その四隅には一つずつ、いかにも年代物そうなランタンが置かれている。尤も、通常のランタンはこんなに明るくないし、こんなに良い香りをさせることは絶対無いはずだが。一体何を燃してんだろう? 
さらに絨毯そのものには、「複雑に方と円を組み合わせ、俺には読めない文字らしいのを彼方此方に配したもの」が、金糸で縫い表されていた。この手の物について、昔やったRPGぐらいしか知識のない俺としては、"魔方陣"と言いたいのだが、"仲魔"とかを呼び出すわけではないから、きっと違うんだろう……。
絨毯よりも、やや奥の側には、小さなテーブルが置かれ、その上にグラスが二つ置かれている。グラスになみなみと注がれた、緑色の液体。どう見ても、それそのものが淡い光を放っているから、青汁DXではないと思うが……。
「どうもこりゃ……想像してたのとは、大分違うな」
「想像? どんな?」
「折角の工場だから。何て言うかこう、火を起こして……」
「鍛冶屋じゃないんだぞ。しかし、キミらしい台詞だな」
失笑を洩らした斗貴子さんから、緊張が消えかかる。
「じゃあさ、よく分かんないけど、始めようよ。俺は、何をすれば良いの?」
「あ、ああ、そうだな……」
再び強張ってしまう"錬金術を識る少女"の表情。見る見るうちに、彼女の頬が赤くなっていく。
俺、何か気に触るようなことを言っちまったのか? 取り繕いたくても、俺には錬金術の知識は全く無い。悲しいかな。冗談一つ出てこない。
やや俯いてしまった彼女は、チラチラと俺を伺い見ている。
あぅう〜。どうしろと言うんだ!
「ええと……とても複雑で、難しい事なんだろうか?」
奇妙な御見合い状態に耐え切れなくなり、俺はそう水を向けてみた。
「否、難しくは無い……。その……健康な男子なら……寧ろ容易い事だ……」
ホムンクルスを相手に戦う時とはうって変わって、口篭もりながら話す斗貴子さん。恥らうように頬を染める彼女は、ひどく儚げに見えた。
――斗貴子さん。俺よりひとつ年上のはずだけど、まひろより小さい肩してるよな……。
目の前の相手が、普段どんなに"戦士"として振舞っていても、その実体は一人の華奢な少女に過ぎないことを思い出させられる。そんなコと、ヒトケノナイ場所で二人っきり……。ここなら何かあっても、誰も気付かないだろう……。
いかん! いかん! いかんぞ、俺!
突然胸中を、妖しい思いが走り抜け、俺は頭を振った。何考えてんだ俺は!
「どうかしたか?」
訝しむ声が聞こえた。
「なっ、なんでもないです! それで、具体的には?」
ううむ。俺の表情は、力一杯強張ってしまってるかも知れない。
斗貴子さんは、大きく深呼吸をすると、思い切ったように口を開いた。
「キミに、"賢者の石" 練成のため、私と"結合の儀"を行って欲しい!」
はひ? 何だって?
"賢者の石"と言えば、スペシャルイベントをクリアしないと手に入らないマジックアイテム。特殊効果は……って、んなわきゃないか……。
「"核鉄" 精製に不可欠な触媒を、我々は便宜上"賢者の石"と呼んでいる。水星の位置が、数年に一度の……」
等々と語りだした斗貴子さんに、俺はあっさりと白旗を掲げた。
「……ごめん。知識ゼロの俺でも分かるように、言って欲しい……」
途端、これ以上無いぐらい、疑わしげに俺を見る彼女。
「念のために聞くが、本当に分からないんだな?」
「勿論。って言うか……、普通……分からないと思うんだけど……」
斗貴子さんは、大きく溜息をつく。
「キミに"儀式"の持つ意味や、"今"執り行わなければならない緊急性を話しても無意味だな?」
「それは、全面的に……。面目無い……」
斗貴子さんは俺を見据えようとして、まともに視線同士がぶつかると、慌てたように、そっぽを向いてしまった。呆れ果ててと言うよりも、覚悟を決めた面持ちで説明を始める彼女は、うなじまで赤くなっている……。
あっ、あの……。どうしちゃったの? そんな態度されたら、俺……変に意識しちゃうじゃないか!
