昔この地方は信州地方との交易が盛んで魚津の諏訪浜には信濃國諏訪本宮に豊漁を願って御 (初魚)を奉納する習慣があり、神社は同大社から分霊をこの地に奉斎された。やがて越の大社となり諏訪の神垣の杜と栄えたが北海の波涛荒く社地は遥か沖合いとなり天正年間魚津城主河田豊前守が社殿を再建したが、また連年の猛波の為社壇破壊した。そこで氏子は寛永十一年(一六三四年)現在の魚津漁業協同組合あたりに諏訪社を漁業の神と再興したが社地はいよいよ狭隘となった為、明治六年八月十七日加賀國金沢藩魚津塩倉跡つまり現在地に正遷座した。昭和七年六月十九日本町二丁目九番十四号鎮座日吉社を合祀して諏訪神社と改称した。
平成七年六月十二日本町二丁目一番一号鎮座諏訪社を合併して今日に至る。
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