アマテラスのひみつ
February.28.2010
みを
天照大神は、八百万の神々の頂点に君臨する高天原の神様。
天皇のご先祖様でもあるわ。
にい
天照大神が、邪馬台国の卑弥呼だったりして!?
みを
本当にそういうことだったら、話は簡単なんだろうけど、
やっぱり、神話は人が作ったものだから、神話の成立過程がどんな感じだったか、
調べてみたほうがいいと思うの。
日本書紀−720年完成。 天武天皇の息子の舎人親王が編纂に関わる。 天武天皇は、壬申の乱で勝利した。
古事記−712年完成。 太安万侶が献上する。 太安万侶(多氏)は、2代・綏靖天皇の子孫。
つまり、日本書紀・古事記に書かれていることは、
基本的に、天武天皇と多氏に都合の良い内容だということ。
さらに、壬申の乱で勝利を得た陣営−東国の尾張氏にとっても都合の良い内容だった。
にい
日本神話を書き残した人に都合の良い内容になってるってことかぁ。
みを
天武天皇が、アマテラスを皇祖神としたということは、
天武天皇に味方した東国の尾張氏にとっても、皇祖神が天照大神であることはふさわしいと考えていたはず。
その、尾張氏が祀っている祖神が、天火明命。
壬申の乱が、日本神話の世界観を作った
天武天皇は、尾張氏を味方につけることで、壬申の乱に勝利した。
尾張氏の祖神は、天火明命。
別名、天照御魂神。
同じ「天照」を冠する神であり、天照大神と天火明命は、近い存在だった。
系譜上でも、天火明命は、天照大神の子孫。
天照大神を皇祖神とすることは、尾張氏にとっても都合が良かったに違いない。
尾張氏の集めた東国軍が、近江軍を破って勝利した。
にい
尾張氏がそんなに強い勢力なら、いっそ、天火明命を皇祖神にしちゃえばよかったのにね?
みを
そこなのよ!
もしかしたら、尾張氏は、天火明命を皇祖神として祀らせてたりしてるのかもよ?!
天照大神という別名で!
にい
え〜〜??
天照大神って、天火明命の別名なの?
本当〜〜??
みを
天火明命と、天照大神の関係、それが、アマテラスの最大のひみつだと思うの。
そして、日本神話最大のカラクリが秘められていそう。
にい
壮大だねぇ〜。
みを
天照大神は、天火明命と同一なのか?
状況証拠はいろいろあるけど、
どう考えるかは、人それぞれってことでいいと思うわ。
アマテラスは、天火明命?
- 天火明命は、「天照」の名を持つ
天火明命の別名は、「天照御魂神」
天火明命と同一とされるニギハヤヒの別名は、「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」
- 天火明命を祀る尾張氏が、壬申の乱で勝利に導く
壬申の乱で勝利した天武天皇の息子の舎人親王が日本書紀を編纂。
- 天武天皇の皇后の持統天皇を、アマテラスのモデルとした
女性が天皇として即位するための根拠として、高天原の最高神・天照大神を女神として創作した。
持統天皇の諡号は、「高天原廣野姫天皇」であり、「高天原」と名付けられている。
息子の舎人親王が日本書紀を編纂。
- 天武天皇は、伊勢神宮の斎宮制度を始めた
それまでの天皇よりも、天武天皇は伊勢神宮の信奉を強めた。
- 持統天皇は、伊勢神宮の式年遷宮を始めた
20年毎に本殿を建て替え、伊勢神宮に特別の処遇を与えた。
- 持統天皇は、東国を巡幸した。
壬申の乱で功労のあった東国の豪族をねぎらった。
- 天照大神が、初めて降りた地が伊勢
伊勢に天照大神を祀るときのこととして、日本書紀に書かれてる。
天照大神は、東国の神だった?
- 尾張一宮・真清田神社(祭神・天火明命)のお札には天照大神と書かれている。
真清田神社では、天火明命と天照大神を同一としている?
- 丹後一宮・籠神社(祭神・彦火明命)の海部氏は、記紀で無視されている。
記紀には、天火明命の子孫として尾張氏は明記されているが、海部氏は書かれてない。
壬申の乱で、功績が無かった?
- オオヒルメムチとアマテラスは別の神
天照大神の古名がオオヒルメムチとされているが、両者は別の神。
日本書紀にある神武が祖とした天神は、タカミムスビと、オオヒルメムチだった。
- 三種の神器の、剣と鏡は、東国で祀られている。
「天叢雲剣(草薙剣)」は尾張の熱田神宮で、
「八咫鏡」は、伊勢神宮で祀られている。
東国の神=天火明命=天照大神を皇祖神としたため、東国の神宝を、三種の神器に数えたということ。
神功・清寧・継体・宣化・持統天皇の即位の時に、剣と鏡の二種を献上したと日本書紀にあり、もともとは、剣と鏡の二種の神器だった。
どちらも、東国で祀られていた神器ということになる。
後に、八尺瓊勾玉が加わり、三種となった。
にい
三種の神器は、もとは二種だったの?
みを
そう。
天孫降臨でニニギが授かったとされる三種の神器は、
日向風土記では出てこないし、神武東征でも、三種の神器は出てこない。
神武は、三種の神器の剣ではなく、弓矢と、高倉下からもらった「布都御魂」という剣で戦ってたの。
だから、「三種の神器」は後世の創作とわかるわね。
伊賀国風土記逸文には、三種の神器のうちの一つとして「金の鈴」と書かれている。(三種の神器の内容は定まっていなかった)
「三種の神器」は、後世の創作。
持統天皇即位のときは、「二種の神器」だった。
二種の神器に選ばれたのは、
東国の尾張氏が管理していた「剣」と、伊勢神宮の「鏡」だった。
記紀が書かれた頃は、壬申の乱で勝利に貢献した東国の力が強かったから、そういう設定になったと思わない?
「尾張」国号の語源について、尾張国風土記逸文には、
ヤマトタケルが東征の帰りに熱田の宮に奉納した剣が、ヤマタノオロチの尾から出たとされ、尾を割った=「尾張」と名づけられたという。
ヤマタノオロチ伝説の纏わるヤマトタケルが奉納した剣は、その時点では、三種の神宝のひとつでは無かったかもしれない。
神宝と知ってて預けたとしたなら、尾張氏は古代からヤマトと強い信頼関係を得ていたことになる。
しかし、神宝の二つ(鏡・剣)をヤマトの国外に安置していたというのは不自然ではないだろうか?
後の時代(壬申の乱の後)に、東国の有力豪族の神宝を、朝廷の三種の神器として組み入れたのではないだろうか?
天火明命(天照御魂)を祀る尾張氏が管理していた「天叢雲剣(草薙剣)」と、
天照大神を祀っていた伊勢神宮の「八咫鏡」が、
ヤマト朝廷の2種の神器に選出されたということ。
2種の神器は、東国の尾張氏が実質管理していた。
「御魂」という尊称が「大神」と同じ意味なら、
天火明命の別名「天照御魂」は、「天照大神」と同じ意味になる。
尾張氏が自分達のカミ・天火明命を、天照大神として天武天皇に祀らせた?
(天武天皇自身が、尾張氏の系譜だったかもしれない。)
にい
そっか〜〜。
天火明命と、天照大神は無関係……とは言えなさそうな雰囲気だねぇ。
みを
ひみつは、まだまだ深いと思うわ!