十代・崇神天皇の実在性 | |
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考古学 | 文献 |
記紀には、崇神天皇の代に、 ヤマトトトヒモモソヒメの墓(箸墓古墳)が、築かれたという記述がる。 考古学上の箸墓古墳の年代が、3世紀末頃だという。 崇神天皇の宮が、磯城の瑞籬宮とあるが、 奈良県磯城郡にある纏向遺跡の建物郡の発掘によって、 箸墓古墳以降、急速にヤマトが発展する様子が伺える。 ヤマト王権はこの頃生まれたものと考えられている。 魏志倭人伝の卑弥呼が死んだ頃に相当する。 記紀には、神武天皇東征説話など、 九州から王がヤマト入りしたという記述があるが、 考古学上は、そのような証拠は無い。 ヤマト外部からの人的流入を示すものとして搬入土器があるが、 ヤマトで多く見つかる土器は、東海地方の土器である。 神武東征以前にヤマトを支配していたニギハヤヒ(天火明命)は、 尾張連の祖とされている。 |
日本書紀が伝える崇神天皇の年代は、紀元前1世紀頃。 魏志倭人伝からの引用が、神功皇后の代に挿入されている。 よって、神功皇后を卑弥呼とする説もある。 しかし、これは天皇家の年代を古く見せかけるための、 創作・改竄だとする説が主流。 古事記には、崇神天皇の没年干支が戊寅年とされている。 記述が正しければ、干支は、60年周期で一回りするので、 崇神天皇の没年は、258年または318年頃だとされる。 崇神天皇には、御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)と、 はじめて大和国を治めたというような称号が贈られている。 神武天皇にも、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と、 似た称号が贈られているので、両者は同一人物という説もある。 つまり、崇神天皇が九州から畿内に東征したという意味となり、 邪馬台国九州説東遷説の論拠になっている。 |
邪馬台国畿内説 | 邪馬台国九州説(東遷説) | 立場 |
考古学上の発掘に基づき、ヤマト王権は纏向から始まった。 邪馬台国とは、纏向で興った王権のこと。 |
邪馬台国は九州にあり、 神武(崇神)東遷によって、ヤマト王権が生まれた。 |
主張 |
弥生時代の葛城には、 王権の存在を思わせる遺物は無い。 |
欠史八代は、 後世の創作である。 |
葛城に ついて |
欠史八代・葛城王朝の実在を認めたら、 纏向から始まるヤマト王権論が破綻する? |
欠史八代・葛城王朝の実在を認めたら、 邪馬台国九州説(東遷説)が破綻する? |
本音 |
邪馬台国畿内説 | 邪馬台国九州説(並立説) | 立場 |
邪馬台国は畿内にあり、ヤマト王権は纏向から始まった。 葛城には弥生時代に王権の存在を思わせる遺物は無いが、 まだ発見されていないだけ。 |
邪馬台国は九州にあったが、 畿内のヤマト王権と並立していた。 したがって、欠史八代の実在は認めてよい。 |
主張 |
邪馬台国と葛城王朝の関連性はある。 | 邪馬台国と葛城王朝の関連性は無い。 | 葛城に ついて |
でも、証拠も無いし、後回しでもかまわない。 | 九州説を唱えながら、葛城王朝を研究するのは時間の無駄? | 本音 |
邪馬台国畿内説 | 邪馬台国九州説 | 立場 |
ヤマト王権による古墳時代を象徴するのが前方後円墳であり、 その初期にして最大の前方後円墳、箸墓古墳こそが 卑弥呼の墓である。 |
九州の中には、 卑弥呼の墓と考えられる場所がいっぱいあって、 いろんな研究がされてるよ。 |
卑弥呼 の墓 |
葛城には卑弥呼の墓は無いよ。 | 葛城には卑弥呼の墓は無いよ。 | 葛城に ついて |
おしらせ ここからは、邪馬台国の所在地については考えずに、 欠史八代の舞台・葛城地方を考察してみることとします。 |
夜麻登(やまと)/奈良盆地 | ||
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西側/葛城国 | 東側/倭国 | 位置関係 |
葛城(かつらき) | 磯城(しき) | 地名・氏族名 |
秋津嶋(あきつしま) | 師木嶋(しきしま) | 呼び名 |
神武天皇は、葛城の腋上の丘に登り、ヤマトを秋津洲(あきつしま)と呼んだと言う。 それに対応するように、磯城は、磯城嶋(しきしま)と呼ばれ、 欽明天皇元年に磯城嶋金刺宮が置かれた。
「あきつしま」と、「しきしま」は、
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由来 | |
