3、

翌朝。
「昨夜は……気持ち良かったな……」
独り言で嘯いてみても、胸中に溜まった重い空気は出て行かない。自業自得だけどな……。
時間はそれなりにあったはずなのに、眠れなかった。
あの後、せっかく隠蔽工作をしたこともあり、俺は、いつも通りの時間に起きて、二人分の朝食を作り始めようとした。
キッチンに立ち、始めようとしたところで、俺は動きが止まってしまう。
姉さんが、起きてきたから……。勤務を要しない日には、俺が学校に出かけてから、やっと起きだすのが決まりなのに……。
パジャマ姿でなく、ましてやバスローブ姿でもなく、普段着に着替え済んだ姉さんは、俯きがちに居間に入ってくると、力なくソファーに座った。
「姉さん……起きるの?」
声をひっくり返さないように気をつけながら訊いた俺を、見ようともせずに呟いた。
「酷い夢を見たわ……」
「っ、夢?」
「ええ。最悪の夢……」
時計の秒針が回る音って、こんなに大きかったかな。
「それって……」
「歩……あんたにね……犯される夢だったの」
「!!!」
絶句してしまった俺に構わず、姉さんは続ける。
「指一本どころか、瞼さえ開かなかった……。どんなに叫ぼうとしても、声にならなかった……。でもね……わたし……心の中では叫んでたのよ。何度も、何度も。“やめなさい! やめて!”ってね。あんたは、止めてくれなかった……。それどころか……六回も……」
「ねっ、姉さん、それは……」
言葉が喉に引っかかる。これじゃ自白してるようなもんだ。
「歩。……あんた推理は得意なくせに、今回の隠蔽工作は恐ろしくお粗末ね。あんなにたくさん……わたしの“なか”に証拠残して……」
………………。
俺は今回の事で、ろくに頭を使っていなかった。姉さんとベッドを共にすることだけで頭が一杯だった。
認めたくないけれど、欲望だけで行動していた。
俯いたままの姉さんを見て、今更ながら、自分がしてしまったことの恐ろしさを理解していく……。
「全身麻酔じゃあるまいし……。あんた睡眠薬使ったわね。何処で手に入れたの? いえ、それより、どうしてこんなこと……」
「そっ、それは……」
慌てて答えようとする俺。
虫のいい話だと自分でも思うが、理由だけは伝えておきたいと思った。
「俺、初めて会った時から、まどか姉さんのこと好きで……」
「ヤメナサイッ!!」
姉さんの声は、悲鳴に近かった。
「ねえさ……」
顔を上げた姉さんを見て、俺は言葉を失う。
怒っているのに……心底怒っているだろうのに……、姉さんは両目に一杯の涙を浮かべていた……。
「……歩。何を言おうと、何をしようと、私たちは義姉弟なのよ! どんなことがあろうと、どんな思いでいようと、それでも私たちは義姉弟なのよ! 判ってよ……。判ってよぉっ!」
わっと泣き出してしまった……。顔を両手で覆い嗚咽する姉さんに、声もかけられず、俺は立ち尽くしていた……。
俺は、自分の手で愛しい人を穢してしまったんだ。
姉さんを犯して……傷付けて……。
兄貴に向ける笑顔を、俺に向けるようになって欲しかっただけなのに!

俺は黙って俯いて、姉さんは泣き続けて……。どれほどの間、そうしていただろう。
どうしようもない状況を破ったのは、タイマーセット通りに点いたテレビだった。
「もう……そんな時間なのね……」
嗚咽の余韻を色濃く残した声で、姉さんは、学校へ行くよう俺を促した。
逆らえず、重い身体をノロノロと動かし、俺は準備をする……。
「……結局、朝食作らずじまいだったな」
現実逃避めいた思いを呟きながら、玄関で靴を履く俺。すると、姉さんも玄関に出てきた。
「何?」
「歩……。今日、私はじっくり一日かけて、あんたへの御仕置を考えとくからね。学校終わったら、寄り道しないで、まっすぐ帰ってくるのよ」
「“帰ってくるな!”の間違いなんじゃねぇの?」
「馬鹿言わないの! どんなに非道くても、あんたは……わたしの弟なんですからねっ! ちゃんと帰って来るのよっ!」
「……ハイ……」
怒りのこもった涙声の剣幕に押され、俺は玄関から出た。
マンションを出て、空を見上げれば、嫌になってしまうほど青く澄み渡っている。
それにしても……、
「ちゃんと帰って来いか……。何で被害者の姉さんが、加害者の俺を気遣うんだよ! ……結局、子供扱い、弟扱いか……」
何、馬鹿やってんだよ、俺……。
後で悔いるから、“後悔”って言うわけだけれど。
嗚呼……、情けない……。救いようもなく……情けない……。




<閉幕>
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