「一度しか言わないから、よく聴け」
「うん」
「これから執り行う"結合の儀"の手順だが……。先ず、キミと私は、あの霊薬を飲む……。次に……次に……」
あのテーブル上のグラスを指差したまま、女のコは言い淀む。
「次に?」
つい促してしまった俺に向かい、ぎゅっと目を瞑った斗貴子さんは、残りの言葉を叩き付けた。
「つっ、次に、……"創造がための器"である"私の女性器"に、"ヘルメスの杖"である"キミの男性器"を挿入し、私の"破瓜の血"と"愛液"、キミの"精液"から、"賢者の石"を練成する! 分かったか!!」
ああ、なるほど。それなら分かりました。
挿入…………って、えっ? ええっ?! えぇえええぇええええっ!!!
なっ、なっ、なんだってぇえええっ?!
女のコの口から突然飛び出した、アブナ過ぎて、キワド過ぎる台詞……。
あまりの衝撃で返事も出来ず、口をパクパクさせるだけの俺を、彼女は殺気すら込めた目付きで睨む。
「チャ・ン・ト・キ・イ・テ・イ・タ・ナ!!」
「はっ、はい!」
もし、「聴きそびれちゃったから、もういっぺんお願いします」とか言ったら、間違いなく"バルキリースカート"――斗貴子さんの武装錬金。ロボットアームの操る四枚の刃が、正確無比に敵を斬る!――でバラバラにされるな……。
「でっ、でも、それって、セ、セ、セッ、セックス……」
「バカッ!! "結合の儀"だと言っているだろう! 考えてもみろ! "儀式"と、その……キミの言う行為が同じものだとしたら、この世は"賢者の石"だらけになっているぞ! 霊薬の服用が、それらの行為を、厳然と区分しているんだ!」
斗貴子さんは、真っ赤になって叫ぶ。どうやら"セックス"という言葉を口にするのは、恥ずかしいらしい。
「だけどその……。これから、俺と斗貴子さんとでしようとしてる行為は、外観的にアレの行為と、何も変わりがないだろ?」
「…………………」
頬を赤く染めながらも、麗しの君は俺を睨み付ける。俺がからかっていると思ったのだろう。
無理はない。世の中には"据え膳食わぬは、男の恥"なんて言葉があるぐらいだし、斗貴子さんほどの美女から誘われたら、男は喜んで相手をしたがるはずだ。だいたい男ってのは、愛情の有無に関わらず、セックスしたがる生き物なんだから! 偉そうにほざいてるが、かく言う俺も普段、ダチの岡倉とエロ本――『エッチでキレイなお姉さん』とか――回し読みしています。ゴメンナサイ……。
いちおう頭の中で反省してみたものの、「睨み付ける斗貴子さんも、はっとしちゃうくらい綺麗だ……」とか思ってしまう、しょうもない俺。何より、彼女の台詞を聞いてから、身体の"一部"が猛烈に反応していた。
でも……。いや、だからこそ落ち着け。俺よ、落ち着け!
