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ヤマトコトバの行方


Dec.30.2003





チベットの行方を思うとき、ひるがえって、日本が歩んで来た道も考えさせられるものがあった。

日本もまた、20世紀の激動の時代に他国を併合したりという歴史を持っている。
そのあたりの日本政府の歴史認識が、チベットへの対応を難しくさせているのかも知れないが。
ここでは、深く言及するのはよそう。ネタにするには重過ぎる。



それよりも、日本語の移り変わりという部分で、少々考察してみよう。(チベットとは関係ない話になるが。)

日本が近代化を迎えていた頃、日本語をローマ字に置き換えようとか、仏語や英語を国語に導入しようとか、
日本人自ら、日本語を捨てようとした流れもあった。
世界を見渡してみても、自国の文化にこれほど頓着しない国民性も珍しいと思う。
保守的な一面もあれば、新しいシステムを導入することに、とても柔軟な体質も持ち合わせているのだろう。

そのような変革は、飛鳥時代の頃の日本にも起こった。
言葉についても、旧来のヤマトコトバから、近代的な日本語を作り上げる過程で、
中国から漢字を輸入し、カナを発明し、日本語を規格化してきたのである。



ここで、ちょっと説明しないといけないだろう。
「梵字を読むならカタカナで」で、すこしネタを振ったのであるが、
日本語は、五十音表が発明されたことで、すべての日本人が共通の日本語を使えるようになったのだ。
五十音は、当時の言語学者によって論理的に組み立てられたものである。

ヤマトコトバが、古来から五十音体系だったと思うのは間違いである。

古来のヤマトコトバは、五十音「表」のような理路整然な発音をしてはいなかったろう。
五十音「表」の無かった、太古の時代では、ヤマトコトバはもっと音韻が多様で、
方言の多いあやふやなものだったのではないか。
濁音や清音の区別もあいまいであり、「え」と「ゑ」、「じ」と「ぢ」の発音上の区別もあったかも知れない。
万葉仮名を使っていた昔は五十音どころではなく、母音と子音を合わせて三百音くらいあったかも知れない。
逆に、五十音が決められた後で、発音されるようになった音もあるかも知れない。
古来のヤマトコトバは、三十音くらいしかなかったかも知れない。
五十音表が作られたために、ヤマトコトバは発声法を整理され、姿を変えてしまったのだ。



現在と昔では発音の変化もあり、「ハヒフヘホ」の「h音」の音韻の変化もよく知られていることだ。
室町時代に「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」のような、「Φ音」や「p音」だったと言われている。
なぜ、昔の発音の仕方がわかるかというと、外国の文献に、日本語の発音の仕方が載っているためである。
たとえば、17世紀のポルトガルの日本大文典(辞書)には、「はは」は「FaFa」と記載されている。
ポルトガル人は、日本人の「はは」の発音を「ファファ」と聞き取ったのだ。テレビで観たので確かなのだ。
ちなみに、ジョン万次郎の英米対話捷経にある「What time is it now ?」=「ホッタイモイジルナ」というのを、
最初にテレビで紹介した番組だっと記憶している。("愛ことば8万キロ"日本テレビ(c)1984)

地方の方言にも、「h音」が「p音」として話されている地域もある。これは古語のなごりだという。
ただ私は、ハヒフヘホの「h音」がそのまま太古の昔に「p音」であったというのは、やはり納得いかない。
昔のヤマトコトバでは「Φ音」だったとしても、「p音」とは使い分けられていたのではないだろうか。

日本語を定めた五十音は、サンスクリット語の発音がもとになっており、ハヒフヘホを「p音」として定めている。
ヤマトコトバでも、昔は「ハヒフヘホ」を「パピプペポ」と発音していたと言われている。
日本とは起源が異なるサンスクリット語の五十音が、ぴったりヤマトコトバに対応したというのか?

日本語とサンスクリット語の発音体系が、最初から似ていたと考えるのは出来すぎなのだ。

外国語会話では、普通に「p音」を発声する機会が多いが、
日本語の中ではむしろ「p音」は言いにくい部類である気がする。
言いにくいがために、江戸時代には廃れてしまった。これを一般的に唇音退化という。
しかし、廃れるくらいなら、もっと太古の昔から廃れていただろうと思われるのだが、
奈良時代の文献の音読みを見ても、ヤマトコトバの「h音」が「p音」として翻訳されているようだ。
これはなぜか? 当時の社会状況を念頭に入れておく必要があるであろう。

当時、学問の中心を担い、漢文で公文書を残したエリート層の多くは、渡来人か、その末裔だった。

飛鳥時代頃には、すでに多くの渡来人が日本に帰化し、日本の都で要職に就いていただろう。
渡来人が、ヤマトコトバの「h音」を正しくヒアリングできなかった可能性もあるのだ。
自分達の発音に重きをおいて、訛った日本語を話していたとしても不思議ではない。
また、古来、外国と通商していた人物もまた、渡来人であり外国語訛りがあったと思われる。

日本語の「p音」の記述は、いわば、彼ら渡来人の「訛り」からくる誤解だったのではないだろうか?

