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縄文と弥生の神々


Feb.1.2004





つづき
ちまたでは、縄文時代と弥生時代の区分けについて、いろいろ論議されているようじゃな。
以前は、土器の形や、稲作の伝来時期で区分けしていたものが、
最近の研究で、稲作の伝来が3000年前だったことがわかり、すったもんだの末、
縄文晩期には、稲作が始まったということになったようじゃが、
稲作を始めた民族を、弥生人と呼ぶべきか縄文人と呼ぶべきか、混乱しそうじゃが、
このサイトでも、定義があいまいだったりするので、なんとかしたいと思うが、とりあえず、
縄文時代後期に稲作を伝えた民族を「稲作民族」と定義しておこう。
狩猟採集の「縄文人」に「稲作を伝えた稲作民族」そして本格的な稲作を始めた「弥生人」と区別しておこう。

かおる
そもそも、はっきり時代が別れるものじゃないと思いますね。
人種の混血も、前後数百年かけて進んだろうし、もっとずっと前からも、
北方系、南方系のモンゴロイド人が渡ってきたろうし。
稲作にしても、種を撒けば必ず収穫があったわけじゃないでしょうから、
水田の作り方とか、少しずつ試行錯誤を重ねながら、伝播していったでしょう。
もちろん、稲作をつたえた稲作民族・弥生人が、大和朝廷の直系の祖先とも考えられませんしね。

つづき
では、日本人の共通言語、日本語はいつ完成したのじゃろうな?

かおる
集落が生まれた、はるか何万年前から、祖語はあったでしょうね。
その後の、人種の流入で、言語は混じりあっていったことでしょう。
つづき
稲作を伝えた民族は、おそらく、大人数で渡来したことじゃろう。
彼らがどんな言葉を、日本語に残したかわかれば、稲作の伝来ルートもわかりそうじゃな?
かおる
日本に伝来した熱帯ジャポニカ種は、昔は朝鮮半島経由と言うのが定説でしたが、
朝鮮半島には、3000年前の水田跡は見つかっていないことと、
最近の稲のDNA解析による研究では、中国江南地方の稲が、直接九州へ伝わったと言われてます。
中国江南地方の人が、どんな言葉を伝えたかはわかりません。
そういえば、インド南東部のタミル語説というのもありましたね。 もう忘れられてるみたいですが。

つづき
もし、稲作に関する言葉が、中国語よりも、タミル語に類似が見られるとするならば、
最初に稲作を伝えたのが、タミル語を話す民族だったと考えるしかあるまいて。
タミル語が、直接日本語の起源かどうかは別としても、稲作に関係する言葉が、外来語として、
それ以前からあった日本語の中に取り込まれた可能性はあるじゃろう。
と、いうより、稲作を生んだ東南アジアの共通祖語が、日本語とタミル語に残されたのではないじゃろうか?
あるいは、これもまた、東南アジアに現れた、海洋民族ラピタ人と関係してくるかもしれぬ。

かおる
弥生時代の、カメに遺体を入れて埋葬する習慣も、東南アジア系みたいです。
高床式建物も、南方系ですし。 やっぱり、稲作文化も南方からラピタ人が伝えたのでしょうか?
日本は、縄文土器を輸出したかわりに、稲作文化を手に入れたと。
もしそうなら、稲作伝来は、ラピタ人の現れた4000年前あたり、ということになりますね。

つづき
1万年前には始まったとされる稲作が、数千年も日本に伝播して来ないというのも不思議な話じゃ。
今後、4000年前の水田跡が見つかれば、ばっちり辻褄が合いそうじゃな。
丁度、中国では「商」の時代であり、交易が発達したと言われておる。
これがつまり「商人」の始まりじゃ。

かおる
商人のはじまりって……また、いいかげんな話を……。

つづき
これは、本当じゃ! ことによると、ラピタ人は、商人だったのかも知れぬな。
まあ、何者であろうとも、日本に稲作文化が伝わったことで、日本に神道が芽生えたのじゃろう。
かおる
神道が芽生えた?

