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それぞれの夢


July.7.2008




北京五輪のスローガンは、

「同一個世界、同一個夢想(一つの世界、一つの夢:One World、One Dream)」だそうです。


さて、人々の見る夢は、本当に「一つ」なのでしょうか?
ひとつである「べき」なのでしょうか?
誰かと違った夢を見ることは許されないのでしょうか?

人々が、違った夢ばかりを見ていると、どうなるでしょう?
互いの夢を壊しあい傷つけあうこともあるでしょう。
誰かの夢が傷つけられるごとに、軋轢が生まれ、争い、責任をとらされる世界、
それが「人々が多様な夢を見る現実の世界」です。

たしかに、人々が、皆、同じ夢を見るならば、争いは起こらないかも知れません。
誰かが何かを夢みても、それは皆と同じ夢なので、誰かを傷つけることはありません。
それは素晴らしい世界のように思えます。
……が、はたしてそうでしょうか?



人々が皆、同じ夢を持つ世界、それは争いが起きないと同時に、
「責任」という概念の失われた世界だと思うのです。
「責任」とは、「自分のした事の結果について責めを負う」こと。

「責任」を負いたくなければ、それは、簡単なことです。
誰かが決めた夢と同じ夢を見ていればいいのですから。
それが「一つの夢」の世界です。
誰もが「無責任でいられる世界」です。

誰かが決めた夢と違った夢をみようとしたとき、
結果、誰かが、誰かの夢を傷つけ、争いが起き、責任をとらされることがあるかも知れません。
だとしても、そうした「現実」を受け入れ、争いが起こればきちんと責任を負うことのほうが、「健全な社会」のような気がするのです。



健全な社会、それは、「多様な夢を許容しあえる世界」。
自分の考え方と違う、他者を意識したとき「責任」という概念が生まれ、「協調」という概念が生まれます。
そうして、現実世界を良いほうに動かすことが、人間として生まれた者の負うべき「使命」だと思うわけです。








追記:2008年4月26日

「長野オリンピック聖火リレー」

テレビで報道されるかわからないドキュメント。




長野駅前、朝6時頃にはすでに、中国・チベットの国旗を持つ集団が。




何台ものバスで乗り付けてきたという中国人留学生による、
圧倒的多数の中国旗ですが、チベット旗もまけてません。




善光寺には、チベット旗を持つ人々がぞくぞく集まっていました。



国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」の事務局長、
ロベール・メナール氏が、善光寺に姿を現しました。
かっこいいですね〜!
(肩にかけてる白い布はチベットのカター)




メナール氏と談義するチベット人。




午前8時すぎ、聖火リレーがはじまるちょうどその頃、
善光寺では、チベット暴動の犠牲者追悼法要が行われていました。
お香を焚く日本在住チベット人関係者達。




聖火リレーの沿道では「FREE TIBET!」のシュプレヒコールが沸き起こっています。
それにしても、こんなにたくさんのチベット旗が日本にあったなんて驚きです。
これほど多くの旗を振り、シュプレヒコールをあげるという、
いままで日本で見たことの無いような光景に胸が熱くなりました。
チベット旗を持つ日本人は、中国のように国威発揚にかられた行動では無いはずでしょう。
なにより、遠い異国の地でチベット旗を振ってもらうことは、
チベット人にとっては、感無量なのではないでしょうか。




午前8時半頃、大門交差点に聖火がやってきました!
さあ、ここでクイズです! 聖火はどこに写っているでしょうか!?
この時はシュプレヒコールも最高潮で、暴動が起きてもおかしくないほどの熱気でした。
警備の警官隊もあせってます。




聖火ランナーが走り去り、次のリレー地点に移動しているところ。
青い旗は、新疆ウイグル派の人たち。




ときおり、ヤジや怒号が飛び交うものの、
お互い、平和的にデモをしている姿は好印象でした。
「こんにちは」と、挨拶をかわす様子も目にしました。
主張は違えど、むやみに争いを起そうというつもりはないはずです。
マスメディアも、もうすこしチベット派・ウイグル派にも焦点を当てても良いと思います。
学生同士の話し合いから、問題解決の糸口が見えるかも知れませんし。
まずは、相手を尊重しあうことからでしょう。


