カグヤヒメのひみつ



March.7.2010











みを
「カグヤヒメ」って知ってる?


にい
かぐや姫って、日本神話というか、御伽噺でしょ?
竹から生まれたかぐや姫が美しい娘になって、月の世界に帰って行ったという。


みを
それは、平安時代に書かれた「竹取物語」ね。
竹取物語のカグヤヒメには、モデルがいたのよ!
古事記に、大筒木垂根王の娘として、「迦具夜比売命」の名前が見えるわ。


にい
かぐや姫は、大筒木垂根王の娘なの?
大筒木垂根王って、どんな人なの?


みを
はっきりとはわからないけど、「ツツキ」という名前から。
「京都府綴喜郡」のあたりとか、京田辺市の「大筒木郷」の首長だっと言われてるわ。
継体天皇の筒城宮もあったところ。
「筒木」は「竹」を意味してたみたい。


にい
そうか!
「筒木=竹」で、「大筒木垂根王の娘」だから、「竹から生まれた娘」、って話なんだね?
で、「月の国」が、「ツツキの国」というわけかぁ。


みを
大筒木垂根王の娘の迦具夜比売命が、かぐや姫の名前のモデルということでいいと思うけど、
「竹から生まれて、国に帰った」というエピソードは、もっと昔にモデルがあると思うの。


にい
もっと昔?


みを
昔々、垂仁天皇の頃、丹波の国から5人の姫が嫁いできたの。
でも、そのうちの一人、竹野媛だけが、器量が悪いとして国に返されてしまったの。
竹野媛は、今の丹後半島の竹野という所の豪族の姫。
だから、「竹から生まれた娘が、故郷に帰った」という話は、竹野媛にもあてはまるの。



日本書紀によると、垂仁天皇に后として5人の姫が丹波から来たが、
竹野姫だけは器量が悪いと国に帰され、途中で自殺したという。


にい
へ〜?
でもお話がちょっと似てるだけで、京都のツツキとは関係無いんだよね?


みを
垂仁天皇の時の話に出てくる、その竹野媛は、国に帰る途中で、死んでしまったと日本書紀にあるけど、
でも、もうひとり、開化天皇の后になった竹野媛という名の姫がいました。
もうひとりの竹野媛も、晩年に国に帰って、丹後の竹野神社で天照皇大神を祀ったとされてる。
その竹野媛と開化天皇との子孫が、比古由牟須美〜大筒木垂根王〜迦具夜比売命と、古事記にあるわ。
迦具夜比売命のおじいさんの兄弟に讃岐垂根王がいて、これが竹取物語のおじいさんの讃岐造のモトネタみたい。






開化天皇〜垂仁天皇の頃の、
「竹野から来た竹野媛が国に帰った」という伝承が、竹取物語となった?







にい
うわぁ。 そんな繋がりがあるのかぁ!


みを
日本書紀では、竹野媛は器量が悪くて国に帰されたとあるけど、
これは、どういう意味だったのかな?


にい
器量が悪いっていうと、顔が酷かったとか、不器用で家事ができなかったとか?


みを
天皇に后を出す側から見れば、国の中で最も器量の良い娘を差し出したはずよね?


にい
それも、そうだね?
事前にちゃんと品定めもあっただろうし……。


みを
でも、天皇の側からは、器量が悪いと文句を言われたわけ。
これって、いわば「政略結婚させられた竹野媛が反抗的だった」ということだったんじゃないかな?


にい
竹野媛が、自分で望んで、天皇の后になりたいと思ったわけじゃないなら……。


みを
日本書紀の竹野媛も、国に帰りたかったはずね?




竹取物語のかぐや姫

五人の貴族から求婚されるが、それを嫌がって月に帰った。



日本書紀の竹野媛

五人の后の一人として天皇に嫁いだが、それを嫌がって竹野に帰った?




竹野媛・かぐや姫の物語は、
結婚を拒否して、国に帰った娘の伝説だった?







にい
親の縁談を嫌がって逃げ出した娘の話だったってこと?


みを
単純に考えると、ありふれた話になるけど、
御伽噺に残るくらいだから、実は大事件だったんじゃないかしら?


にい
大事件?


みを
つまり、天皇の后に選ばれたのに、それを拒否したってことは、
国と国の威信に関わることだったと思うの。
丹波の国にしても、大和の国にしても、竹野媛のわがままを許したら、
メンツがつぶれるわけよね。


にい
あ、そうか〜。


みを
でも、結局、竹野媛は国に帰っていった……。
これは、天皇の命令に逆らった、政治政略に屈しなかったということで、庶民の間では衝撃的な事件だったはず。
天皇さえも、なすすべがなく、「器量が悪くて返した」という体裁を保つのがやっとだった。
自分の要求を天皇に飲ませるほど、実は、竹野媛は器量が良くて高潔だったんじゃないかしら?


にい
それで、御伽噺として、語り継がれるようになったわけかぁ!


みを
日本書紀では、竹野媛は、国に帰されることを恥じて、途中で自殺したことになってる。
竹野媛は、自分の考えを通して、天皇の后になることを拒んだけど、
故郷に帰ることもできずに、責任を感じたのかもしれないわね。


にい
もしかしたら、死んだと思わせて、どこか他の国に逃げ延びてたりして?


みを
カグヤヒメの伝承は、竹野を含む丹波とヤマトの関係を表す物語であり、
政治に縛られることを嫌ったお姫様を称えるお話だった。
カグヤヒメが、その後どうなったか……まだまだひみつは多そう!






竹野は、竹野媛の故郷。
竹野神社がある。


京都府乙訓郡は、
竹野媛が葛野で輿から落ちて自殺したという墜国があり、
墜国が弟国、乙訓に訛ったという。


ツツキは、
迦具夜比売命の父、大筒木垂根王の領地。
京都府綴喜郡、京田辺市・大筒木郷。


かぐや姫のおじいさんの讃岐造は、
奈良県北葛城郡広陵町三吉・大和国広瀬郡散吉郷。
讃岐神社、竹取公園がある。






実は、カグヤヒメの伝承地には、考古学的な繋がりがある。




丹波国の日本海側の玄関と、大和側の国境に位置する、
丹後・大田南5号墳、
大阪・安満宮山古墳からは、
「青龍三年」銘の方格規矩四神鏡が出土した。
日本最古の紀年銘鏡。

「青龍三年」は、卑弥呼が魏に使いを出した4年前。

竹野媛が登場する開化天皇の頃は、
邪馬台国の時代と重なる。







丹波の竹野媛は、邪馬台国時代に、
丹波国と大和国を仲立ちし、翻弄されたヒメだった。

そして、竹取物語のかぐや姫の伝説となった。
































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