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色即是空は空即是色


Dec.2.2003





ポタラ宮のポタラとはサンスクリット語で「観音様のお住まい」という意味だそうだ。



最上階には、白壇(ビャクタン)の樹から自然に生まれたという観音様の仏像が御神体として祭られている。
それは、まるで人の手によって木彫りされたような見事な姿をしているのだが、
仏教徒が、自然に樹から生じたと信じているのだから、疑うことは失礼だし意味を持たない。

他にも、ツンカバ、パドマ・サンババ、ダライ・ラマ12世などの高僧の足跡のついた石というのもある。
普通の人にはただの石の窪みにしか見えないだろうが、チベットの仏教徒にとっては神聖な石なのである。
そんなの嘘だろう、騙されてるんだろう、と、普通の人は思うかもしれない。
しかし、仏教徒がそう信じているのだから、あるいは事実だったのかもしれないのだ。否定しようがないのだ。

それが理解できないという貴方は、仏教の真髄を永遠に理解できないだろう。



ポタラ宮は、紅宮、白宮と分かれていて、それぞれ、宗教、政治を執り行う場所とされている。
現在は、お色直し中のようで、青い空に白宮がよく映える。
昔の写真よりも、白さは際立って見えるだろう。
さすが、ユネスコ世界遺産に登録された歴史ある建物というだけあるかもしれない。
貴方もこの写真を見て、この宮殿を美しいと思ったに違いない。

では、近くに寄ってよく見てみよう。



扉の屋根まで真っ白になってます。大雑把に吹きつけ塗装されたようです。



なんか、柱の模様が消えてます。後で職人が描き直してくれるのだろうか。



土台の岩肌まで、ペンキが流れ落ちてきて真っ白です。
こんな風にお色直しが続いたら、いつか岩肌全体まで真っ白になっちゃうだろう。

ポタラ宮が完成した17世紀頃には、こんなに真っ白に化粧されてはいなかっただろう。
もっと自然な顔料を利用した風格をもった色調だったに違いない。
ここまでペンキを塗りたくられたら、もはや剥がして元に戻すことは不可能だろう。

中国政府は、純白に塗り直したほうが観光客のウケがいいと判断したに違いない。
そして多くの観光客は、目論見通りに、ああ白くて綺麗な宮殿ですね、と感嘆することだろう。
最初からそういうものだと思っていれば、何の違和感も覚えないはずだ。
せめて、柱にマスキングくらいしてから塗れよとは言いたいが。



仏教の真髄、それは、色即是空 空即是色と世界を捉えたことにある。
貴方がみている世界すなわち「色」は、「空」であり、
また貴方は、「空」の中から「色」を見出すことも出来る、ということなのだ。
なんとなくわかりましたか?

この真理を見出したのは、紀元前5世紀にインドに生まれたという、ゴーダマ・シッダールタ(ブッダ)といわれる。
人類がゼロを発見したのと同じくらい普遍的で偉大な思想と言っていいと思う。
科学、宗教、哲学がないまぜになっていた当時では最先端の学問の礎がここにある。

当時インドでは、多くの学者によって真理をさぐる思索がさかんに行われていた。

そう、ブッダが説いたのは、あくまでも学問であって、宗教ではないと思われる。
絶対的な「神」を設定せずに、真理を探求しようとしたのがその証拠だ。
そもそもブッダは、怪しげな宗教を信奉しながら苦しみから逃れられない民衆を救うべく、
進歩的で現実的な生き方へと導こうとした思想家なのではないだろうか?

しかし、それは成功せず、仏教は後に、宗教の体裁をとり始める。
どうも、ブッダが涅槃に旅たって以降、すっかりヒンドゥー教の影響受けてしまったようなのだ。

ブッダが生まれたとき天上天下唯我独尊と話されたという伝説が生まれたように、
天上界から人間の救済のために人の姿で現れたのがブッダであったということで神格化し、
民衆に人気であったヒンドゥー教の神々も仏様として仏教の体系に取り込んだりしていった。
日本でおなじみの七福神なども、もともとヒンドゥー教の神様である。
ちなみに、ヒンドゥー教では、ブッダは、ヴィシュヌ神のアヴァターラ(化身)の一人にされてしまっている。

仏教の六道輪廻と解脱という教えも、カースト制や当時のインド哲学の発想であろう。
悪事をすると、地獄の業火で焼かれるという脅しも、原始的なバラモン教のなごりを感じる。
ブッダ自身は死後の世界について議論を避けていたと言われているのに、
どういうわけか弟子たちによってか、余分な教義が組み込まれてしまったようだ。

そもそも色即是空、ただこれだけで、苦しみから解放され、すべての真理を語れるはずなのに。

かといって私は、ほかの教義をすべて否定するつもりはない。
生まれ変わり、輪廻転生などは、魅力ある思想だ。人類が共通して持つ願望だろう。
いや、実際に臨死体験などすると、不思議な光に出会うという報告もなされていたり、
チベットの死者の書にもそのように書かれていてアメリカのヒッピーたちの話題になった。
魂の輪廻と解脱という死生観は、キリスト教文化圏でも受け入れられてるようで、
「あなたの死後にご用心」なんていう映画も作られている。(1991年アメリカ映画)
あの世がこんな風だったら一度くらい死んでみても面白いだろう。

スターウォーズなんかにも、東洋思想の影響がよく出ている。
パドメ・アミダラ(Padme Amidala)なんてそのまま東洋風のキャラだ。
Amidaraは阿弥陀如来からきているのだろうが、パドメはなんだと思ってたら、
Padmeってのは、マントラ「Om Mani Padme Hum(オム・マニ・ペメ・フム)」と単語が同じじゃないか。
正しくは、ペメ・アミダラと発音するんだろうな。調べるとPadmeってのは蓮華という意味らしい。
もしくは観音菩薩を意味するマントラみたいだから、彼女は観音様だったのかも。
この真理を見出した者は多くはいまい。ふふふふ。

それはさておき、現在、インドではすっかり仏教は廃れて、ヒンドゥー教が信仰されている。
インド人には、やはりまだヒンドゥー教のほうが馴染みがありすぎたのだろう。






<続く>




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