卑弥呼はどこに?



March.26.2010











みを
魏志倭人伝には、倭国の女王として、卑弥呼や台与の名前が書かれてる。
女性首長を崇める素地が、倭人社会にあったということね。
古代のクニグニの人たちが、みんな巫女(?)にマツリゴトを任せることに賛成したから、卑弥呼は女王として共立されたと思うの。


にい
男の王よりも、巫女の言うことをみんな聞いたんだね?


みを
実際に、古代に首長的女性がいたのかどうか……。
文献では、九州にたくさんヒメの名前が登場するわ。




文献に登場するヒメたち。



神武天皇に登場した
女性指導者


名草戸畔(紀伊・神武紀)
丹敷戸畔(熊野・神武紀)
新城戸畔(添・神武紀)

畿内のヒメは、ヤマトに東征した神武に討伐された。



九州の女性指導者

宇佐津媛(宇佐・神武紀)
神夏磯媛(山口県・景行紀)
速津媛(大分県・景行紀)
泉媛(宮崎県・景行紀)
八女津姫(福岡県・景行紀)
田油津媛(山門郡・神功紀)
久津媛(日田郡・豊後国風土記)
五馬媛(五馬・豊後国風土記)
海松橿媛(松浦・肥前国風土記)
八十女(杵島・肥前国風土記)
浮穴沫媛(彼杵・肥前国風土記)

九州のヒメたちの多くは、大和朝廷から土蜘蛛などと呼ばれ、
討伐されたり、帰順させられたりしたという。



大和王権の巫女

倭迹速神浅茅原目妙姫(大和・崇神紀)
倭迹迹日百襲姫(大和・崇神紀)
豊鍬入姫命(大和・崇神紀)
倭姫(大和・崇神紀)
神功皇后(大和・神功紀)

ヤマトの巫女は、大物主や天照大神を祀った。








にい
なんとなく、九州に多いみたいだね?


みを
畿内の女性は、天皇の妃として名前が出るだけだけど、
九州の女性は、その土地の首長として登場することが多いわ。
実際に古代の九州では、女性首長を立てていた証拠なんじゃないかな?
古墳の被葬者が女性だったこともあるわ。(向野田古墳・4世紀)


にい
ということは〜、このうちの誰かが、卑弥呼だったりするかも知れないね?


みを
文献的には、邪馬台国の時代に女性首長がいたのは、九州なのよ!




文献的には、女性首長は、九州に多く見られる。

九州の女性→首長的役割として登場
畿内の女性→巫女的役割として登場




にい
だったら、女王に共立された卑弥呼は、いよいよ九州にいたかも知れないんだね?


みを
文献では、景行天皇の頃に、九州はヤマト王権の傘下に入ったように書かれてる。
それまでは、九州には、ヤマト王権とは別の国=邪馬台国があったかもしれないわね。
九州に邪馬台国があったとしても、4世紀には滅んだことになるでしょうね。




文献では、景行天皇の頃に、ヤマトタケルのクマソ征伐が描かれている。

それまで、畿内のヤマト王権と、九州は別々のクニだったかもしれない?
畿内のヤマト王権と、九州の邪馬台国が並立していたことは、有り得る?
後に、九州の邪馬台国は、畿内のヤマト王権に併合された?








にい
九州の邪馬台国が、ヤマトに東遷してきたってことは、ないの?


みを
神武東征は苦難の旅路」でも書いたけど、神武東征神話から、王の遷都という意味は読み取れないし、
その後、九州からの遷都を伺わせるような記述は無いから……。


にい
そこをなんとか……!


みを
なんとかできたら、「邪馬台国が東遷した!」って言ったほうが面白いんだろうけど、
ほんとに東遷があったとしたら、「邪馬台国が東遷したと書かれて無い全ての文献が信用できなくなる」わけで、
文献から古代を考察する行為そのものが無意味になるってことも知って欲しいと思うの。



文献には、どこにも「邪馬台国が畿内に東遷した」とは書かれていない。

もし、邪馬台国東遷が事実だったなら?

邪馬台国東遷は、すべての文献で隠蔽されたことになり、文献の信憑性が著しく低下する。

文献から古代を考察する行為そのものが無意味になる。

東遷説は、文献から推察するものではなく、
考古学上の事実から帰結すべきものでなくてはならない。




邪馬台国所在地論争の整理

九州説文献だけで論考することが可能。
考古学上の決定的証拠で否定されない限り、
九州説は成立する余地がある。
畿内説文献上では否定的。
考古学上でも、九州に邪馬台国があった可能性を否定できない。
魏の封泥が見つかれば決定的証拠となる?
東遷説東遷が事実なら、全ての文献を否定し、
考古学上で九州に邪馬台国があったことを証明し、
畿内に東遷したことを証明する必要がある。



にい
東遷説ってハードル高そう!


みを
東遷説でも、考古学上の決定的証拠が見つかれば、証明されるわ!
畿内説の批判ばかりしてないで、
九州で発掘調査を推し進めればいいのにと思うんだけど……。


にい
決定的証拠って、たとえばどんなの?


みを
封泥」が出れば、決定的って言われてるわね。


にい
ふぅでぇ?


みを
封泥は、魏から送られた荷物に付けられてる封印。
封泥のカケラが見つかれば、魏からの荷物が直接届けられた地ということで、そこが邪馬台国と見なせるわけ。


にい
なるほど〜。


みを
だから、九州説が成立するためには、九州の遺跡から封泥が見つかること。
東遷説が成立するためには、少し後の時代のヤマトの遺跡から封泥が見つかるか、または、
封泥が見つかった九州の遺跡と、少し後の時代のヤマトの遺跡に、連続性が確実に見られること。


にい
連続性?


みを
たとえば、前方後円墳の祖形が九州で見つかったとか、そういうことね。


にい
前方後円墳の祖形って、九州にあるのかな?


みを
見つかってはいないけど、
可能性としては、日向なんてどうかしら?
初期の古墳がいっぱいあるし、神武の故郷だし、まだ未調査の古墳が、
前方後円墳の祖形だったりするかも?


にい
ついでに、日向で封泥が見つかれば……。


みを
日向に、前方後円墳の祖形と、封泥が見つかれば、東遷説の考古学上の要件が揃い、
神武東征神話とも重なって、邪馬台国は九州日向→畿内に東遷して大和王権になった、
という見方が決定的になると思うわ。


にい
そっか〜〜。
まだまだ、九州から目が離せないねぇ。


みを
そういうこと!




























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