剣根・葛城国造 祖は高魂命(高皇産霊尊?)。 鴨県主とは親戚同士。 葛木御縣神社で祭られている。 |
椎根津彦・倭国造 神武東征のとき、海上で、 神武を手助けした「海人(あま)」である。 神武天皇二年に倭国造に任じられた。 |
国造 |
高市御縣神社 |
十市御縣坐神社 |
「市」がつく 御縣神社 |
高皇産霊神(葦原中国平定を命令した) 天津彦根(誓約でアマテラスから生まれた) |
豊受大神(アマテラスの御饌の神) 市杵嶋姫命(誓約でスサノヲから生まれた) |
祭神は、天照大神の周辺の神 |
葛木御縣神社 | 志貴御縣坐神社 | 「キ」がつく 御縣神社 |
ニニギ(後から天孫降臨した) | ニギハヤヒ(先に天孫降臨した) | 「ニギ」がつく祭神 |
初代・神武天皇 神日本磐余彦尊 (かむやまといはれひこ) 始馭天下之天皇 (はつくにしらすすめらみこと) |
十代・崇神天皇 御間城入彦五十瓊殖天皇 (みまきいりひこいにえ) 御肇國天皇 (はつくにしらすすめらみこと) |
代表する天皇 |
葛城の腋上の丘にのぼり、 秋津洲(あきつしま)と呼んだ。 |
師木嶋(しきしま)の 磯城瑞籬宮に住んだ。 |
天皇にまつわる土地 |
高鴨神社 |
大神神社 |
代表する神社 |
阿治須岐高日子根命 (迦毛之大御神) 大国主の末裔。 天津神の天稚彦と仲良し。 |
大物主大神 (大国主神の幸魂・奇魂) 大国主の末裔。 ヤマトトトヒモモソヒメを巫女とするが、 正体はヘビだったという。 |
祭神 |
高鴨神社のカモは、カミ(神)・キミ(王)に通じる。 葛城の高尾張には土蜘蛛がいたとされる。 「出雲」はクモ系の名前か? |
大神神社は、「オホミハ」と読む。 ハミはヘビに通じ、 三輪山の信仰対象。 |
神の名の由来? |
御室山・御諸山(御諸→御所) 葛城山・二上山 金剛山・高天山 |
御諸山 三輪山・鳥見山 香具山・畝傍山・耳成山 |
山 |
阿治須岐高日子根命の友人の天稚彦は、 高天原を裏切ったために、殺された。 |
ニギハヤヒの部下のナガスネヒコは、 神武に抵抗したので、殺された。 |
国譲りの逸話 |
葛城国造 剣根命 |
倭国造 椎根津彦 |
神武天皇即位後、 はじめての国造 |
葛城に多い尊称は「高(タカ)」 |
倭国造の椎根津彦は「海人(アマ)」 | 尊称? |
「真木(マキ)」は、木を崇拝する言葉。 高木神・高皇産霊神に通じる。 葛城は木国(紀伊)とも地理的に近い。 |
崇神天皇の名「御間城(みまき)」は、 「御真木」かもしれない。 「いりひこ」は、葛城から婿入りした意味か? |
「マキ」考 |
地理的に近い紀伊の日前神宮で、 日像鏡が祭られている。 葛城出身(?)の武内宿禰の母は、 「紀国造・紀氏・日前國懸神宮神職」の系譜 |
天皇の御殿で天照大神(鏡?)を祭っていたが、 笠縫邑・檜原神社に移した。 その後、近畿地方各地を巡り、 現在の伊勢神宮に落ち着く。 |
鏡・太陽信仰について |
以下、関係する氏族 氏族の系譜は、欠史八代系、ニギハヤヒ系、神武天皇系とで別けてみた。 代表的な氏族の多くは、崇神天皇以前に、系譜を求めている? |
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欠史八代系 |
ニギハヤヒ系 |
神武天皇系 |
鴨王 葛城のカモ系の神社の辺りを 本拠地にしていたと思われる、 事代主を祖とする氏族。 日本書紀では、懿徳天皇后を出す。 天皇の后を出すということは、 古代の有力氏族であり、土着の勢力だったはず。 孝昭天皇を祖とする氏族。 彦国葺(孝昭天皇の子・天足彦国押人の末裔) 崇神天皇の時代に反乱を起した武埴安彦を討つ。 以下、祖とする氏族。 小野 粟田 春日 柿本 和邇 孝霊天皇を祖とする氏族。 吉備津彦(五十狭芹彦)(稚武彦命)・四道将軍 桃太郎のモデルとされる。 吉備臣 孝元天皇を祖とする氏族。 大彦(オオヒコ)・四道将軍 武渟川別(タケヌナカワワケ)・四道将軍 以下、七つの氏族の始祖。 阿部臣 膳臣 阿閉臣 狭狭城山君 筑紫国造 越国造 伊賀臣 孝元天皇~大彦の末裔。 武内宿禰(タケウチスクネ)・母は紀国造の女。 以下は、武内宿禰を祖とする氏族。 葛城臣 蘇我臣 羽田臣 紀臣 巨勢臣 平群臣 葛城襲津彦 開化天皇を祖とする氏族。 彦坐王(ヒコイマスノミコ) 丹波道主(タニハノミチノウシ)・四道将軍 以下、彦坐王の子孫。 ↓ 迦邇米雷王(カニメイカヅチノミコ) ↓ 息長宿禰王(オキナガノスクネノミコ) ↓ 息長宿禰王と、葛城高額姫の娘が、 息長足姫・神功皇后 神功皇后は、武内宿禰と共に九州・朝鮮に遠征し、 応神天皇を産む。 |
