ヤマトの古代豪族
January.18.2010
にい
ヤマトの古代豪族って?
みを
神武天皇がヤマトに東征してきたとき、ニギハヤヒがヤマトの王だったよね?
その頃は、ニギハヤヒ仕えていたムラの首長たちがいたと思うの。
にい
ヤマトには、どんなムラがあったんだろうねえ?
みを
そのヒントは、今の奈良市にある、六県神社にあると思うの。
ヤマトには、「むつのあがた」と呼ばれる、六つの「県(あがた)」があって、
大和朝廷に農作物を献上してたの。
これが、きっと、古代のヤマトに六つのムラがあった名残よ。
天皇の宮と、御縣神社の位置関係(大雑把です)
初代・神武天皇/橿原宮(畝傍)/奈良県橿原市畝傍町
二代・綏靖天皇/高丘宮(葛城)/奈良県御所市森脇
三代・安寧天皇/浮穴宮(片塩)/奈良県大和高田市片塩町
四代・懿徳天皇/曲峡宮(軽)/奈良県橿原市見瀬町
五代・孝昭天皇/池心宮(腋上)/奈良県御所市池之内
六代・孝安天皇/秋津嶋宮(室)/奈良県御所市室
七代・孝霊天皇/廬戸宮(黒田)/奈良県磯城郡田原本町黒田
八代・孝元天皇/境原宮(軽)/奈良県橿原市見瀬町
九代・開化天皇/率川宮(春日)/奈良県奈良市本子守町
十代・崇神天皇/瑞籬宮(磯城)/奈良県桜井市金屋
A・高市御縣神社/奈良県橿原市四条町宮坪
天津彦根・高皇産霊神
B・葛木御縣神社/奈良県葛城市新庄町葛木
剣根命・天津日高日子番能瓊瓊杵命
C・十市御縣坐神社/奈良県橿原市十市町
豊受大神・市杵嶋姫命
D・志貴御縣坐神社/奈良県桜井市金屋
天津饒速日命
E・山辺御縣坐神社/奈良県天理市西井戸堂町
建麻利尼命
F・添御縣坐神社/奈良県奈良市三碓
建速須佐之男命・武乳速之命・櫛稻田姫之命
↑六つの御縣神社と、
↓神武とニギハヤヒの領地
1〜6は、6代目までの天皇の宮が置かれていた場所。
A.鏡作坐天照御魂神社(奈良県磯城郡田原本町八尾)
祭神・天照國照彦天火明命/石凝姥命/天児屋根命
B.志貴御県坐神社(桜井市大字三輪字金屋)
祭神・天津饒速日命
C.山辺御縣坐神社(奈良県天理市西井戸堂町)
祭神・建麻利尼命
(建麻利尼命は、天火明命の子孫)
備考:
十市御縣坐神社の祭神・市杵嶋姫命は、
スサノヲの娘の宗像三女神の一柱で、
海部氏系図では、天火明命が娶っている。
にい
神武は西側、ニギハヤヒは東側を領地にしてたんだね?
みを
この地域の地名は、西側が「葛城・橿原」、東側が「磯城」と呼ばれているわ。
葛城には、古墳時代に台頭した葛城氏という豪族もいたの。
神武東征で、橿原で即位した神武は、葛城と同盟を組んでいたみたいね。
葛城国はヤマトとは別に独立を許されてたみたい。
一方、ニギハヤヒは、磯城を領地にしていたはず。
にい
葛城と磯城に、ヤマトの古代豪族がいたの?