テレビの報道は、抗議行動を悪意に満ちたもののように伝えようとしてるフシがありますが、
やはりテレビの報道だけでは、その場の空気はなかなか見えてこないものだなあと、考えさせられました。



なにより、仏教の尊厳を守った、善光寺の僧侶の方々には心より敬服いたします。










追記:2008年4月27日

今、録画しておいたテレビニュースをチェックしてますが、
善光寺に、メナール氏やチベット人が訪れたり、犠牲者の法要をしてる様子はほとんど報道されてない気が。

善光寺がスタート地点を辞退したことも今ではスルーされてますし、辞退した理由も「警備が難しい」ということしか伝えなくなってます。
コメンティターも「平穏にリレーが終わることを願う」という趣旨の発言ばかりで、
なぜ、抗議行動が起きてるのか、抗議に集まった人々の気持ちとか、チベット人の考えとか、ウイグルのこととか、
中国による民族弾圧という根本原因については詳しい報道はされてません。

ランナーの会見も、問題の核心に触れようとしないので、内容の無い奇妙なものになってます。
長野市民へのインタビューも、「怖い」とか「残念」とかいう感想ばかりを拾ってませんか?
過激な右翼団体の映像を映し、デモや抗議行動をしてる人は、すべて危険人物であるかのような印象操作です。
実際、テレビで流された映像は、過激な抗議行動や流血などの映像。 逮捕者6人負傷者4人とか。

逮捕者・負傷者が出たといっても、それは、数千人が集まった全長18キロのリレーの内のごく一部の行動でしかありません。
そう考えれば、長野でのデモは、熱気がありながら、とても抑制の効いた平和的デモだったと思います。

デモと暴動とは違うのです。

なのに、マスメディアはデモの混乱や衝突ばかりを追いかけクローズアップし、デモ行動自体を危険なもののように報じていて驚きます。
実際に現場に居れば、中国旗を持つ人、チベット旗を持つ人がすれ違っても、暴力沙汰に発展するほどの空気はありませんでした。
本当に暴動が始まれば、負傷者の数はもっと膨れ上がるでしょう。

日本は、模範的で平和的なデモを成功させたのだと、もっと自信と誇りを持って世界に報道しても良いのではないでしょうか?
ジャーナリストは、何のためにいるのか、まったくわかりません。




私も、日本人はおとなしいから、大規模なデモなんて起こらないと思ってましたが、
長野での様子は、まったく予想を上回るものでした。
デモを呼びかけた団体もあったでしょうが、それ以上に、一人一人が、チベット旗やプラカードを持参して、
全国から自主的に集結し、自分の思いを表現したという印象を持ちました。

主張は違っても、素直に気持ちを表現したいという行動は、中国人でも、チベット人でも、日本人でも変わりありません。

なぜ、マスメディアは、「素直な気持ちを表す人」を尊ばずに「怖いもの」と印象付け、「残念」がるのでしょうか?
なぜ、「自分の考えを述べない人」を賞賛するのでしょうか?

違った考えを持つ者が、互いの主張をぶつけあいつつ、尊重し、違いを受け入れ、
双方が納得する形で築かれるものが本当の「平和」なのではないかと思うのです。
一方が他方の考えに従ったり遠慮したり強制したり我慢したり諦めたりすることが「調和」ではないはずです。





「異様」な聖火リレーだとコメントする人もいましたが、
デモが平和的に出来たということは、「民主主義」が「健全」に機能している証ということも、忘れてはならないでしょう。












追記:2008年4月28日

全体的には、デモ行動は平和的に行えたと思いますが、小競り合いはいくつか発生していたので、その件も書き記しておきます。

報道によると、逮捕者6名と伝えられていますが、その中に中国人は含まれていないということです。
が、長野駅前リレー後の↓の写真の彼は、中国人の違法行為を必死に警官に訴えていました。(赤いのはペイントだと思います)



中国人の逮捕者ゼロということは、彼の訴えは、警察の耳には届かなかったようです。
警官のほうは、彼のほうを拘束する勢いで10人くらいで取り囲み威圧していました。
その後、彼は、お咎めなしで開放されたでしょうか?