饒速日命(ニギハヤヒ) 神武より先にヤマトの王となっていた。 以下、ニギハヤヒを祖とする氏族。 尾張氏(日本書紀) 海部氏(海部氏勘注系図) 物部氏(先代旧事本紀) 穂積臣(古事記) 長髄彦(ナガスネヒコ) ニギハヤヒに仕えていたが、殺害された。 以下、ナガスネヒコの末裔。 迹見赤檮(聖徳太子と共に物部守屋を討った) 磯城県主 ニギハヤヒを祭る志貴御縣坐神社の辺りを 本拠地にしていたと思われるが、 よくわからない氏族。 古事記では、磯城県主系の皇后を出す。 天皇の后を出すということは、 古代の有力氏族であり、土着の勢力だったはず。 |
神武天皇を祖とする氏族。 多 太 意富 小泊瀬 以下、神代からの氏族。 阿曇氏? 祖は大綿津見神(海神) 宗像君? 祖は多紀理毘売命 隼人? 祖は火闌降命 大伴氏? 天孫降臨に随伴。 久米氏? 大伴氏に率いられる。 入墨をしていた=隼人? 忌部? 古語拾遺では、 欠史八代への言及がない。 中臣(藤原氏)? 忌部と共に、 天皇家の祭祀をする。 |
葛城一族は5世紀の天皇に妃を送り続けるが、 雄略天皇の代に、葛城は滅ぼされる。 雄略天皇の泊瀬朝倉宮は、磯城側にあった。 斯鬼宮(磯城宮)と呼ばれていたらしい。 (稲荷山古墳出土の金象嵌鉄剣銘より) 葛城に本拠を置いた蘇我氏も滅ぼされた。 蘇我氏邸と共に歴史書が焼かれたことで、 欠史八代の事績も失われたのかも知れない。 |
磯城を拠点にしていたであろう、磯城氏は、 古事記では、欠史八代天皇に皇后を出す。 欠史八代以後は、系譜が途絶えたようだ。 「新撰姓氏録」にも磯城氏は記載が無いという。 「磯城」という地名だけを残して消えた氏族である。 尾張氏・海部氏と関係が深そうな、 天武天皇(大海人皇子)は、壬申の乱で勝利する。 三輪高市麻呂は、大海人皇子の味方をして戦った。 そのため、ニギハヤヒの伝承は失われずに残った? |
氏族のその後 |
倭迹迹日百襲媛命(ヤマトトトヒモモソヒメ) 孝霊天皇の子。崇神天皇の時代に大物主の巫女になる。氏族無し。 大田田根子。 大物主(大国主)の末裔。崇神天皇の時代に大物主を祭る。三輪君・鴨君祖 |
崇神天皇の時代の 大物主祭祀に関係する氏族。 |
高天彦神社 (御所市高天) 高皇産靈神、市杵嶋姫命、菅原道眞 を祭る。 高天原の実在の場所と伝えられる神社が葛城にある。 鳥越憲三郎氏によると、 葛城王朝の祖神が、高皇産霊尊だったということらしい。 |
葛木二上神社 (葛城市當麻町染野二上山頂) 葛木二上尊(豊布都霊神・大国魂神)を祭る。 豊布都霊神は、石上神宮(崇神天皇7年創建)の布都御魂大神で、 大国魂神は、大和神社(崇神天皇12年創建)の倭大国魂大神のことらしい。 崇神天皇が、葛城の神を勧請したのだろうか? 日本書紀にも、崇神天皇が、天照大神・倭大国魂を祭ったとある。 「大和葛城宝山記」によれば、 葛城地方には、このほかにも、 大日孁貴尊と天照太神が別神のように扱われ、 伊弉諾尊・伊邪那岐尊・天御中主尊が信奉されていたという。 崇神天皇の代に、葛城の神が、磯城に移植され、 日本神話がつくられていったのだろうか? |
鴨都波神社 (奈良県御所市宮前町) 積羽八重事代主命・下照姫命を祭る。 神武天皇の妃・媛蹈鞴五十鈴媛命は、日本書紀では、 事代主の娘と三嶋溝樴耳の女・玉櫛姫の娘だという。 (摂津国・三島郡) ただし、古事記では大物主の娘が神武天皇の妃となっている。 事代主と、大物主が同一という見方もあるが、 日本書紀・葦原中国平定一書(第二)では、 大己貴が帰順したときに、大物主と事代主も帰順したと、別神とされている。 事代主は、葛城の神とされる。 |
御巫八神(宮中八神) 高御産霊神・魂積産霊神・神御産霊神・生産霊神 足産霊神・事代主神・大宮売神・御食津神 天皇を守護する神々として奉斎されているらしい。 葛城の神「事代主神」の名がある。 |
(補足)神武天皇が生まれる前に、海幸彦・山幸彦の説話が挿入されている。 神武天皇は海神の娘を娶った「山幸彦」の系譜。 |
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神武天皇 彦火火出見 (ヒコホホデミ) 神日本磐余彦/神倭伊波礼毘古 (カムヤマトイハレヒコ) 橿原宮/畝火・白檮原宮 奈良県橿原市畝傍町 |