みを
系譜では、葛城氏は、武内宿禰を祖としてる。
武内宿禰は、八代・孝元天皇の子孫だから、神武の頃よりずっと後に生まれた氏族。
その前には、事代主の子孫の鴨王(かものきみ)がいたと、日本書紀にあるわ。
葛城の古代豪族は、「カモ氏」で、磯城の古代豪族が「シキ氏」ということになるわね。
ヤマトの古代豪族は、天皇に次ぐ権力を持っていた証として、娘を天皇と婚姻させていた。
1〜4代の天皇の皇后をみると、
日本書紀は、葛城の神である事代主の娘と、鴨王の娘を皇后を迎えたとし、
古事記では、三輪の神である大物主の娘と、磯城氏の娘を皇后にしたと書かれている。
神武が即位した頃、葛城の代表的豪族が、カモ氏であり、
磯城の代表的豪族がシキ氏だったことがわかる。
西側のカモ氏と東側のシキ氏の勢力に、奈良盆地は2分されていて、
神武天皇は、その間の橿原を領地として、神武の子孫は双方と婚姻関係を重ねていった。
この頃、カモ氏とシキ氏が、ヤマトの有力豪族だった。
にい
神武天皇が即位したときには、まだヤマト全体を治める大王だったわけじゃないのかな?
みを
まだまだ、大王と呼べるほどの権力は無くて、カモ氏やシキ氏と婚姻を重ねることで、
徐々に力を付けていったんじゃないかな?
この頃の天皇は、まだ、カモ氏やシキ氏と対等くらいの関係だったかも?
にい
もしかしたら、カモ氏やシキ氏が、大王になってたのかも知れないんだね?
みを
そのチャンスはあったかもね。 王座をめぐる争いもあったかも?
でも、結果的に、神武の子孫が天皇として系譜が続いているわけだから、
カモ氏やシキ氏は、地位が弱まっていったんでしょうね。
だから、後の葛城では、カモ氏に代わり、八代・孝元天皇の子孫の武内宿禰を祖とする葛城氏が台頭したわ。
にい
シキ氏は、どうなったの?
みを
実は、これが、よくわからなくて……。
日本書紀が書かれた頃は、シキ氏はすっかり衰退してたみたいで、資料がほとんど無いの。
でも、シキ氏が衰退してるのに、シキ氏が古代の天皇に皇后を出したという記録がされてるということは、
古代では、本当にシキ氏という豪族がいて、天皇に次ぐ勢力を、ヤマトの東側で占めていたと思うわ。
日本書紀が書かれた頃は、シキ氏はすっかり衰退していた。
しかし、古代にはシキという名前の人物が多く登場し、天皇に后を出したりしている。
日本書紀が書かれた頃に、シキ氏の権威を捏造する理由は無く、
古代に、実際にシキ氏という豪族がいたことは確かだ。
神武東征〜七代・孝霊天皇の時代に見られる、シキ氏の名前
- 磯城彦
磯城邑の首長か?
- 磯城八十梟帥
神武東征のとき、神武を迎え撃ち敗れる。
磯城軍の大将か?
- 兄磯城
神武東征のとき、神武を迎え撃ち敗れる。
- 弟磯城・黒速
神武東征のとき、神武に味方する。
その功績で、磯城県主となる。
- 師木県主波延
妹の河俣毘売を、綏靖天皇の皇后にする。
また、娘の阿久斗比売は、安寧天皇の皇后となる。
- 磯城津彦玉手看/師木津日子玉手見
安寧天皇のこと。
古事記では、師木県主波延の妹の河俣毘売を母とする。
古事記では、師木県主波延の娘の阿久斗比売を皇后とする。
- 師木津日子
古事記では、安寧天皇と師木県主波延の娘の阿久斗比売の子。
懿徳天皇の弟。
- 磯城県主大目
娘の細媛を、孝霊天皇の皇后にする。
細媛は、孝元天皇を産む。
磯城県主大目は、古事記では、「十市県主祖大目」となっている。
シキ系の名前は、七代・孝霊天皇の時代で消える。
孝霊天皇の宮は、黒田廬戸宮で、
弥生時代の環濠集落、唐古・鍵遺跡がある。
古墳時代の始まりを象徴する箸墓古墳の被葬者のヤマトトトヒモモソヒメは、
孝霊天皇と倭國香媛の間に、生まれている。
にい
なんだか、シキ氏にも謎がありそうだね?
