天孫降臨のひみつ
February.26.2010
みを
天孫降臨神話とは、天の神様の子孫が地上に降臨したというお話。
にい
「
ひみつを解く鍵とは?
」では、史実じゃなくて、作り話だってことだったよね?
みを
もちろん、天の神様が本当に降りてきたら大事件だから、天孫降臨神話は、昔の人が考えたお話よね。
でも、神話そのものは、大昔から日向の地に伝わっていたことは事実だったと思うの。
つまり、日本書紀、古事記を書いた人が、机上で創作した話じゃなくて、ってことね。
にい
日向には、本当に昔から天孫降臨神話が伝わっていたんだね?
みを
日向風土記には、ちゃんと天津日高彦火瓊瓊杵尊(ニニギ)が、日向の高千穂の二上山の峰に天降りされたとあるの。
日本神話は、日向の神話を取り入れたというわけ。
にい
それって、やっぱり、天皇の祖先が九州の日向から来たからってことでしょ?
みを
天皇の祖先は九州から来たとしても、本当に、ニニギの子孫だったのかな?
「
神武東征は苦難の旅路
」でもお話したけど、天皇の始祖伝説を伝えてたのは多氏だったはず。
その多氏は、九州の血縁を排除して、2代目綏靖天皇が即位したと、語ってるわけよね。
「多氏」は神武天皇の子で、神武天皇即位の経緯と内情を知りえる唯一の氏族。
神武の後継者である、綏靖天皇は、
九州出身の手研耳命を討伐して、王位についたという。
その事件の当事者でもある神八井耳命が多氏の祖であり、その子孫の太安万呂が古事記を献上した。
多氏は、「
祖先は九州から来たが、神武の兄弟と、神武が九州で娶った吾平津姫の子孫は、ヤマトには存在しない
」と主張している。
にい
……それって、どういうこと?
みを
九州の血族を排除して、多氏と天皇の血族が権力を奪取したともとれるし、
もうひとつ、考えられることは、
九州・日向から東征に出た人と、ヤマトで初代天皇になった神武は別人だったかも知れないってこと。
にい
えええ? なになに? よくわかんない?
みを
神武天皇は、ヤマトでは、カムヤマトイワレヒコと呼ばれてたわ。
でも、神話の中では、本名はヒコホホデミと書いてあるの。
もし、この二人が別人だったとしたら?
はたして、この二人は同一人物だっただろうか?
九州・日向から東征に向かった
ヤマトに侵攻して初代天皇になった
ヒコホホデミ
(日向の吾平津姫を娶る)
カムヤマトイワレヒコ
(ヤマトの娘を娶る)
手研耳命
(ヒコホホデミと吾平津姫の子)
(ヤマトで討伐された)
ヤマトには
手研耳命の子孫はいない
五瀬命・稲氷命・御毛沼命
(ヒコホホデミの兄弟)
(東征中に死亡)
ヤマトには
神武の兄弟の子孫はいない
日向から東征に向かったヒコホホデミと、
ヤマトで初代神武天皇になったカムヤマトイワレヒコが同一人物だったという、
第三者の証言は無い。
九州・日向には、ヒコホホデミはヤマトに東征に旅立ったという伝説があった。
ヤマトには、初代天皇は、九州出身だったという伝説があった。
↑この二つの伝説が融合して神武東征神話が生まれたのかも知れない?
にい
ということは、九州の日向から東征に行った人は、行方不明になって、
別の九州出身の人が神武天皇に即位した、ってこと?
みを
神武天皇が即位してから、神武が九州の親族と会ったという話もないし、
別人か同一人物かを知る手がかりは無いと思うの。
そして、後になって、日向から東征に向かった人がいるという伝説を知って、
神武天皇と結びつけた、としても不思議じゃないと思うわ。
にい
……不思議じゃないけど、そういう風に考えると、何かイイコトでもあるの?
みを
もちろん!
神武天皇即位の実年代と、日向神話の成立年代を切り離すことができるのよ!
もしも、東征に向かったヒコホホデミと、
神武天皇になったカムヤマトイワレヒコが別人なら?
↓
日向神話(天孫降臨神話+東征神話)の成立年代と
神武天皇即位の実年代を、切り離して考えることができる。
にい
切り離す……?