<日本書紀> 父:彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ヒコナギサウガヤフキアヘズ)・母は豊玉姫で海神の娘 母:玉依姫(タマヨリヒメ)・海神の二番目の娘 神武天皇の后と子 媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)・事代主神の娘 →神渟名川耳(綏靖天皇) <古事記> 父:天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(アマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアヘズ) 母:玉依毘売(タマヨリビメ) 神武天皇の后と子 比売多多良伊須気余理比売 大物主と三島湟咋の女の勢夜陀多良比売の娘 またの名を、富登多多良伊須須岐比売(ホトタタライススキヒメ) →日子八井 →神八井耳 →神沼河耳(綏靖天皇) |
綏靖天皇 神渟名川耳/神沼河耳命 (カムヌナカハミミ) 葛城・高丘宮 奈良県御所市森脇 綏靖天皇の子が、「シキツヒコ」という名なので、 古事記にある「師木県主波延の妹」との婚姻の方が、 納得できる? |
<日本書紀> 父:神武天皇・神日本磐余彦(カムヤマトイハレヒコ) 母:媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)・事代主神の娘 綏靖天皇の后と子 五十鈴依媛命(イスズヨリヒメ)・事代主神の次女 →磯城津彦玉手看(安寧天皇) <古事記> 父:神武天皇・神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレヒコ) 母:比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ) 大物主と三島湟咋の女の勢夜陀多良比売の娘 またの名を、富登多多良伊須須岐比売(ホトタタライススキヒメ) 綏靖天皇の后と子 河俣毘売(カハマタヒメ)・師木県主波延(ハエ)の妹 →師木津日子玉手見 |
安寧天皇 磯城津彦玉手看/師木津日子玉手見 (シキツヒコタマテミ) 片塩・浮孔宮/片塩・浮穴宮 奈良県大和高田市片塩町 古事記では、安寧天皇の子の師木津日子の子に、 淡道之御井宮にいた和知都美がいて、 蝿伊呂泥・蝿伊呂杼という娘がいた。 蝿伊呂泥のまたの名は意富夜麻登久邇阿礼比売で、 孝霊天皇の妃となり、夜麻登登母母曾毘売を産む。 |
<日本書紀> 父:綏靖天皇・神渟名川耳(カムヌナカハミミ) 母:五十鈴依媛(イスズヨリヒメ)・事代主神の次女 一書では、川派媛・磯城県主女 一書では、絲織媛・春日県主大日諸女 安寧天皇の后と子 渟名底仲媛(ヌナソコナカツヒメ)・事代主の孫の鴨王の娘 →大日本彦耜友(懿徳天皇) →息石耳(娘は懿徳天皇后) <古事記> 父:綏靖天皇・神沼河耳命(カムヌナカハミミ) 母:河俣毘売(カハマタヒメ)・師木県主波延(ハエ)の妹 安寧天皇の后と子 阿久斗比売(アクトヒメ)・師木県主波延(ハエ)の娘 →常根津日子伊呂泥 →大倭日子鋤友(懿徳天皇) →師木津日子(シキツヒコ) |
懿徳天皇 大日本彦耜友/大倭日子鉏友 (オオヤマトヒコスキトモ) 軽・曲峡宮/軽・境岡宮 奈良県橿原市見瀬町・大軽町 |
<日本書紀> 父:安寧天皇・磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミ) 母:渟名底仲媛(ヌナソコナカツヒメ)・事代主の孫の鴨王の娘 一書では、川津媛・磯城県主葉江女 一書では、糸井媛・大間宿禰女 懿徳天皇の后と子 天豊津媛(アマトヨツヒメ)・息石耳(事代主の孫の鴨王の孫)の娘 →大日本彦耜友(孝昭天皇) <古事記> 父:安寧天皇・師木津日子玉手見(シキツヒコタマテミ) 母:阿久斗比売(アクトヒメ)・師木県主波延(ハエ)の娘 懿徳天皇の后と子 賦登麻和訶比売またの名は飯日比売・師木県主祖 →御真津日子訶恵志泥(孝昭天皇) →多芸志比古 |
孝昭天皇 観松彦香殖稲/御真津日子訶恵志泥 (ミマツヒコカエシネ) 掖上・池心宮/葛城・掖上宮 奈良県御所市池之内 ここで、尾張系の皇后が登場している。 この天皇から「孝」の字が付くのは何か理由が? 畿内と尾張は、銅鐸文化圏を共有している。 |
<日本書紀> 父:懿徳天皇・大日本彦耜友(オオヤマトヒコスキトモ) 母:天豊津媛(アマトヨツヒメ)・息石耳(事代主の孫の鴨王の孫)の娘 一書では、泉媛・磯城県主葉江(ハエ)の弟の猪手の娘 一書では、飯日媛・磯城県主太真稚彦(フトマワカヒコ)の娘 孝昭天皇の后と子 世襲足媛(ヨソタラシヒメ)・尾張連祖、瀛津世襲妹 →天足彦国押人(和珥氏・春日氏祖) →日本足彦国押人(孝安天皇) <古事記> 父:懿徳天皇・大倭日子鉏友(オオヤマトヒコスキトモ) 母:賦登麻和訶比売またの名は飯日比売・師木県主祖 孝昭天皇の后と子 余曾多本毘女(ヨソタホヒメ)・尾張連祖、奥津余曾妹 →天押帯日子 →大倭帯日子国押人(孝安天皇) |
