神武天皇に登場した 女性指導者 名草戸畔(紀伊・神武紀) 丹敷戸畔(熊野・神武紀) 新城戸畔(添・神武紀) 畿内のヒメは、ヤマトに東征した神武に討伐された。 九州の女性指導者 宇佐津媛(宇佐・神武紀) 神夏磯媛(山口県・景行紀) 速津媛(大分県・景行紀) 泉媛(宮崎県・景行紀) 八女津姫(福岡県・景行紀) 田油津媛(山門郡・神功紀) 久津媛(日田郡・豊後国風土記) 五馬媛(五馬・豊後国風土記) 海松橿媛(松浦・肥前国風土記) 八十女(杵島・肥前国風土記) 浮穴沫媛(彼杵・肥前国風土記) 九州のヒメたちの多くは、大和朝廷から土蜘蛛などと呼ばれ、 討伐されたり、帰順させられたりしたという。 大和王権の巫女 倭迹速神浅茅原目妙姫(大和・崇神紀) 倭迹迹日百襲姫(大和・崇神紀) 豊鍬入姫命(大和・崇神紀) 倭姫(大和・崇神紀) 神功皇后(大和・神功紀) ヤマトの巫女は、大物主や天照大神を祀った。 |
九州説 | 文献だけで論考することが可能。 考古学上の決定的証拠で否定されない限り、 九州説は成立する余地がある。 |
畿内説 | 文献上では否定的。 考古学上でも、九州に邪馬台国があった可能性を否定できない。 魏の封泥が見つかれば決定的証拠となる? |
東遷説 | 東遷が事実なら、全ての文献を否定し、 考古学上で九州に邪馬台国があったことを証明し、 畿内に東遷したことを証明する必要がある。 |