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チベットの行方


Dec.28.2003





チベットは、これから何処へ向かうのだろうか?

私がチベットを旅行していたころ、ダライ・ラマ法王14世が来日していたのだけれども、
日本のマスコミは妙に冷淡だったようだ。中国への過剰な配慮だろうか。

しかし、こうしている間にも、チベット文化は確実に脅かされている。
チベットは変質を余技なくされている。
日本も無関心ではいられないのではないだろうか?



う〜む。




ラサ市内の看板や標識などは、一応チベット文化の保護を謳い、
中国語とチベット語の併記を義務付けているようだ。
対外的に、民主化をアピールするポーズだろうが、これは、かろうじて幸いでもある。
たとえ土地が奪われても、文字や話し言葉が伝えられれば、
チベット族の誇りや文化は、次世代まで受け継がれることだろう。
言葉や文字を失ったときが、本当に文化が消失するときなのだから。


中国がチベットに進出したのは、1950年だった。
寺院の破壊などの弾圧、100万単位の犠牲者を生む中、抵抗運動は続いたが、
1959年のラサ蜂起が鎮圧されるのを最後に、中国はチベット支配を完了する。
ダライ・ラマ法王14世はインドへと逃れ、ダラムサラに亡命政府をつくり、
13万人以上のチベット人難民とともに、チベットの平和的開放運動を続けてきた。
その非暴力的運動は世界に評価され、1989年、ダライ・ラマ法王14世は、ノーベル平和賞を授与された。

現在の状況は、チベットが近代化に遅れをとったことも、一因ではあるだろうが、
さらにチベットが不幸だったのは、隣国が中華思想を広めることを国是とする国家だったことだろう。

中国は、共産党がチベットを近代化させたという功績を自負するだろうが、
その価値観は中華思想に基づくものでしかない。



漢族が推し進めた、チベットの急速な近代化によってもたらされたものは、ラサという街を見ればよくわかる。
整備された街中では、昔ながらにこの土地で質素に暮らしてきたチベット人は、
言葉は悪いが、まるでホームレスのようにしか見えないではないか。
なにもチベット族が怠け者で劣っているわけではない。チベット族は敬虔な仏教徒であり、
日々、仏に祈りをささげ、自分達のペースで昔も今も生きてきているだけなのだ。

一方的な近代化は、チベット族と漢族の間に、貧富の差を植えつけただけにすぎないのだ。
漢族は征服者であり、けしてチベット族に豊かさをもたらしてはいない。
共産党が掲げる平等な人民という思想はカケラもみられない。なんとも皮肉な話だ。
性急すぎる変化が、このような不幸な状況を生み出しているのである。

しかし、ここに至っては、チベット族が漢族と肩をならべるには、
自分達が守ってきた文化をある程度捨て、近代化の潮流の中に飛び込むしかないだろう。
あるいは、チベット族の文化の誇りを守りつつ、漢族の支配に甘んじることになるのだろうか。
中国政府に対しデモなどしようものなら、それこそ激しい弾圧を覚悟せねばならないだろう。
チベット自治区の中で、チベット族に開かれた道はほとんど無い。





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