<1>
それは、九時間ほど前のやり取り。
「どうしたの斗貴子さん? まさか、何か後遺症が」
「いや、そうじゃない」
放課後になったばかりの、私立銀成学園校舎屋上。この時間にしては珍しく、俺達以外に人影は無い。
斗貴子さんは柵にもたれ、帰っていく生徒達やグランドで部活に励む生徒達を眺めている。俺にとってはいつもの景色だが、この学校の生徒ではないどころか、化物との戦いに明け暮れて、高校に通ってすらいない彼女には、特別な意味を持つ平和な光景なのだろうか。
穏やかに時は移ろい、邪魔をするのは躊躇われたのだが……。
このガッコの二年生である"俺"こと、武藤カズキは、傍らの麗人がそっと右脇腹を押さえるのを見て、思わず声をかけていた。そこには昨日まで、忌まわしい化物の本体が寄生していたから。
しかし、斗貴子さんは首を横に振り、俺の無用な危惧をはっきりと否定する。そして、どこかしら物憂げな口調で話し出した。
「今回の件を、本隊に報告したのだがな」
「何か問題でも?」
「あぁ、君に渡した"核鉄"のことで、消費に見合う行為を求められている」
「え゛……」
濁音を漏らしてしまった俺。何しろ、その"核鉄"は俺の胸で、心臓の代わりをしているから。
「知っての通り、"ホムンクルス"と戦う我々にとって、"核鉄"は必要不可欠だ。その絶対数は多くない以上、常に精製の必要に迫られている。だが、それには先ず、触媒である……」
何故か不意に、斗貴子さんは言いよどみ、目蓋を閉じた。何か汚らわしいものに耐えるかのように、睫毛が震えている。
「そっか……。俺、斗貴子さんに物凄い迷惑かけてるんだ……。それなら、この"核鉄"返すよ」
勤めて軽い調子で言う俺を、彼女は発止と睨み付けた。
「馬鹿か、キミは! これまでも散々言って聞かせただろう! それを手放せば、キミは死ぬ。私も、いまさら返せと言う気は無い!」
「そりゃ俺だって死ぬのは怖いし、痛いのは嫌いだけどさ。いや、そうじゃなくて……」
嗚呼っ! どうして考えを伝えるってのは、こんなに難しいんだ!
「本当なら一週間前のアノ時、俺は死んでた。今こうして、ペラペラ喋っていられるのも、斗貴子さんが救ってくれたからじゃないか! "錬金術の粋を集めた"ってぐらい貴重な"核鉄"を使ってまで、命を助けてくれたからじゃないか……。そのせいで、いま斗貴子さんは困ってる。"それはそれ、これはこれ"で、済ます訳にはいかないよ。いまさらって気もするけど、俺は……俺は何か、斗貴子さんの役に立つことしたい!」
呆れたように体ごと向き直り、まじまじと俺の顔を覗き込む斗貴子さん。
うっ。あのっ。そんなに近づかなくて良いから……。
「この一週間、キミは良く私を助けてくれた。のみならず、命を助けられたのは、お互い様だ。それと……忘れたのか? 元々、キミを巻き込んでしまったのは私だ。恨まれこそすれ、感謝される謂れはない」
「そんな事! 俺が、勝手に飛び込んだんじゃないか! 最初の時も、その後も……」
違う! こんな話をしたいんじゃない。胸の中には伝えたいことがあるのに、上手く言葉に出来ない。徒に、斗貴子さんと出会ってからのことが、頭を過ぎる。
学校の裏山にある廃墟。通称、オバケ工場。
そこで一週間前の夜に、「知らない制服の女のコと、彼女に襲い掛かる巨大金属コブラな化物」なんて光景を見たのが、俺にとっての始まりだった。
これこれ、そこの御人。眉に唾付けて擦りたくなる気持ちは分かるが、暫しの間、俺の話に付き合ってくれい。
ともあれ、女のコと化物の間に飛び込み、金属コブラの尻尾攻撃で心臓を串刺しにされた俺は、普通ならそのまま御陀仏になった筈だ。
そうならなかった理由は、唯一つ。女のコ、つまり斗貴子さんが、人間の本能に依って作動する超常の合金、"核鉄"をくれたから。これが普段、俺自身の生存本能に依って、人工心臓の役割を果たしているんだ。
しかし、"核鉄"本来の用途は、人の闘争本能に依り作動させて、唯一無二の武器を創造することにある。(これを、武装錬金という)
質問、何と戦うための武器でしょう?