みを
神話では、神武天皇即位は、紀元前660年という大昔のこと。
でも、それだと一人の天皇が100年以上長生きしたことになるから、不自然よね。
で、神武天皇即位を1〜2世紀頃に考えると、だいたい計算があうと思うの。
そうすると、日向に天孫降臨があった年代が紀元前1世紀くらいになるんだけど……。
にい
けど?
みを
日向の風土記にある話しではニニギが稲をもたらしたことになってるわけ。
稲が伝来したことを伝承してるなら、日向神話の成立はもっと古い時代の、
弥生時代始め頃のほうが合ってるんじゃないかな?
日向風土記では、ニニギが稲を持って降臨したとされている。
これは、稲作が伝来したことを記憶するもの。
稲作が始まった後で、ニニギが稲を持って降臨しても崇められることはない。
つまり、天孫降臨神話の成立は、弥生時代初めの頃と考えられる。
にい
稲が伝来した弥生時代始めに、日向に天孫降臨神話が生まれたってこと?
みを
神話では、ニニギの子孫が日向から東征に向かったのが、紀元前663年だから、
大昔に、日向に稲作をもたらした人々の子孫が、紀元前7世紀頃に東へ向かった、
という伝承が日向に残って、天孫降臨+神武東征の日向神話になったとは考えられないかしら?
その日向神話を、後からヤマト朝廷が日本神話に組み入れたのかも。
日向神話が紀元前の大昔から伝わっていた。
↓
日向神話と、神武天皇即位を組み合わせた。
↓
神武天皇即位を紀元前の大昔とした。
にい
日向神話って、紀元前7世紀から伝わってたのかも知れないんだぁ?
みを
日向神話は、日向の人たちの始祖神話でもあるわけよね。
日向に稲を持って降りてきたニニギは、日向の王であると同時に、九州の王でもあったはず。
九州ではカミの孫として崇拝されてたわけだから。
天皇の祖、ということ以前に。
にい
あ、そうか!
日向にニニギが降りてきたときは、天皇はまだ居ないから、
日向のニニギが一番偉い王様だったんだね?
みを
そうよ!
ニニギ・ホヲリ・ウガヤフキアエズの三代は日向三代とも呼ばれてる。
日向王朝
と呼ばれてもいいくらいの九州の大王だったはずね。
それなのに、何故……。
にい
なぜ?
みを
何故、日向のニニギは、初代天皇と呼ばれなかったのかしら?
にい
そういえば、初代天皇は、ヤマトで即位したってことになってるね?
みを
神武天皇から始まるヤマト王権は、あくまで、ヤマトで始まったと、日本神話は主張してるわけね。
天皇が九州出身なら、天皇の祖父の代の九州から「天皇」が始まってもいいはずなのに、
そうは、書かれていないわけ。
これは、やっぱり「多氏」が九州生まれではなく、ヤマト生まれだったことと、無関係じゃないと思うわ。
ヤマトで多氏が権威を持った時点からヤマト王権は始まった、
というのが、多氏の主張する「ヤマト王権」のあるべき姿だったということね。
神武が九州出身であると記したのは、日向神話に利用価値があったから。
天皇は、天から降りた神の子孫だと喧伝するために。
にい
ということはぁ、日向から見たら、日向神話だけ取られて、
ニニギの子孫も、実際は神武天皇じゃなくって、
日向王朝のことは無いことにされたってことかなぁ?
みを
そうね!
神話をそのまま読めば、神武天皇の即位前、ヤマト朝廷の始まる前に、
日向王朝があったことは確か。 でも、日向王朝の血統はヤマト朝廷によって隠蔽されてしまった。
日向王朝のことは、もっと調べればいろいろひみつを掘り起こせるかも!
にい
うわぁ! わくわくする!
もしかして、邪馬台国だったりして?
みを
どうかなあ? 日向王朝を邪馬台国とか、卑弥呼をアマテラスとかにしちゃうと、
弥生時代初めの頃の記憶かもしれないニニギの伝承が、3世紀のことになっちゃうでしょ?
それって、結局、日向王朝から目を背けることにならないかしら?
ニニギだって、稲よりも、もっと良い物を持ってこないと。
にい
う〜ん、難しいねえ。
みを
また、今度、ゆっくり調べようよ!
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