つづき
うむ。 縄文時代では、原始アニミズムが中心であったが、
稲作が伝わったことで、原始神道が生まれたということなのじゃ。
もっとも、現代の古神道や新興宗教とは関係無いことは言うまでも無い。

かおる
アニミズムと、原始神道は、違うんですか?
つ〜か、原始神道ってなんなんですか〜?
つづき
日本には、神に対して気持ちを込める行為が、2種類あることを知っておるかな?

かおる
知りませんよ?! なんですか? それは?

つづき
「おがむ」と「いのる」じゃ。

かおる
ほほぅ?

つづき
おがむ」という習慣は、縄文時代の狩猟採集で、今日も獲物がとれますよう、
土地の神様に、拝み、お願いする、いわばその場限りの行為。 これがアニミズムじゃな。
一方、「いのる」とは、稲作を始めた時代、田を作り、たわわに稲が実り収穫できますようにと、
身を清め穢れをはらい、継続的に、祈り、お願いする行為。 これが、原始神道のはじまりなのじゃ。

かおる
本当ですか〜?

つづき
無論、歴史的には、「おがむ」の方が古いわけじゃ。 「おがむ」の「カム」は、神を指す。
カム」が居るよう、語尾に「」をつければ「カム・イ」となり、それが「」になったのじゃな。
昔は、食べるという行為がとても重要じゃった。
自然界の霊的な力「カム」を体内に取り込む行為が「噛む」じゃ。
よく噛んで食べろとおそわったじゃろう。 今の若いもんは、どうだか知らんが。
獲物を獲り、煮炊きをする道具が「カメ」であり、火をおこす所が「カマ」なのじゃな。
そして、たべる前には、必ず「拝む」のが慣わしじゃ。



オガミちゃん、拝むの図イノリちゃん、祈るの図


つづき
一方、「いのる」の「イノ」とは、もちろん「」のこと。 「イナ」とも言うじゃろう。
五穀を祭る「お稲荷さん」の語源でもあるわけじゃな。
苗代」といえば、現代では苗を育てる小箱という意味じゃが、「シロ」は、古くは「」を意味し、
自分の水田一帯」を指していた言葉じゃろう。昔は、田の大きさを測る単位でもあったのじゃ。
シロ」は、個人のものであったが、それらを統括する場所として、
収穫した穀物を収めて保存する倉庫が、「社(ヤシロ)」と呼ばれたのであろう。
天敵は「ネズミ」だったにちがいない。 床を高くし、寝ずに見張ったことじゃろう。
古代の社殿を今に伝える「出雲大社」が、高床式なのはそのためである。

かおる
怪しすぎる……。

つづき
古き稲作文化のなごりが「出雲大社」なら、
縄文人の信仰のなごりが「大神神社」になるわけじゃな。

かおる
大神神社?
まさか、「おおがみ」と「おがむ」の語呂合わせですかあ?

つづき
大神神社は三輪山をご神体とし、本殿を持たないことから、
古きアニミズムの姿を今に伝える神社であると言われておる。
縄文の古代社会では、山や海といった神の聖域が各地にあったのじゃ。
山を信仰していた古代の縄文人は、聖域である山の入り口の木の間に、
人の立ち入りを禁止する印となる縄をかけた。 それが「注連縄」のはじまりじゃろう。
縄を張った「縄張り」は、古代においても、他人を寄せ付けぬ意味があった。
やがて、きちんと柱を立て、貫(ぬき)をわたし、門を立てた。 それが「鳥居」の起源なのじゃ。
トリイ」という語源も、山の中じゃから鳥がとまるのを見て、「鳥居」と名づけたに違いない。
海などでは、漁の無事を祈願し、夫婦岩のように、神話縄だけをかけるという神事も、日本各地に残されておるな。
これらは、狩猟採集民族の祭りであり、稲作民族以前の習慣なのは明白じゃ。

かおる
古事記によると、鳥居の由来は「鶏をとまらせた」とありますが…………。

つづき
古事記は、大和朝廷側の弥生文化の神話であって、
縄文文化の世界観はあまり反映されておらぬじゃろう。
そんないいかげんでうそっぱちな作り話に、惑わされちゃいかん!