答え、"ホムンクルス"と呼ばれる化物と、戦うための武器です!
斗貴子さんの言葉によれば、ホムンクルスとは、「人に潜み、人に化け、人を喰らう化物。錬金術によって造られたヤツラは、錬金術以外の力は受け付けない!」のだそうだ。
説明されたものの、俺は「錬金術ってなに?」と尋ね返さずにいられなかった。俺の無知ぶり――「仕方ないだろ!」と叫びたい――に脱力しながらも、斗貴子さんは教えてくれた。
重要なのは、歴史上成功しなかったとされる錬金術が、"二つ"だけ超常の成功を収めていた点だ。二つとは、人造生命研究の産物であるホムンクルスと、戦術兵器開発の成果である武装錬金のこと。これらは、"今もなお錬金術を識る者達"の手で、表の世界から隠蔽されているのだという。
斗貴子さんは、人知れずホムンクルスを葬り去る、武装錬金のエキスパートだ。俺の住むこの街を訪れたのも、ホムンクルスの動きを察した本隊からの指令だった。
そして、俺達は出会った。斗貴子さんは無防備を装い、おびき出したホムンクルスを退治しようとしていた。そこへ"勘違い"した俺は、飛び込んでしまったんだ。……結果は、既に述べた通り。
あうぅ〜。なんべん思い返しても、ヘッポコ過ぎる〜。
だが、しみじみと悲嘆に暮れている暇は無かった。ホムンクルスは一体じゃなかったから。
『勘違いするな。"核鉄"を渡したのは、キミを戦わせる為ではない。キミが生きるに値すると思ったからだ』
そう斗貴子さんには反対されたけど、俺はホムンクルスと戦うことを選択した。
当然だろ! 俺の妹「まひろ」が襲われるかもしれない。ダチの誰かが襲われるかもしれない。俺は、怖いのも痛いのもまっぴら御免だ。けれど、自分に近しい人間が犠牲になるなんて、想像しただけでぞっとするじゃないか! ホムンクルスには錬金術以外の力は通用しない。理由はどうあれ、俺はヤツラと戦い得る力を手にしたのだから。
巨大ゴリラ型ホムンクルスとの戦闘後、斗貴子さんに戦士見習になる事を認められた俺だったが、本当に大変なのはその後だった。
まひろを助けた斗貴子さんが、ホムンクルスの本体――体長三センチの胎児型。こいつらは人間の脳に寄生し、宿主を人食いの化物と化す――に寄生されてしまったんだ。幸い、付着された場所が右脇腹だった為、除去できる可能性が残されていた。
ホムンクルスの本体を培養した犯人を探し出し、解毒剤を手に入れる。当然ながら、そいつをガードする化物達は一匹残らず葬り去る。
その為に俺と斗貴子さんは、この一週間、奔走した。
薬がギリギリで間に合い、斗貴子さんのお腹から禍々しい胎児――この言い方って誤解を招きそうだな――が消えたのは、つい昨日のことだ。
「つくづく後先を考えないな、キミは……。カズキ、前に言った筈だぞ。目の前で死なれるのは、二度と御免だと。忘れたのか?」
「そりゃ勿論、覚えてるけど」
話し掛けられて、我に帰った。
ヤベヤベ! 俺「ぼーっ」としてたよ。
斗貴子さんは、暫し疑わしげに俺を眺めた後、すっと身を引いた。そのまま再び、柵にもたれてしまう。
「錬金術を識るというオゾマシサを、キミが本当に理解するのは無理だと思うし、理解する必要もない……。私にとっては、キミが今度の事件解決に力を貸してくれただけで充分だ」
斗貴子さんは別世界の様子を眺めるかのように、夕日に染まりつつあるグランドを見下ろす。その、「私とキミとは、もともと生きる世界が違う」と言いたげな仕草が、俺をムキにさせた。
「ちょっと待ってよ! 俺は……、俺はその……、この一週間でさんざん曝してきた様に無知かもしれないし……、口で言うほど勇ましくもなくて……頼りないかもしれないけど……」
「……何を言いたいんだ?」
平和な光景の鑑賞を止め、やや呆れ気味な視線を、俺に向ける斗貴子さん。
ええい、ままよ!
