2、

最近――可憐には、悩みがあります。

それは、お兄ちゃんに隠し事していること……。
勿論、他にも幾つか、お兄ちゃんには話せない、隠し事してるんだけど、これは多分……ううん、絶対話せないこと。
でも、それが可憐を悩ませています。

はあ……どうしよう?
もう、千影ちゃんたら……。

別に、千影ちゃんのせいじゃないんだけど――でもやっぱり、千影ちゃんからもらったものなんだから、やっぱり私は、千影ちゃんのせいだと思う。……思いたいんだけど。
そう――千影ちゃんに返すべきだ。あんなの。

でも……。

「はあ」
学校帰りの帰り道。
制服を着たままで寄り道をしているのに、こんなところで漏れた溜息は、なんとなく場違い。
私はちょっと周りを気にして、溜息の出た口元を手のひらで覆い隠した。
私達姉妹の行きつけの喫茶店、『ハニーブロンド』のおしゃれな店内では、思い思いに着飾ったお客様達が、ちょっと騒がしいおしゃべりを気ままに楽しんでいる。
私の溜息に気付いた人はいないみたい。
私はそっと胸の内で安堵の吐息を漏らし、ちらりと傍らの鞄を見遣った。
……それは、今もまだ、鞄の中にある。

ほんと……一体どうしよう……?

「可憐ちゃん……っ」
私が二度目の溜息を漏らしかけた時だった。
私の待ち人が私の名を呼んだ。
「可憐ちゃん、ご免なさい。遅れちゃった」
「ううん、いいの。私もさっき来たばっかりだから。気にしないで、咲耶ちゃん」
そう返事を返しながら私は、いつも元気な咲耶ちゃんのその顔に、暗い影が差していたのに驚いていた。
咲耶ちゃんは私の前に座ると、メニューも見ずに、ウェイトレスのお姉さんにコーヒーを頼んだ。

咲耶ちゃん、どうしたんだろう……?
いつもは……楽しそうにメニューを眺めながら注文するのに……。

咲耶ちゃんの暗い顔と、そんな態度が、ちょっと怖い。
咲耶ちゃんは、さっきの私よりずっと深い溜息を漏らした。
私は紅茶のカップを手に取って、その湯気の向こう側の咲耶ちゃんを覗き見ていた。
「コーヒー、お待たせしました」
「……」
コーヒーが来ても、咲耶ちゃんは黙ったまま。
いつも丁寧に手入れしている髪の先端をいじったり、胸のリボンを触ったり。
何かに、ひどく迷ってるみたいだった。
「あの……どうしたの?」
私は意を決して口を開いた。
咲耶ちゃんの目をすっと細まる。
視線が、あちこちに揺れ動く。
私も黙って、咲耶ちゃんが口を開くのを待っていた。
やがて――咲耶ちゃんが小さく口を開く。
「お兄様……彼女が出来たのかも……」

えっ……? 今、なんて……?

なんて言ったのか――言葉の意味が、よく分からなかった。
私はしばし、目をそらしたままの咲耶ちゃんの顔を見詰めていた。
でも――嫌でも、その言葉は私の中に染み込んで……。
「えっ、ええ……! えええっ……!?」
「ううん……うううん、私も分からないの。でもまだ、本当のところは、よく。……でも、でも私、聞くのが怖い」
こんな弱気な咲耶ちゃんを見るのは、本当に珍しかった。
いつも丁寧に手入れをしている爪を噛んで、苦しそうに眉間に皺を寄せている。
でも、私は知っている。
こうやっておろおろしている咲耶ちゃんの方が、咲耶ちゃんらしいのだという事を。
咲耶ちゃんがいつも強気なのは、弱気にならない為の裏返しの強さ。
咲耶ちゃんは本当は、とてもロマンチックで、夢見る女の子なんだから……。
咲耶ちゃんが頼んだコーヒーは手を付けられる事もなく、静かに湯気を立ち上らせ続けている……。

だけど、ショックなのは、私も同じ。
咲耶ちゃんの言葉が、ぐるぐる頭の中を回る。

付き合ってる人……。付き合ってる人……!?

口を開きかけた私も、ただ黙って目を伏せた。
周りの喧騒が、ひどく遠いもののよう……。
哀しそうに眉を寄せ、爪を噛んだまま動かない咲耶ちゃん。
「……どうしたら……どうしたらいいの……?」
咲耶ちゃんの乾いた唇をわずかに押しやり、ようやく漏れた呟きは、ひどく小さなものだった。
澄んだ瞳から、大粒の涙が溢れ出し、頬に指先に、ぽろぽろとこぼれ落ちて行く。
両手で顔を覆い、咲耶ちゃんは肩を小刻みに震わせながら顔を伏せた。
そんな咲耶ちゃんを見て――。

きっと、私は動転していたに違いない。
私はそんなに、勇気のある娘じゃない。
そのはずなのに……。

「わ、私、お兄ちゃんに聞いてみる!」
「えっ……?」
「ねっ? ここで、こんな風に悩んでても、しょうがないし……」
「でも……」
「大丈夫! ちょっとお兄ちゃんに聞いてくるだけだから」

今思えば……なんて無謀な事、言っちゃったんだろう……。
驚きのあまり、戸惑うばかりの咲耶ちゃんをそのままに、私は勢いに任せて店の外へと飛び出した。
焦りと、不安と、悲しみと――ひとりよがりの責任感に駆られるままに。

お兄ちゃん……誤解だよね……? 咲耶ちゃんの勘違いだよね……?
嘘だって言って、お兄ちゃん……。

小走りだった私の足取りは速くなって、より速くなって――最後には駆け出していた。
夕日が私の足元に、長い長い影を落とす。
私はその赤い日を背中に受けながら、お兄ちゃんの家へと急いだ。

お兄ちゃんの家についた頃には、夕日の代わりに、青紫と群青色を混ぜ合わせたような、夜の始まりが訪れていた。


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