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〜第二日目〜飛行機が飛ばない


Nov.17.2003





03年11月6日
5:40am

まだここは、成都のホテルである。
現地係員が、空港までの送迎に、ホテルまでやってくる。
ひとけの無いフロントで待ち合わせる。
(ホテルのひとは、カウンターの下で仮眠していたりする。)



ホテルをチェックアウトして、車に乗る。
外は、まだ暗い。 朝食にと、現地係員に弁当をもらう。
食欲が無いので、後で食べるつもりでカバンにしまう。
私は、チベットもはじめてなら、中国もはじめてである。アジア旅行もはじめてである。
中国にいるなら、本場の中華料理をいただけるものと少し期待していたが、いまだその状況には無い。
チベットに入ると、もう美味しい食事は期待できないとガイドブックにあったので、ちょっと寂しい。

6:00am

成都空港に着く。 外は、まだ真っ暗。
中国は時差が無く、中国全土が"北京時間"なのだ。朝6時といっても、実際は4時くらいではなかろうか?
空港利用料50元を支払い、飛行機のチェックインをする。
この飛行機に乗れば、いよいよチベット自治区、ラサへと入ることができるのだ。
ちなみに、日本人がチベット自治区へ入るには、ビザの他に「入境許可証」がいる。
これは、現地の旅行会社が手配してくれており、私に手渡されている。 無くさないようにしなければ。

と、ここで、なにやら、不穏な空気。

飛行機が飛ばない!

というか、予定の飛行機が大幅に遅延しているらしい。
7時20発CA4401が、12時25分発になったという! その間5時間の遅れ!
どうしようと、考えるいとまもなく、航空会社は乗客に対して、ホテルをご用意しておりますから、
そちらで待機してくださいませ、というような事で、私はホテルまでのバスに乗らされたのだった。
現地係員とは、もちろんここでお別れである。

この後、言葉は通じません。
わはははははははははははははは。

問題を整理すると、ホテルで休むのはいいが、また、空港までの送迎バスに乗れるのか、
そのまま一人取り残されやしないか? ということである。
チベットに入ることなく、成都で10日すごすのは、御免こうむりたいのである。
果たして、私は無事にチベットに入ることが出来るのであろうか〜。

6:30am

私の不安をよそに、バスは走り出し、ほどなくホテルに到着。
ひとり、ツインルームに通される。
この後、朝食、昼食が、ホテルからサービスされるらしい。 クーポン券をもらう。
それが何時なのかもわからない。 部屋にいても落ちつか無いので、
廊下をうろうろしてメイドに聞いてみるが、言葉は通じず。
とりあえず、時間が来たら部屋に呼びに来るらしいので、おとなしく部屋で待機している。
テレビをつけると、なにやら、ニュースで殺伐とした事件を扱っていた。
後で知ったが、中東でテロがあったらしい。

さっき現地係員にもらった弁当を開く。



キットカット、ゆで卵、カステラを食べる。
サンドイッチと漬物は、腹の調子を考えてパス。
ソーセージは、今後の軽食にと、ポケットにしまう。
りんごは、衛生面から皮を剥いた方がいいだろうなと思いつつも、ナイフが無かったので、やはりパス。

7:30am

やっと空が白んでくる。 今日も空は曇りのようだ。

8:30am

部屋をノックされる。 別棟のレストランで朝食のようだ。



結構立派な構えのレストランだ。
大部屋で多くの中国人が食事を始めている。 私はひとりだけ、別の小部屋へ通される。
中庭を望む丸テーブルにつく。 いよいよ味わえるであろう本場の中華料理に期待が膨らむ。



すでに、ガラスのコップと箸がセッティングされているのだが、さあて、よくみれば、
このコップと箸は、いつの頃からここにセッティングされているのだろうか?

箸が湿っている。
コップに埃がついている。

私の中で、食中毒不安ゲージが上昇する。

そうこうしているうちに、給仕が何かポットに飲み物を持ってきた。
テーブルの、ガラスのコップに何やら注ぎ始めた。

それは、ホットミルクだった。

ホットミルク? ミルクなのか? そうなのか?
こ、これが本場中国式朝食メニューなのか?
私は、軽いカルチャーショックを受けたのは言うまでも無い。

給仕のおねえちゃんが、何か英語で話しかけてくるが、
私は英語もよくわからないので通じなくてモドカシイ。
英会話の本は、ホテルの部屋においてきてしまったのだよ。

その後、おかゆ、惣菜などが次々に出てくる。
惣菜は、どれもこれも辛い。 さすが四川省か。
おかゆは、なんか、洗面器みたいな大きさの椀にでろでろと入っており、
見ただけで食欲が衰える。



