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村社会の生き残り戦術とは?


April.22.2004





つづき
それは、1575年、戦国時代も終わろうとしていた時じゃった。

かおる
はい?

つづき
その頃、桑名の三河長篠城は、武田勝頼の15000の軍勢に包囲され、
兵糧攻めに合い陥落寸前じゃったという。
長篠城主奥平貞昌は、なんとか岡崎の徳川家康に援軍を求めたかったが、武田軍の包囲網は強固じゃった。
窮地の中、家臣の鳥居強右衛門は、長篠城を救うべく、夜の闇に紛れつつ、密かに城を抜け出し、川を下り、
敵陣を突破し、岡崎へと向かったのじゃ。
岡崎では、徳川家康と織田信長が、鳥居強右衛門の求めに応じ、援軍を送ることを決定した。

鳥居強右衛門は、その吉報を一刻も早く伝えるべく長篠城に帰っていった。
が、その途中で武田軍に捕らえられてしまったのじゃ。
援軍が来ることを伝えられぬままでは、長篠城は、武田軍の攻撃に耐えられぬやも知れぬ。
長篠城も、鳥居強右衛門も、絶体絶命のピンチに追い込まれたのじゃ。

武田軍は、はりつけにした鳥居強右衛門を長篠城門前に連れて行き、
援軍は来ないと叫ぶならば、命だけは助けてやる。」と、揺さぶったのである。
援軍が来ぬうちに、敵に白旗を上げさせるために人質を利用しようと企んだのじゃろう。

長篠城では、武田軍に捕まった鳥居強右衛門の姿を見て動揺したことじゃろう。
鳥居強右衛門は、武田軍に屈したようにみせかけ、油断させたところで、このように叫んだのじゃ。

まもなく、徳川と織田の援軍が参るぞ!」と。

鳥居強右衛門は、すぐさま怒りに震えた武田軍に殺されてしもうた。
が、長篠城では、士気を盛り返し、武田軍の攻撃に耐えることが出来たのであった。

やがておしよせた徳川織田連合軍は、武田軍を打ち破ることになるのじゃ。
これが、長篠の合戦じゃな。
近代兵器である「鉄砲」が、初めて実戦で大量投入されたことでも有名じゃ。
織田信長は、戦いに勝利し、天下統一への道を進むこととなるのじゃ。

この物語は、英雄、美談と後世に伝えられてきたのじゃった。
鳥居強右衛門の勇気と潔さは、日本人の心に深く刻まれたに違いない。




かおる
感動的ですね〜。 日本人は、こういうストーリーに弱いんですよね。
政治家の中にも、好きな人が多いんじゃないでしょうか?
つづき
もしも、この人質が、味方に向かって、降伏を求めたらどうじゃろう?
いや、肉親が、人質救出のために、味方の陣に降伏を願い出たらどうじゃろう?
かおる
それは、許されない行為と、受け止められるでしょう。 日本人の美意識として。

つづき
戦国時代よりも、もっと古くから、ムラ単位の部族間が争いあう社会においても、
敵対する他の部族に人質をとられることは、致命的じゃったろう。
弥生時代、部族間の争いは、広がりを見せておった。
吉野ヶ里遺跡からもわかるように、環濠集落が作られ始めたことからも判ろう。
中国の歴史書にも、倭国は大乱にあけくれておったとある。

隣国と和平を結ぶときは、人質として王家の人間を使者に出したり、
恒久的な和平のためには、王家間で、婚姻関係を結んだりしたものじゃ。
古代の倭国でも、朝鮮半島と、そのような関係を築いてきたのじゃろう。

人質を利用するということは、古代からの、日常的な戦闘を余儀なくされた部族社会の、
ひとつの生き残り戦術であったわけじゃな。


かおる
古代では、交渉術も発達してなかったでしょうから、
敵に人質を獲られたら、万事休す。 要求が呑めなければ、見殺しにするしかなかったでしょうね。
つづき
その通りじゃ。
じゃから、古代において、人質に獲られれば、無事救出など出来ぬという覚悟が必要なのじゃ。
人質になったら生還は諦めるしかない。
人質になること自体が村社会を窮地に追い込む恥ずべき行為であり、
まして、救出を懇願するなど、社会全体にも迷惑がかかる事、という共通認識が根付いたのじゃろう。

かおる
そうして、古代の戦いから生き延びてきた部族の末裔というわけですね。 我々は。

つづき
うむ。 逆に人質を助けようなどと言う動きを見せれば、
敵につけこまれ、部族全体が滅ぶという危機を、何度も味わってきたのであろう。
かおる
それで、日本人は、人質を獲られたということを、極度に恐れるわけですか。

つづき
少なくとも、人質の開放を手放しで迎え入れる習慣は育たなかったということじゃな。
それよりも、敵と共謀していたのではないか? と、疑心暗鬼で見るという行動パターンは、
古代においても、同じように発現しておったじゃろう。
うっかり、敵の陣地に踏み入り、虜囚となっても、それは、捕まったほうが悪いのじゃ。
捕まった者は、潔く、皆の迷惑にかからないように、自害することを選択するしかなかったじゃろうな。
ましてや、生きたまま、敵の側から解放されるなど、これ以上の屈辱は無いということかも知れぬ。
そのような古代社会の暗黙の了解とされた行動様式が、数千年の間、脈々と受け継がれていたわけじゃな。

かおる
たしかに、日本人は、生きて虜囚の憂き目にあうより、死を選ぶ方を賛美する傾向にありますね。
戦前戦中の命を捧げて玉砕を奨励する軍事教育、沖縄戦、白虎隊、忠臣蔵、ハラキリとか。
でも、人質事件は、いままでも国内、国外とありましたが、
ここまで被害者が、民衆から見捨てられるというのは、どういうことでしょうね?

