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物乞いを思う物思いの夜


Dec.9.2003





03年11月12日
7:00pm

ホテルの部屋で、インスタントコーヒーを飲んで、ベッドに入り、就寝の体制。
明日、ホテルを出発するのは、朝7時の予定だ。目覚ましを6時にセットしておく。



100円ショップで買った時計。近頃は100円ショップで旅行用品がほとんど揃う。

7:05pm

寝ようと思うと、首が痛いのを思い出す。結局まだ治っていないのだった。

7:35pm

バスルームのお湯が出始めたので、首を温めようと、フロに入る。
吉と出るか、凶と出るか……。
停電が心配だったのでマグライトをセットしておいたが、停電は起きなかった。

7:50pm

ヒゲを剃って寝る。
首はやっぱりまだ痛い。多少は、昨晩よりマシになった気もするが。




バナナを食べつつ、しばし物思いにふけいる。

はたして、先ほど、このバナナを65元で売りつけられ、それを買ってしまったことと、
物乞いをしてきたお嬢さんふたり組に、2元喜捨して大変感謝されたことと、
この二つのケースを考えるときに、どちらが良いとか悪いとか言えるものなのだろうか。と。

ふつう、物乞いは嫌がられ、むやみに金を与えるものではないと言われたり、
喜捨をしても、それは哀れみの心ではなく、相手を見下している行為なのだと言われたりする。

では、初詣なんかで、神社に賽銭投げるのは、神様を見下しているというのだろうか?
御利益を期待しての交換条件なのか? そういう下心があることは許されるのだろうか?
お金を上げる相手が、自分より上の立場なら良いのか? 献金したり貢いだりというのなら構わないのか?
街頭の募金箱にお金を入れるのは、社会的な弱者を見下しての行為なのだろうか?
物乞いと街頭募金と、どこにどういう差があるというのだろうか?
個人の物乞いはダメで、団体での募金運動ならOKなのか?

もっとも、街頭募金でも怪しげなものがあって、どこそこの被災者に義援金をという募金でも、
本当にそのお金は、被災者に分配されてるのか疑わしい募金活動もあったりする。
そういうのに街で遭遇しても、普通の人は無視するだろう。
そこには「騙されたくない」という心理が働いてるからではないか?

露店で買い物するときでも、徹底的に値切るのは、
相場のわからない外国人だということで高く売りつけようとする商人に対して、
そこにも騙されたくないという心理が働いているのだろう。

一方、物乞いはどうか? 彼らは何か他人を騙そうとしているのか?
彼らはストレートに「自分にお金をちょうだい」と言っているのだ。
他人を騙そうなどという気配はどこにもない。
こちらが気分を害したなら、無視すればいいだけだ。物乞いは強盗ではないのだから。
バナナを65元で売りつけたオヤジよりも、物乞いの方が、よほど気持ちは純真なのではないか。
果物屋はとても多くの利益を上げたが、お嬢さん達は、わずか一人1元を得ただけなのだ。
わずかな喜捨でも、とても素直に感謝の意を表してくれるのだ。
チップの上乗せを要求したホテルのポーターよりも。

貨幣というものが、なかった時代は、物々交換が当たり前だった。

自分に交換する物が無ければ、相手は「気持ちとして、何かの物」を出すだろう。
何か物をもらったならば、最大限の感謝の「気持ち」を表すだろう。
「気持ち」の交換。それは、もっとも根源的な、人間だけが持ちえる「取引」のあり方ではないだろうか。

物々交換や、お金で物を買うのは、ドライではあるが「気持ち」の交換という意識は希薄になる。
逆に、どちらかが得をしたとか損をしたとかの、微妙なわだかまりが残ったりするものだ。
しかし、喜捨という取引が成立したときは、わだかまりを感じる要因はどこにも無いはずだ。
こちらが算定した「気持ちの金額」と、相手から得られる「感謝の気持ち」が、
等価という要件が成立しているはずなのだから。

何か違和感を覚えるとするなら、「気持ちの交換」に「貨幣」が介在しているからではないか?
貨幣は、受け取った側が自由に使用できるし、相手に対して使用目的に制限がつけられないからだろう。
こちらの「気持ち」が、何か思いもよらぬ使われ方をしないとも限らない。(それは相手の都合でしかないが)
それがなんとなく気持ち悪く思えるのではないか?

ならば、「貨幣価値の無い何か」なら良いのであろうか?
多少意地悪な感情が込められてるようにも思うが、私も、相手が子供であれば、
焼き栗、ジュースなどの軽食を与えるのは悪くないと思う。
相手がいま必要として、喜ばれるものであれば構わないだろう。

しかし、地震などの被害にあわれた被災者に、古着などを送ったりはしないほうがいいだろうとは思うのだが。
不用品を送る金があったら、義援金口座に振り込めよと。




そんなとりとめもないことを思いながら、時間をつぶしていくのであった。

8:45pm

ウトウトしていたところ、何の気なしに鼻をほじっていたら、ハナ血がっ!

もうかんべんしてください。またシーツが血の海だ。

10:30pm

調子よく寝ていたら、電話が鳴って起こされる。「……マッサージはどうか?」という電話だった。

もうかんべんしてください!

首が痛いのを思い出して寝付けなくなる。

11:00pm

いよいよ首の痛さに寝ていられなくなる。外はまた、工事の音がしている。こんな時間に……。

なんとか寝ようとしてもがく。

03年11月13日
1:00am

首がいたくて、再び目が覚める。

1:35am

寝苦しさにもがいていると、また、ハナ血がっ!

1:50am

シッコ。

2:20am

首がいたくて寝ていられない。

2:50am

寝ていられないので、ベッドから起きだす。

3:15am

枕の高さを調節するなどして、なんとか、横になって眠ろうと努力する。ひとりぼっちの夜。

3:30am

寝苦しい。もう、このまま朝まで起きていようかと思う。

4:00am

寝苦しさに耐え切れず、起きだす。しかし、忘れた頃に睡魔が襲ってくる。

6:00am

目覚まし時計がなり、目が覚める。
ベッドから起きて、最後の身支度をする。
食べ残しの焼き栗を食べつくす。

ああ、とうとうホテルを出発するまで後1時間か……。
チベット最後の夜も、よく眠れなかったなあ。これじゃあ不眠の行だよ。
でも、日本に戻ったら、ホームページのネタにしようと、ただそれだけが私の気力を支え、
一晩中、ことあるごとに時間をメモっていたのだった。これがほんとの几帳面だね。
後で知ったのだけど、高山病対策としては、あまり寝るのもよくないらしい。
「安静」と「寝る」は違うのだ。試験にでますぞ。

6:30am

部屋を出て、荷物をもってホテルのロビーへ降りる。
エレベーターが無いので、3階から降りるのは大変だ。
ロビーには、まだ誰もいない。外はまだ暗い。チベットの朝は冷える。
コートにくるまり、ソファーに座ってガイドが迎えに来るのを待つ。

静かに時間がすぎていく。










<続く>




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