ネイティブなヤマトコトバを喋る日本人は、はたして渡来人と直接話す機会がどれほどあっただろう?
その頃の日本は、渡来人の方が身分は高く、ネイティブな日本人は平民扱いだったはずだ。
日本人の学者や文化人も、こぞって渡来人の言葉を学んだであろう。

文字を持ち込んだ渡来人からみれば、ヤマトコトバのほうが「訛り」のはげしい言葉だったはずだ。
そして、純粋な日本人の側でも、渡来人と会話する時に訛りがあってはまずいというので、
ヤマトコトバの「h音」の発音を改め、「p音」の発声を練習したことは十分にありえることだと思うのである。
漢字を輸入したことでも判るように、柔軟に積極的に外国文化を学ぶのが日本人の特徴なのである。

日本語の「p音」は、外国語と触れ合い、近代化の中で生じた、一種の流行語であり、
ヤマトコトバの一時的な乱れではないかと、私は推測するのである。


というわけで、ヤマトコトバから、あっさり「h音」を捨てて考えるのは、いかがなものかと思うわけである。
ヤマトコトバのもつ言霊というのは、とても深い意味があると思うのである。
加えて言えば次のようになる。


ヤマトコトバは「表意言葉」なのだ。


どういうことかというと、ヤマトコトバの「音」ひとつひとつには、
それぞれ意味がこめられていると思うからである。
中国語の漢字が、文字ひとつひとつに意味がある表意文字であるように、
ヤマトコトバの「ア」「イ」「ウ」は、ただの音ではなく、もともと意味が付随していたと思われる。
今でも、日本人は、ひとつの音から言霊を感じ取ることが出来る。

たとえば、「ア」。これは、わかりやすい。
「ア」は「アマ」「アメ」など天を表している。
陽が昇れば空は「アカ」で染まり、日中の空は「アオ」だ。

「シ」は白、塩のような意味を感じるし、
「ク」は黒い、暗い、苦し、などの語感がある。

「ヤ」「ヨ」は闇、夜を意味し、「ヒ」は陽、日を意味しそうだ。
「ミ」をつければ、「ヤミ」「ヨミ」ともなる。「ミ」の意味もおぼろげに見えてくる。
「ヒミ」という言葉は「ヒミコ」以来、使われなくなったのだろうか。
政権交代で、「カミ」にとって代わられたのかもしれない。
「ミコト」と呼ばれるようになったのは後代の頃か。
また、「ウミ」の「ウ」は、それ自体で海の意味があったのだろうか。
波、凪の「ナミ」「ナギ」の「ナ」は同じ意味だろうか。「ナラ」の「ナ」と関係あるのだろうか。



というわけで、今日のネタは語呂合わせです。



「ナラ」「アスカ」と聞いたとき、現在は意味不明な語句であるが、
「ナ+ラ」「ア+ス+カ」というように、昔は一つの音に別々の意味が込められていただろう。
昔の人は、言葉の指し示す意味を理解し、土地の由来を汲み取っていたはずだ。

古代、初めて人類が言葉を発するとき、「アー」とか「ウー」とか単純な音で意思疎通をしただろう。
文法も助詞も存在していなかった頃、ひとつの音で、ひとつの身の回りの事象を表現していたことだろう。

「ナラ」でも、「ナ」という意味に「ラ」という意味をつけて「ナラ」を造語したと考えるほうが自然である。
それらの二つの音には、土地にまつわる深い意味が込められていたと思われる。
こうしてみると、ヤマトコトバはとても原初的な古代の言語をとどめているような気がするのである。



そのように音ひとつに意味のあるヤマトコトバであるが、後世に五十音に集約したことが、
ヤマトコトバに同音意義語を生んでしまった可能性もある。
「チ」は"血"、"乳"を意味しそうだが、もともとは発音が違っていて区別されていたかも知れない。

日本国名を表す「ヤマト」「ヤマタイ」の[to][tai]は、何の意味だろう?
もともと同じ意味、同じ発音なのに、筆記者のヒアリングミスによる記載間違いだったかも知れない。
本当は「ヤマタ」だったのかもしれない。「ヤマタノオロチ」という怪獣もいたくらいだ。
「ヤマタ」なら「山田」で、山間に水田をつくっていた日本の国土をよく表している。
ただ、「戦艦山田」と言われても、あまり血が騒がない。言葉というものは不思議だ。