その後は、ラーメン。 なんだか、ほっとする。

うむ。 これは、普通の醤油ラーメンという感じでうまい。
おいしくいただく。

最後にまた、給仕が何かポットに飲み物を持ってきた。
テーブルのガラスのコップに注ぎ始めた。

それは、お湯だった。

お湯? お湯なのか? そうなのか?
こ、これが本場中国式朝食メニューのしめくくりなのか?
お茶は出ないのか? お茶は?
私は、大きなカルチャーショックを受けたのは言うまでも無い。
お湯はすこし、鉄分の味がした。

9:00am

朝食を終えて、ホテルの部屋へ戻る。



もう、後は、飛行機に乗り遅れなければいいや。

10:00am

なにも出来ずに部屋でダラダラ。
海外旅行におけるリフレッシュとも、ナイストリップとも程遠い感覚。

10:35am

部屋をノックされる。 外が騒がしい。 空港の送迎の時間らしい。
手荷物をもって、ホテルを出る。
バスに乗る前に昼食が出るらしい。 先ほどのレストランへ通される。
朝食から2時間しかたってないんですが。 まあいいか。
今度は、大部屋の丸テーブルにつく。
白人ツアー客の団体と一緒になる。
昼食は、朝と違って、火の通ったいわゆる中華料理がどんどん出てきた。
若干味は濃いようだが、悪くは無い感じ。
……と、思ったら、後から辛さが襲ってくるようだ。



本場の四川料理というのは、味付けが濃いというかなんというか、
辛いというかエグいというか、素材の味を殺して調味料の刺激をとことん引き出してるというか、
殺菌、保存のために、わざとそうしているのかも知れないが、
普段、塩分控えめ薄味の食事を心がけていた私には、チョット太刀打ちできないものであったのだった。
しかし、白人ツアー客は、よく食べているようだ。
日本人(の私)だけ、世界的に味覚がデリケートすぎるのだろうか?
繊細な味覚というのも、いざ世界に出ると、実戦的では無いのかなあと思ったのだった。
せっかく本場の中華料理を前に、あまり食が進まないヘタれな私だったのだった。

しかし、まだまだこんなものではなく、チベットに入ってからは、
私はさらにヘタれて行くのであった。

11:20am

昼食を終えて、バスに乗り込む。



サイドミラーがやけにでかいのが気になりだすと気になる。

11:40am

空港について、セキュリティチェック。
国内線なのにパスポートもしっかりチェックされた。 結構きびしい感じ?
チベット自治区行きだからか。
とにかく、これで、どうにかチベットに行くことは出来るようだ。 ひとあんしん。

12:50am

あれから、また若干、飛行機が遅延していたのだが、やっと、搭乗できたのだった。

1:15pm

やっと、チベット/ラサ行きの飛行機CA4401は離陸をはじめた。
成都の上空は、昨日と同じく厚い雲におおわれていた。



……が、やがて、その雲は、目前にそそりたつ岩山にさえぎられ、
その姿を消し、かわりに、どこまでも広がる赤茶けた岩山が眼下に広がりはじめた。



これが、チベット高原か。
う〜む。感動。

2:15pm

機内食。 辛くないカレーのようなもの。



3:40pm

ラサ着。



このあたりで、標高3600m近い。
空は雲ひとつなく、どこまでも青い。
若干鼓動が早くなり、息が深くなってきたようだ。
高山病か?
高山病については、一応調べてきてはいたが、気にしてもしょうがないということで、
あとは、私の体力まかせということにした。
このときはまだ、自分の高地適応能力に自信を持っていた。
しかし、そんな自信など所詮、根拠のないものだったと、後から思い知らされることになるのである。

4:00pm

現地ガイド、ドライバーとおちあう。
車で、ラサ市内のホテルへ。



ドライバーは漢族、ガイドはチベット族。ガイドの方は、日本語が上手で気さくな感じ。
この後、ガイドの方には道中たいへんお世話になることになるのだった。

5:40pm

ホテル着。



帰りの航空券、入境許可証を、ガイドに預ける。
ホテルの夕食のクーポン券をもらう。

6:00pm

ホテルで、夕食。



ジャスミンティが出たが、茶葉が浮いていて、沈むまで飲みにくい。
料理の味付けは若干クセがあったが、まずくは無い。
これが、おいしく食事を出来た最後の晩餐だった。
いや、無理して食べていたのかもしれない。
私の体調はこのあと、みるみる崩れていくのであった。

6:30pm

ラサの街を、ちょっと散歩。
通りを出てすぐ、ポタラ宮も見える。
息が切れてきたので、すぐ戻る。





ホテルの部屋は3階なのだが、エレベーターは無く、
3階まで上ったところで、息は絶え絶えとなった。 明らかに空気が薄い。

8:00pm

明日は、朝8時半より、いよいよチベットツアー出発である。
今日は、早めに寝ようと思う。



しかし、ホテルの窓に面した表通りでは喧騒が絶えず、
カラオケだか歌謡曲の音ががんがん深夜まで鳴り響いていた。
私は、いきなり眠れぬ夜を迎えることになったのだった。
一気に、体調はドン底に落ち込むことになるのだった。


<続く>




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