孝安天皇 日本足彦国押人/大倭帯日子国押人 (ヤマトタラシヒコクニオシヒト) 葛城・室・秋津島宮 奈良県御所市室 孝安天皇の兄の天足彦国押人は、 天皇家で始めて「天」の字を使った。 母は尾張系である。 孝安天皇の兄の天足彦国押人の娘を、 孝安天皇は皇后としている。 尾張系の血が濃くなっている。 奈良盆地東側は、東海系搬入土器が多い。 |
<日本書紀> 父:孝昭天皇・観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ) 母:世襲足媛(ヨソタラシヒメ)・尾張連祖、瀛津世襲妹 一書では、渟名城津媛・磯城県主、葉江の女 一書では、大井媛・倭国、豊秋狭太媛の女 孝安天皇の后と子 押媛(オシヒメ)・姪・天足彦国押人の女 →大日本根子彦太瓊(孝霊天皇) <古事記> 父:孝昭天皇・御真津日子訶恵志泥(ミマツヒコカエシネ) 母:余曾多本毘女(ヨソタホヒメ)・尾張連祖、奥津余曾妹 孝安天皇の后と子 忍鹿比賣(オシカヒメ)・姪・天押帯日子の女 →大吉備諸進 →大倭根子日子賦斗邇(孝霊天皇) |
孝霊天皇 大日本根子彦太瓊/大倭根子日子賦斗邇 (オオヤマトネコヒコフトニ) 黒田・廬戸宮 奈良県磯城郡田原本町黒田 唐古・鍵遺跡がある。 モモソヒメと、 モモ太郎伝説の発祥地? 吉備津彦は、四道将軍 日本書紀と古事記では、皇后の父の出自が異なるが、 十市と磯城は、勢力的には、 ほぼ同一であってもおかしくはない。 意富夜麻登玖邇阿礼比売(倭國香媛)は、 古事記では師木県主波延の系譜だと伝えている。 古事記では、孝霊天皇の妃に、 春日の千千速真若比売を迎えているが、 添御縣坐神社の武乳速之命とは、 何か関係があるのだろうか? |
<日本書紀> 父:孝安天皇・日本足彦国押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト) 母:押媛(オシヒメ)・姪・天足彦国押人の女 一書では、長媛・磯城県主、葉江女 一書では、五十坂媛・十市県主、五十坂彦女 孝霊天皇の后と子 細媛(クワシヒメ)・磯城県主大目の女 →大日本根子彦国牽(孝元天皇) 孝霊天皇の妃と子 倭國香媛 →倭跡跡日百襲姫 →彦五十狹芹彦(吉備津彦) →倭跡跡稚屋姫 絙某弟 →彦狹島 →稚五彦(吉備臣祖) <古事記> 父:孝安天皇・大倭帯日子国押人(オホヤマトタラシヒコクニオシヒト) 母:忍鹿比賣(オシカヒメ)・姪・天足彦国押人の女 孝霊天皇の后と子 細比売・十市県主祖大目の娘 →大倭根子日子国玖琉(孝元天皇) 孝霊天皇の妃と子 千千速真若比売・春日 →千千速比売 意富夜麻登玖邇阿礼比売 →夜麻登登母母曾毘売 →日子刺肩別 →比古伊佐勢理毘古(大吉備津日子) →倭飛羽矢若屋比売 蝿伊呂杼(意富夜麻登玖邇阿礼比売の妹) →日子寤間 →若日子建吉備津日子 |
孝元天皇 大日本根子彦国牽/大倭根子日子国玖琉 (オオヤマトネコヒコクニクル) 軽・境原宮/軽・堺原宮 奈良県橿原市見瀬町・大軽町 欝色謎・伊香色謎は、 ニギハヤヒとナガスネヒコの妹の子である、 ウマシマヂの末裔(物部氏系)である。 孝元天皇の子の、 河内系の武埴安彦は、 後に反乱を起す。 孝元天皇の子の、大彦は、 四道将軍として武埴安彦を討つ。 大彦の子の武渟川別も四道将軍。 稲荷山鉄剣に意富比垝の名が、 刻まれている。 建内宿禰は、神功皇后を補佐して、 朝鮮出兵する。 後の応神天皇は河内を拠点にする。 |
<日本書紀> 父:孝霊天皇・大日本根子彦太瓊(オオヤマトネコヒコフトニ) 母:細媛(クワシヒメ)・磯城県主大目の女 一書では、千乳早山香媛・春日 一書では、眞舌媛・十市県主等祖の女 孝元天皇の后と子 欝色謎・欝色雄の妹 →大彦命 →稚日本根子彦大日日(開化天皇) →倭迹迹姫 孝元天皇の妃と子 伊香色謎・物部氏の祖・大綜麻杵の女 →彦太忍信・武内宿禰の祖父 埴安媛・河内青玉繋の女 →武埴安彦命 <古事記> 父:孝霊天皇・大倭根子日子賦斗邇(オオヤマトネコヒコフトニ) 母:細比賣・十市県主祖大目の女 孝元天皇の后と子 内色許売・内色許男の妹(穂積臣祖) →大毘古・少名日子建猪心 →若倭根子日子大毘毘(開化天皇) 孝元天皇の妃と子 伊迦賀色許売・内色許男の娘 →比古布都押之信 波邇夜須毘売・河内青玉の娘 →建波邇夜須毘古 比古布都押之信の妃と子 山下影日売・木国造祖・宇豆比古の妹 →建内宿禰 |