言霊はたしかに存在するのだ。

ここはひとつ、「ト」は、"人"の「ト」と解釈し「ヤマト」=「ヤマ人」を推奨したい。
「ヤ」は「ヤオロズ」から解るように、"たくさんの物"を意味する、
「マ」は"真"の意味だろうか。真人間の多い国=ヤマトなのだろうか?
いやいや、「マ」には、"霊"、"玉"の「タマ」のような、もっと神秘的な意味があったかもしれない。
「マツリ」とも言う。「ツ」は"着"、"憑"の「ツ」かもしれない。
ちなみに、"魔"の「マ」は、サンスクリット語源のようであるが。



渡来人から見たらどうだろう。
日本人を指す倭人の「ワ」は"我"で、日本人が自分を"我"を呼んでいたところから由来するという話もあるが、
はたして本当だろうか。
案外、初めて渡来人がきたとき、日本人が「ワッ」と叫んで追い払ったことから、
あいつらは野蛮人だという意味で倭人と呼ばれた可能性もある。
ちなみに、人が手をつなぎ会えば"輪"となる。その状態は"和"だ。

今となっては、あまり確かめようがないので、知れないことばかりで、言いたい放題だ。
ネタには出来るものの、古来からの言葉の意味が失われつつあるというのは大変惜しまれることである。




日本語は造語能力が高いと言われる。
日本語は、複数の音節の組み合わせで、豊富な語彙を表現する。
これは、音素(母音、子音)が少なくてすむシステムだ。
しかも、もともと表意言葉なので、新しい言葉の組み合わせを聞いただけでも、意味が通じていたはずだ。

中国語では、音素(母音、子音)を増やして、豊富な語彙を発音の変化で表現するようになっている。
ただ、文字を書くときには、語彙の数だけ必要となったため、文字が何千種類も生まれてしまった。
表意文字の漢字では、漢字ひとつずつに意味と発音が対応して、豊富な語彙を現している。
しかし、さすがに限界があったためか、もっと新しい語彙を表現するに、
漢字を2〜4個組み合わせていくルールをつくった。
19世紀頃まではよかったが、英語などの外来語が入り込む現在は大変なことになっているようだ。
かろうじて表意文字のために、なんとかなっているようであるが。
その表意文字の漢字すら捨ててしまった韓国はちょっと心配だ。
ハングルは完全な表音文字だが、それは漢字の発音から由来しているという。
漢字を知っていれば、音だけを聞いて意味を理解できるが、漢字を知らなければ意味を理解できず、
音と意味を暗記して学ぶしかないのだという。

日本語は、どんな言語もカナに変換して表現できる。
そのかわり、音素が少ないことから、同音異義語が問題になっているようだ。
カタカナで「ライト」と書いても、元の英語の意味は判断つかない。
日本語の中の「英語のカタカナ表記」の氾濫は、明らかに将来的に問題になるだろう。
日本人は、文脈で意味を理解できるが、外国人はカタカナを見ただけでは、英語の意味を読み取れないため、
カタカナ英語が増えると、外国人にとって、日本語の読み書きが、ますます難解なものになってしまう。
これは日本の国際化にかえって悪影響をおよぼさないであろうか?
それにしても、カタカナ英語を使いたがる人は、ニューエイジのヤングに多いようである。

ちょうどその昔に、ハヒフヘホが「p音」で発音され、ヤマトコトバが乱れた状況とよく似ている。

いっそ、漢字にカナのルビを振るように、カタカナには小さく英語のルビを振る習慣をつけたらどうかと思う。

カタカナに英字のルビ。

これなら、外国人も、カタカナの氾濫する日本語を問題なく読めるようになるだろうし、
日本人も見慣れないカタカナをみたとき、英語の意味も理解しやすいだろう。
ともかく、とめどないカタカナの氾濫は、ヤマトコトバの語感を弱めてしまう恐れがあるであろう。



日本語の起源については、似ている語族が無く、たびたび話題になるわけだが、
日本列島の中で自然発生した言語ということも考えられなくもない。

日本の神話をみても、祖先が大陸から移動してきたというような記述は見られない。
言語を持った民族が、言語と共に日本に流入してきたのなら、
「祖先は海の向こうから来た」というような神話が語り継がれてもおかしくない。
古事記や日本書紀は政治的に編纂されたとしても、民間に海渡り神話が伝承されていてもよさそうだ。
そうなっていないということは、祖先が言語を獲得した頃にはすでに、日本列島の住人だったからではないか?
なにより1万年以上も前から、高度な縄文土器文化を誇っていたのだから。
その当時から、原初的なヤマトコトバは話されていたはずだ。
集落や土器を作っていて、言語をもたなかったというのは、まったく理屈に合わない話だ。

世界的にみても、最古級の言語を今に伝えるヤマトコトバの、さらなる研究が進むことを期待したい。







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