みを
そうね!
シキ氏が、最後に文献に登場したとき、ヤマトトトヒモモソヒメが生まれて、
この頃から、初期の前方後円墳が作られはじめて、古墳時代が始まってるの。
何か、大きなひみつがありそう!
にい
う〜ん、そのひみつ、知りたい、知りたい!
みを
シキ氏とニギハヤヒとの関係はどうだったかしら?
神武東征で、神武と戦ったのは兄磯城で、
兄磯城が仕えていた王がニギハヤヒ。
ニギハヤヒは磯城を領地にしていたはずだから、関係は深そうね。
磯城県主の祖の弟磯城は、「黒速(クロハヤ)」という名前だったわ。
天皇に皇后を出した師木県主波延(ハエ)の名前も、
ハエ(haye)→ハヤ(haya)と読めば、ニギハヤヒの「ハヤ」という名前にも通じると思わない?
にい
磯城氏は、ニギハヤヒの子孫だったってこと?
みを
ニギハヤヒの子孫は物部氏ということになってるけど、
磯城氏も、ニギハヤヒに仕えていたわけだから、同じ血族だったとしても不思議じゃないと思うの。
新撰姓氏録では、「志貴連」は、饒速日命の末裔という記載もあるから、シキ氏と物部氏は同族だったのかも?
シキ氏が消えた後に、物部氏が台頭してくるのよ! なんだか、アヤシイでしょ?
でも、古代では、物部氏より、磯城氏のほうが上位だったはずよ!
だって、磯城氏は2.3.4.7代目の天皇に皇后を出してたけど、
物部氏が皇后を出したのは、8代孝元天皇からだもの!
系図を見ると、カモ氏、シキ氏、物部氏の力関係の変化が読み取れる。
細比売の父の十市県主祖大目は、日本書紀では、磯城県主となっている。
5代・孝昭天皇の皇后は、尾張氏系だが、尾張氏の祖の天火明なので、
総じて天火明・ニギハヤヒの系譜が皇后を出していることになる。
8代・孝元天皇の皇后から、磯城氏の系譜は途絶えて、物部氏の系譜が強くなる。
孝元天皇の子に、四道将軍のオオヒコがいる。
別の子の彦太忍信の孫は、武内宿禰となり、葛城氏の祖となる。
この頃から、葛城の支配と、ヤマトの全国支配が始まった?
1〜6は、6代目までの天皇の宮が置かれていた場所。
A.鏡作坐天照御魂神社(奈良県磯城郡田原本町八尾)
祭神・天照國照彦天火明命/石凝姥命/天児屋根命
B.志貴御県坐神社(桜井市大字三輪字金屋)
祭神・天津饒速日命
C.山辺御縣坐神社(奈良県天理市西井戸堂町)
祭神・建麻利尼命
(建麻利尼命は、天火明命の子孫)
7代・孝霊天皇が黒田廬戸宮を置いたとき、
初めてニギハヤヒの領域に天皇の宮が移る。
磯城氏が細媛を皇后に出す。
磯城氏が皇后を出したのは最後となる。
別の妃・倭国香媛の娘としてヤマトトトヒモモソヒメが生まれる。
この頃、三輪山麓に前方後円墳の築造が始まる。
ヤマトトトヒモモソヒメが亡くなると、箸墓(前方後円墳)に葬られるた。
前方後円墳の築造が始まるとき、
何らかの古代豪族同士の動きがあったことを伺わせる。
この頃、磯城氏が影を潜め、物部氏が台頭した。
物部氏も磯城氏も、ニギハヤヒを祖とした近縁と思われるが、
物部氏の系図では、天皇に妃を出した磯城氏を一切無視している。
にい
そっか〜。 まだまだ、ひみつは深そうね〜!
みを
そのひみつは、またゆっくり考えましょ!