開化天皇 稚日本根子彦大日日/若倭根子日子大毘毘 (ワカヤマトネコオオヒヒ) 春日・率川宮/春日・伊邪河宮 奈良県奈良市本子守町 北方に宮を置いて、丹波と通じていたようだ。 最初に婚姻したのは、丹波竹野媛。 孝元天皇の妃の伊香色謎を皇后にしている。 彦坐王(日子坐王)の子の、 丹波道主王は四道将軍。 丹波道主王の娘の日葉洲媛は、 垂仁天皇后で、景行天皇の母。 古事記によれば、 比古由牟須美の子の、大筒木垂根王の娘の、 迦具夜比売命(カグヤヒメ)は、 垂仁天皇の妃となる。 日本書紀では、垂仁天皇は、 丹波から五人の女を召した。 そのうち竹野媛だけは不器量だったので、 里に返され、途中で死んだという。 「竹取物語」のモデルか? 山代之大筒木真若王の末裔に、 息長帯比売(神功皇后)がいる。 よって、息長氏の末裔・神功皇后と、 母が丹波系の景行天皇の子の応神天皇は、 河内~琵琶湖水系・丹波の豪族を基盤に、 王権を築いていったのだろう。 畿内・丹波・尾張は銅鐸文化圏である。 |
<日本書紀> 父:孝元天皇・大日本根子彦国牽(オオヤマトネコヒコフトニ) 母:欝色謎・欝色雄の妹 開化天皇の后と子 伊香色謎・物部氏の祖・大綜麻杵の女 →御間城入彦五十瓊殖(崇神天皇) 開化天皇の妃と子 丹波竹野媛・丹波大県主由碁理の娘 →彦湯産隅 姥津媛・和珥氏の祖・天足彦国押人の末裔 →彦坐王 <古事記> 父:孝元天皇・大倭根子日子国玖琉(オオヤマトネコヒコフトニ) 母:内色許売・内色許男の妹(穂積臣祖) 開化天皇の后と子 伊迦賀色許売 →御真木入日子印恵(崇神天皇) →御真津比売 開化天皇の妃と子 竹野比売・旦波大県主由碁理の娘 →比古由牟須美 意祁都比売・日子国意祁都の妹・丸邇臣祖 →日子坐王 鷲比売・葛城之垂見宿禰の娘 →建豊波豆羅和気 日子坐王の妃と子 息長水依比売・近淡海之御上祝が祭祀している天之御影神の娘 →丹波比古多多須美知能宇斯 袁祁都比売・息長水依比売の母の妹 →山代之大筒木真若王 |
崇神天皇 御間城入彦五十瓊殖/御真木入日子印恵 (ミマキイリヒコイニエ) 磯城・瑞籬宮/師木・水垣宮 奈良県桜井市金屋 母の伊香色謎は、孝元天皇の妃 孝霊天皇の娘の倭跡跡日百襲姫命が、 大物主を祭るが死んでしまった。 崇神天皇の娘の淳名城入姫が、 倭大国魂神を祭るが、病気になった。 崇神天皇の娘の豊鋤入姫命が、 天照大神を祭った。 |
<日本書紀> 父:開化天皇・稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコオオヒヒ) 母:伊香色謎・物部氏の祖・大綜麻杵の女 崇神天皇の后と子 御間城姫・大彦の娘 →活目入彦五十狭茅(垂仁天皇) →彦五十狭茅 →国方姫 →千千衝倭姫 →倭彦 →五十日鶴彦 崇神天皇の妃と子 遠津年魚眼眼妙媛・ 紀伊国荒河戸畔の女 →豊城入彦命(上毛野君/下毛野君祖) →豊鍬入姫命(天照大神を祭る初代斎宮) 尾張大海媛 →八坂入彦命 →渟名城入媛命(倭大国魂神を祭る) →十市瓊入媛 <古事記> 父:開化天皇・若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコオオヒヒ) 母:伊迦賀色許売 崇神天皇の后と子 御真津比売・大毘古の娘 →伊玖米入日子伊沙知(垂仁天皇) 崇神天皇の妃と子 遠津年魚目目微比売・木国造・荒河刀弁の娘 →豊木入日子(上毛野/下毛野君祖) →豊鋤入日売(天照大神を祭る) 意富阿麻比売・尾張連祖 →八坂之入日子 →沼名木之入日売(倭大国魂神を祭る) →十市之入日売 |
古事記では、倭國香媛の系譜は、以下の通り。 綏靖天皇と師木県主波延(ハエ)の妹 ↓ 安寧天皇(シキツヒコタマテミ)と師木県主波延の娘 ↓ 師木津日子(シキツヒコ) ↓ 和知都美 ↓ 蝿伊呂泥(ハエイロネ)/倭國香媛 (意富夜麻登久邇阿礼比売) (孝霊天皇妃) ↓ 夜麻登登母母曾毘売 (倭跡跡日百襲姫)
倭國香媛の娘がモモソヒメだが、古事記では、
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和知都美の二人の娘。 淡道之御井宮にいた和知都美は、 孝霊天皇に二人の娘を出し、 その子は、吉備の支配者となっている。
倭國香媛の娘の、ヤマトトトヒモモソヒメの弟が、 キビツヒコ。 モモソヒメは、シキ(磯城)で巫女になり、 キビツヒコは、クラシキ(倉敷)で王になった?
