桃太郎のひみつ
March.25.2010
みを
昔々、桃から生まれた桃太郎は、イヌ、サル、キジを従えて、鬼ヶ島のオニを退治したといいます。
にい
桃太郎って、本当にいた人なの?
みを
桃太郎伝説は、岡山が発祥とされてるわね。
岡山が昔、吉備国だったころ、首長だったキビツヒコが桃太郎のモデルと言われてる。
にい
吉備国って、黍団子の、キビ?
桃太郎の、桃はあるの?
みを
岡山で桃が栽培されてたとか、桃は不老長寿の仙薬で、老夫婦が桃を食べて生まれた子だから桃太郎とか、
いろいろ説があるけど、桃太郎のモデルがキビツヒコなら、姉の名前にモモが使われてるから、関係ありそう。
その名も、ヤマトトトヒモモソヒメ!
ヤマトトトヒモモソヒメは、吉備国から瀬戸内海の対岸の、讃岐国一宮・田村神社で祀られてる。
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)と、吉備津彦(キビツヒコ)は、
孝霊天皇の子で、大和で生まれた姉弟だという。
にい
モモとキビが、姉弟ってわけかあ。
みを
吉備と讃岐は、古代から仲が良かったのかも知れないわね。
讃岐のほうにも、桃太郎伝説があるみたい。
にい
瀬戸内海の、このへんに住んでた人が、桃太郎伝説を生んだってことかぁ。
オニもこのへんに住んでて、ムラを荒らしてたのかな?
みを
吉備に住んでいた温羅(うら)という製鉄技術を持ってた渡来人達が、オニのモデルという説もあるわね。
古代では、鉄はタカラのように重要なものだったから、キビツヒコが製鉄技術を手に入れた、という話なのかも。
吉備は、古墳時代から鉄器も生産するようになり「真金吹く吉備」と呼ばれたそうよ。
にい
桃太郎の時代って、何年前の話なのかな?
みを
桃太郎=キビツヒコとするなら、その時代は、
ちょうど、邪馬台国の卑弥呼が生きてた頃なのよ!
にい
え?! そうなの?
桃太郎=キビツヒコの時代は、
邪馬台国の卑弥呼が生きていた時代。
キビツヒコは四道将軍のひとりとして、崇神天皇に仕え、西道のクニグニを平定した。
姉のモモソヒメが死ぬと、ヤマトで箸墓が作られた。
箸墓は、ヤマト王権初期の前方後円墳。
つまり、キビツヒコの時代は、卑弥呼の時代でもあった。
にい
桃太郎が、四道将軍のひとり? なんだか、カッコイイ!
みを
「四道将軍」は、中国の影響を受けた後付の呼び方だろうけど、
ようするに、キビツヒコは、ヤマトの西のクニグニを征した吉備の首長として、伝承されてるってことね。
にい
あれ?
ということは、邪馬台国は?
邪馬台国はどこにあったの?
みを
邪馬台国が畿内なら、そのまま邪馬台国=ヤマト王権が倭国を統一したってことで、すっきりするんだけど……。
邪馬台国が畿内と無関係な九州のクニってこともありえるでしょうね。
キビツヒコは吉備を治めてたとは言え、九州を攻めたとか支配してたとまでは言えないから。
にい
そ〜か〜。 すると、邪馬台国は九州の可能性もまだ残されてるんだね?
みを
邪馬台国が九州なら、
ヤマトが西日本のクニグニと同盟関係を築いていく中で、九州だけは独自に魏と外交してた、ってことになるわね。
にい
九州は、畿内ヤマトとの関係よりも、魏との関係を重視したかもってことだね?
みを
地理的には、九州は畿内より大陸に近いから、九州の首長がそう考えても不思議は無いかもね。
九州が今まで培ってきた大陸との外交権を、畿内のクニに簡単に移譲したのか?と考えると、
これも疑問が残ると思うの。
にい
九州は、とにかく、自分達が倭国の王だって名乗ればいいはずだものね。
みを
九州が独自に倭国王を名乗れないほど、九州は畿内に頭が上がらなくなったのはどうしてか? それはいつの時代か?
というのが、今後の謎だと思うわ。
にい
九州の人にとっては、面白くない謎だねぇ。
みを
でも、日本建国の、重要な分岐点でもあるわけよね。
にい
桃太郎が、こんなに重い話だったとは、思わなかったよぉ〜。