つづき
イラクで人質になった3人がバッシングを受け、
自己責任・謝罪・迷惑」という言葉が飛び交ったのは、
家族が「左より」だったからというより、家族の言動が、
もっと根源的な、日本人の美意識に反していたからじゃろう。
人質(の家族)に泣き喚いて命乞いをされると、ものすごく不快感を覚えるのではないか?
家族は、もっと慎ましく、村社会に頭を下げて回る必要があったということじゃ。
そうしてもらわなければ、村社会全体が、不安に陥るのであろう。
古代社会において、敵に屈するということは、すなわち、ムラが滅ぶことを意味するのじゃからな。

根底には、原始的な村社会の防衛本能が働いたのであろう。

かおる
開放された後も、ひどいバッシングでしたね?

つづき
生きて帰ってきたとしても、村社会を危機に陥れた釈明と、
敵側の人間ではないということを、村社会に証明せねばならんのじゃろうな。
かおる
つまりは、腹を切って無実を示さねば許さんということですね。
開放を、手放しで歓迎することは、日本人は、本能的に許されないことなのかも。
つづき
日本人が、人質問題に人質にナーバスになるのは、
弥生時代からの2000年の歴史が培った伝統であるとも言えるじゃろう。

またひとつ、わしらは、日本人の習性の謎を解き明かしたぞ!

かおる
とはいっても、古代の習慣を、現代にまで本性丸出しにしてバッシングするのは、
どうでしょうね〜。
つづき
自己責任が、どうのこうのと言ってる馬鹿者どもには、
感性が、弥生時代に先祖返りしておることに気づかぬであろうな。
かおる
これから、人質問題は、どんな展開を迎えるのでしょうね?

つづき
一部報道を見ると、まるで、3人が、誘拐犯と共謀してビデオを撮影したような言い方をしておるな。
脅迫映像の中に、日本語が聞こえるとか?
かおる
やっぱり、自作自演なのでしょうか?
日本語で打ち合わせしてるということは、人質が進んで演技に協力したとか?
つづき
もし、そうなら、公安はとっくに証拠を押さえておるじゃろう。 その程度の事情聴取は済んでおろう。
政府は、 外患誘致罪での立件も視野に入れておるやも知れぬな。 つまり、極刑、死刑じゃ。
脅迫された状況とは言え、犯人側とコミュニケーションをとり、ビデオ撮影に協力したことは事実かもしれぬ。
告発すれば、極刑にならずとも、なんらかの罪をきせることはできよう。
犯人側に日本人がいたとすれば、それくらいの情報はとっくにリークされておるはずじゃ。
つまり、映像の日本語の声が事実なら、人質自身の声である可能性が高いわけじゃな。

かおる
なぜ、逮捕しないのでしょう?

つづき
世論の動向を慎重に見極めておるのか、左翼にプレッシャーを与えておるのじゃろう。
つまり、今の3人は、日本政府によって人質になってしまったということじゃな。
かおる
うかつに記者会見開いて、何か口をすべらせれば、逮捕してやるぞ、というわけですね。
いい気になって、自衛隊撤退論など、ぶちあげるなよと。
つづき
今は、マスコミを使って、じわじわ怪しい事実をリークし、世論を揺すっておるのじゃろう。
3人の記者会見のタイミングも、難しいところじゃな。
民衆の関心の薄れた頃を狙い、かつ、選挙前か、選挙後か、
3人の発言内容でも、政府、家族双方に微妙な問題が派生するじゃろうて。
3人が復権するためには、いかに冷静に機会を失わずに、先手を打てるか、じゃろう。
しかし、記者会見が、謝罪中心になるのは明らかであるし、
脅迫映像の中の日本語の件にどう対応するかじゃな。
もはや、「知らない」では、民衆に納得されまい。 たとえ、ただの空耳であっても。
そしてまたバッシングが始り、イラクの件は政府に任せてボランティアは手を引くとなれば、
政府側の完全勝利で幕を引くことになるじゃろう。 3人が勝てる見込みは薄いじゃろうて。
同時に、村社会の醜さを、この上なく再認識することになるわけじゃが。
すべては、世論次第、という意味では、民主的と言うべきか……。

かおる
いっそ、外国に移民したほうが良いかも知れませんね?

つづき
うむ。 皮肉でなく、わしも心底そう思うぞよ。
真の国際人であれば、国籍などに拘る必要はあるまいて。







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