タカミムスビのひみつ



February.28.2010











みを
高皇産霊神(タカミムスビ)・高御産巣日神(タカミムスヒ)は、天地開闢の初めの頃に高天原に生まれた神様。
高木神と呼ばれてるわ。


にい
高木神?


みを
森や、高い木の神格化した神様ってことね。
古代の自然崇拝の象徴的神様だったと思うわ。
日本では、神様のことを「柱」と数えてるし、イザナギ、イザナミも、柱を立てた後で国生みを始めたと神話にあるわ。
古代の祭祀に、柱は重要だったということね。


にい
諏訪神社のお祭でも、御柱を立てたりしてるね。


みを
そのタカミムスビの子が、スクナヒコナといって、大国主と国造りをしたと伝えられてるの。
この言い伝えには、2つの意味があると思うわ。



タカミムスビの子のスクナヒコナが、大国主と国造りをした → 大国主より、タカミムスビは古い神

タカミムスビの子のスクナヒコナが、大国主の下位に置かれている → タカミムスビの後で、大国主が信奉された


古代の初めの頃は、タカミムスビが信奉されていた。
その後、大国主が信奉され、タカミムスビ信仰は下火となった。

タカミムスビ信仰から、大国主信仰に、祭祀が変わったことを示すもの。










にい
タカミムスビは、大国主よりも、古い神様ってことなんだね?


みを
そのタカミムスビが、今度は、大国主に国譲りを迫るわけ。
神話では、タカミムスビと天照大神の孫がニニギで、
タカミムスビはニニギを地上の支配者としたいと考えて、天孫降臨させたことになってるわ。







大国主信仰の世界から、タカミムスビ信仰に再び戻ったという意味になる。

タカミムスビ信仰を持った者が、日本の支配者になったということ。
すなわち、タカミムスビを祀っていた神武天皇である。



にい
神武天皇は、天照大神を祀ってなかったの?




みを
天火明命のひみつ」にも書いたけど、
神話をよく読むと、神武はタカミムスビを祀ってたみたいなのね。
天照大神を祀っていたのは、ニギハヤヒだったはず。




ニギハヤヒが天神の子であることは、神武自身も認めている。
ニギハヤヒは、国津神扱いされていない。
ニギハヤヒは、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊と、「天照」の名を冠している。


ニギハヤヒは天照大神の子孫

神武はタカミムスビを祀っていた。
ニギハヤヒは天照大神を祀っていた。
両者が融和することで、タカミムスビと天照大神が、
共通の祖神となった。

やがて、天照大神が皇祖神として定着した。
(鏡の伝来が、太陽神の格を上げた?)






にい
タカミムスビ、大国主、天照大神が、かわるがわる日本の神様に据えられたってこと?


みを
タカミムスビ、大国主、天照大神を祀る氏族が、時代ごとに日本の支配者に就いたということでしょうね。








縄文時代タカミムスビ信仰高木神として信奉される。
縄文時代の青森では、高木を建てる技術があった。
(三内丸山遺跡)
弥生時代大国主信仰大国主とスクナヒコナが国造り
スクナヒコナは、タカミムスビの子。
弥生時代・九州ニニギ信仰ニニギが稲作を伝える。
弥生時代・近畿天火明信仰天火明・ニギハヤヒが近畿で信仰される。
太陽信仰?
弥生時代後期タカミムスビ信仰神武即位。
タカミムスビ信仰の復活。
古墳時代初頭大物主信仰崇神即位。天照大神・倭大国魂を祀る。
大物主大神を祀る。
飛鳥時代天照大神信仰壬申の乱の後、天武即位。
天照大神を皇祖神に定める。
伊勢神宮建立。



にい
天照大神信仰は、壬申の乱の後からなの?


みを
天照大神は、垂仁天皇の頃に伊勢に祭られたけど、伊勢神宮に斎宮を出し始めたのは天武天皇の時代から。
天武天皇が天照大神の祭祀に特別の信奉をよせていたということね。
日本書紀を作らせたのも天武天皇だから、天照大神を皇祖神として、天津神・国津神に振り分けた神話体系は、
天武天皇の時代に作られたとも言えると思うわ。





天照大神は、天武天皇が特別に信奉をよせていた。
天武天皇以前の天皇は、あまり天照大神を信奉しておらず、最上位のカミではなかったかもしれない。

壬申の乱では、東国の戦力を借りて天武天皇は勝利した。
東国・尾張氏の祖神が天火明命。
天照大神を最上位の神に置いたのは、尾張氏の意向に沿ったものだったはず。
東国の尾張氏の祀る天火明命のほうが、天照大神に近い神だった。
尾張氏が勝ち組になったことで、天照大神が最上位の神に据えられた。




にい
日本神話って、天武天皇の時代に作られたの?


みを
壬申の乱に勝った天武天皇が、円滑な国家運営のため氏族の階級を定めるのと同時に、
氏族の祖神の地位を定めたはずよ。
支配者側の祖神は、天津神として、系譜をまとめ、
支配者ではない氏族の祖神は、国津神にまとめられたりとか。




壬申の乱は、日本全体を巻き込む大戦争だった。
それに勝利した天武天皇は、国家運営におけるあらゆる権限を掌握できた。

天照大神を最高神として、天津神・国津神に振り分けられた神話体系も、
天武天皇の意向によって整形されている。

日本神話には、日本の支配者の移り変わりが投影されている。




にい
ということは、神話はあまり信用できないってことにならない?


みを
神話からわかることも多いのよ。 同じ祖神を持つ氏族は、古代でも親戚同士だったり親密な関係だったと思うの。
九州と朝鮮半島の結ぶ玄界灘の海上交易を担ってた宗像氏は、大国主命の末裔とされている。
つまり、大国主が信奉されていたずっと古代から、続いてた氏族と考えていいと思うの。
そして、天津神が降臨しても、玄界灘の交易を担う地位は譲らなかったということね。


にい
出雲の大国主を宗像氏が祖神としてるということは、
九州の宗像氏と、出雲は仲がよかったということなんだね?
邪馬台国の時代でも、九州と出雲は仲がよかったのかな?


みを
九州で出土する銅矛・銅剣と同じものが、出雲でも見つかってる。
邪馬台国の時代に、九州と出雲が仲がよかったなら、邪馬台国が九州だとしても、
卑弥呼を共立した国々の範囲に出雲が含まれてたってことにならない?
それに、出雲からは、近畿の銅鐸も出土してるし……。


にい
そっか、そういう風に考えると、神話から、邪馬台国の様子までわかってくるんだね?
出雲と邪馬台国の関係って、どんなだったんだろうねえ?

みを
そのひみつは、また今度!






































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