さて、話は変わって、ここは善光寺参道です。 手前が善光寺です。
左にチベット旗、右に中国旗が見えます。 警官と僧侶達が様子を伺っています。
実は、ここより手前(善光寺の内側)へは、旗を掲げたまま入ってはいけないのです。





善光寺は、政治的に中立であるべき宗教施設です。
テレビ報道で、リレースタート地点が中国旗で埋まっていたことを見ればわかるように、
善光寺を聖火スタート地点にすることには、はじめから無理があったということです。
参道が中国旗で埋めつくされては、それこそ善光寺への冒涜となったでしょう。
善光寺をスタート地点に選んだ関係者は猛省すべきです。












追記:2008年4月30日

北京オリンピックまで、あと100日……。

その、北京オリンピックのチケットが世界的に不足しているそうです。
およそ600万枚のチケットのうち、75%は中国国内向けだとか。
開かれているはずの平和の祭典オリンピック競技場は、愛国者の赤い旗で埋め尽くされることでしょう。

そして今日、上野動物園のパンダが亡くなりました。

中国から新しくパンダをレンタルする話が進められているそうですが、
もともとパンダはチベットの動物で、中国がチベットを侵していることの象徴とも言われています。
その中国からパンダを借りるということは、チベット侵攻を追認するようなものであるとも言えます……。












追記:2008年5月8日

本日、聖火がチョモランマ登頂したということです。


たぶん↓チョモランマ……だと思うけど……。












追記:2008年5月17日

長野の聖火リレーで、チベット国旗をもって乱入して拘束された台湾国籍のチベット人男性が、やっと釈放されとのことです。
チベット旗をもって道路に飛び出しただけで、威力業務妨害罪で罰金50万円と20日間の拘留だったそうです。
男性は、チベットでの惨状を世界に訴えたかっただけだったでしょう。

その一方では中国で大地震があり、小学校が崩落し、多くの子供が犠牲になったとのことです。
小学校の崩落の原因は、当局への賄賂と手抜き工事とか。 はたして工事責任者は裁かれるのでしょうか?
全体では、数万人の死傷者が報じられています。

人の死を悼む気持ちのありかたは、
天災や、人災や、事故や、暴動や、戦争など、状況によって変わってきたりするものなのでしょうか?

国家の力で聖火がチョモランマを越えたとしても、国家の力で天災を防ぐことは出来ないということ、
国家は、人の命をどう扱うべきなのかということを、中国は答えを出すことが出来るでしょうか?

そして、チベット問題に目をつむって、オリンピックを推進してきた中国と世界の人々は、
今度は、地震による何万人もの被害者・難民を抱えた中国で、平和の祭典をどのように祝うことになるのでしょうか?

中国に対し、一般から義援金を募ってるくらいですから、
IOCや、北京オリンピックスポンサーは、いまこそ被害にあった中国人民に対して資金援助するべき時ではないでしょうか?

水泳競技では水泳選手の記録より、水着メーカーとの契約の方が大事らしいですし、
クジラの保護を訴えるオーストラリアは、カンガルーの間引きをするそうですし、
人間は何をしたいのかよくわかりません……。








追記:2008年6月21日

チベット自治区ラサで聖火リレーが行われたそうです。
厳戒態勢が敷かれ、市民は締め出されたとか。

一方、イタリア・フィアット社が、
中国によるチベット弾圧への批判で知られる米俳優リチャード・ギア氏をCM起用した件で中国に謝罪したそうです。













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