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キリストの墓の謎
Jan.29.2004
つづき
青森県三戸郡新郷村大字戸来というところに……。
かおる
「日ユ同祖論」ですか? 僕、あんまり興味ないなあ。
あそこも、すっかり村おこしになっちゃってるみたいで、なんだか夢もロマンもないし。
つづき
いやいや、わしも、ユダヤ人と日本人が同祖とは安易には考えておらん。
ただ、ユダヤなりキリスト教なりを思わせる風習を伝えた何者かがいたことは、考えられるということじゃな。
かおる
そんな人、いたんですか〜?
つづき
ここで、「キリストの墓」についての事実関係を整理をしてみることにしよう。
- 昭和10年に、竹内巨麿なる人物に発見される
- 戸来とヘブライの音が似ている
- 子供の額に、十字の印を入れる風習がある
- 誰のものだかわからない墓がある
- 近所の沢口家に五芳星の家紋が残されている
- ナニャドヤラという盆踊りの歌がヘブライ語で解ける
かおる
それだけじゃ、偶然かもね。
ナニャドラヤにしても、実際あまり検証されてないみたいだし。
つづき
うむ。 わしも、ナニャドラヤについては、もっと歴史が古いと睨んでおる。
それも、縄文時代くらいまで遡る古い祭りだと思うのじゃ。 その話は今は置いておくとして。
かおる
キリスト教の影響があったとしても、隠れキリシタンの里、くらいのところじゃないですかねえ?
つづき
隠れキリシタンというほどでもないじゃろう。 もし、そうなら、何がしかの伝承が残されていたはずじゃ。
おそらくは、キリスト教とも関係ないのじゃろう。 では、十字の印と、五芳星の家紋の出所は何じゃろう?
かおる
さあ? 直接、沢口家さんに聞いてみたらわかるかも?
つづき
家紋のいわれは、おそらく沢口家も知らぬじゃろうて。
知っておれば、竹内巨麿なる山師が訪れたときに、はっきり否定するはずじゃからな。
かおる
由緒があっても、公式文書も残らない古い時代で、いつのまにか忘れ去られたのかな?
ほかに五芳星の家紋というと……。
つづき
安倍晴明じゃ。
かおる
そうきましたか。
んじゃ、安倍晴明が、東北に行って、あやしげな伝承を残したと?
つづき
いやいや、安倍晴明自身は東北へは行っておらんじゃろう。
しかし、同じ家紋を持ち、陰陽道にたけた安倍氏系の人間が東北へ行ったことはあったかも知れぬて。
かおる
東北にいった安倍氏の人って、いたかな?
つづき
阿部比羅夫じゃ。
かおる
はぁ? 阿部比羅夫って、たしか、663年に朝鮮半島の白村江で戦った水軍の武将ですよね?
安倍氏系でしたっけ? 似てるからそうかなあ?
つづき
阿部比羅夫は、越国の国守じゃったが、東北の蝦夷討伐のため、180艘の水軍で秋田へと向かった。
658年のことじゃ。 660年には津軽まで遠征し、見事、奥州のまつろわぬ民、蝦夷を従属させたのじゃ。
かおる
あれ? 660年というと、白村江の戦いの3年前ですね。 この頃の朝廷の水軍は負け知らずだったわけか。
でも、白村江では、唐と新羅の連合軍に惨敗しちゃいましたね。 百済も滅亡しちゃったし。
つづき
阿部比羅夫の一族は、その後も蝦夷を統治すべく、東北に拠点を築いていったことじゃろう。
668年には、「燃ゆる水」「燃ゆる土」が、近江大津宮に献上されたという記録が日本書紀にある。
かおる
なんですかそれは?
「燃ゆる水」「燃ゆる土」?
つづき
今で言う、「石油」「アスファルト」のことじゃ。 新潟県黒川村原産らしいな。
草生水(くそうず)草生土(くそうど)とも言う。 さぞや臭かったのじゃろうて。
かおる
へ〜、日本でも石油やアスファルトが採れるんですね〜?
つづき
縄文時代には、矢じりの接着剤として使われておった。 東北、縄文系の特産品と言えるものじゃな。
安倍氏は、そのような珍奇なアイテムと陰陽道を駆使して、朝廷に取り入っていったのじゃろう。
かおる
その頃(538年|552年)は、百済の聖明王が仏教を伝えてきた頃ですよね?
もう、陰陽道があったのかな?
つづき
うむ。 百済から、513年に五経博士、554年に易博士が渡来しておる。
この頃すでに、朝廷は陰陽道へ傾倒しておったのじゃな。
かおる
阿部比羅夫も、軍事だけでなく、当時の最先端の科学、陰陽道にも目を向けていたかも知れませんね?
つづき
東北の蝦夷征伐は、金鉱開拓も理由だったらしい。
安倍氏一族は、蝦夷地を根拠地に、かなりの利権と富を手に入れたはずじゃ。
かおる
東北の利権って、そんなにすごいのかなあ?
つづき
東北をなめてはいかんぞ。 かつて本州の北端には、十三湊という貿易で栄えた都があったほどじゃ。
1062年の前九年の役で安倍氏が滅びると、代わりに、安東氏という謎の豪族が台頭するわけじゃが……。
かおる
安東氏?
つづき
安東氏は、安東船で大陸と交易し、繁栄を誇っていたようじゃな。 宋銭も大量に発掘されておる。
十三湊は、平安京と引けもとらない都じゃったろう。 それもやがて、覇権争いで討たれることになる。
かおる
朝廷の蝦夷討伐が続けられた頃は、蝦夷を支配していた首領も、大勢討たれたことでしょうね。
と、すると……。
つづき
蝦夷の名も知れぬ首領の墓が、あの「キリストの墓」と言われたものだったのではないか?
かおる
蝦夷の祟りを鎮めるべく、安倍氏の末裔が祭ったとも考えられますね。
子供の額に十字を切るのも、蝦夷に対する、陰陽道的な魔除けだったかも知れないわけか。
つづき
どうじゃ、「キリストの墓」というと、一蹴されそうじゃが、東北の歴史と絡めると、
より一層、興味が湧いて来るであろう?
かおる
でも、まってください。 その安東氏が、大陸と貿易してたのなら、
大陸から景教が奥州に伝わってもおかしくないですよね?
つづき
うむ……それは、そうかもしれぬ。
かおる
じゃ、やっぱり、「キリストの里」と言っても、あながち間違いじゃないかもしれませんね?
つづき
うむ。 やはり、夢とロマンは必要じゃと言う訳じゃな。
付録・年表
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