はじめに戻る

西遊記よもやま話


Dec.8.2003





今回は、中国の四大奇書のひとつ、西遊記をネタしてみようと思うのだった。

「空」を説いた般若心経を訳したということでも有名な、玄奘三蔵
彼は、7世紀頃、天竺へ仏教の原典を学びに行ったというわけだが、
そのルートにチベットが関係してたらネタに出来るかなと思って調べてみたところ、
見事にチベット高原を迂回していて、アフガニスタンまで行っちゃってて、
まあ、そりゃそうだよね、さすがにあの険しいチベット高原やヒマラヤ山脈をショートカットしてまで、
天竺へ行こうとはしないよねえ、と、逆に納得してしまったのだった。
そのアフガニスタンで玄奘三蔵も見たであろうバーミヤンの石仏は、世界遺産に指定されていたにも関わらず、
イスラム過激派によって破壊されちゃいました。なんてことしやがるタリバン。
長い歴史の中では、多くの仏教寺院が、イスラム教徒に破壊されてきたりしてたわけです。
一方で、キリスト教徒がイスラム教徒に爆撃したりもしてるわけで、この輪廻はきっと56億7000万年続くことだろう。

合掌。

でも、ネタは、これでは終わりません。まだありますよお。

場所は、玄奘三蔵が孫悟空と出会った、かの五行山。五行説からつけられた名なのがすぐわかる。

ご存知のように、孫悟空は、花果山から生まれ落ち、サル並みはずれた力と神通力を身に着けた妖怪である。
孫悟空は下界で好き勝手に暴れまわっていたが、それを如来に咎められ、
でっかい岩山の下敷きにされてしまうのだ。それが五行山だ。

孫悟空もたいそう力持ちであったので、岩山から抜け出そうと必死にもがくわけであるが、
往生際が悪いということで、如来は、金文字で書かれた6文字の真言を五行山に掘り込んだ。
すると孫悟空は完全に身動きとれなくなり、玄奘三蔵が通りかかるまで、500年間幽閉されてしまうのである。
ここで五行山に掘り込まれた真言というのが、西遊記では「オンマニハツメイウン」と書かれているらしい。

もちろん、これは、Om Mani Padme Humのことだ。

「ハツメイ」というのは、「Pad-me」であり「ペ・メィ」と発音したほうが原音に近い。
べつに、日本語訳者のことをとやかく言うつもりはまったくない。
が、ハ行は真言では、P音の発音記号だったこととか、
漢字ではなく、梵字で書かれていただろうとか、こういう細かいことでも、
予備知識として知ってると、ちょっぴりお得よねといったところだったりする。

岩にマントラ(真言)を刻むというのは、そのものずばり、チベット族の習慣として受け継がれている。
チベットでは、岩や小石に「オン・マニ・ペメ・フム」と刻み、巡礼地に供えて祈るのだ。

その石をマニ石という。筒に書いて回せばマニ車だ。
大きいものを、マニ・ラカン、手に持つものを、マニ・ラコーというらしい。
水力、風力、電力で回るタイプもあるようだ。らくちんそうだ。
ちなみに、マニというのは、宝珠という意味のようだ。

おそらく、玄奘三蔵が旅したルート沿いも、こうしたマニ石を刻む習慣が広まっていたことだろう。







で、玄奘三蔵はお供を3人連れていた。いわずと知れた、孫悟空、猪八戒、沙悟浄の三英傑である。

彼らには、モデルがいるんじゃないかと、いろいろ説が唱えられてる。
孫悟空は、実際にいる金色の毛並みをしたキンシコウだとか、揚子江のイルカやワニなどの水棲動物だとか。
しかし、私はそんなに安直には見なくて、これはやっぱり、実際の人間か、民族がモデルだと思うわけである。

チベット族の神話に、このようなものがある。
現在はツェタンというところの、猴子洞という祠で昔、一匹の猿が修行していた。
そこに岩山の鬼女が現れ、修行中の猿を誘惑し、婚姻を迫った。
猿は拒否したが、鬼女がだだをこねて災いをふりまくぞと言うので、
これもなにかの縁起であるし、災いを回避するためにと婚姻を承諾したという。
そうして、岩山の鬼女と猿は結ばれ、めでたく6匹の子猿が生まれたのだった。
生まれた猿はどんどん子孫を増やし、チベット族の祖先となったという。

これは、チベットがまだボン教を信仰していたころの伝承であろう。
仏教が伝来した後は、修行していた猿は観音菩薩の化身だったというように話が変化しているようだ。

岩から猿が生まれたとか、分身の術とか、チベット族の神話をヒントに孫悟空が設定されたような匂いがある。
きっと、猪八戒や沙悟浄も、なにがしかの民族とか伝承とか説話がモデルだったりするのではないだろうか。

玄奘三蔵が旅した唐の時代は、当然仏教がもてはやされており、仏教徒たちへの説話として伝承されたはずだ。
当時、他の宗教を信仰する民族を揶揄して表現されたということも考えられる。
ブタを嫌う回教徒(イスラム教)や、カッパのように頭を剃った景教徒(キリスト教)の民族たちを皮肉ってるとかね。

彼らはもともと、天上では神様のひとりだったが、地に落ち、玄奘三蔵と出会い、改宗するわけである。
いずれも、玄奘三蔵に服従する者として、漢族の下に置きたかったろう。現代とあまりかわりませんな。








<続く>




はじめに戻る