「斗貴子さん……本当は……したくないんじゃない? "破瓜の血"って言うぐらいだから、処女なんでしょ?」
俺の指摘に答える彼女の声には、罅が入っていた。
「だったら何だ!」
「その"口調"だよ。俺が、指摘したいのは」
返事を待たず、俺は言葉を続けた。
「俺が、今夜ここへ来たのは、斗貴子さんの役に立ちたかったから。命を助けてくれた斗貴子さんに、少しでも恩返しをしたかったから。それなのに……、どうして辛い目にあわせなきゃならないんだ! その……アレって……大事なことだろう! そりゃ俺は、錬金術のことサッパリ分かんないけどさ。本当は斗貴子さんも、"結合の儀"なんてしたくは……」
「分かりもしないくせに、利いた風なこと言うな!」
うっ! 俺の長広舌を、断ち切る一喝。
「私がどう思うかなんて……。したい、したくないじゃない! "賢者の石"は必要なんだ! どうしても……。錬金を識る者の中で、女は……。"戦士"だからなんて言っていられない……。悠長に悩んでいる暇は無いんだ!」
混乱した内容の叫びが、そのまま斗貴子さんの抱える葛藤を物語っていた。
アレを自然に出来るぐらい好きな相手が、斗貴子さんの近くにいれば、一番良いと思う。けれど今ここで、そんなことを口にしたら、よけい彼女を傷付ける気がして……。
「使命であり……私の贖罪なんだ……」
頬を紅潮させ、斗貴子さんは挑むように俺を見た。同じ頬が赤くても、先程とは全く質が違う。その色は、悲壮な決意の表れだ。
良く考えろよ。俺よ。よぉぉく考えて、もの言えよ!
「どうして……俺なの?」
迷った挙句に発した俺の情けない台詞に、憧れの人は失意の色を浮かべた。
「そうか……キミは、そんなに嫌か……。なら仕方ない……。このことは忘れてくれ」
「だぁぁぁぁっ! 違う! 違う! 違う! 違う!」
どうやら、俺の言葉を全く別の意味に解釈したらしい斗貴子さんに、俺は慌てて首を振った。
ううっ! これじゃ、口では偉そうなこと言ってても……。下心が透けて見える!
「あの、その……。大事なことの相手に選んでくれたのは光栄だし、正直とても嬉しい。このまま何もしないで帰ったら、俺は一生後悔すると思う。でも、どうしてよりによって俺なんかが……」
「言わなかったか? 私はキミのこと……少し気に入った」
えぇぇ〜とぉぉ〜。
柄にもなく、顔が熱くなるのを覚えた。なんて言って良いのか分からなくて、馬鹿みたいに俺は、斗貴子さんを見つめてしまう。
斗貴子さんも黙って俺を見ている。
暫く御見合い状態が続いた後、思い出したように、彼女はソッポを向いた。
「武藤カズキ! 自惚れられると困るから、はっきり言っておくぞ。キミを"結合の儀"の相手に選んだと言っても、べつにキミを恋人にしたいと思っている訳ではないからな! 儀式にかこつけて、キミに抱かれたがってる訳でもないからな! 今夜を逃すと"賢者の石"の練成は、暫く出来なくなってしまうからだ。そうに決まっている! ……しかし、いくら"賢者の石"が必要だと言っても、私は、行きずりの者や嫌っている者など相手にしたくはない。だからそう、"キミを相手にしたほうがマシ"ということだ。唯、それだけだからな!」
横を向いたままの斗貴子さんを染める色が、"怒りの赤"から"羞恥の赤"へと変わっていく。そんな様子を見て、「カッ、カワイイィィィィッ!!」とか思ってしまう俺は、"マシ"と評価して貰うのもオコガマシイ気がする。
"気に入る"というのと、"好き"というのは全く異なる。ましてや、"愛してる"とは、天と地ほども開きがある。それでも、これ以上ゴチャゴチャ言うのは、彼女に対して失礼だ……と思った。
気恥ずかしい沈黙って、苦手だよぅ。
キザな言い回しなど出来ない俺は開き直り、事態進展のため、大きな声を出した。
「不肖、武藤カズキ。謹んで御相手を勤めさせて頂きます! 何卒、宜しくお願いします!」
「あ……ああ……こちらこそ宜しく……」
通信空手で学んだ礼に則って頭を下げた俺に対し、斗貴子さんは律儀に御辞儀を返した。
これじゃあ……テアワセネガオウカの世界だよ……。

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