記事No : 636 タイトル : シダーポイントへの道 投稿日 : 2011/09/17(Sat) 22:13:41 投稿者 : ケイショウ
ついに私は、アメリカの絶叫の聖地、Cedar Pointへ行くことになってしまいました。
9月16日、ついに、パスポートの準備も済み、飛行機・レンタカー・ホテル、全部準備してしまいました。
と、言うのは、母ちゃんは、ナガスパのスチールドラゴンに一緒に乗った3月8日のちょうど1ヵ月後の4月8日に急死しました。亡くなった事は、確かに物凄く悲しかったですが、何か、1つの流れが始まりました。
忘れもしない去年の2月19日、息子が富士急ハイランドに行きたいといって、3大コースター全てに乗ったのが事の始まりでした。
怖かったながらも妙な充実感が残り、FUJIYAMAを越えるコースターに興味を持ってしまいました。
その筆頭が、Cedar PointのTop Thrill Dragsterでした。
それに似たコースターを探すのにそれほど時間は要しませんでした。
北九州市にあるスペースワールドのザターン。
高さこそ半分の65メートル。落ちた後ワンバウンドのあるのが違っていて、まさに、ミニキンダカ。
母ちゃんと一緒に合計6回乗りました。ほとんど先頭に陣取りました。
タワーを登り、方向返還するところでバンザイ。本当に気持ちよかった。
それから、あちこちのパークを怒涛のごとく駆け抜け、今年の3月8日、ナガスパのスチドラに乗れ、最高でした。
「二子玉川園の小さなジェットコースターで泣いたっていうのに凄いじゃない」
「もう父ちゃん大丈夫だよ。お金が出来たら、乗れる内に2人で行ってくれば良いよ」
ローラーコースターに関しての、最期のメッセージでした。
半ズボンと言うか、短パンに関しても寛大で理解してくれていました。
車の運転中、ざらざらした右手で、短パンで露出した太腿を撫でてもらった時の暖かさを忘れることなど絶対出来ません。
母ちゃんの2人の姉や、姪っ子、娘は全く理解どころでは有りません。
特に娘は非難だけでした。
家内の遺品の赤いTシャツ。母ちゃんを追う様に3ヵ月後に亡くなったしたの姉のところに着替える暇無く行ったところ、姪っ子からも非常識だと非難だらけ。私の唯一の家内であり、唯一の理解者であった家内亡き後は、息子だけしか話し相手がいません。
そして……
東京都内の個人商店は、徐々に立ち行かなくなりました。貸してた店舗も同様でした。家賃の滞納が始まりましたが、店をたたむどころか、牙をむき出しました。家内を通じて知り合った不動産屋は事情を全て知っていました。
「古い家屋だし、この際、借地を売ったら?」
7月初めから急に話が進みだしました。
必要な書類の1つに、地主との1番新しい契約書が必要でした。
家内が無くなってから、家の中の整理をしていますが、なかなか進みません。家内が整理していた書類の整理を始めました。
1つの古い封筒を手にしました。
「それじゃない?」
一瞬、家内の気配がしました。
中を見ると、まごうことなくその契約書でした。そしてすぐ、家内の気配は消えました。
人は、死んでも、生きているんです。「千の風」になってでも。家内は死んでも、助けてくれたんです。
そして、自分に1つの贅沢を許しました。
それが、今回のシダーポイント行きです。
10月14日金曜日は夕方6時開園です。
真っ先にTop Thrill Dragsterに乗り込む予定です。少し待ってでも先頭に乗るつもりです。
あの母ちゃんの遺品の赤いTシャツと黒い短パンに身をくるみ。
ザターンと同じ、方向変換後、バンザイした後、
「かあちゃーーん、ありがとーーー!!!」
声の限り、天へ向かって叫んでやるつもりです。
墜落し終わったらグジャグジャでしょうね。降車ホームで立てるかなあ。
それをかわぎりに、思いっきり3日間ローラーコースター漬けになる予定です。
順序が逆ですが、10月13日は早朝出発して、としまえん・花やしきも回る予定です。何しろフライトは、翌14日0時5分の予定ですから。
- 関連ツリー▼ シダーポイントへの道 - ケイショウ 2011/09/17(Sat) 22:13:41 No.636
     ├ Re: シダーポイントへの道 - MOMO 2011/10/02(Sun) 14:23:55 No.637
     ├ Re: シダーポイントへの道 - ケイショウ 2011/10/26(Wed) 18:32:17 No.644
     └ Re: シダーポイントへの道 - MOMO 2011/11/01(Tue) 01:02:10 No.645
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