モモソヒメの眠る箸墓の後円部には、
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物部氏系 | 磯城県主系 | |
初代・神武天皇 |
比売多多良伊須気余理比売 大物主と三島湟咋の女の勢夜陀多良比売の娘 またの名を、富登多多良伊須須岐比売(ホトタタライススキヒメ) |
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二代・綏靖天皇 |
河俣毘売(カハマタヒメ) 師木県主波延(ハエ)の妹 |
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三代・安寧天皇 |
阿久斗比売(アクトヒメ) 師木県主波延(ハエ)の娘 |
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四代・懿徳天皇 |
賦登麻和訶比売 またの名は飯日比売 師木県主祖 |
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五代・孝昭天皇 |
余曾多本毘女(ヨソタホヒメ) 尾張連祖、奥津余曾妹 |
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六代・孝安天皇 |
忍鹿比賣(オシカヒメ) 姪・天押帯日子の女(祖母は尾張連祖、奥津余曾妹) |
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七代・孝霊天皇 |
細比売 十市県主祖大目の娘 蝿伊呂泥(倭國香媛) (意富夜麻登玖邇阿礼比売) 夜麻登登母母曾毘売を産む。 和知都美が父。 師木津日子が祖父。 蝿伊呂杼 意富夜麻登玖邇阿礼比売の妹 |
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八代・孝元天皇 |
内色許売 内色許男の妹(穂積臣祖) 伊迦賀色許売 内色許男の娘 |
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九代・開化天皇 | 伊迦賀色許売 | |
十代・崇神天皇 |
御真津比売 大毘古の娘 大毘古(大彦)の母は、内色許売 |
備考:夜麻登登母母曾毘売が、大物主を祭る。 |
その後 |
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物部十市根 物部氏のはじまり。 |
消息不明。 |
十市県主系 | 天皇 | 磯城県主系 |
1.神武天皇 日本書紀 媛蹈鞴五十鈴媛・事代主神の娘 古事記 比売多多良伊須気余理比売 大物主と三島湟咋の女の勢夜陀多良比売の娘 |
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2.綏靖天皇 日本書紀 五十鈴依媛命・事代主神の次女 日本書紀・一書 絲織媛・春日県主大日諸女 |
日本書紀・一書 川派媛・磯城県主女 古事記 河俣毘売・師木県主波延の妹 |
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3.安寧天皇 日本書紀 渟名底仲媛・事代主の孫の鴨王の娘 日本書紀・一書 糸井媛・大間宿禰女 |
日本書紀・一書 川津媛・磯城県主葉江女 古事記 阿久斗比売・師木県主波延の娘 |
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4.懿徳天皇 日本書紀 天豊津媛・息石耳(事代主系)の娘 |
日本書紀・一書 泉媛・磯城県主葉江の弟の猪手の娘 飯日媛・磯城県主太真稚彦の娘 古事記 賦登麻和訶比売/飯日比売・師木県主祖 |
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5.孝昭天皇 日本書紀 世襲足媛・尾張連祖、瀛津世襲妹 日本書紀・一書 大井媛・倭国、豊秋狭太媛の女 古事記 余曾多本毘女・尾張連祖、奥津余曾妹 |
日本書紀・一書 渟名城津媛・磯城県主葉江の女 |
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日本書紀・一書 五十坂媛・十市県主五十坂彦の女 |
6.孝安天皇 日本書紀 押媛・姪・天足彦国押人の女 古事記 忍鹿比賣・姪・天押帯日子の女 |
日本書紀・一書 長媛・磯城県主葉江の女 |
日本書紀・一書 眞舌媛・十市県主等祖の女 古事記 細比売・十市県主祖大目の娘 |
7.孝霊天皇 日本書紀・一書 千乳早山香媛・春日 古事記 千千速真若比売・春日 |
日本書紀 細媛・磯城県主大目の女 倭國香媛 絙某弟 古事記 蝿伊呂泥・意富夜麻登玖邇阿礼比売 蝿伊呂杼・意富夜麻登玖邇阿礼比売の妹 備考:ヤマトトトヒモモソヒメが生まれる。 |
日本書紀 欝色謎・欝色雄の妹 伊香色謎・物部氏の祖・大綜麻杵の女 古事記 内色許売・内色許男の妹(穂積臣祖) 伊迦賀色許売・内色許男の娘 |
8.孝元天皇 日本書紀 埴安媛・河内青玉繋の女 古事記 波邇夜須毘売・河内青玉の娘 |
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日本書紀 伊香色謎・物部氏の祖・大綜麻杵の女 古事記 伊迦賀色許売 |
9.開化天皇 | |
日本書紀 御間城姫・大彦の娘 古事記 御真津比売・大毘古の娘 |
10.崇神天皇 | 備考:ヤマトトトヒモモソヒメが、大物主を祀り死亡。 |
その後 |
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物部十市根 五大夫の一人。 物部氏のはじまり。 出雲に出むいて神宝の管理をした。 つまり、出雲を征服した側の人。 物部氏は、四道将軍・大彦とともに、 勢力を拡大したのだろう。 |
11.垂仁天皇 | 消息不明 [応神記] 日向之泉長比賣の子として、 大羽江王・小羽江王・幡日之若郎女 (羽江=ハエ?) [雄略記] 河内国の志幾之大縣主と敵対? |
籠神社 京都府宮津・丹後国一ノ宮 祭神 彦火明命(ひこほあかり) 天照大神・豊受大神・海神(わたつみ)・天水分神(あめのみくまり) 彦火明命は、丹波国造の祖神 丹波国造・宮司家は、海部直(あまべのあたい) 彦火明命は、饒速日命や、彦火火出見命や、 山城・賀茂別雷神、丹波道主王と同一とも言われる。 |
真清田神社 愛知県一宮市・尾張国一ノ宮 祭神 天火明命(アメノホアカリ) 神武天皇33年に、この地を「ヲハリ」と名付けて開拓した |
神武東征以前 | ナガスネヒコ? トミ・ヒコ=トミの首長? |