かおる
だったら、このコラムは……。

つづき
何か、言うたかね?

かおる
べつに。 するとやはり、神道の歴史、その成り立ちは、縄文時代まで遡ると考えられますね。
ところで、稲作を伝えた民族は、自分達の神を持っていなかったのかな?
つづき
稲作を伝えた民族も、収穫された穀物を、神に感謝し、捧げる習慣があったじゃろう。
稲荷」は狐と縁があるようじゃから、稲作民族は、動物を信仰していた可能性もある。
古事記の「アマテラス」は、太陽神を祭る民族が、弥生期に流入したなごりかも知れぬな。
縄文民族の神の象徴・鳥居」と、「稲作民族の五穀を捧げる社(ヤシロ)」が組み合わさり、
現代に伝わる「神社」の形式が、完成したというわけじゃ。

かおる
縄文人の神と、稲作を伝えた民族の神、その後に渡来した弥生人の神話が融合して、
古事記のヤオロズの神々の体系ができたのでしょう。
日本神話を分解して、他の国の神話と比較してみれば、
どんな民族が流入してきたか、解明出来るかも?

つづき
神社ごとに、神様が宿ると考えられ、年に一度、収穫が終わった頃、後の陰暦で十月頃に、
神々、つまり、この場合、地方の豪族達が集いお祝いする中心地があったらしい。
出雲大社」のあたりに、中央集権的な連合国が弥生時代にあったのかも知れぬ。
ずっと後になり、大和朝廷が成立した後、特別に天皇一族を神として祭った場所を、
神宮」と呼ぶわけじゃが、これをもってしても、神社・神道の歴史が、天皇家より古いことは確かであろう。
仮に、初めて稲作民族が流入したのが4000年前として、
稲作文化が定着した弥生時代の始まりが3000年前とすると、
弥生の文化は1000年以上の歴史があろう。
大雑把であるが、神道の流れを整理すれば、このようになる。


神=鳥居・縄文系(B.C.10000〜B.C.1000)
社=稲荷・稲作民族系(B.C.2000〜B.C.1000)
神社=国津神・弥生系(B.C.1000〜A.D.300)
神宮=天津神・大和朝廷系(A.D.300〜)


つづき
ちなみに、「おみやまいり」とは、神宮に参拝する時に使う言葉であり、
神社へは、「おやしろまいり」と言ったほうが正しいのじゃ。
かおる
なるほど〜。
でも、あの、「おやしろまいり」でネット検索したら、一個も引っかからないんですが(苦笑)。
つづき
なに? それは許せん! きっと、皇国史観の影響じゃな! ぷんぷん!

かおる
でも、縄文人と、稲作民族が交じり合って、スムーズに弥生時代へ引き継がれたのかな?
稲作は、土地が必要だから、狩猟最終民族に勝手に荒らされたら困りますよね。
つづき
その通り。 稲作民族は、なんとか縄文人を排斥しようとしたじゃろうて。
しかし、縄文人も負けてはおらぬ。 縄文人と稲作民族の熾烈な攻防があったことじゃろう。
ヤマトコトバに、そのなごりがうかがえるぞよ。

かおる
どんなふうに?

つづき
神社の結界を意味する「注連縄」とは、「締めた縄」のことではない。
それでは意味が通らぬからな。 この場合「神の縄張り」を表すのじゃから。
つまり「シメ」とは、正しくは「閉めだす」という、立ち入り禁止の意味なのじゃ。
自分の領地」である場所を、「シマ」と言いうのは、ここから来ておるに違いない。
ニワ」という言葉もあるが、「縄で囲い閉めた場所」を、自分の庭としたことじゃろうて。
庭に飼われた鳥が、すなわち「ニワトリ」というわけじゃ。
かみのにわ」と、言えば、神の戯れる神聖な場所を指すのじゃな。

かおる
ふ〜ん? で?