「あの日、オバケ工場に行かなかったら、きっと何処かで別のホムンクルスに襲われて、俺は御陀仏になっていたと思う。いま俺が喋っていられるのも、斗貴子さんの御陰だと思う。だから、できる事があれば、錬金術とかに関係なくても、すぐ言って欲しい。何でもする! 本当に何でもする! 斗貴子さんに逢えて、俺嬉しいから!!」
最後は叫ぶような調子になって、言葉を吐き出していた。
う〜〜! 言いたい事の半分も言えてない気がするのに、何で「ゼェー、ハァー」息切れしちまうんだよ!
台詞の続かない俺と、目を丸くしてしまった斗貴子さんを、いよいよ赤みのました夕日が照らす。
どれだけの間、そうしていただろう。
「……ありがとう……」
呟きが聞こえた。
「……そう言ってくれるだけで……とても嬉しい……」
「え……」
ニコリと、斗貴子さんは微笑む。
過日、巨大金属コブラ型ホムンクルスを倒した後で見せてくれたのと、同じ笑顔……。
いつもは"錬金の戦士"、正に"バルキリー"として過ごす彼女が、エンジェルになる瞬間……。
カッ、カッ、カワイイーーーーーッ!!!
「つくづく不可思議なヤツだな……キミは……」
微笑を浮かべたまま視線を逸らし、夕焼け空を見上げる彼女。
いま俺はどうしているかって?
告白しよう……。俺は、斗貴子さんに見とれている!
滅多にお目にかかれないほど、澄んだ漆黒の瞳。斗貴子さんが、瞳と同じ色の髪をおかっぱ風にしているのは、長髪がアクションに向かないからだろうか? それでも、頬横に垂らした髪が、後ろ髪より長くなるように、カットされているのがキュートだと思う。前髪は、揃い過ぎないようにワザと癖を付けてあって……、良く似合っている。
こう言うと不謹慎かもしれないが、下手なアイドルなんて裸足で逃げ出しそうなぐらい可愛くて、格好良い!
惜しむらくは、とても整った顔立ちをしているのに、ややキツイ印象を与えがちなことかな。きっと右頬骨の辺りから左のその辺りまで、横一文字に走る傷跡の所為だな。俺にしてみれば、それさえ魅力のアクセント……。
「あっ!」
不意に憧れの麗人が声を上げた。表情が、微笑みから、何かに気付いたかのようなそれに変わる。
「何でもすると言ったな?」
咄嗟に俺は、返事ができなかった。だってまだ、彼女に見とれていたから。
「言ったな!」
重ねて問われて、俺は慌てて頷いた。
「それなら! 今日から明日に変わる頃、あの廃工場に来てくれ」
それって午前零時に、お化け工場で待ち合わせするってことだよな……。
俺は、学校の寄宿舎暮らし。夜に無断で抜け出したのがばれた時のペナルティーは、ええと……。
「どうせなら、今から行かない?」
「いや、今からでは時刻が早すぎる。無理にとは言わないが……」
「行く! 必ず行く! いっぺん帰って出直すんだから、何か必要な物があったら、俺持って行くけど?」
「否。準備は私がしておく。キミは夕餉を食べて、その……ちゃんと身を清めてから来い」
コクコクと首を縦に振りながら、俺はちょっと疑問を覚えた。
どうして斗貴子さん、ほっぺを赤くするんだ? 夕日のせいじゃないよな?
「キミは、もう行きなさい。寄宿舎での当番もあるんだろう?」
「う、うん。それじゃ、またあとで」
促された俺は後ろ手に挨拶して、何故か走り出した。
学校から寄宿舎まで遠くはない。しかし、後刻会う約束ができた以上、一秒だって無駄にしたくない!
「メシ食って♪ 風呂入って♪ ……別に氷水被らなくても、清めたことになるよな?」
この一週間、いろんなことが立て続けに起こって、身体には疲れがたまっているはずなのに……。
自分でも可笑しいぐらいに、俺の足取りは軽かった。
Back……NEXT