ニギハヤヒ? ハヤ・ヒ=ハヤの太陽神の首長? |
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初代・神武天皇 二代・綏靖天皇 三代・安寧天皇 四代・懿徳天皇 |
カモ王朝(葛城王朝)? 事代主・鴨王系を女王にした。 (日本書紀のみが伝える) 葛城に宮が置かれた。 神武天皇が、拠点を置いた? |
ハヤ王朝(三輪王朝)? 大物主・磯城県主系を女王にした。 磯城県主は、「haye」。 (古事記と、日本書紀一書が伝える) |
魏志倭人伝では、 百余り国に分かれていた頃? |
五代・孝昭天皇 六代・孝安天皇 |
カツラキ・尾張連合? 孝昭天皇后は、世襲足媛 (尾張連祖、瀛津世襲妹) 日本足彦国押人(孝安天皇)系? 孝昭天皇は、葛城に宮を置いたが、 古事記では、磯城県主系王族。 |
シキ・尾張連合? 孝昭天皇后は余曾多本毘女 (尾張連祖、奥津余曾妹) 天足彦国押人系? (和珥氏・春日氏祖) |
魏志倭人伝では、 倭国大乱の頃? |
七代・孝霊天皇 八代・孝元天皇 九代・開化天皇 |
葛城には、宮は置かれて無い。 |
四道将軍連合 吉備津彦(吉備臣)/吉備 大彦(物部氏系)/越 武渟川別(阿部臣)/東海 丹波道主王(丹波系)/丹波 孝霊天皇と、倭國香媛の娘の、 ヤマトトトヒモモソヒメは、 大物主を祭った後、死んでしまった。 後に物部氏が登場。 |
魏志倭人伝では、 邪馬台国の頃? 卑弥呼が女王になる。 老いた後に死ぬ。 |
十代・崇神天皇 | ヤマト王権 崇神天皇の母は伊香色謎(物部氏の祖・大綜麻杵の女) 崇神天皇后は御間城姫(大彦の娘・物部系) 崇神天皇妃・尾張大海媛 娘の渟名城入媛命は、倭大国魂神を祭るが病気になる。 崇神天皇妃・遠津年魚眼眼妙媛(紀伊国荒河戸畔の女) 娘の豊鍬入姫命は天照大神を祭る初代斎宮。 大物主の後裔という大田田根子が、大物主を祭る。 三輪君・賀茂君祖となる。 |
魏志倭人伝では、 一度、男王を立てるが国が治まらず、 台与を女王にする。 その後、消息不明? |
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おしらせ 邪馬台国の時代と、葛城は関係なくなりました。 なので、邪馬台国の所在地と、 葛城地方は無関係という結論になりました。 |
ヤマトトトヒモモソヒメ 母:倭國香媛 |
磯城・淡路・吉備系 | 大物主大神を祭るが、正体を見て死んでしまった。 |
渟名城入媛 母:尾張大海媛 |
尾張 | 倭大国魂神を祭るが、体が痩せお祭りできなくなった。 |
豊鍬入姫 母:遠津年魚眼眼妙媛 紀伊国荒河戸畔の女 |
紀伊国 | 天照大神を祭る初代斎宮 紀伊国には、日前神宮・國懸神宮がある。 天の岩戸神話で作られた鏡が祭られている。 紀伊国造は、建内宿禰の母の系譜。 |
倭姫 母:丹波国日葉酢媛 |
丹波 | 豊鍬入姫の後を継いで、天照大神を伊勢に祭る。 |
天照大神の巡幸した国の一宮 | 格上扱いの神社 | |||
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大和国 | 大神神社 | 祭神・大物主大神 別名・大国主神・大己貴命。 |
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丹波国 | 出雲大神宮 | 祭神・大国主命 元出雲と呼ばれている。 出雲の大国主命は、 丹波から勧請された神か? |
籠神社 | 祭神・彦火明命 元伊勢と呼ばれている。 彦火明命は、太陽神? |
紀伊国 | 伊太祁曽神社 | 祭神・五十猛命 スサノオの子・林業の神。 |
日前神宮 國懸神宮 |
祭神・日前大神/相殿・思兼命・石凝姥命 祭神・國懸大神/相殿・玉祖命・明立天御影命・鈿女命 相殿の神は、天の岩戸神話の神が並ぶ。 (玉祖は、阿波忌部系祖) 木国造は、建内宿禰の母の系譜。 |
吉備国 | 吉備津彦神社 | 祭神・吉備津彦 四道将軍。 |
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伊賀国 | 敢国神社 |
祭神・大彦命 四道将軍。 |
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淡海国 | 建部大社 |
祭神・日本武尊(ヤマトタケル) 九州から関東まで遠征した軍人。 |
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美濃国 | 南宮大社 |
祭神・金山彦命 天照大神より兄神の金属器の神。 |
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尾張国 | 真清田神社 |
祭神・天火明命 太陽神。 |
熱田神宮 | 祭神・熱田大神(草薙神剣) スサノヲが、ヤマタノヲロチの尾から、 取り出し、天照大神に献上したという。 その後、日本武尊(ヤマトタケル)の手に渡る。 |
伊勢国 | 椿大神社 |
祭神・猿田彦大神 天孫降臨の道案内をした。 |
皇大神宮 豊受神宮 |
祭神・天照大御神 祭神・豊受大神 伊勢神宮のこと。 渡会氏が神職を務める。 昔は磯部と言ったらしい。 但馬国造・日下部氏系か? |
天照大神と距離を置く格上の神社 | ||
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島根 | 杵築大社 |
祭神・大国主命(大己貴神) 出雲大社のことだが、もとは「杵築大社」と言った。 丹波国風土記によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、 大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。 すなわち今の出雲大社これなり。」と記されているという。 「出雲」の名と「大国主」の神は、丹波の出雲大神宮からの勧請か? もとは、スサノヲと関係の深い土地だったはず。 スサノヲを祀る出雲の熊野大社は、火の発祥の神社として、 「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれている。 イザナミが葬られたとされる伝承地がある。 (島根県と広島県の境の比婆山) |
熊野 | 熊野坐神社 熊野速玉神社 熊野那智神社 |
祭神・家都御子神 祭神・熊野速玉神 祭神・熊野夫須美神 熊野大社は、出雲にもあるが、 全国の熊野系神社は、紀州の熊野三山を根本社としている。 出雲の熊野大社からの勧請という説もある。 イザナミが葬られたとされる伝承地がある。 (三重県熊野市・花の窟神社) |