つづき
きちんと、話をきかんかい!
一方、縄文人達の「シマ」に対する、稲作民族のテリトリーが水田の「シロ」ということになる。
縄文人の襲撃をかわすために、塀や環濠を築いたろう。 それが後に「」の意味になったに違いない。
ここでは、「シマは縄文語」「シロは弥生語」と、分類してみることにしよう。

かおる
シマ」「シロ」かあ。 かなりアヤシイけれど、
ヤマトコトバには、同じ意味でも、2種類の言葉があったりするのは事実ですね。
複数の民族が対立してた時期に生まれた言葉かも知れません。 たとえば、数詞。
ひぃ、ふぅ、みぃ……」と、「いち、にい、さん……」と2種類使ってるのは日本語だけじゃないかな?
これも、縄文語と、弥生語、という見方もできますね。

つづき
縄文人と稲作民族は、互いのテリトリーを主張し、争ったであろう。
やがては、原始神道・神社のもとに、民族は結束し、「クニ」が生まれたのであろう。
国全体の水田の管理運営、種まき、刈り取り、祝い、奉納することを「マツリ」というわけじゃな。
神に仕える代表者が「司(ツカサ)」である。
神の言葉を聞き「クニ」における最高指導者が、これすなわち「尊(ミコト)」なのじゃ。
神を「ミカド」というのは、「門(カド)」つまり、縄文人の神、「鳥居」を指すのが真の意味なのであ〜る。

かおる
そうすると、「神主(カムヌシ)」という言葉は、縄文系という気がしなくもないなあ?
村長(ムラオサ)」も、どちらかと言えば、縄文系かも?
つづき
自分のテリトリーを「シロ」と呼ぶか「シマ」と呼ぶかで、
メンタリティーが弥生系か縄文系かが解るぞよ。 (わしは、「シロ」じゃ。)
ちなみに、「オオヤシマ」という言葉は、弥生人から見た「縄文原住民の住む場所」という意味じゃな。
その「シマ」は、現在「」という意味で残されておるが、
渡来した民族から見た、日本という土地の概念として固定されたのじゃろう。

かおる
言葉の意味として、ムラの上にクニがあり、シマの上にシロが立つ、という概念があるのは、
やっぱり縄文人は稲作民族に支配されたということかな?
つづき
そうとも言えぬぞ。 今の神社の中では、お稲荷さんの方が、脇役っぽくなっておる。
古来より、神のシンボルといえば、「鳥居(ミカド)」であって、「社(ヤシロ)」ではないのじゃ。
社殿の無い神社はあっても、鳥居・注連縄の無い神社は無い。
縄文の古代からの神々は、弥生文化と共に、今でも確実に息づいておるのじゃ。
そして、長きにわたる間に、日本独自の神道として形成されていったのじゃ。
ただ、鳥居を意味したはずの「ミカド」という言葉は、
大和朝廷の帝」というように、すりかわってしまったようじゃな。

かおる
まとめると、こうなりますね。 この場合の弥生語は、縄文語ともかぶると思いますが、
稲作が伝わった後で造語された語彙」ということでいいでしょう。
もっと弥生語を調べ出して、似た言葉が外国にあれば、
稲作民族の出身地や稲作伝来ルートが、具体的に推定できるかも知れませんね。



  • 縄文語
  • オガム・トリイ・カマ・カミ・カム・カメ・ムラ・シマ・ニワ・ヌシ・オサ・ニワトリ

  • 弥生語(後期縄文語・稲作民族語)
  • イノル・イナリ・イナ・イネ・シロ・ヤシロ・クニ・ツカサ・ミコト・ミカド・マツリ・ネズミ



つづき
どうじゃ? わしの目論見は、科学、文化、宗教、言語などから、
多角的に、日本古代社会の姿を洗い出していこうというものじゃ。
今日ためになったじゃろう?

かおる
なんとなく。

つづき
思いつきなんじゃけどね。

かおる
思いつきかよ!(三村風に)











付録・年表




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