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はためけ!五色の旗


Dec.1.2003





日本では家を建てるときに、神事としてまず地鎮祭をし、
柱を立てて屋根がついたところで行われる上棟式で、屋根の上に五色の旗を飾ることがある。
また、五色の旗を持ち練り歩くという祭りもある。五色の水引というのもある。
鯉のぼりでも、五色の吹流しを掲げる。鯉も五色の五匹が正式だ。
これらは、おおむね、青、赤、黄、白、黒(緑)の五つから配色される。
もっぱら五行説の影響であると言われているが、
鯉のぼり自体は新しい習慣ではあるものの、祭礼の際に、五色の旗をかかげるという風習の起源は、
魔除けの意味を持ち、仏教伝来よりもずっと古い信仰からのものだと思われる。

チベットでも、家の上に五色の旗(青、白、赤、緑、黄)を飾る習慣がある。
旗というか、竿にタルチョという、経文が書かれた五色の布がどの家にも束になって掲げられている。
五色のタルチョは、それぞれ、青=空、白=雲(風?)、赤=火、緑=水、黄=土、を意味している。
並び方には順番が決まっているらしい。
ちなみに、火、水、土、は惑星名のことではない。身の回りの自然の色を素直に感じてのことだ。







チベットで、五色の旗を掲げるのも、仏教が伝わる以前の古い自然信仰が起源である。
ボン教、もしくはそれ以前から、アジア一帯にこうした習慣があったのであろう。



とくにオビのように白い長い布を、お供え用にしたりするのだが、ハタという名前らしい。
昔は絹だったと思うが、今は合成繊維が主流のようだ。自然分解しないのでちょっと心配ではある。



お供え用の線香やバターを売る店。店の上に吊られてるのがハタ。
バターは寺の中の灯明に流して使う。

五色の色は、紀元前4世紀頃に生まれた陰陽五行説にも影響を与えただろう。
五行説から五色の旗が生まれたわけではあるまい。
というのは、まず、視覚に訴える「五色」が先に古代の人間に親しまれていたであろうはずだからだ。
五行説では、青=木、赤=火、黄=土、白=金、黒=水、と、色に五元素を対応させているが、
五行説が後から五色を吸収し、当時の科学、天文学と共に意味づけをして整理をしただけにすぎない。
先に五行説があったなら、チベットにも、色の意味が五元素として伝わったはずだ。
あえて言えば、五行説と色の関係は、単なるこじつけであって、間違った科学体系である。
風水や天文学のように実利もなく、信仰とも関係なく、実生活に役立たない、迷信以下のものである。
当時の単なるファッションとして流行したにすぎない。
後に「紫」という色に人気が集まると、美しさと染料の希少性から、またまた後付で高貴な色として組み込まれた。
紫といえば、フェニキアあたりの地中海で、貝からわずかばかりが抽出される大変貴重な染料であった。
日本でも、弥生時代、有明海あたりで貝紫の染物がされていたという証拠が、吉野ヶ里遺跡で発見されたという。

さて、日本で五色というと、単純に五行説を直輸入したものと思われがちだが、
五行説で使われていない「緑」の色が黒の代わりに使われている祭りがあったとしたら、
それは、五行説が伝わる以前、アジア一帯に広まっていた古い信仰のなごりであるだろうことを想像させる。
私は、そうした祭りの方が、流行りものの五行説を踏襲したものよりも、
古代の人々の自然に対する真摯で素朴な畏怖に思いをはせられる気がするのだが。



タルチョの中でも、馬の絵が描かれたものはルンタと呼ばれる。神社の絵馬のようなものだ。
丘の上などで祈願成就のために風に流して撒きちらす。

チベットを歩くと、どことなく日本人の文化のルーツを感じさせることが多い。
偶然だろうか?やはり日本にまで影響を与えてきた広域な文化があったのであろうか?そうであるなら、
このような古い風習がいつごろどのような形で日本まで伝播してきたのか、とても興味深い。

古来、日本に馬がいたかどうかはっきりしていないそうで、
縄文時代や、魏志倭人伝が書かれた3世紀頃まで、日本に馬がいたという証しが無いそうだ。

その頃、大陸では騎馬民族が闊歩していたので、日本に野生馬がいたとしても、
戦争の道具として飼いならされた馬が日本にいなかったという意味かも知れない。
馬を祈願の対象とする習慣が始まったのが、馬を大事にする騎馬民族からもたらされたとすれば、
それは、古墳から馬具が発見されるようになる4世紀末の頃からだと言えよう。

ちなみに騎馬民族が日本を征服したという説があるが、さてどんなものだろう。
4世紀に急速に馬具が普及したにしても、新しく伝来した技術を使いこなす技は、
日本民族は昔から長けていたのではないかと思う。
騎馬民族は多く来訪していただろうが、征服説となると疑問が残る。
第一、他民族に占領されたなら、日本の独立が保たれたのも、日本語が独自性を保てたことも不可解だ。
大陸からのバックアップがなければ占領状態を継続できないだろうから、
日本書紀にも、大陸との関係がもっと親密に描かれていて良いはずだ。
中国がチベットにしている現状を見れば明らかなのだ。
それはともかく、ほどなく仏教も伝来してきた。

さて、チベットに仏教が伝わると、五色に仏教的な意味合いが付加されていく。
観音様や如来様に色を割り当てたり、六道輪廻やマントラにそれぞれ色を割り当てたり、というように。
これらも、五行説よろしく仏教徒たちが後付けで理論体系を組み立てていった中で生まれたローカルな思想なので、
そっちに興味のある方は各自で検索してもらいたい。



<続く>




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