2、
「いやはやこれは参ったわね……」
結局、黒子は目を覚まさなかった。
黒子だけではない。隣の部屋の子達も、いつもはいつ寝ているのかすら定かではない寮監すらも起きてこなかった。
そればかりか――。
「これはどういう事なの……?」
世界は沈黙していた。
街には、誰もいなかった。
出歩いている者はおろか、店の店員すら一人も見かけない。
空は快晴。頭上には青空と、風にゆったりと漂う雲が流れている。
空気は少し暑い。
そよそよと髪を揺らす初夏の風が、体にこもる熱気を吹き消すようで、心地良い。
街路樹が、その風にさらさらと葉を鳴らしている。
静かだった。
時折視界の端を走るロボット達以外、動くものは何一つない。
灰色のアスファルトを走る車は皆無。
今、学園都市以外の世界はどうなっているんだろうか?
情報技術の発達した現在なら、いかようにも外の世界の状況を知る術はあるのだが――何故か、そんな気にならなかった。
発電所や、水道局が正常に稼動している事は確認済みだ。
何かが壊れた様子も、何かがおかしくなった様子もなく、街の人間が傷ついているような様子もない。
ただ眠っているだけだ。
起きないだけだ。眠っているだけ。
勿論、眠り続けることに問題がない訳ではないし、異常事態であることに違いはないのだけれど――。
横断歩道の歩行者信号が青に変わる。
渡るのは私一人。
道路の向こう岸にある、鉄塔の上に据えられた時計は、10時少し過ぎを示している。
いつもは数珠繋ぎになるほど走っている車は、今は一台もない。
肩がぶつかりそうになるくらい、歩いている群衆もない。
歩いているのは、私一人。
住人がいないと、都市はまるで地上に設えられた巨大な迷路のようだ。
何の意味もなく、たださ迷うためだけに作られた巨大な建造物。
がらんどうのオブジェの中を、ふらふらとさまよっているかのような、ゆらゆらとした心地。
あたしは――どうやら少し感傷的になっているようだった。
日常から乖離した現実は、それだけで日常の有り難味を感じさせる。
異邦人という立場は、きっとこうしたものなのだろう。
人気のない大通りを一人歩く。
きっといつものあたしなら、どうしてこうなっているのか、この危険性を検証して、問題解決を意識していることだろう。
でも――何故かどんな気になれなかった。
これは、きっと――。
「おー誰かと思ったら、ビリビリじゃねえか」
「あ、あんたは!?」
つんつんヘアーで、だらしない格好の、どこにでもいそうで、本当はどこの誰とも比べられない高校男子。
私の天敵で、お節介焼き度筆頭一位の、自称学園最弱ヒーロー。
「上条当麻! あ、あんたがどうしてここ……!?」
「いやーなんかみんな眠ってるからさー、どうしたのかと思ってさ。街中でてきてみたんだけど、街中みんな寝てんだな」
なんという暢気さ。
「あ、あんたはどうなのよ? ちょっとは眠くないの?」
「いやーこれが全然。どうなってんのかなー?」
「そ、そうなんだ……」
ということは、まったくもって二人っきり。邪魔すら、入りようがない。
「お前は?」
「あ、あたしも――あたしも、あんたと一緒よ。だ、誰かいないかなって……」
「それでみつかったのが俺って訳か。やれやれ、お互い、難儀だな」
「ま、まったくよねー。あ、あんたと一緒なんて……」
ついてないわと、口から出そうになった言葉は、唇の先で消えた。
どうしてだろう。なんだか――今日はそんな気分じゃなかった。
一緒。一緒なんだ。
「ビリビリ、おまえ、飯食った?」
「た、食べてないわよ。あ、あとあたしは御坂美琴。ビリビリいうな」
「あーはいはい。了解。それで? 飯は?」
「た、食べてないけど……」
「俺もなんだ。とりあえず、なんだな。飯にしようや。電気はきてるみたいだから、支払いはなんとかなるだろ。その辺の店入って飯買おうぜ」
「あ、う、うん……」
なんだか――本当におかしな事になりそうな一日だった。