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〜五日目〜峠のわが家


Nov.20.2003





03年11月9日
8:30am

ホテルのレストランでモーニング。



洋風にセットされている……が。



フライドポテトが冷めて湿っている。
いやね、いいんですよ。わかるんですよ。
朝早く出発する一人の観光客のために、朝っぱらから暖かい食事を用意できないというのもね、わかるんですよ。
でもね、街一番の立派なホテルだし、ここまで朝食をセットできるなら、ホットコーヒーもつくというなら、
お粥もつくというのなら、ちょっと厨房で油を暖めてポテトを揚げなおすとかしてもいいんじゃないかなと。
なんかね、昨日のほかの客の残り物のポテトをだされたようなね、そんな気がしてね。
いや、昨日ならまだしも、いつの頃に揚げたものなのかも定かでないしね。
いやいやいや、贅沢はいいません。残り物のポテト、いいじゃないですか。
食べ物は大事にしないと。でも私は食中毒をね、今回の旅は、これだけをずっと気にしているのですよ。
体調崩したら旅を続けられませんからね。生ものはできるかぎり食べないという方針で挑んでますからね。
冷めて湿ったフライドポテトも、そういう意味では若干不安なんですよ。
まあ、食べましたけどね。ええ。

てか、中国人は冷めたものは食べないとずっと信じていたのに……。
まあ、惣菜のひとつという感覚なんでしょうねえ。
それはともかく、一緒に並べられたピーナッツが美味しかったので、ゆで卵と一緒にテイクアウトする。

9:00am

いつもの3人で車で出発。
今日は、ヤムドゥク湖、カムパ・ラ(峠)を経て、ラサへと戻るのだ。
帰りの道は、さらに険しくなるという。面白そうではある。死ななければ。
そう、ただただ自分の身が安全ならば、どんな自体でも面白いのである。
シャレにならない事態だけは勘弁である。



こんな何にもないところでも、チベット族の村がある。
家々から立ち上る湯気が生活感をかもしだしている。

10:20am

標高約4400m。
これから上る山のふもとあたり。

10:30am

標高約4700m。
どんどん標高が上がり、道は凍り始め、山の頂に雪が見え始める。
車に乗っていても、つま先から冷えてくる。
チベットにきて、雪をみたのは初めてであるなあ。もっと寒いと思っていたが。
もっとも、乾燥しているためか、冬になっても街ではあまり雪は積もらないらしい。

10:35am

標高約5000m。かなり上った。富士山よりはるか上である。
氷河が見物できる尾根で小休止。



仏塔が立ってる。タルチョが飾られている。



チベット族のおじさんが小さな娘を抱いて物売りに来る。
輪切りにカットした綺麗な瑪瑙石を手にもって、さかんにアピール。



そばには、小さなチベット族の家がたっている。



おじさんの家だろうか?



私は、チベット族の暮らしぶりに興味があったので、
おじさんにチップを与えて、家の中を見せてくれまいかと交渉してみた。
すると、おじさんは、(チップが多めだったためか)快く、家の中を見せてくれた。



これかよ?

おじさんが案内してくれたのは、石で囲ってビニールシートをかぶせただけの、
小屋ともいえないものだった。まるで塹壕である。

どうも、さっきの家は、観光用に建てられた空き屋らしいのである。
物売りの人は、勝手にやってきて、このへんに仮住まいをかまえて、
観光客が来るのを待っているらしい。
春夏の観光シーズンにはもっと多くの物売りが来ているのだが、
この冬は、おじさん一人でここを縄張りにしてキャンプ生活しているらしい。



鍋、釜、ポット、ベッド、ラジカセなどがある。
こんなふうでも、きっと、すめば都なのであろう。
この生活感あふれるリアリティが素晴らしい。
テーブルの上にあるのは、私のDVカメラ(CANON DV M2)である。



それにしても寒そうだが……このへんは、日中でも零下〜5度くらいだよね。
ビニールで囲ってあるし、中でストーブつければ、結構あったかいのかもしれない。
チベット族の商魂に私は惚れ込んだのだった。
観光地の物売りというと、観光客にとってはうざったいだけのものであるが、
こういう必死に生きてる感じのするおじさんは、とても好感が持てたのである。

比較するとアレだけども、日本のホームレスレベルであるとはいえるのだが、
人間の住環境なんてのは、これだけでも十分な気もするのである。
なにしろ、おじさんは商売でここで暮らしているのである。人間の生き様というものである。
人間の真理をかいまみた気持ちにすらなるのである。
今朝、冷めたフライドポテトで文句言っていた私が恥ずかしくなる気分である。

おじさん、いつまでもお元気で。




<続く>




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